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トルストイ『アンナ・カレーニナ』あらすじ解説と感想~トルストイ芸術の最高傑作にただただひれ伏すのみ。完敗です

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トルストイ『アンナ・カレーニナ』あらすじと感想~トルストイ芸術の最高傑作にただただひれ伏すのみ。完敗です

今回ご紹介するのは1875年から1878年にかけてトルストイによって発表された『アンナ・カレーニナ』です。私が読んだのは新潮社、木村浩訳の『アンナ・カレーニナ』です。

早速この本について見ていきましょう。

モスクワ駅へ母を迎えに行った青年士官ヴロンスキーは、母と同じ車室に乗り合せていたアンナ・カレーニナの美貌に心を奪われる。アンナも又、俗物官僚の典型である夫カレーニンとの愛のない日々の倦怠から、ヴロンスキーの若々しい情熱に強く惹かれ、二人は激しい恋におちてゆく。文豪トルストイが、そのモラル、宗教、哲学のすべてを注ぎ込んで完成した不朽の名作の第一部。

Amazon商品紹介ページより

この作品はタイトルにもなっているアンナ・カレーニナと青年士官ヴロンスキーの道ならぬ恋が主題の長編小説です。

この作品について巻末の解説では次のように述べられています。この作品がいかにすごいものだったかがよくわかります。

『アンナ・カレーニナ』はトルストイの数多くの作品のなかでも最も広く諸外国で愛読されている作品である。その評価についてもドストエフスキーは「『アンナ・カレーニナ』は文学作品として完璧なものであり、現代ヨーロッパ文学のなかに比肩するものを見ない」とまで激賞しているし、トーマス・マンも「すこしもむだのない、全体の構図も、細部の仕上げも、一点非の打ちどころのない作品」と最大級の讃辞を呈している。

さらに、このロマンの愛読者であったレーニンは「トルストイは『アンナ・カレーニナ』のなかでリョーヴィンのロをかりてこの半世紀におけるロシア史の峠がどこにあったかをきわめて明白に表現した」と政治的な立場からの評価をも与えている。

いずれにしても、『アンナ・カレーニナ』は文豪トルストイがその円熟期に五カ年の歳月と全精力を傾注して描きあげた作品であり、今後とも永く世界文学の上に君臨する不滅の傑作といえるだろう。
※一部改行しました

新潮社、トルストイ、木村浩訳『アンナ・カレーニナ(下)』P667-668

あのドストエフスキーが「文学作品として完璧なものであり、現代ヨーロッパ文学のなかに比肩するものを見ない」と激賞した作品がこの『アンナ・カレーニナ』になります。

『戦争と平和』に引き続き『アンナ・カレーニナ』を読んだ私ですが、圧倒的なスケールの『戦争と平和』に脳天直撃のガツンとした一撃を受け、今度は『アンナ・カレーニナ』の完璧すぎる芸術描写に、私はもうひれ伏すしかありませんでした。ただただひれ伏すしかない。それだけです。もう完敗です。こんな完璧な作品を見せられて、自分の卑小さをまざまざと感じさせられました。何でこんなに完璧な文章を書けるのかと頭を抱えたくなります!それほど圧倒的な作品です。

何がそんなにすごいのか。

うまく言い表すことは難しいのですが、まず情景描写があまりに巧みで、しかもそれが自然なのです。物語の展開や登場人物たちの動きや心情に絶妙な効果を与えながらも主張しすぎないバランス感。流れるように読めてしまいます。これは読めばわかります。トルストイの大作といえば難しいイメージがあるかもしれませんが、驚くほどすらすら読めてしまいます。私もこれには驚きました。

そして微妙な心の動きも見逃さないトルストイの人間分析力。『戦争と平和』も恐るべき人間洞察、真理探究が行われていましたがこの作品でもそんなトルストイの手腕が遺憾なく発揮されています。

では、この作品のおおまかな内容を巻末解説より引用していきます。少し長くなりますが長大なこの作品のエッセンスが凝縮された解説ですのでじっくり読んでいきます。

このロマン(※長編小説の意。ブログ筆者注)の主題を一言にしていえば、もちろん、道ならぬ恋におちた美貌の人妻アンナをめぐる一八七〇年代のロシア社会の種々相といえるだろう。

だが、なんといってもこのロマンの最も大きな魅力は女主人公アンナの不滅の形象にあるといわねばなるまい。トルストイは数多くの女性像を創造したが、アンナ・カレーニナほどの魅惑的な女性はほかに見当らない。作者が何度も題名を変えた末、最後に『アンナ・カレーニナ』と決定した背後には、アンナに対する作者の異常な愛情があったからではなかろうか。アンナこそ作者が全身全霊をもって創りあげた一種の理想の女性像なのである。

もっとも彼女は決していわゆる外形的な美人ではない。アンナは女らしい優しい魅力と豊かな精神力にみちあふれている。それはヴロンスキーがアンナにはじめて会ったときの印象に早くもあらわれているし、アンナが旅先のイタリアで肖像画を描いてもらったときも、ヴロンスキーはそこに表われている彼女の「美しい精神的な表情」におどろいている。この肖像画の前に立ったリョーヴィンはその息をのむような美しさに魅せられ、「それが生ける女ではないという証拠としては、ただそれが現実の女としてはありえないほど、美しいということだけであった」と書かれている。

ロマン全体を通じてリョーヴィンがアンナに出会うのはこのとき一度きりであるが、彼は変化に富んだ美しいアンナの顔の表情を眺めながら、心のなかで《まったく、これこそほんとうの女というものだ!》と感嘆の叫びを発するのである。いや、そればかりではない。彼は「さらに新しい特徴を一つ見つけた。アンナには知性と優雅さと美貌のほかに、誠実さがあったのである」と指摘している。この指摘はアンナの恋人ヴロンスキーではなく、彼女に対して批判的でさえあったリョーヴィンによって行われていることも注目に値する。

さらに、アンナはドリイの子供たちからも愛されている。これはアンナの人のよさを証明するものであろう。だが、このように優れた女性であるアンナも、虚偽と欺瞞にこりかたまった上流社会にあっては、とくにその真実の愛情のない結婚生活にあっては、おのれの感情に誠実であるためにはかえって苦しい闘いを挑まなければならなかったのである。したがって、アンナの悲劇は、夫に対するおのが罪に苦しむ不貞の妻のそれではなく、その恐ろしいまでの孤独な闘いであったといえるのではなかろうか。

いずれにしても作者トルストイは、このロマンをアンナひとりの悲恋にしぼることなく、アンナとヴロンスキーの報われぬ激しい恋に対して、リョーヴィンとキチイとの幸せな結婚を配し、それによって虚偽にみちた上流社会の都会生活と地方地主の明るい田園生活を対比している。

すなわち、アンナとヴロンスキーの道ならぬ苦悩にみちた痛ましい恋が激しくすすむにつれて、一方ではリョーヴィンとキチイとの、結婚にいたる万人に祝福された愛の調べが穏やかに奏でられていく。

この二組の、まったく異質な情熱の調べは、オブロンスキー夫妻という存在によって互いに関連しあいながら、全体として一つの統一された緊張した世界を形づくっている。こうして作者はこのロマンの世界をぺテルブルグ、モスクワ、農村、外国の四つの舞台にくりひろげ、当時のロシア社会のあらゆる問題を捉えながら、家庭的・心理的であると同時に社会的なロマンを完成させたのである。
※一部改行しました

新潮社、トルストイ、木村浩訳『アンナ・カレーニナ(下)』P671-674

この解説の後半に出てくるリョーヴィンはトルストイの理想の生活を体現しています。都会の貴族生活を離れ、農村で農民たちと共に自分で農地を耕す生活・・・『アンナ・カレーニナ』は単にアンナの道ならぬ恋だけでなく、トルストイの人生論が説かれたものになります。

そしてこの作品を読み終わった今私が注目しているのは、実は作品そのものではなく、「トルストイがこの作品をどのような思いを抱きながら書いていたのか」という点です

藤沼貴著『トルストイ』にはこのことについて次のように述べられています。これも晩年のトルストイを知る上で非常に重要な指摘ですので、少し長くなりますがじっくり読んでいきます。

第六章で書いたように、『戦争と平和』を完成した直後、トルストイに奇妙なことが起こった。世界文学でもまれな、力強い大作を書きあげた満足と誇りではなく、苦悩と不安がトルストイをおそったのだ。『アンナ・カレーニナ』の場合はもっと複雑だった。

『戦争と平和』の場合も、発表された当初から読者の反応はよかった。いわゆる玄人筋の間には辛口の評価もあったが、書きすすむにつれて次第に評判が高まり、完成した時には、長くて難解な歴史哲学や、トルストイ独特の戦争観などをのぞくと、好評を超えて、讃嘆の声が高まった。

一方、『アンナ・カレーニナ』のほうは発表されると、たちまち讃嘆の声が四方に起こり、ついには「近代文学の手本」「一点の非の打ちどころもない名作」などと言われるまでになった。普通の作者なら、その声援にますます気をよくして、筆も大いにすすむところだが、トルストイの場合はまったく違っていた。

『アンナ・カレーニナ』が書きはじめられたのは七三年三月。最初の一年足らず、つまり、作品がまだよく固まっておらず、発表もされていないうちは、順調に仕事がはかどった。その年の十一月にトルストイは友人のストラーホフに手紙で、「仕事はこれまでうまくいっています、とてもよいと言えるほどです」と書き送っていた。

七四年四月、第一編を書きあげ、推敲も終えて、印刷所に原稿を送った時もまだ、トルストイはこの作品が「私には気に入っています」とアレクサンドラおばさんに伝えていた。ところが同じ年の中ごろになると、かれはこの作品の印刷中止を考えたり、アレクサンドラおばさんに「印刷のはじまった作品は私には気に入りません」とこぼし、ストラーホフには「おそろしくいやで、汚らわしい」と、これから世間に発表されようとする自分の作品を、ロをきわめてけなしていた。

この作品が『ロシア報知』誌に掲載されはじめたのは七五年一月だが、書きはじめてから発表開始までの半年の間に、トルストイは少なくとも四回「仕事がすすまない」「この作品はいやだ」とストラーホフに訴え、夫人も夫の仕事が難航していることに気づいていた。

『アンナ・カレーニナ』が世に出はじめ、賞讃の声が直接間接にトルストイの耳に入っても、自分の作品に対するかれの態度は変わらなかった。仕事が峠を越して、完成の見込みが出てきた七六年末になって、やっと仕事が比較的順調にすすむようになったが、それまでの二年間は、世間で名作とほめそやされている『アンナ・カレーニナ』に、作者は不服、苦情の言いとおしだった。かれの言行を詳細に記録したグーセフの『トルストイ年譜』を見ると、そうした否定的な言葉が二年間に十回は出てくる。そのうち三つだけを挙げてみよう。

七五年二月 自分の成功に、私ほど冷淡な作家はいまだかつてたぶんいなかったでしょう。

同年十一月 だれか私のかわりに『アンナ・カレーニナ』を書き終わらせてくれたらなあ!いやでたまらない。

七六年四月 全部最低、全部やり直しだ。

ものを書く仕事は骨身を削るようなもので、インクのかわりに血で書く、などと言われる。『アンナ・カレー二ナ』ほど完成度の高い作品を書くには、作者は相当な苦労をしたに違いない。しかし、トルストイの苦しみはそういう喜びにつながる苦労ではなく、ただいやなだけだった。まわりの期待があまりに大きいために、その重圧に苦しんだのでもない。この時期のトルストイの言動を調べても、そういう種類のものはまったく見られない。とすれば、なぜトルストイは苦しみながら、強いられた苦役をはたすような思いで、『アンナ・カレーニナ』を書いていたのだろうか。
※一部改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P376-378

この解説を読んで驚かれた方も多いかもしれません。

これだけ大成功した作品を生み出していたにも関わらず、トルストイは苦悩し続けていたのです。

しかも期待に対する重圧だったり、完成度にたいするこだわりなどの普通の作家が抱く苦悩はまったく見られていないと来ています。これは不思議ですよね。

では、トルストイは何に苦しんでいたのか、それが1880年代に本格的に始まっていくトルストイの宗教的転回だったのです。

トルストイは苦しみ抜いて『アンナ・カレーニナ』を書き上げた後、宗教的な著作の執筆に没頭し始めます。

それらは『懺悔』『教義神学の批判』『要約福音書』『わが信仰はいずれにありや』『神の王国は汝らのなかにあり』などの作品として著され、晩年のトルストイ主義へと発展してきます。

これがあまりにも激烈な変化だったため、従来の作品に対して嫌悪の念を催したり、財産所有を否定したことから家族との不和へとも繋がっていきます。その最後の結末があの有名な家出事件だったのです。

若き日からの作家トルストイと、晩年のトルストイ主義へのちょうど過度期ともいえるのが『アンナ・カレーニナ』執筆の時期でした。

その苦悩が実際どのようなものだったのかというのはこれから先当ブログでも紹介していく宗教的著作から明らかになっていきます。

トルストイはなぜこんなにも完璧で圧倒的な芸術作品ですら拒絶するようになったのか。

それを知るためにも後の宗教的作品は非常に興味深いものがあります。次の記事からはそうした宗教的作品を紹介していきます。

この記事では作品そのものについてはあまりお話しできませんでしたが、『アンナ・カレーニナ』はものすごい作品です。個人的には『戦争と平和』よりはるかに読みやすく、没入感の強い作品だなと感じました。

そしてこの記事の冒頭でも述べましたが、私はこの作品にただただひれ伏すしかありませんでした。それほど圧倒的で完璧です。読めばわかります。ぜひおすすめしたい作品です。

以上、「トルストイ『アンナ・カレーニナ』あらすじと感想~トルストイ芸術の最高傑作にただただひれ伏すのみ。完敗です」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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