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イスタンブールと平安京~遷都をめぐる意外な共通点 トルコ編④

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イスタンブールと平安京~遷都をめぐる意外な共通点 僧侶上田隆弘の世界一周記―トルコ編④

アヤソフィアの美しさに感動したぼくは、その足で今度はガラタ橋の方へ向かっていく。

ガラタ橋とはイスタンブールの旧市街と新市街で挟まれた金角湾を結ぶ橋のことだ。

ここも観光客に非常に人気のある場所として有名だ。

ガラタ橋付近の広場は人でごった返している。

海が近いのでカモメがたくさん飛んでいる。ガラタ橋はもうすぐそこだ。

これがガラタ橋。イスタンブール名物の釣り人も橋の上にびっしり並んでいる。

川のようにも見えるがこれもれっきとした海だ。

地図を見て頂けるとよりイメージしやすいことと思う。

こうして見てみるとブルーモスクやアヤソフィアのある旧市街は海で囲まれていることがわかる。

この海に囲まれた地形が最強の要塞都市としてのイスタンブールを支えていたという歴史をご存じだろうか。

だが、このイスタンブールもはじめから栄えていたわけではない。

そのきっかけがなんとローマ帝国だったのである。

西暦300年代前半、衰退の兆候があったとはいえ、ローマ帝国の領土は今のスペインから中東のシリア近辺にまでまたがる広大な領土であった。

そしてローマ帝国はその広大な領土を東西に分け、それぞれに皇帝を立てて統治していた。

あまりにも領土が広かったため、一人の皇帝がすべての政治を行うことは難しいとの考え方があったからだ。

しかし結局その東西の2人の皇帝が覇権を争って内戦となり、勝利したのが西側のコンスタンティヌスであった。

ローマ帝国の首都はもちろん、ローマだ。

歴史と文化が花咲く由緒ある大都市だ。

しかしそれが逆にデメリットとなることもある。

コンスタンティヌスにとって困ったことは、古くから力を振るってきたローマの元老院議員や宗教勢力からの圧力で自由に行動できないという面だった。

せっかく覇権を手にしたのに自分は足枷をはめられたままなのだろうか。

なんとか良い手はないのだろうか。

そこで目をつけたのが現在のイスタンブールの旧市街のエリアなのである。

当時はまだその土地は都市と言われるような規模の町ではなかったが、ここは海に囲まれているため、守りを固めやすい。

さらに平和時にも船による交通の便が良いため交易の中心になる。

そこでコンスタンティヌスはここイスタンブールをローマ帝国の新たな首都とすることに決定したのだ。

首都をローマから移すことでローマの有力議員や宗教組織の影響力を軽減できる。

彼らはローマで長く繁栄してきたからこそ強いのだ。そう簡単にローマから動くことはできない。

コンスタンティヌスの思惑はまんまと功を奏すことになる。

こうしてここイスタンブールはコンスタンティノープルという名のローマ帝国の首都となり、大きく繁栄していくことになった。

先ほど見たアヤソフィアもこうした流れから作られていったのだ。

だが、この流れ、どこかで聞いたことがないだろうか。

宗教勢力が強くなりすぎて、そこから離れるために都を移した、、、

そう。平安京である。

正確には長岡京を経ての平安京遷都だがこの際それは置いておく。

桓武天皇は奈良の平城京からの遷都を決定する。

その理由は奈良の仏教勢力の影響力から逃れるためであった。

当時、奈良の仏教勢力が政治の中枢に入り込み、国の政治を混乱させる事件が相次いで起こっていた。

それだけではなく、権力闘争も日々行われており、桓武天皇はそのような中では自分の手で政治を行うのは不可能と判断し遷都を決めたのだった。

784年の長岡京にしても794年の平安京にしても、どちらも水の便がよい土地だ。

守りの面でも京都は山に囲まれているため守りやすい。

桓武天皇もその思惑通り奈良の勢力から逃れることに成功したのだ。

ガラタ橋を眺めながらふと歴史の共通点に思いを巡らす。

キリスト教がローマ帝国で力を伸ばし始めるのもちょうどこのころだ。

コンスタンティヌスによってキリスト教が世界に広がる道筋を開いたと言ってもいい。

信じられないかもしれないが、コンスタンティヌスが出てくるまでのおよそ300年間、キリスト教徒は迫害を耐え忍び続ける小集団に過ぎなかったのだ。はじめから今のキリスト教の姿があったわけではない。

そして313年、コンスタンティヌスによって出されたミラノ勅令によって、キリスト教徒への迫害は終了した。

それによりキリスト教徒はようやく自由に活動できるようになった。

またコンスタンティノスは自らも洗礼を受けキリスト教徒になった。

これはローマ皇帝の歴史の中で初めてのことであった。

新たな都コンスタンティノープルでキリスト教の聖堂が次々と作られたのも、コンスタンティノープルが公にキリスト教徒の活動を支援していたというのが非常に大きな要因となっている。

そしてここからキリスト教は急激に発展していくのである。

キリスト教の今の姿しか知らないぼく達にとってはピンとこない話ではあるが、そういう歴史がここイスタンブールには残されているのだ。

この話はいつか機会があればまた詳しくお話しさせていただきたいと思う。

さてさて、これにてイスタンブールも終了だ。

短い時間ではあったがしっかり堪能することはできたと思う。

アヤソフィアがただただ素晴らしかった。それに尽きる。

明日からはイスラエルだ。緊張感が高まってくる。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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