(15)ブッダ亡き後の教団の方向を決定づけた経典結集

『シン日本仏教史』(15)ブッダ亡き後の教団の方向を決定づけた経典結集
前回の記事ではブッダ死去直後の葬儀を巡る問題についてお話ししました。ブッダの葬儀執行や遺骨の管理は単に宗教だけの問題ではなく極めて政治的な意味を持つ重大事でありました。
そして今回の記事ではブッダの葬儀を終えた仏教教団の展開について見ていきます。
ブッダ滅後の経典結集
ブッダ亡き後、一番最初の課題となったのはブッダの教えをどうまとめ、継承していくかということでした。
これはどういうことかといいますと、この時代のインドには「教えを文字に書き残す」という習慣がなく、全て口頭で継承するのが普通のことだったという背景があります。しかもブッダの説法は独特で、人によってその教えを柔軟に変えていくという対機説法を行っていました。つまり、その人の悩みや気質によって異なる教えを語っていたのです。
もしブッダが自分の教えを体系的にまとめた聖典のようなものを残してくれていれば問題がなかったのですが、今申しましたように、当時のインドにはそのような習慣はありません。もちろん、ブッダの基本的な教えは弟子達の間でもすでに共有されていたでしょうが、それとは別の多種多様な教えがそれぞれの弟子に授けられていたのでした。
ブッダという絶対的なトップがいなくなってしまった以上、これから先は「どうしたらいいでしょう?」と相談できる相手もいなくなります。また、弟子同士で解釈の違いが起きてもそれを絶対的な権威で仲裁してくれる人もいません。こうなると、そうしたことを防ぐための「より体系的なルールと教えの定式化」が必要になってきます。
こういうわけでブッダ教団の弟子達が一堂に会し、教え(経典)の編纂に取りかかったのでありました。これを結集と言います。この時に中心となったのは高弟マハーカッサパとブッダの従者だったアーナンダになります。特に、アーナンダは多門第一と呼ばれるほど抜群の記憶力を持ち、ブッダの教えを一言一句記憶していたと言われています。ブッダの一番そばで長きにわたって仕えたアーナンダです。その彼が教えを記憶していたおかげで結集は無事完了しました。ここで編纂されたお経、すなわちブッダの教えを「アーガマ」、漢訳では「阿含経」と言います。
仏教教団はこうしてブッダ亡き後もその教えを継承しながら修行に励んだのでありました。
ブッダ滅後約100年後に起こった第二次経典結集~ブッダ教団の分裂へ
さて、1回目の結集はそこまでの混乱もなく無事終了することができましたが、これにはこの結集がブッダを直接知る弟子達によって行われたという背景もありました。ですがブッダが亡くなってから100年も経つと、もはやブッダと直接面識のある人もいなくなってしまいます。さらには時代も移ろいゆき、仏教教団のあり方も変わってきました。
草創当時のいわば家族経営のような教団からインドに定着した大教団となると、その運営も全く性格の異なるものになっていきます。
そしてついにブッダ教団の中で決定的な事件が起こることになってしまいました。そのきっかけが第二次結集になります。
この時の結集で主要な議題となったのは、教団が受け取るお布施として金品や塩などの保管可能な食糧を認めるべきか否かの問題でした。
これには仏教教団における切実な問題がありました。ブッダ在世時の弟子達は基本的には自分の財産を持たず遊行生活を送っていたのですが、時代を経て僧院に定住する出家者が増えていったのです。
しかしこうした僧院生活が始まるとどうしても実務上お金や食料、その他諸々の物品などと関わらざるを得なくなります。木の下や洞窟の中で野宿して生きていた頃とは時代が違うのです。また、信者側の求めることもかつてとは異なってきていたのでした。つまり、バラモン教の僧侶と同じように自分たちの幸福を祈ってほしいという要求も生まれてきていたのです。
そんな中保守的なグループがこうした状況を認めず、昔と変わらぬルールであるべきだと強く主張します。
その結果保守的なグループたる「上座部」と、新たなあり方を是とする「大衆部」の2つへと仏教教団が分かれてしまったのでありました。これを根本分裂と言います。
そしてここからさらにグループは細かく分かれていき、それぞれの部派が独自に仏教を説いていくことになったのです。
さて、こうした仏教経典の編纂会議である結集についてこれまでお話ししてきましたが、私がこの2つの結集を取り上げたのには理由があります。
まず第一に、「ブッダの教えは唯一絶対のものではない」ということを知るのに、この結集という出来事はあまりに重要なものだからです。
先にも述べましたようにブッダは対機説法という方法を取りました。これにより様々な教えが説かれることになったのですが、時には教え同士相矛盾することすら説かれるという事態を引き起こしました。これをどう解釈するかで弟子たちの見解がどうしても分かれてしまうのです。
さらにブッダは自らの思想を体系化して聖典化することもなかったので、教えと教えのつながりがわかりにくく、多くの空白が存在してしまっていたのでした。つまり、単発の教えが並べられているだけという状態なので、それをどう解釈すればよいのかということがどうしても受け手側に委ねられてしまうのです。
また、一神教のように、唯一絶対神からの聖なる言葉として語られたわけでもないというのも重要です。これにより、多様な解釈を許容する余地が生じました。しかもブッダはその地その地の言葉で説法することを奨励していました。つまり、現地の人にわかりやすく教えを伝えることを重要視したのです。ブッダが語った言葉そのものに絶対的な権威を持たせなかったというのも仏教の大きな特徴と言えるでしょう。
こういうわけで、お経というものは唯一絶対のものではなく、解釈がどんどん分かれていくというのが必然の運命だと言えるのです。
皆さんも「なぜ仏教にはこんなにたくさんのお経や宗派があるのだろうか」と疑問に思ったことはありませんか?
それにはこうした背景があったのです。ブッダの教えには空白がありすぎるのです。その空白に対し、それぞれの宗派が独自の解釈を行い、経典がさらに生み出されていきます。私達日本にも伝わった大乗経典も大きく言えばその流れの一つだということができましょう。厳密に言い出すとかなりややこしい話になるのでここではこれ以上はお話しできませんが、仏教経典には唯一絶対なものはなく、多種多様な経典がそれぞれのグループから生み出され続けたというのが仏教のユニークな点だと思われます。だからこそ仏教は時代や地域を超えてこれほどまでの広がりを持つことができたと言えるでしょう。
続く
主要参考文献一覧
〇インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧
〇インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧
〇仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧
〇中国仏教・中国思想のおすすめ解説本一覧
〇親鸞聖人や日本仏教を学ぶためのおすすめ参考書一覧
次の記事はこちら

前の記事はこちら

『シン日本仏教史』の目次と記事一覧はこちら
関連記事




