(41)墓堀人のグリビエもレ・ミゼラブルではないのか?~このまま悲惨な生活を続けるであろう苦労人について一言

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(41)墓堀人のグリビエもレ・ミゼラブルではないのか?~このまま悲惨な生活を続けるであろう苦労人について一言
『レ・ミゼラブル』第二部 コゼット 第八章 墓地は与えられたものを受取る ⑷
前回までの記事でジャン・ヴァルジャンの修道院脱出計画を見ていきましたが、私にはこの出来事において気になる点がありました。
それが新米墓堀人のグリビエの存在でした。
彼は亡くなったメチエーヌ爺さんの後釜として墓堀人となった男でありましたが、皆さんも知っての通り、堅物と言ってよいほど真面目な人間でありました。
しかもその真面目さの源泉が「7人も子供がいて彼らを食わせてやらねばならぬ」という涙ぐましいまでの理由でありました。
前回の記事でも思わず言ってしまいましたが、「めっちゃいい人」なのです。彼は。
しかも彼が墓堀人になった理由も気になります。
「俺は墓掘りなんかになるはずじゃなかったんだ。親父は幼年学校の守衛だった。俺に文学をやらせようとした。ところが運悪く、株で大損をしたんだ。作家稼業はあきらめなきゃならなかった。それでもまだ代書人はやってるんだ」
新潮社、ユゴー佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P465-466
なるほど、彼は作家志望の元学生だったのですね。それで親が株で失敗し今に至るというわけです。
「食わなきゃならんからな。俺はメチエーヌ爺さんの跡目を継いだのさ。だいたい学校を済ませた奴は、哲学者さ。手先の仕事に、俺は腕の仕事をつけ足したのだ。セーヴル通りの市場に俺の代書人の店がある。知ってるかい?パラプリュイ市場さ。《クロワ・ルージュ》の料理女はみんな俺に頼みに来る。兵隊への恋文を書きとばしてやるのさ。朝は恋文を書き、晩は墓掘り。それが人生さ、おっさん」
新潮社、ユゴー佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P466ー467
いかがでしょう。こんな貧乏で大変な暮らしの中でも強く生きているグリビエ。実に好人物であります。
そんな彼を騙す形で墓場から遠ざけたフォーシュルヴァン。ジャン・ヴァルジャンを救うためにはやむをえませんでしたが、この家族思いの真面目人間をこのような目に遭わすというのはやはり少し気の毒な気がします。
実際、ユゴーもそのことが頭によぎっていたようで、この脱出劇の後に彼の家をフォーシュルヴァンに訪ねさせています。あるはずもない証明書を探しに行ったグリビエはどうなってしまったのでしょうか。
フォーシュルヴァンは八十七番地に入り、いつも屋根裏に行く貧乏人の本能で、ずっと上までのぼりつめて、暗闇の中で、ある屋根裏部屋の戸をたたいた。答える声がした。
「お入り」
グリビエの声だった。
フォーシュルヴァンはドアを押した。墓掘り人夫の住まいは貧乏人の住居の常とし、家具のない取りちらかされた屋根裏部屋だった。どうも棺桶らしい荷づくり用の箱が箪笥のかわりをし、バター入れが水瓶のかわり、藁布団がべッドの、床石が椅子やテーブルの代用をしていた。片隅には古い敷物のぼろ切れの上に、痩せた女と大勢の子供が、一塊りになっていた。この貧しい部屋の中全体に、ひっくり返されたあとがあった。「ここだけ」の地震があったかのようだつた。蓋は取りのけられ、ぼろは散らばり、水差しはこわされ、母親は泣き、子供たちはぶたれたらしい。腹を立てて、血眼で捜しまわった形跡だった。墓掘り人夫が夢中になって証明書を捜しまわり、水差しから女房まで、部屋じゅうのものに、この紛失の責任を負わせたことが、歴然としていた。やけくそになっている様子だった。
しかしフォーシュルヴァンは、事件を早く片づけようと急いでいたので、彼の成功のこの悲惨な一面には、気がつかなかった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P483-484
ああ!なんということでしょう!まさに彼の家は悲惨な状況に陥ってしまっていたのでした。ただでさえ貧乏そのものであるこの部屋に、不条理な地震が襲い掛かっていたのです!
彼は日常的に子供をぶつような親だったのでしょうか?妻を泣かせるような夫だったのでしょうか?
否!断じて否!
ユゴーはここで明らかにしてはいませんが、彼がそんなひどい男ではなかったと私は信じたいです。
そして最後に挿入された「しかしフォーシュルヴァンは、事件を早く片づけようと急いでいたので、彼の成功のこの悲惨な一面には、気がつかなかった」という言葉です。これがまさにユゴーが彼を気にかけていた証だと私は信じたいです。
フォーシュルヴァンも聖人ではありません。善人ではありますが彼も追い込まれていました。計画は何とかうまくいきましたがまだ平常心とは程遠い状況だったことでありましょう。そんな彼にこの悲惨な現場は目に映らなかったかもしれません。
ですが、このグリビエ一家はまさに「レ・ミゼラブル」であったことでしょう。パリではありふれた貧困と悲惨であったかもしれませんが、彼らは紛れもなく悲劇を生きていた人たちでした。それにもかかわらずグリビエは快活に、真面目に仕事をしていたのです。そんな彼をここまでやけくそにさせてしまうほどあの証明書、いや15フランは大きなものがあったのです。
そのことを思うとフォーシュルヴァンがこの悲惨を目にしながら何も気づかなかったのは少し悲しい気もします。ですが、何も気づかなかったからこそ彼はグリビエに臆面もなく「明日の朝、墓地の門番のところに行けばあんたの証明書があるよ」と声をかけ、「あんたが落とした証明書を俺が拾って届けたんだ。仕事も抜かりなくやったので安心しな」と語ることができたのも事実です。もし目の前の「地震」に気付いていたらさすがに良心がうずくことでしょう。
あっぱれなほど何も知らないグリビエはそんなフォーシュルヴァンの言葉を信じ、「この次、俺が一杯おごるぜ」と感激するという実におめでたい結末となりました。このおめでたさがあるのならば、これはこれでよかったのかもしれません。
ただ、ユゴーが挿入した「しかしフォーシュルヴァンは、事件を早く片づけようと急いでいたので、彼の成功のこの悲惨な一面には、気がつかなかった」という言葉が重要なのは変わりありません。これはフォーシュルヴァンの失敗を解説したのではなく、私達読者にぜひ気づいてもらいたいというユゴーのささやかな叫びだったのではないでしょうか。人は物語の主要人物に目を引かれ、そこら中に溢れている「レ・ミゼラブル」な人達を見逃してしまうということです。
いずれにせよ、このグリビエの存在は私にとっても立ち止まらずにはいられないものがありました。ぜひ彼の存在を知って頂ければ私としても嬉しく思う次第であります。
続く
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