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(53)『種の起源』に感銘を受けたマルクス、ダーウィンに『資本論』を献本。その反応やいかに

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『種の起源』に感銘を受けたマルクス、ダーウィンに『資本論』を献本。その反応やいかに「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(53)

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年表で見るマルクスとエンゲルスの生涯~二人の波乱万丈の人生と共同事業とは これより後、マルクスとエンゲルスについての伝記をベースに彼らの人生を見ていくことになりますが、この記事ではその生涯をまずは年表でざっくりと見ていきたいと思います。 マルクスとエンゲルスは分けて語られることも多いですが、彼らの伝記を読んで感じたのは、二人の人生がいかに重なり合っているかということでした。 ですので、二人の辿った生涯を別々のものとして見るのではなく、この記事では一つの年表で記していきたいと思います。

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

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この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。

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では、早速始めていきましょう。

マルクスにダーウィンの思想を紹介するエンゲルス

今回の記事ではいつも参考にしているトリストラム・ハントの『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男」ではなく、ジョナサン・スパーバーの『マルクス ある十九世紀人の生涯』を見ていきます。

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マルクスにダーウィンの考えを紹介したのはエンゲルスである。エンゲルスは一八五九年十一月に、出版されてから二週間のうちに『種の起原』の一冊を入手した。

彼はすぐにそれを読破して熱狂し、マルクスに次のように伝えた。同書は「なかなかたいしたものだ。……自然における史的発展を立証するという、これまでにないほど壮大な試みが行なわれたのだが、またそのような試みがこれほど成功している例もまたとない」。

マルクスがエンゲルスの薦めに従い、実際にこの本を自分で読むまでには一年かかった。その間、彼は天然痘を発症した妻を看病せねばならなかったのである。「これは,大ざっぱに英語〔スパーバーでは「大ざっぱなイギリス流のやり方〕で述べられたものだとは言え、われわれの見解のための博物的な基礎を含んでいる本だ」と、彼はエンゲルスに語った。

一八六一年一月、マルクスはフェルディナント・ラサールに、「ダーウィンの著書はすばらしいものだ。これは歴史的な階級闘争の、自然科学的基礎としても僕の気にいっている……」と書き送った。

いったん火がつくと、ダーウィンの思想に対する関心は数年間にわたり続いた。彼は繰り返し進化論についてロンドンの友人たちや同志たちと議論し、講演会に足を運び、ダーウィンの紹介者として代表的な存在であったトマス・へンリ・ハクスリの著作を勉強し、自然淘汰の思想の改良版を展開したと主張する著者たちの本を貪欲に読み漁った。
※一部改行しました

白水社、ジョナサン・スパーバー、小原淳訳『マルクス ある十九世紀人の生涯』P132-133
チャールズ・ダーウィン(1809-1882)Wikipediaより

エンゲルスの薦めによって『種の起源』を知ったマルクス。はまり具合からいけばエンゲルスの方がはるかに熱狂的でしたがマルクスもその進化論には大いに心動かされたものがあったようです。

ですが、スパーバーのこの本ではこの後で意外なことが語られます。

ダーウィン主義的な考えでは実証主義が中心であり、ヘーゲルの弁証法を否定する流れが大半でした。そのため、マルクスは後に「自身の唯物論的弁証法が批判された」と捉えてダーウィン主義に対して反発するようになったと書かれていました。

通説ではマルクスはダーウィンに感銘を受け、『資本論』を献本したという説が説かれますが、スパーバーはこれに異論を唱えます。

マルクスは『資本論』をダーウィンに献本していなかった!?

これこそがマルクスのダーウィン主義に関する見解だとすれば、なぜ彼は『資本論』をダーウィンに捧げようと申し出たのであろうか。その答えは単純明快である。すなわち、マルクスがダーウィンに『資本論』を謹呈したという話は、何度も異論が唱えられてきたにもかかわらず事実上根絶できなかったと思われる類の神話なのである。

自分が書いたダーウィン理論の一般向けの著作を謹呈する許しをダーウィンに求めたのは、マルクスの末娘エリナの恋人、エドワード・エーヴリングであった。ダーウィンの消極的な返答は、エリナが父の死後に整理したマルクスの文書に混ざってしまったのであった。
※一部改行しました

白水社、ジョナサン・スパーバー、小原淳訳『マルクス ある十九世紀人の生涯』P135

なんと、定説とは違い、マルクスはダーウィンに『資本論』を謹呈していないとスパーバーは述べるのです。

これには驚きました。

そしてその根拠として挙げたのが後半部分なのですが、マルクスに手紙を書いたのは娘の恋人エドワード・エーヴリングであり、ダーウィンはそれに対して返事を返しただけだとスパーバーは述べます。

つまり、スパーバーによれば、ダーヴィン・マルクス間の交流はそもそもなかったということになるのです。

ですが、これははたして本当にそうなのでしょうか。

これに対して2009年に朝日新聞出版社より発行された松永俊男著『チャールズ・ダーウィンの生涯』では次のように書かれていました。少し長くなりますがじっくりと見ていきます。

マルクスの娘の恋人エドワード・エイブリングとダーウィン


一八八一年九月ニ八日のことだった。既成の権威を否定するイギリスの自由思想家エイヴリング(Edward Bibbins Aveling, 1851-1898)が、ドイツの唯物論者ビュヒナー(Ludwig Büchner, 1824-1899)を伴ってダウン・ハウスを訪れた。著名人となったダーウィンのもとにはイギリス内外の学者たちがしばしば訪ねてきたが、過激思想家のエイヴリングとビュヒナーは、迷惑なお客だった。それでもランチ・パーティーで歓待したが、わざわざスコットランドからイネス牧師を招き、同席してもらった。

エイヴリングはロンドン大学で生物学を学び、ハクスリーと同様に科学の普及のために精力的に解説文を執筆し、早くからダーウィン説を支持していた。一八七九年に無神論を宣言して自由思想運動に参加し、一八八〇年にはこの運動の機関誌にダーウィンの著作の解説をつぎつぎと掲載していた。

これを一つにまとめたものが『学生のダーウィン』と題されて、自由思想社刊行の『科学と自由思想の国際双書』の第二冊目として出版されることになった。その第一冊目はビュヒナーの『動物の精神』の英訳だった。

エイヴリングは一八八〇年一〇月一二日のダーウィンへの手紙で、『学生のダーウィン』にダーウィンへの献辞を書く許可を求めた。ダーウィンは翌日付の返信で献辞を断り、「キリスト教や有神論への直接攻撃は大衆に対してほとんど効果を持たないと見ております」と述べ、「私が宗教への直接攻撃を助けたならば、私の家族が苦しむのではないか、ということも気がかりなのです」と書いている。『学生のダーウィン』は一八八一年にダーウィンへの献辞なしで出版された。

ビュヒナーは過激な唯物論者として知られており、一八八一年九月にロンドンで開催された国際自由主義者会議に参加するためイギリスに来ていた。エイヴリングとビュヒナーはダーウィンを自由思想のシンボルとみなし、敬意を表しにきたのである。ジェントルマンのダーウィンにとって、これは迷惑な誤解であった。彼らとの会話の中でダーウィンは、自分の立場は無神論ではなく、不可知論であるといっていた。
※一部改行しました

朝日新聞出版社、松永俊男『チャールズ・ダーウィンの生涯』P303-304

スパーバーが、

「自分が書いたダーウィン理論の一般向けの著作を謹呈する許しをダーウィンに求めたのは、マルクスの末娘エリナの恋人、エドワード・エーヴリングであった。ダーウィンの消極的な返答は、エリナが父の死後に整理したマルクスの文書に混ざってしまったのであった。」

と述べていたことは正しいようですが、これはマルクスがダーウィンに献本したかどうかには関係のない事実なように思えます。そして松永氏はこの直後にマルクスとダーウィンについて次のように述べます。

ダーウィンはマルクスに関心がなかった?献本はたしかになされたのか?

なお、ダーウィンが『学生のダーウィン』への献辞を断ったエイヴリング宛の手紙は、近年まで、『資本論』への献辞を断ったマルクス(Karl Heinrich Marx,1818-1883)宛の手紙と誤解されてきた。

一九三一年にモスクワのマルクス=エンゲルス研究所の機関誌『マルクス主義の旗のもとに』でそのように断定され、世間体を気にするブルジョア科学者に真理探究の自由がないことを示すものと解釈された。それがそのまま受け継がれてきたのである。一九七五年になってようやくその誤りが明らかにされた。

ところでダーウィンはマルクスにどの程度関心を持っていたのであろうか。

マルクスは一八七三年六月に『資本論』第一巻の第二版をダーウィンに送った。そこには「心からの崇拝者カール・マルクス」という署名がなされている。当時の書物は読者が綴じられたべージを切り開きながら読むようになっていたが、ダウン・ハウスに現存する『資本論』は全八ニニぺージのうち初めの一〇五ぺージしか切り開かれておらず、書き込みもない。ダーウィンはドイツ語の同書をほとんど読まなかったのであろう。

一八七三年一〇月一日でダーウィンは儀礼的な礼状を書いている。ダーウィンとマルクスの直接交渉はこれが最初で最後であった。ダーウィンはマルクスにまるで関心がなかったのである。
※一部改行しました

朝日新聞出版、松永俊男著『 チャールズ・ダーウィンの生涯 進化論を生んだジェントルマンの世界』 P 304-305

これまで当ブログでもソ連のプロパガンダの手法は様々な記事でご紹介してきましたが、ダーウィンに関してもそれはなされていたようです。これは驚きでした。

そしてやはり重要なのは手紙の問題と献本についてはまったく別の問題だということです。

献本された『資本論』はたしかに存在していて、それにダーウィンは手をつけなかったという事実は残されているようです。

スパーバーの見解は手紙問題においては正しいのですが、「『資本論』を謹呈していない」というのは疑問が残ると思われます。

いずれにせよ、ダーウィンとマルクスについては非常に興味深いつながりがありますので、後に改めてお話ししていきたいと思います。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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