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トルストイ『イワンのばかとそのふたりの兄弟』あらすじと感想~戦争反対、非暴力を素朴な民話に託して語るトルストイ

目次

トルストイ『イワンのばかとそのふたりの兄弟』あらすじと感想~トルストイ思想がぎっしり詰まった傑作民話!人はいかにして生きるべきかを問うトルストイ

今回ご紹介するのは1885年にトルストイによって発表された『イワンのばかとそのふたりの兄弟』です。私が読んだのは岩波書店、中村白葉訳の『トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇』所収版です。

一般的には『イワンのばか』という名で有名なトルストイのこの作品ですが、正式には『イワンのばかとそのふたりの兄弟』が正式な名前となっています。

では、早速この本について見ていきましょう。

『神の国はあなたのなかにある』はトルストイの苦心の力作だったが、ロシア国内では一九〇六年まで発表されなかった。トルストイ自身が述べているように、国内では写本で広まり、ドイツでは完成の翌年すでに出版されたとはいえ、一般読者がそのような出版物を手にすることはむつかしく、危険でもあった。

しかし、トルストイの後期のもっとも重要な部分である非暴力思想は、意外な形で効果的に、広い範囲に、しかも、『神の国』が書かれる前にすでに、ロシアの一般読者に伝わっていた。それを伝えたのは日本でも広く知られている民話風の作品『イワンのばか』だった。

この作品は一八八四年に創設された大衆的出版社ポスレードニクのために、翌八五年に書かれた一連の民話、童話風の短編の一つだった。

この作品はトルストイの創作には違いないが、イワンという名の農民を並人公にした民話は、ロシアには昔から数えきれないほどたくさんある。トルストイはロシアでは子供でもみんな知っているこのイワンの話をもとにして、かれ独特の「イワンのばか」を書いたのだった。日本でも、イワンのお話と言えば、このトルストイの作品を意味するほど広く知られ、読まれている。
※一部改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P475

この解説の冒頭に出てくる『神の国はあなたの中にある』は次の記事で紹介しています。

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『神の国はあなたの中にある』はトルストイの宗教的著作の中でも特にメッセージ性の強い作品で、トルストイ主義の柱である非暴力主義が鮮明に打ち出されています。

そして今回ご紹介している『イワンのばかとそのふたりの兄弟』はそれらの思想がふんだんに盛り込まれたトルストイ作の民話になります。

ではそのあらすじを見ていきましょう。

トルストイの創作したイワンは働き者で、正直で、お人よしだが、何の才覚もなく、男前も悪く、貧乏で、頭も弱い農民にすぎない。そのイワンが奇妙なめぐり合わせで王様になってしまう。王様がぼんやりしているので、国民もみんなぼんやりしている。隣の国の軍隊が攻め入ってきても、抵抗するすべを知らない。第一、軍隊がないのだから、防衛のしようがない。敵の兵隊が家に火をつけたり、略奪したり、乱暴のかぎりを尽くしても、王様のイワンも国民もどうしていいかわからない。ただオイオイ泣いているばかりだ。敵兵はそれを見て薄気味悪くなり、抵抗もされないのに逃げ帰ってしまう。

これを読んだ読者はまず腹をかかえて笑うだろう。しかし、笑った後で、このなかに侮りがたい深い思想がこめられていることに気づく。

深い「思想」の第一は、何もしないで泣いていることである。イワンとその国民は怒ることも、カを振るうことも知らない。これは理をもって非暴力を説いているトルストイ自身より、さらに頑強である。武力という物の力ではなく、無抵抗という心の力で敵を撃退したのだ。これは心の奥底から出る真の非暴力の思想である。

深い「思想」の第二は、イワンも国民もうすのろなことである。かれらは純枠な直感と日ごろの節制労働の生活をとおして、真理を知っている。イワンたちは愚鈍な者として、嘲笑されつづけてきた。しかし、十九世紀、二十世紀を通して、聡明敏感な人たちは何をしてきたのだろうか。そして二十一世紀の今も何をしているだろうか。非暴力は心の深奥から出てくるものだから、聡明であるより、まず愚直でなければならない。
※一部改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P476

以上があらすじになりますが、私もこの作品を読んでいて思う所が多々ありました。

というのも私がこの作品を読んだのは2022年の4月のこと。

そうです、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから2か月が過ぎ、悲惨な状況が連日報道されていた中での読書でした。

そんな中でこの本に説かれる非暴力主義に対し、何とも言えない思いが浮かんできたのはやはり事実です・・・

あらすじにもありましたように、イワンの国は攻め込まれても何の抵抗もしませんでした。家を焼かれたり、略奪されたり、ひどい目にあってもただ泣くのみでした。

そうしているうちに不気味に思った敵兵たちが逃げていったとこの物語では語られるのですが、はたしてこの世界情勢の中そのような物語を読んでどう思うか・・・これは難しいところですよね。ですが、非常に意味のあることではないかとも私は思います。

そして巻末の訳者解説ではこの作品について次のように解説されていました。

しぜんこの作には、トルストイの人生観、国家観、道徳観など、その全思想をうかがうに足るものがあるとして、質量ともに、民話中第一の力作とされており、「イワンのばか」という名称と共に、わが国においてももっとも人口に膾炙している。

そこには、汎労働主義もあれば、無抵抗主義もあり、金銭否定もあれば、戦争放棄もあり、真の愛の福音もあれば、徹底的人間平等の思想もあるというふうに、彼のあらゆる思想がとり入れられてあり、しかもそれらが、この物語に書かれてあるほど平易に、明確に、単純に伝えることは、何人にも不可能であろうと思われるほどに手際よく、明快に表現されているのである。これ以上の解説は明らかに蛇足であると思われるほどに。

岩波書店、トルストイ、中村白葉訳『イワンのばか 他八編』P209

たしかにこの作品にはトルストイ思想がこれでもかと詰まっています。しかもそれが素朴に、わかりやすく表現されています。非常に読みやすい作品です。

ロシアによるウクライナ侵攻で揺れる今だからこそ重要な作品だと思います。

以上、「トルストイ『イワンのばかとそのふたりの兄弟』あらすじと感想~戦争反対、非暴力を素朴な民話に託して語るトルストイ」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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