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中村元訳『ブッダの真理のことば』概要と感想~簡潔で心に響く原始仏教のエッセンスを知るならこの1冊!

ブッダの真理のことば
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中村元訳『ブッダの真理のことば』概要と感想~簡潔で心に響く原始仏教のエッセンスを知るならこの1冊!

前回までの記事でショーペンハウアーチェーホフについてお話ししました。

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ショーペンハウアーは仏教に強い影響を受けた哲学者です。

そのショーペンハウアーが強い関心を持ったのが原始仏教と呼ばれる、最も古い時代の仏教の教えでした。

今回からご紹介していく『ブッダの真理のことば』は以前私のブログでも紹介した『ブッダのことば』と同時代のお経です。『ブッダのことば』についてはその記事で次のようにお話しさせて頂きました。

仏教は今からおよそ2500年前、お釈迦様によって説かれた教えです。

最古のお経のひとつであるこの『ブッダのことば(『スッタニパータ』)』はお釈迦様が存命当時実際に説かれていた教えに最も近いとされています。

実はお釈迦様が存命当時は、お経を文字にして残すということはまだされていませんでした。

当時はお釈迦様が仰られた教えを詩や韻文の形で暗唱するという形式を取っていたのです。そうして脈々と弟子たちの間に相続されてきたと言われています。

しかしお釈迦様が亡くなられた後しばらくして、その教えを後世にどのように伝えるべきか、またどのように誤りなく正確に伝えることができるかということが問題になってきました。

そこで名だたるお弟子さんたちが結集してお釈迦様の教えを正式にお経として編纂する作業が行われるようになっていったのです。

そうして出来上がったお経のひとつがこの『スッタニパータ』(日本語訳にすると『ブッダのことば』)なのです。

つまり、お釈迦様が語られた教えを編纂し、お経という形で出来上がった最初期のものがこの『ブッダのことば』ということになります。

『ブッダのことば』がお釈迦様が実際に説かれたものに最も近いと言われるのもここにその所以があります。

お釈迦様のことばに聴く―中村元訳『ブッダのことば』より

これから読んでいく『ブッダの真理のことば』もまさしく同じようにして出来上がったお経です。

『真理のことば』とは

早速この『ブッダの真理のことば』について見ていきましょう。

『法句経』の名で知られる「真理のことば」(ダンマパダ)も、併収の「感興のことば」(ウダーナヴァルガ)も、ブッダの教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針が風格ある簡潔な句に表わされている。「ウダーナヴァルガ」とは、ブッダが感興をおぼえた時、ふと口にした言葉集というほどの意味で、本訳は世界でも初めての完訳。

Amazon商品紹介ページより

訳者の中村氏はこのお経についてさらに次のように解説しています。

『ダンマパダ』(Dhammapada)は、パーリ語で書かれた仏典のうちでは恐らく最も有名なものであろう。現在パーリ文の大蔵経のうちにおさめられ、南方アジア諸国に伝わっている。「ダンマ」とは「法」と訳され、人間の真理という意味であり、「パダ」は「ことば」という意味である。現代語ではしばしば「真理のことば」と訳される。(中略)

この書は漢訳の『法句経』に相当する。『ダンマパダ』という原題名には「経」という意味の字はないのであるが、経典として扱われていたために、シナで特に「経」という字を添えて『法句経』という名にしたのである。

岩波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P373

『真理のことば』というお経の原題は『ダンマパダ』といい、そして中国訳では『法句経』という名前で親しまれています。

おそらく『真理のことば』という名前よりも『ダンマパダ』や『法句経』という名前の方が多くの人にとっては馴染み深い名前かもしれません。

『ダンマパダ』は人間そのものに対する、はっと思わせるような鋭い反省を述べ、生活の指針となるような教えが述べられている。そのために世界諸国を通じて人々の愛誦するところとなった。

もともと南アジアの諸国で尊ばれて愛誦され、近代では西洋諸国でも翻訳によってよく知られるようになったが、最も数多くしばしば西洋の言語に翻訳された仏典である。わが国では大正年間に翻訳がいくつか著わされ、昭和になってから盛んに読まれるようになった。

波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P373-374

ここで中村元氏が述べるように西洋諸国でもこのお経は大変親しまれることになりました。その中の一人がこれまでの記事でお話ししてきたショーペンハウアーなのです。

『真理のことば』は以前紹介した『ブッダのことば』よりも読みやすいお経となっています。

と言うのも、『ブッダのことば』は哲学的な箇所が多く、知識がなければかなり読みづらい部分もあり、入門としては少し難しいお経でした。

それに対し『真理のことば』はひとつひとつの文が簡潔で、非常にわかりやすくなっています。哲学的なものというより生活実践としての言葉がそのほとんどを占めます。ですのでとてもわかりやすく、すっと心に染み入ってきます。

そうしたわかりやすさ、率直さ、簡潔さがあったからこそこのお経が世界中で親しまれることになったのです。

仏教入門としてこのお経は非常に優れています。お釈迦様が説かれていた教えに触れるにはこのお経が非常におすすめです。

次の記事からいよいよこのお経を読んでいきます。記事としては学術的な解説というよりかはお釈迦様のことばを読んで私がどう感じたか、何を思うかということを述べるコラムに近いものになるかと思います。

このお経のすべてをご紹介することはできませんが、私が選んだおすすめのことばをこれから順にご紹介していきます。ぜひご一緒にお釈迦様のことばを味わっていきましょう。

以上、「中村元訳『ブッダの真理のことば』~簡潔で心に響く原始仏教のエッセンスを知るならこの1冊!」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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