The case of Fantine's taking and release was Hugo's actual experience - from Hugo's "My Observations".

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The case of Fantine's taking and release was Hugo's actual experience - from Hugo's "My Observations".

前回の記事ではユゴーの『私の見聞録』という本をご紹介しました。

The book gives us an insight into Hugo from the 1840s to the mid-1850s, a period that had a profound influence on the writing of Les Misérables.

In particular, the book features a woman who was the model for Fantine, an important character in Remisée.

The scene in which Fantine is snowed in by a rude man and is taken away and sentenced to prison for fighting back had a strong impact on those who had seen Remisé. Jean Valjean was the one who saved Fantaine.

In fact, the composition of "a captured prostitute and the gentleman who frees her" is modeled on an actual event that Hugo himself experienced.

Hugo had experienced this very same scene in 1841, prior to writing L'émisé.

In this issue, we would like to look at the events that led to the foundation of Fantine from this book.

ファンテーヌのもとになった話

この本のありがたい点はユゴーの文章の前に解題ということで編訳者の解説が入るところにあります。これがあることでユゴーの文章がどんな状況を表したものなのかがとてもわかりやすくなります。まずはそちらから読んでいきましょう。

〔解題〕いうまでもなく、ファンチーヌはコゼットの母親である。ファンチーヌは、パリでさんざん男に弄ばれたあげくの果て、コゼットを身ごもったまま捨てられた。生まれたコゼットをテナルディエ夫妻に預け、必死になって働いた。法外な養育費を言われるままに仕送りするために、髪の毛を売り、歯も売って、しまいには、売春婦にまで身を落とした、娘の幸せだけを夢にみて……。

こんな母性愛の権化のようなファンチーヌが、ジャン・ヴァルジャンの生まれ変わった姿であるマドレーヌ市長に初めて出会うのが、ある雪の夜である。暇をもてあました伊達男に、ファンチーヌは背中に雪の塊を突っこまれた。ファンチーヌは猛然と男に飛びかかり、大騒ぎになる。黒山の人だかりができ、そのなかから現われでたジャヴェールに警察署に連行された。そこで、血も涙もないジャヴェールから「六か月の禁固刑」を言い渡される。そんなことになったらコゼットへの仕送りが途絶えてしまう。ファンチーヌは泣いたり、わめいたり、土下座したりしたが、ジャヴェールはけんもほろろにはねつけた。

と、そのとき、ひとりの紳士が進みでて、「この人を釈放しなさい」とジャヴェールに命じる。

この紳士こそが、マドレーヌ市長であった。その後、マドレーヌ市長は親身になってファンチーヌの面倒をみ、ファンチーヌが死ぬと、忘れ形見のコゼットをテナルディエから引きとって育てる。―あまりにも、有名な『レ・ミゼラブル』の筋立てである。

ここでは、こうしたファンチーヌとマドレーヌ市長の出会いの場面に着想を与えたとされる、一八四一年のユゴーの体験談を読む。後にユゴーから聞いた話をもとに妻のアデールが書いた関係で、ユゴーが三人称で登場する。

潮出版社、ヴィクトル・ユゴー、稲垣直樹編訳『私の見聞録』P34

今回ご紹介するのはユゴーの妻アデールが書いたものなので厳密にはユゴーの文章ではありませんがユゴーが語ったものの記録ということでこのエピソードが残っています。

では本文を見ていきましょう。長くなるので前半部分は割愛し、本筋に入ったところから引用します。

ヴィクトル・ユゴーはかなり早い時間にジラルダン夫人の家を辞去した。その日は、一月九日。外は牡丹雪が降っていた。ユゴーが履いていたのは、薄手の短靴だった。通りに出てみて、家まで歩いて帰るのはとても無理だ、と思った。ユゴーはテブー通りを下っていった。この通りが大通りと交わる角に、幌付き馬車のたまり場があることを知っていたのだ。馬車は出払っていた。馬車が来るのを彼は待った。

こうして、ユゴーは立ったままじっとしていたのだが、ふと見ると、金のかかった派手な身なりの若者が腰をかがめ、雪をひとつかみ手でつかんだ。そして、雪の大きな塊を、街角で客引きをしていた女の背中に突っこんだ。女は胸もとの広く開いたドレスを着ていたのだ。

「キャー!」と耳をつんざく悲鳴をあげたかと思うと、女はその伊達男に飛びかかり、バタンバタンと叩いた。伊達男が叩きかえし、さらに女が反撃したりしているうちに、けんかはどんどん激しくなった。あまりの大騒ぎに、騒ぎを聞きつけた警官たちが駆けつけた。

警官たちは男には手を触れず、女につかみかかった。

警官たちが自分につかみかかるのを見て、かわいそうに女は必死になってもがいた。だが、すっかり取りおさえられると、これ以上にない苦痛の表情を浮かべた。

ふたりの警官は両側から女の腕をつかんで、女を力ずくで歩かせようとした。歩かされながら、女は大声で訴えた。

「わたしは何も悪いことなんかしていませんよ。ほんとうですってばあ。わたしに悪さをしたのはあの人のほうなんです。わたしが悪いんじゃありません。お願いですから、放してくださいよ。わたしは悪いことなんかしていません、していませんとも、していませんってばあ!」

女が何と言おうとかんと言おうと聞く耳を持たず、警官たちは女の語気に抗して言い放った。

「とっとと歩きな。罰として六か月食らいこむんだな」

この「六か月食らいこむんだな」という言葉を聞いて、かわいそうに女はまたもや「わたしは悪くない」と繰りかえし始めた。そして、前にも増して一生懸命「許してください、どうかお願いですから」と懇願した。女の涙など斟酌する素ぶりも見せず、警官たちは女を、オペラ座の裏にあるショーシャ通りの派出所に連行した。

この女のことがなんだか気になり、ヴィクトル・ユゴーは警官たちに連行される女のあとを追った。こんなふうにひと騒動持ちあがったときには必ずやじ馬が集まるものだが、そうしたやじ馬の群れもいっしよだった。

派出所の近くに来て、ヴィクトル・ユゴーは中に入って女のためにひと肌脱ごうと思った。だが、つぎのような考えも頭をもたげた。

「わたしは人に名前を知られている。それに、ちょうど二日前から、新聞という新聞はわたしの名前をさかんに書きたてている(ユゴーがアカデミー会員に選ばれたことをさす)。そんな折も折、こんな事件とかかわり合いにでもなったら、それにそ四方八方からどんなひどい冷やかしを受けないともかぎらない」

結局、ユゴーは派出所の中には入らなかった。

女が連行された部屋は派出所の一階にあり、通りに面していた。ガラス窓越しにヴィクトル・ユゴーは中の様子をうかがった。見ると、絶望のあまり女は床をはいまわり、髪の毛をかきむしっている。女のことがかわいそうになってきて、彼はあれこれ思案し始めた。考えがまとまると、意を決して中に入ることにした。

彼が部屋の中に足を踏みいれた、そのとき、ろうそくの光に照らされた机の前に座って書きものをしていた男が振りむき、短く、有無を言わせぬ調子できいてきた。

「何のご用ですか?」

「先ほどの騒動の現場に居あわせた者です。わたしの見たままを証言して、この女の人を弁護しようと思って来ました」

こうした言葉を耳にして、女はヴィクトル・ユゴーを見た。驚きのあまりロもきけず、女はぽかんと放心したようになっていた。

「あなたの証言はどうも利害がからんでいて、まったく価値のないものということになりましょうな。公共の場で暴力行為におよぶという罪をこの女は犯したのですぞ。この女は紳士をなぐった。罰は六か月の禁固刑です」

女はまたしてもすすり泣き、大声をあげて、床をころげまわった。いつの間にかやってきていた売春婦仲間たちも、女に声をかけた。

「わたしたちが面会に行ってやるからさ。気を取りなおしなよ。着替えも持っていってあげる。それまでのあいだ、まあ、これでも取っておきなよ」

こう言いながら、売春婦仲間たちは女にお金と飴玉を渡した。

「言っておきますが」とヴィクトル・ユゴーがロを開いた。「わたしの名前をお開きになったら、そんな身も蓋もない受け答えはたぶんなさらなくなるでしょうし、わたしの話にも耳を傾けてくださるでしょうよ」

「それなら、なんと言うのです?あなたの名前は」

ヴィクトル・ユゴーは別に名前を言わないでいる理由もないと思った。それで、名前を名乗った。警察署長―そこにいたのは警察署長だったのだが―は平あやまりにあやまった。それまで横柄な態度をとっていただけ、腰が低くなり、丁重になった。

「どうぞ、お掛けになってください」と、ヴィクトル・ユゴーに椅子を勧めた。

ヴィクトル・ユゴーは警察署長に話してきかせた。

「わたしはこの目で確かに見たのです。ひとりの男が雪の塊をつかんで、この女性の背中に突っこんだのです。男のことなどまるで目に入らなかったこの女性は、不意を打たれて悲鳴をあげました。そして、ほんとうに苦しそうな表情を浮かべました。この女性が男に飛びかかったのは確かです。けれども、それは間違ったことではありません。背中に雪を突っこむなど無作法きわまりないことですし、それに、背中に雪を入れられたりして急に凍えるような冷たい思いをしたときには、大変な苦痛を感じることだってあるのです。この女性にはおそらく母親とか子供があって、こんなみじめな商売をしながらパン代を稼いでいるのでしょうが、この女性からパン代をとりあげるくらいなら、損害賠償を法が強制しなければならないのは、男のほうです。なにしろ、この女性にあんな狼藉を働いたのですから。結局のところ、逮捕すべきだったのは、この女性ではなく、男のほうだったのです」

こうした弁護のあいだじゅう、問題の女性はしだいに驚きの色を濃くし、喜びと感動に顔を輝かせた。

「この方はなんていい方なんでしよう!」と彼女は言った。「まあ、ほんとうに、なんていい方なんでしょう!でも、どうでしょう、わたしにはまるで見ず知らずの方なのに!」

警察署長はヴィクトル・ユゴーに答えた。

「おっしゃることは一から十までわたしは信じます。しかしながら、警官たちの証言もありますし、調書ももう作成し始めています。あなたの証言もこの調書に記載することにします。それは請けあいます。けれども、法は法でいきつくところまでいかなければなりません。この女を放免するわけにはいきません」

「なんですって!わたしは今ちゃんと証言しましたよ。わたしの証言は真実です。あなたが疑うことができないし、現に疑ってもいない真実なのですよ。それなのに、まだあなたはこの女性の身柄を拘束するというのですか?そんな法などは、おぞましい不法としか言いようがありません」

「事に決着をつけられないでもない方法がひとつだけあります。それは、あなたに、ご自身の証言に署名していただくというものなのですが……。そうなさいますか?」

「わたしが署名しさえすれば、この女性が自由の身になるというのですね。それなら、さあ、このとおり」

そう言うなり、ヴィクトル・ユゴーは署名した。

助けられた女性はずっとこう言いつづけていた。

「ああ!なんていい方なんでしよう!ああ!ほんとうに、なんていい方なんでしょう!」

こうしたあわれな女性たちは、人から同情を受けて驚き感謝するだけではない。人から正しい扱いを受けても驚き感謝するものなのである。

(一八四一年一月)

潮出版社、ヴィクトル・ユゴー、稲垣直樹編訳『私の見聞録』P36-43

まさかレミゼのマドレーヌ市長(ジャン・バルジャン)とまったく同じ行為をユゴー本人がしていたとは驚きですよね。

しかもデマや誹謗中傷記事が出回るのが当たり前だったパリの新聞で何を書かれるかわからない中でのこの行動はものすごい勇気が必要なことだったと思います。これは驚異的なエピソードです。

ただ、これはユゴー本人が書くわけにはいかない文章だと思います。幸いなことにユゴー夫人がこのエピソードを書き残したことで『レ・ミゼラブル』とユゴーの実体験がリンクしていることを私たちは知ることができました。この文章を残したユゴー夫人には大感謝です。

そして上のエピソードはファンテーヌだけではなくジャヴェールの存在のモデルにもなっているようにも思えました。法や規則に従うことが至上命題で、女性の苦しみに全く取り合わない警察官たち。こうした人たちとの実際の関わりから『レ・ミゼラブル』の着想は生れてきたということを知ることができました。

この本には他にもレミゼに関わるユゴーのエピソードがいくつも出てきます。

挿絵もたくさんありますので状況もイメージしやすく、とても読みやすい本となっています。

I highly recommend this book.

以上、「ファンテーヌの連行、釈放事件はユゴーの実体験だった~ユゴー『私の見聞録』より」でした。

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