小川和男『ソ連解体後ー経済の現実』~ソ連崩壊後の経済状況を知るのにおすすめ
この本は1993年に発行されました。今からおよそ30年前の時点でロシアの経済は専門家にどのように見られていたのかを知るのにこの作品はうってつけです。
新書ということでコンパクトながらもソ連解体後のロシア経済の概略を学べるこの作品は非常にありがたいものでした。
ぜひぜひおすすめしたい作品です。
この本は1993年に発行されました。今からおよそ30年前の時点でロシアの経済は専門家にどのように見られていたのかを知るのにこの作品はうってつけです。
新書ということでコンパクトながらもソ連解体後のロシア経済の概略を学べるこの作品は非常にありがたいものでした。
ぜひぜひおすすめしたい作品です。
ソ連崩壊後の混乱を経て、なぜプーチンが権力を掌握できたのか。ロシア国民はなぜプーチンを支持しているのかということもこの本を読めばその空気感が伝わってきます。
ロシア人は何を思い、何に苦しんでいるのか。そして何に怒り、何を求めているのか。
現在のロシア・ウクライナ問題を考える上でもこの作品は非常に参考になる作品です。
この本は今のロシアを考える上で必読と言ってもいいのではないでしょうか。
この本は旧共産圏のブルガリアに伝わる「踊る熊」をテーマに、旧共産圏に生きる人々の生活に迫る作品です。
この本もすごいです・・・!
ロシアに関する本は山ほどあれど、旧共産圏のその後に関する本というのはそもそもかなり貴重です。
しかも、その地に伝わってきた「熊の踊り」というのがまさに旧共産圏から「自由」への移行劇を絶妙に象徴しています。
「踊る熊」を通して私たち自身のあり方も問われる衝撃の作品です。これは名著です。ぜひぜひおすすめしたい作品です。
前回、前々回の記事でチェルノブイリ原発についてお話ししましたが、今回は原子力に関連してソ連のカザフスタン核実験場について書かれた本をご紹介します。
この本はカザフスタン出身の著者アケルケ・スルタノヴァさんによって書かれた作品です。
この本では旧共産圏のカザフスタンの核実験場、セミパラチンスク(現セメイ)で起きた悲劇について語られます。
かつてドストエフスキーも滞在していたこの地で起こった悲劇をこの本では知ることになります。
私は戦争に断固反対です。武力侵攻にも断固抗議します。
ですが、私は戦争における善悪の単純化を恐れます。
単純化は問題の解決にはなりえません。たとえ一時解決したかのように見えても必ずどちらかに禍根を残します。そしてそれが将来の争いの種になります。
だからこそ相手の歴史や文化を学び、それまで見えていた恐怖に打ち克たねばなりません。与えられた情報や自分で作り上げた恐怖のイメージで相手を見ている内はその実態が見えてきません。
一刻も早くこの悲劇が終わることを心から祈っています。
著者はこの事故に関わるひとりひとりの声を丁寧に聴いていきます。歴史という大きなくくりにおいては失われてしまう個々の声。それをこの作品では聴くことができます。
あの当時、あそこで何が起こっていたのか、人々はそれに対し何を思い、何を語るのだろうか。
それを知れるのがこの本の最大の特徴です。
特に、この本の最初に出てくる、事故で亡くなった消防士の妻リュドミーラ・イグナチェンコの物語は何度読んでも凄まじいです・・・私はいつも涙が出そうになります。
この本は単にチェルノブイリ原発の事故そのものだけを語るのではなく、この事故が起きるそもそもの原因となったソ連の構造そのものについても多く言及しています。
これはものすごく興味深かったです。ソ連末期がどのような状態だったのかということもこの本で知ることができます。
ロシア・ウクライナ問題に揺れる今、原発の問題が強く注視されています。
日本も全く他人事ではない原発事故について大きな示唆を与えてくれる衝撃の一冊です。
エンゲルスはベルリンで兵役を務めながらもこっそり抜け出して、学問の中心ベルリン大学へと通っていました。
そして彼がそこまでして通い詰めたベルリン大学というのが、当時、ものすごい場所だったのです。
なんと、そこにはあのキルケゴールやバクーニンがいて、エンゲルスは彼らと机を並べてヘーゲルを学んでいたというのです。しかもこの数年前にはこの大学でマルクスとツルゲーネフも学んでいます。恐るべし、ベルリン大学。
E・H・カーの『歴史とは何か』は私たちが当たり前のように受け取っている「歴史」というものについて新鮮な見方を与えてくれます。
歴史を学ぶことは「今現在を生きる私たちそのものを知ることである」ということを教えてくれる貴重な一冊です。この本が名著として受け継がれているにはやはりそれだけの理由があります。ロシア・ウクライナ情勢に揺れている今だからこそ読みたい名著中の名著です。
無神論というと、何も信じていないかのように思われがちですが実は違うパターンもあります。
この記事で語られるように、無神論とは何も信じないことではなく、従来のキリスト教の信仰を否定し、新たな信条に身を捧げることでもありました。
当時、キリスト教の世界観を否定し、ヘーゲル思想に傾倒していった若者はたくさんいました。そのひとりがエンゲルスであり、マルクスでもありました。