MENU

プーシキン作品の特徴と偉大さの秘密はどこにあるのだろうか~『スペードの女王』を題材に

駅長
目次

なぜプーシキンはロシア人に好まれたのか。その偉大さの秘密とは。

アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)Wikipediaより

前回の記事ではプーシキンの『スペードの女王』についてお話ししました。

あわせて読みたい
プーシキン『スペードの女王』あらすじと感想~ドストエフスキーの『罪と罰』にも大きな影響! ドストエフスキーがこの作品に大変な感銘を受け、絶賛したということで読み始めた『スペードの女王』でしたが、これは面白い作品です。 ストーリー展開もスピーディーで文庫本で50ページ少々というコンパクトな分量の中に特濃な世界観が描かれています。 シンプルに面白い!王道中の王道の面白さがこの作品にはあります。

今回の記事ではその『スペードの女王』を題材にプーシキン作品の特徴と、なぜプーシキンがここまでロシア人に愛されたのかということについてお話ししていきます。

早速ですが、川端香男里氏の『ロシア文学史』ではプーシキン作品の特徴について次のように述べています。

プーシキンの作品―詩であれ小説であれ評論であれ―を特徴づけるのは、叙述の自然さ、明晰・簡明・機智である。口語的な要素が大胆に取り入れられているが、古典的な洗練・優雅は失われていない。残念なことに、このような特質は翻訳で失われがちである。

プーシキンの詩のすぐれた鑑賞者であったメリメは、翻訳を通すと同国人からプーシキンが平板で陳腐な詩人としかみられないことを歎いている。音と意味の完全な結びつき、メローディアスな響きとイメージの調和というプーシキン詩の特徴は外国人にはなかなか感得できない。
※一部改行しました

川端香男里『ロシア文学史』岩波文庫P128

プーシキン作品の特徴はその「叙述の自然さ、明晰・簡明・機智」にあります。

もう少しざっくりと言うならば「余計な言葉を極力減らし、よりシンプルに!」ということになります。

プーシキンはむやみやたらに長い文章を嫌いました。そして当時ヨーロッパで流行していたとにかく大げさな表現を避けようとしたのです。

そのことについてちょうどわかりやすい例として挙げられるのが『スペードの女王』という作品になります。

前回も取り上げましたが改めてこの作品のあらすじを紹介します。

『スぺードの女王』の主人公、ゲルマンは、ドイツ系のロシア士官だった。「彼には激しい情熱と燃えるような想像力があったが、性格の強さが、若い者にはありがちなさまざまな過ちから彼をいつも守ってくれていた」。

この明敏で野心家の勘定高い男は、決してトランプのカードに手を触れなかったが、賭博台を囲んでの友人たちの騒々しく陽気な集まりには出ていた。

「余分な金を手に入れられるかもしれないなんて期待だけで必要な金をなくすような危険は、ぼくには冒せませんよ」と、彼は、自分に賭け金を張るように勧める者たちに、いつもはっきり言っていた。しかしながら、これらの夜の集まりの一つが、彼の運命を決めることになっていたのである。

その晩、賭博仲間の一人のトムスキイが、昔、自分の祖母がサン・ジェルマン伯爵から、賭博の必勝法を聞いたことがあるという話をした。三枚のカードにまつわる話だった。どのカード?どんな賭博者でもその秘密を高く買ったことだろうが、年取った伯爵夫人は、もう決して賭けないと誓いを立ててしまったので、破産と恥辱から自分を救ってくれた驚くべき確実な賭け方を明かすことを拒んでいたのである。

 この話は、ゲルマンに強烈な印象を与えた。彼は貧しかった。この高慢な都会でしかるべく暮らしてゆくために、彼には金が必要だった。

「確実な手で勝つ!」一人の老婆の強情が、彼が自分の夢を実現するのを妨げるなどということはばかげていなかっただろうか。奇妙な悪夢のよぎった夜を過ごした後、彼は、かの祖母の私生活にまで入りこもうと決心した。
※一部改行しました

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P568

ゲルマンはこうしてカードの秘密を得るために老婆の館に侵入し、彼女を脅してその秘密を吐かせようとします。

ですが老婆は恐怖のため秘密を教える前にショック死してしまいます。金持ちの老婆殺しは『罪と罰』を連想させます。

不本意にも老婆を死なせてしまったゲルマンですが、ふとしたことから結局その秘密を得ることになります。

そして彼はその秘密を用いて勝負に出ます。さあ彼の命運はいかに!?

というのがこの作品のあらすじになります。

アンリ・トロワイヤの『プーシキン伝』ではこの作品について実に巧みにその偉大さを解説しています。その解説をちょっと長くなりますが見ていきましょう。

 さて、プーシキンの最大の長所は、まさしく、作品を犠牲にして自分が目立つことをやめたことである。

もう一度彼は、自分の考えの要点しか読者に明かさないようにしながら、見事な腕前を示した。

非常に飾り気のない、非常に平明な彼の散文は、いつまでもこの形式の模範であり続ける。短い、形容語を取り去った文章は、力強い動詞を中心にしてまとめられている。

物語は、乾いた、簡潔な、せわしない調子で、動詞から動詞へと急速に展開する言葉遣いに贅肉はいささかも付いていない。ただ活力にあふれる神経と筋肉あるのみだ。もっと早く走れるように。もっと早く目標に到達できるように。老女の館の前にたたずむゲルマンのこの描写ほど、的確で簡素なものがあるだろうか?

「ひどい天気だった。風が唸り、綿をちぎったような雪がみぞれ模様で降っていた。街灯はぼんやりした光を広げ、通りには人影がなかった。時折、痩せこけた駄馬を繋いだ橇がすべって過ぎ、客はいないかと、御者が夜ふけの通行人の様子を窺った……。

とうとう、伯爵夫人の馬車が引き出された。ゲルマンは、黒貂の毛皮外套にくるまって、二人の従僕に支えられた、腰のすっかり曲がった老女が出てくるのを見た。その後すぐに、薄手の外套に覆われた肩、生花で飾った髪が見え、リザヴェータ・イヴァーノヴナがすばやく通った。昇降口の扉が音を立てて閉まり、馬車は柔らかい雪の上をのろのろと走っていった。スイス人の門番が玄関の扉を前のように閉めた。窓々の明かりが消えた。ゲルマンは人気のなくなった館の前を百歩歩いた」

 プーシキンは、老女の亡霊を描かねばならないとしても、亡霊にはつきものの青白さだの、ぼうっとした光を放つことだの、鎖のがちゃがちゃいう音だのを描く誘惑に負けないように十分用心している。幻出現のくだりは、一見したところ、表現の簡素さのゆえに、ほとんど失望を呼ぶていのものである。

「そのとき、往来を通っていた誰かが、部屋の中をちらっと覗いた。それから、すぐに遠ざかっていった。ゲルマンはそれにはどんな注意も払わなかった。

一分後、彼は玄関の扉が開くのを聞いた。彼は、いつもの通り酔っぱらった自分の従卒が、何か夜の散歩から戻ってきたのだと思った。そうではなかった。聞いたことのない足音だった。誰かがそうっとスリッパを引きずって歩いている。ドアが開いて、白衣の女が入ってきた……。ゲルマンはそれがあの伯爵夫人だとわかった」

 このきわめて平凡で単調な描写において、「誰かがそうっとスリッパを引きずって歩いている」と、「白衣の女が入ってきた」という、二つの文章が目を引く。

そうっとスリッパを引きずって歩く白衣の女、亡霊なんてそんなものである。だが、まさにこの白い色とスリッパが、不気味な感じを与えるのである。

どんな付随的な細部描写もないので、この白い色とスリッパは、わたしたちの頭の中で何よりも大きな重要性を持ち始めるのだ。このことが、わたしたちの頭を離れない。プーシキンが、よく選択された数語の背後に一つの世界を構築することを読者の手に委ねたのは、理にかなったことだ。
※一部改行しました

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P571-572

アンリ・トロワイヤは先ほどの川端香男里氏の解説を絶妙に補足してくれているように思えます。

普通の作家だったら自分の筆の力を誇示するためにあえて大げさに表現します。

ですが彼はそんなことをしません。「プーシキンは、老女の亡霊を描かねばならないとしても、亡霊にはつきものの青白さだの、ぼうっとした光を放つことだの、鎖のがちゃがちゃいう音だのを描く誘惑に負けないように十分用心している」のです。

ここがプーシキンのプーシキンたる所以で、この簡潔さ、本質にズバリと切り込むような言葉の選択がロシア人の心に深く突き刺さったのでしょう。

トロワイヤの

このきわめて平凡で単調な描写において、「誰かがそうっとスリッパを引きずって歩いている」と、「白衣の女が入ってきた」という、二つの文章が目を引く。

そうっとスリッパを引きずって歩く白衣の女、亡霊なんてそんなものである。だが、まさにこの白い色とスリッパが、不気味な感じを与えるのである。

どんな付随的な細部描写もないので、この白い色とスリッパは、わたしたちの頭の中で何よりも大きな重要性を持ち始めるのだ。このことが、わたしたちの頭を離れない。プーシキンが、よく選択された数語の背後に一つの世界を構築することを読者の手に委ねたのは、理にかなったことだ。
※一部改行しました

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P572

という解説はまさしくプーシキンの凄みを感じさせるシーンです。

文学を楽しむというのは、こうした一見些細な言葉遣いの違いを知ることによってその世界が全く違って見えることを感じるところにあるのだなと思わされたのでありました。実に奥深いですね。これにはとてもぐっときました。

知らなければずっと知らないままなんとなく読み過ごしていたかもしれません。

ですがこうした文学の奥深さを知ることで、他の作品も、あるいは文学に限らず様々な世界が違って見えるのだとしたらなんともわくわくしてきます。

今回の記事ではざっくりとではありますがプーシキンの特徴とその凄みについてお話しさせて頂きました。

日本語で翻訳してすらこうなのですから、母国語で親しんだロシア人が受けた衝撃たるやものすごいものがあったのでしょう。

ドストエフスキーがあそこまで心酔するのもなんとなくわかるような気がします。

以上、「プーシキン作品の特徴と偉大さの秘密はどこにあるのだろうか~『スペードの女王』を題材に」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫)

スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
プーシキン『大尉の娘』あらすじと感想~プガチョフの乱を題材にした晩年の最高傑作 プーシキンは本当に面白い作品をたくさん出しています。現代小説と比べても全く遜色ありません。古典だからと敬遠するのはもったいないです。驚くほど読みやすく、そして内容の濃さも超一流です。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
プーシキン『スペードの女王』あらすじと感想~ドストエフスキーの『罪と罰』にも大きな影響! ドストエフスキーがこの作品に大変な感銘を受け、絶賛したということで読み始めた『スペードの女王』でしたが、これは面白い作品です。 ストーリー展開もスピーディーで文庫本で50ページ少々というコンパクトな分量の中に特濃な世界観が描かれています。 シンプルに面白い!王道中の王道の面白さがこの作品にはあります。

関連記事

あわせて読みたい
プーシキン『青銅の騎士』あらすじと感想~ゴーゴリ・ドストエフスキーの「ペテルブルグもの」の元祖 『青銅の騎士』が後のロシア人作家に与えた影響は並々ならぬものがあります。 こうした文学的な影響力もさることながら、ひとつの読み物としてもとても面白い作品です。さすがプーシキンの傑作と呼ばれるだけあります。 プーシキンらしく簡潔かつ研ぎ澄まされた表現でどんどん物語が動いていきます。現実と幻想が絶妙に入り混じったプーシキンの世界観がいかんなく発揮されています。
あわせて読みたい
プーシキン『駅長』あらすじと感想~『カラマーゾフ』のあの名シーンはここから来ていた!? かつて私は『カラマーゾフの兄弟』の「スネギリョフがもらった金を踏みつける有名なシーン」を初めて読んだ時、「なんでドストエフスキーはこんなことを思いつけるのだろう!なんて化け物なんだ!」と学生ながらに感動したものでした。 ですがそのシーンに似たシーンがまさに、この作品にあったのです。若い頃から暗記するまでに読みふけっていたプーシキンからこういう風にドストエフスキーはインスピレーションを受けていたのです。これは衝撃でした。
あわせて読みたい
ロシアの国民詩人プーシキンとは?代表作や生涯、特徴をざっくり解説! ロシアの国民詩人プーシキンはドストエフスキーが最も愛し、最も尊敬した文学者です。 ドストエフスキーは幼い頃から彼の詩にのめり込み、最晩年までずっと彼の作品と共にありました。 そんなプーシキンですが日本では名前は知られてはいるものの、どのような人物であるのか、どんな作品を世に残したのかとなるとほとんど知られていません。 今回の記事ではそんなプーシキンについてざっくりとお話ししていきます。
あわせて読みたい
プーシキンをこよなく愛したドストエフスキー。伝説のプーシキン講演とは プーシキン講演はドストエフスキーが亡くなる前の年の出来事です。 病気が進行し『カラマーゾフの兄弟』の執筆だけでもやっとの状態で、命がけで臨んだ講演です。 おそらくこの遠征が彼の命を縮めることになってしまったのかもしれません。 ですが彼にとってプーシキンという詩人に対する思いはそれほどのものだったのです。命をかけてでも臨むべき戦いだったのです。
あわせて読みたい
プーシキン『青銅の騎士』あらすじと感想~ゴーゴリ・ドストエフスキーの「ペテルブルグもの」の元祖 『青銅の騎士』が後のロシア人作家に与えた影響は並々ならぬものがあります。 こうした文学的な影響力もさることながら、ひとつの読み物としてもとても面白い作品です。さすがプーシキンの傑作と呼ばれるだけあります。 プーシキンらしく簡潔かつ研ぎ澄まされた表現でどんどん物語が動いていきます。現実と幻想が絶妙に入り混じったプーシキンの世界観がいかんなく発揮されています。
あわせて読みたい
プーシキン『吝嗇の騎士』あらすじと感想~ドストエフスキー『未成年』に強烈な影響を与えた傑作小悲劇 この作品はドストエフスキーと非常につながりの深い作品として有名です。 『吝嗇の騎士』は直接的には『未成年』に最も強い影響を与えた作品ですが、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』にも影響を与えていると考えるとまた興味深いです。
あわせて読みたい
プーシキン『モーツァルトとサリエーリ』あらすじと感想~天才が天才に抱く嫉妬の物語。ぜひおすすめし... 『モーツァルトとサリエーリ』は日本においてはマイナーな作品ですがこれは逸品です。もっと世に出てほしい作品です。とってもおすすめです。読めばわかります。プーシキンはすごいです。そのすごさをこの作品で特に感じました。 正直私にとってこの作品がプーシキン作品の中で最も好きな作品かもしれません。
駅長

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次