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中島俊郎『英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』あらすじと感想~貴族の必須教養としての世界旅行を解説するおすすめ作品!

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中島俊郎『英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』概要と感想~貴族の必須教養としての世界旅行を解説するおすすめ作品!

前回の記事ではドイツの作曲家メンデルスゾーンの名曲『スコットランド』が生まれるきっかけとなった彼のイギリス旅行についてお話ししました。

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メンデルスゾーンはユダヤ人大銀行家の息子として生まれ、20歳の時にイギリスへ出発します。その後もパリやイタリアを巡る長期の旅に出ました。

こうしたヨーロッパを巡る長期旅行はグランド・ツアー(教養旅行)と呼ばれ、当時の裕福な若者が通る通過儀礼のようなものとなっていました。

今回ご紹介する中島俊郎著『英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』はまさしくこの旅の歴史とその意味を知るのに最適な1冊となっています。当時の時代背景や、芸術の都イタリアがイギリス、フランス、ドイツ人にとってどのように思われていたのかということを知ることができる素晴らしい作品です。

では早速この本について見ていきましょう。

一八世紀、古典教養を学ぶため、こぞってイタリアへと旅した「グランド・ツアー」。フランス革命が始まれば、国内・湖水地方の風景観賞で美意識を養い、馬車が流行ると、あえて徒歩旅行で詩想を求め、ロマン派詩人を次々生み出した。なぜ英国人は、これほど旅に焦がれ続けたのか。飽くなき情熱と、その理想郷の意味を考察する。


講談社、中島俊郎『英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』 裏表紙

この本では英国人の旅や美しい景色への憧れがいかにして生まれていったかを解説していきます。

第一章でそもそもグランド・ツアーとは何なのかということについて端的にまとめられていますのでまずはその箇所を紹介したいと思います。

貴族の子弟が社会に出る前に、教育の仕上げとして組まれた旅がグランド・ツアーであった。外国で新しい知見を学ぶ、これまで学んだ古代ギリシア、ラテン文学の作品にうたわれた地を見学する、美術作品を鑑賞するといった、いわゆる芸術、学芸上の目的からその旅はもくろまれたのである。ヨーロッパのなかでもイギリスはイタリア文化の影響を強く受けていたので、いきおいイタリアがイギリスにとって「学びの地」になったのである。こうした人文学的見地からの旅ではなく、外国の実情を観察し、政情に通じる、といった外交的な目的をいだいて旅立ったグランド・ツーリストもいた。(中略)

この旅行は教養旅行としてとらえられているが、そこには時代を代表する知性の裏づけがあったといえる。

一五八〇年にモンテーニュは「国籍を捨て去り、人々の融和をはかり、共通の連帯意識をもつべきである」と人間の閉塞性を開放するものとして旅をとらえている。フランシス・べーコンはもっと踏み込み、旅を考えようとした。しかもべーコンの言葉にはまさにグランド・ツアーを強く肯定する態度が見られるのである。「旅は若者にあっては教育であり、年輩者にとっては経験となる」と、この経験哲学の祖は旅の重要性を語り出す。ただ然るべき注意も忘れない。漫然と旅に発てとすすめているのではない。その国の言葉も知らないで行くような者は、旅ではなく学校へ行くようなものである、と述べているから、べーコンの旅の目的はかなり高い水準に設定されていたと言わねばならないだろう。グランド・ツアーはかならず家庭教師が引率してきたが、この存在はこれから学ぼうとする若者には必要であるとべーコンは忠告している。「若い人が家庭教師か実直な召使いに付き添われ旅行することは実によいことである」と推奨して、その役割は「どのようなものを見るのか、どのような人に近づくのか」を教示することにある、という。家庭教師のような指南役がいないと「若者は目隠しをされたままで、外国ではほとんど何ひとつ見ないことになってしまうであろう」と注意を与えている。(中略)

そしてべーコンは外国のことどもすべてを検討もせずに盲信してしまってはならないと戒めている。また「外国で学んだ成果」を「自国の習慣にとり入れる」ようにすべきで、けっして自己の立場を忘れ、外国に盲従してはならないと強く説いている。


講談社、中島俊郎『英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』 P18-20

グランドツアーはイタリアの古典文学や芸術、歴史を学び教養を高めることを目的とされたものでした。そしてそれだけではなくそこへ至るまでの道中でフランス、ドイツ、オーストリアなども通り、その国の政情も学んだり、政治的、商業的なつながりも得ることも考えられていました。

哲学者のモンテーニュやベーコンもその旅にお墨付きを与えていたというのは興味深いですよね。

そしてこのグランド・ツアーについて、さらに次のように述べられています。

グランド・ツアーがもっとも盛んになる一八世紀半ばにはジョンソン博士がひかえていた。(中略)

自国を偏愛してやまないイギリスを代表する知性が「イタリアへ行った経験のないものは、一生その劣等感にさいなまれつづける」とまで看破した裏には、イタリア文化、芸術の優位がはっきりと立ちはだかっていたのであった。

ジョンソン博士の言葉が、イタリアを目指し芸術、文学、歴史、商業、外交、政治を学び、知見を深め、広げようとする若き貴族の子弟を鼓舞するところとなったのは想像に難くない。

自身もグランド・ツアーに出て、その実体験をひとつの糧にして『ローマ帝国衰亡史』を書き上げたエドワード・ギボン(一七三七ー九四)は、グランド・ツアーの意義をもっと直截ちょくせつに語っている。

ギボンは旅行者に不可欠な条件として、まず旅道中の辛労を耐え忍ぶ「心身両面の強靱にて活発な活力」をあげ、大河を渡り、山頂をきわめ、深淵を見きわめる「不断の好奇心」をそなえ、「古典や歴史の豊かな教養」に身をゆだねる必要を強調している。

さらに具体的に語りかける。目と耳の練磨がイタリアの旅をより興味深いものにするというのである。耳で音楽の楽しみを倍化させ、田園の風光を愛で、絵画の真髄にふれ、建築物の均斉を弁別できる、「正確にして繊細な目」を養うべきである、と強く訴えている。


講談社、中島俊郎『英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』 P20-21

ここを読んで、メンデルスゾーンがグランド・ツアーに出掛けた理由が鮮明に見えてきたような気がしました。自身の教養を高め、実践によって「正確にして繊細」な感性を養い、同時に世界各地で人脈も広げていく。当時の有力な子弟の黄金パターンとしてメンデルスゾーンは旅に出たことがわかります。その結果彼の名曲『スコットランド』や『イタリア』も生まれてきたと考えると、やはりこの大旅行の意義はやはり大きいことを感じさせられます。

そしてこのグランドツアーによってイタリアの風景画が人気になり、イギリス庭園の様式に決定的な影響を与えることになります。後にはピクチャレスク(絵画のように美しい景色)を求める精神がここから出てきます。この記事ではそれについて詳しくはお話しできませんが、イタリアの風景画とグランドツアーのつながりについて紹介していきたいと思います。

古典の教養がもっとも具体的に強く押し出されたのが庭園である。いやしくも庭について論評するものは古典的素養をそなえていなければならなかった。『庭園事典』(1731)を著したフィリップ・ミラーはその序文で、ギリシア、ラテン文学に通じ、ギリシア、ローマの庭園こそ範にすべきであると、くりかえし読者に注意をうながしている。(中略)

グランド・ツアーの体験こそがイギリス人の感性の形成、変遷をうながす無視できない要因になった。イタリアの地でふれた古代文化を故国でも再現しようと考えたのである。イギリス中にパラディオ様式のカントリー・ハウスが建てられ、クロード・ロランの絵を模したような庭には神殿まがいの建造物や古代ギリシアの聖堂が所狭しと乱立するようになっていった。(中略)

見わたすかぎり自然と一体化した風景式庭園は、一七世紀イタリアからの風景画が創造的霊感をあたえたといわれている。一七世紀ローマで絵筆をふるっていたクロード・ロラン(一六〇〇-八二)、ニコラ・プッサン(一五九四-一六六五)、サルヴァトール・ローザ(一六一五-七三)などの画家は、理想とする牧歌的なアルカディアの風景、古代の神話から想をえた作品を多く描いた。なかでもクロード・ロランの人気は貴族のあいだでは高く、理想郷アルカディアの牧歌性が古典主義の相乗効果をえて、自分のカントリー・ハウスのなかでクロード・ロランの絵のような風景をつくりたいと多くが願ったのである。グランド・ツアーがもっとも盛んになりだす一七二〇年代にはこの画家たちは亡くなってかなりの年月がたっていたが、この作風にならって、つまりクロード・ロランやニコラ・プッサンの世界を三次元に立体化させようという欲望にこぞって取りつかれたのであった。たとえば、ピクチャレスク美を忠実に反映させたイギリス式庭園、つまり風景式庭園の初期の傑作として有名なスタウヘッド庭園はクロード・ロランの絵画なくしてはありえなかった。


講談社、中島俊郎『英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』 P60-62

クロード・ロラン、ニコラ・プッサンは17世紀にイタリアで活躍した画家で、後のヨーロッパ美術界に決定的な影響を与えた存在です。

クロード・ロラン(1600-1682)Wikipediaより
クロード・ロラン『アキスとガラテイアのいる風景』Wikipediaより

クロード・ロランの理想風景画(過去の理想郷 アルカディアを題材)はイタリア旅行に来たヨーロッパ人を魅了しました。その影響はその後ずっと続き、あのドストエフスキーもクロード・ロランの絵に強い関心を抱いていました。その影響は特に彼の晩年の長編『未成年』に見ることができます。

ニコラ・プッサン(1594-1665)Wikipediaより
ニコラ・プッサン『アルカディアの牧人たち』Wikipediaより

画家時代の大半をローマで過ごしたプッサンですが、彼はルイ13世の首席宮廷画家に招聘されるほどヨーロッパで名を轟かせていました。

プッサンの絵は後にフランスの王立絵画彫刻アカデミーでも規範とされるようになり、後の印象派の画家たちもこうした影響の下生まれてくることになります。

それだけヨーロッパ中に影響を与えたのがプッサンの絵画でした。

このように、クロード・ロラン、ニコラ・プッサンの風景画はグランド・ツアーを経たイギリス人の美意識に大きな影響を与えることになりました。

イギリスの湖沼地帯の美しさは世界中の人々が憧れる風景です。ですがその景色を美しいと感じるようになったのは、実はこのグランド・ツアーが始まってからのことです。「ありのままの自然は美しい」と現代人の私たちは考えてしまいますが、かつては自然は悪魔が住む恐ろしいものと考えられていました。そんな中そこに美を見出すようになったということは、当時のヨーロッパ人の感性がかなり変わってきたことを表しています。そしてその背景にはグランド・ツアーがあったのです。

この記事ではこれ以上はお話しできませんが、グランド・ツアーが欧米人の感性に与えた影響はとてつもないものがあります。

この本は興味深い事実がどんどん出てきます。できればそれらを全部紹介したいところですが記事の分量上それもできません。

少しでも興味が湧いた方はぜひ読んでみて下さい。ものすごく面白い本です。ぜひぜひおすすめしたい作品です。

次の記事からは今回も少しお話ししましたクロード・ロラン、ニコラ・プッサンをはじめとした絵画についての本を何冊か紹介していきます。どれも面白い本ばかりですのでぜひお付き合い頂けたらなと思います。

以上、「中島俊郎『英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』貴族の必須教養としての世界旅行を解説するおすすめ作品!」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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