MENU

(23)ベルニーニの傑作『ウルバヌス八世の肖像』~肖像彫刻の奥義とその秘密とは。ベルニーニの独特な人間観察法に学ぶ

目次

【ローマ旅行記】(23)ベルニーニ『ウルバヌス八世の肖像』~肖像彫刻の奥義とその秘密とは。ベルニーニの独特な人間観察法に学ぶ

前回の記事「(22)ベルニーニ『聖ロンギヌス』~サン・ピエトロ大聖堂の巨大彫刻。ベルニーニのイリュージョンが炸裂した傑作!」ではサン・ピエトロ大聖堂のベルニーニ『聖ロンギヌス』について見ていったが、今回の記事ではベルニーニ彫刻においても重要な位置を占める肖像彫刻についてお話ししていきたい。

こちらはボルゲーゼ美術館所蔵のベルニーニ作『パウルス五世の肖像』だ。この作品は何と彼が20歳頃の時に作られた作品。20歳にしてこのクオリティである。ベルニーニは肖像彫刻で早くからその才能を開花させていた。これから紹介する作品はそんな彼が『聖女ビビアーナ』『バルダッキーノ』を制作した20代を経て30代へと突入した頃の作品である。

あわせて読みたい
(20)建築家ベルニーニのデビュー作サンタ・ビビアーナ教会へ!最強のパトロン、ウルバヌス八世の存在 天才ベルニーニの最初の教会建築を堪能できるこの教会はぜひおすすめしたいです。ローマテルミニ駅近くの若干地味で目立たない教会ですが、だからこそ味があって素晴らしいです。 観光客もほとんど来ないのでじっくりベルニーニの世界を味わうことができます。ぜひローマ滞在の折にはここを訪れてみてはいかがでしょうか。
あわせて読みたい
(21)ベルニーニ『バルダッキーノ』~サン・ピエトロ大聖堂で一際目を引く傑作ブロンズ像!パンテオン... ローマ・カトリックの総本山バチカンの象徴サン・ピエトロ大聖堂。その中央祭壇にどんと鎮座するのが何を隠そうベルニーニ作のバルダッキーノです。 ブロンズで作られたこの巨大なバルダッキーノ。ひねりが加わった柱に黒々としたその巨体。私も2019年に初めてこれを見た時には度肝を抜かれました。まさに言葉を失ってしまうほどの衝撃でした。

バルベリーニ宮所蔵『ウルバヌス八世の肖像』~肖像彫刻の傑作!

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P67

肖像彫刻に特別の愛着を抱いていたべルニーニは、ウルバヌス八世時代にも多くの肖像彫刻を制作した。しかし一六二四年にバルダッキーノの制作に着手してからは、肖像は弟子の手にまかされることが多くなり、そのため出来映えが一定しなくなる。が、それでも、それらの肖像の中には、傑出した作品が少なからず含まれている。

バロック時代のローマの美術家は、パトロンと深く交わることを余儀なくされたが、そうした中にあって、べルニーニはパトロンとの間に個人的な関係を結び、むしろそれを糧にして生きたようにみえる。その点で彼は、ミケランジェロがかたくなに自らの理念の世界に生きようとしたのとは正反対であった。そうしたいわば人間への強い関心が、べルニーニの肖像彫刻の豊かな実りを生んだのである。そこで次は、ウルバヌス八世時代に制作されたべルニーニの肖像彫刻について考察することにしよう。

ちょうどべラスケスがフェリぺ四世の肖像を数多く描いたように、べルニーニも大理石とブロンズでウルバヌス八世の胸像を幾点も制作している。これらの一連の作品は教皇の治世全般にわたっており、ウルバヌス八世の容貌とその心理状態の優れた記録となっている。五十六歳で即位した頃の教皇はふさふさした髭を自慢にし、明るい青色の目は大きく、血色もよかった。このように美男として鳴らす一方で、乗馬を得意とした彼は、時折胃痛におそわれる他は健康そのものだった。またすぐに立腹するきらいはあったが、陰湿なところはなく、概して率直で、広い教養を誇ると同時に深く宗教的な人であった。こうした教皇の性格はべルニーニのそれと相通ずるところがあり、二人が意気投合したのも故のないことではない。

べルニーニはこのような教皇に対し敬意と親しみを込めて、まず即位したばかりの頃の、活力に充ちた胸像を制作している。この像に見られるウルバヌス八世は、帽子をやや後ろに被って、血色のよさそうな額をあらわにし、べルニーニにサン・ピエトロの遠大な装飾計画を情熱を込めて語っているといった風である。彼の青い目は輝き、豊かな髭は笑い、そしてふっくらした頬は中年の生気に色づいている。

後年べルニーニはパリで、もしある人の髪や髭や眉、そして目やくちびるが真白になったとしたら、毎日見慣れた者でもその人だとは分からなくなる、だから失神した人を見ると、しばしば「同じ人には見えなかった」というのだ、「それゆえ、たった一色からなる大理石の肖像をモデルに似せて作るのは非常にむずかしい」と語っている。

そしてこれに続けて、「大理石の肖像においては、時折、自然をよく模倣するために、自然にはないものを付け加える必要がある」といって、たとえば目に色彩の効果を与えるためにくぼみを穿って、「色彩を施すことのできない彫刻芸術の欠陥」を補わなければならない、と説明している。

このまことに示唆に富んだ話は、肖像に生命を与えることにべルニーニがいかに腐心していたかを伝えるとともに、彼が彫刻における色彩の問題を真剣に考えていたことを教えてくれる。色彩がないことを「彫刻の欠陥」としているように、彼にとってこれは単に肖像だけでなく、彫刻作品全体にかかわる問題であった。そしてそれに対し、彼はさまざまな形で解決策を見出そうとするのである。ちなみに、大理石像の目の彫り方については、古代以来二つの方法、つまり瞳の部分を彫り込む方法と、逆に瞳の部分を残すよう周囲を彫り込む方法とが用いられてきた。ミケランジェロも両方を試みているが、べルニーニもこのニつの方法を適宜使い分けている。
※一部改行した

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P65-67

上の写真は本からの引用である。というのも私は右の『ウルバヌス八世の肖像』をカメラに収めずに帰国してしまったのだ。痛恨の極みである。ネットで探してもこの彫刻の写真が見つからずやむなくこの本を撮影したものをここに掲載した。もしまたローマに行く機会があれば改めてこの像を探してきたい。

さて、この箇所でベルニーニの彫像制作において非常に重要なことが語られた。

「彫刻には色彩がない」

これは言われてみて初めて気づいたことだが、たしかにこれはとてつもない大問題だ。私はこの解説を読んで心の底から驚いた!私たちは出来上がった彫刻作品をなんとなしに見ているが、そこには彫刻家の苦心惨憺も刻み込まれているのだ。

『後年べルニーニはパリで、もしある人の髪や髭や眉、そして目やくちびるが真白になったとしたら、毎日見慣れた者でもその人だとは分からなくなる、だから失神した人を見ると、しばしば「同じ人には見えなかった」というのだ、「それゆえ、たった一色からなる大理石の肖像をモデルに似せて作るのは非常にむずかしい」と語っている。』というエピソードはまさにそのことを感じさせる。絵画と彫刻の違いはここにあったのだ。

そして石鍋真澄は続ける。

さて、さすがのウルバヌス八世も六十の坂を下ると、心なしか頬がこけ、髭も薄くなり、即位した頃のはつらつとした生気は後退して、かわりに老いの兆しがはっきりしてくる。この様子は、べルニーニが一六三一年に教皇の詩集のために描いた肖像画(銅版画のもとになったデッサンは失われた)にうかがうことができる。このデッサンを描いた翌年に、ようやくバルダッキーノの仕事を終えたべルニー二は、再びのみを執って、教皇の胸像を制作したと推測される。この胸像はウルバヌス八世の肖像として傑出しているばかりでなく、べルニーニの数多い肖像彫刻の中でも最高傑作に数えられる作品である。

先の像とは異なって帽子をきちんと被った教皇は、時折考えにふけりながら、静かに何かを語っているように見える。老境にさしかかった教皇は一層思慮深さを加え、べルニーニはそうした教皇にある種の畏敬の念を抱いたのであろう。

皮肉なことに、この作品が制作されたと思われる一六三三年の前半には、ちょうど有名なガリレオの第二回目の裁判が行われていた。枢機卿時代のウルバヌス八世はガリレオを称讃し、彼と文通さえしていた。そのためガリレオは教皇が即位するとすぐに上京し、教皇の甥フランチェスコ・バルべリーニの歓待を受け、また教皇からも親しく謁見を許されている。教皇が個人的にはコペルニクスの地動説を異端とは考えていないことをガリレオは知っていた。だがそれを過信したため、第一回目の裁判を重んじてあからさまに地動説を支持するなという神学者の忠告を聞き入れず、彼は無許可のまま『天文学対話』を出版したのである。ガリレオがもう少し慎重であったなら、教皇庁が余計な介人をしなくても済んだともいわれるが、ともかく、最後の決定は教皇自らが下した。枢機卿バルべリーニはガリレオを認めたが、教皇ウルバヌス八世はそれを否定したのである。
※一部改行した

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P67-68

ベルニーニの『ウルバヌス八世』はスペイン広場にも近いバルベリーニ宮に展示されている。

私もこの肖像を見にここを訪れたわけだが、この彫刻が肖像彫刻の最高傑作と称えられる理由がよくわかった。

私はこの彫刻から目が離せなくなり、しばらくこの像の前から動けなくなるほどだった。

この目・・・。そしてきっと結ばれた唇。解説に述べられていたように思慮深さが伝わってくる。

どれだけ細かくこの彫刻が彫られているかがこの写真から伝わるのではないだろうか。特に目元の陰影や小じわには驚愕するしかない。

写真だとどうしても平面になってしまう。これを間近で立体として見た時の感動、衝撃たるや・・・!

私はこんなに素晴らしい肖像をこれまで見たことがない。最高傑作とはこういうことなのかと心の底から感嘆した体験だった。

もう一つの傑作ボルゲーゼ美術館所蔵の『シピオーネ・ボルゲーゼの肖像』

シピオーネ・ボルゲーゼは、一六三三年一〇月八日に世を去るが、その前年にべルニーニは教皇の命を受けて彼の肖像を制作した。おそらく、教皇は教皇選挙コンクラーヴェの折に便宜を計ってくれた枢機卿への好意から、肖像の制作を命じたのであらう。べルニーニがこれを喜んで引き受けたことは想像にかたくない。むしろ彼自身がこの計画を提案して、教皇の許可を求めたのであったかもしれない。そう思わせるほど、このシピオーネ・ボルゲーゼの肖像は生き生きしており、べルニーニの親愛の情があふれている。

シピオーネ・ボルゲーゼは座の中心にあって、何かゆっくりとした口調て話しているといった風だ。目も鼻もロも、それぞれが個性的で、それぞれが生きている。また衣装も光を巧みにもてあそび、全体の印象を暖かで、しかも格調のあるものにしている。シピオーネ・ボルゲーゼはこの時五十四、五歳だったか、肖像はそれよりも幾分若々しく、多少美化されているように見える。

肖像に若干の美化が必要なことは、べルニーニ自身も認めている。彼は後にパリで「肖像の秘訣は美点をできるだけ利用して、全体に偉大さの印象を与えることである」と述べている。また、ルイ十四世のくちびるの部分を仕上げながら、「肖像で成功するには、行為をとらえて、それをよく表現するよう努めなければならない。くちびるの表現には、人が話を始める瞬間か、言葉を発した瞬間を選ぶのが最もよい」とも語っている。美術史家が「会話する肖像リトラット・パルランテ」と呼ぶ肖像のタイプは、こうした発想から生まれたのである。
※一部改行した

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P69-70

『シピオーネ・ボルゲーゼの肖像』が所蔵されているボルゲーゼ美術館はこれまでの記事でも紹介してきた。その美術館のルーツであり、若きベルニーニのパトロンだったのがこのシピオーネ・ボルゲーゼなのである。まさにベルニーニの大恩人だ。そしてその人の最晩年の肖像をベルニーニは手掛けたのである。

ベルニーニの肖像制作の姿勢を知る上でもこの作品と解説は非常に重要なポイントなのではないだろうか。

あわせて読みたい
(16)ローマ・ボルゲーゼ美術館でベルニーニの初期作品やカラヴァッジョの名画を堪能! ここにはベルニーニの初期の作品がずらりと展示されています。彼の芸術家としてのスタートを学ぶのにこれに勝る場所はありません。若くしてすでに天才のきらめきを見せるその作品たちに私もただただ驚くしかありませんでした。 またこの美術館はカラヴァッジョのコレクションでも有名です。それらの名画もこの記事では紹介していきます。
あわせて読みたい
(17)ベルニーニ『プロセルピナの略奪』~驚異の肉感!信じられない超絶技巧に驚愕!ボルゲーゼ美術館... ベルニーニは単に独創的なだけではありません。それを実現する超絶技巧があったからこそその独創性が生かされています。発想だけでは足りないのです。それだけでは単なる空想で終わってしまいます。確かな技術、いや圧倒的な技術という裏付けがあるからこその独創性なのだということを実感しました。
あわせて読みたい
(18)ベルニーニ『アポロとダフネ』~初期の最高傑作!芸術の奇跡と称えられたボルゲーゼ美術館の至宝! 私はこの彫刻が展示されている部屋に入った時、思わず「天才だ・・・!」と漏らさずにはいられませんでした。『プロセルピナ』もたしかにものすごい作品でしたがこれはさらに異次元の領域に達しています。「芸術の奇跡」と称えられたのも心の底からよくわかりました。 天才というのはこういうことかと感嘆せずにはいられません。言葉を失ってしまいました。それほど圧倒的な作品です。

ベルニーニの独特な人間観察法

肖像を作ろうとする場合に、その人物の特徴を捉えるべルニーニの方法は独特であった。ドメニコは次のように伝えている。「彼はモデルがじっとしているのではなく、いつものように自然に動いたり、話したりしているのを望んだ。そうすることによって、そのモデルの美しさを総合的に見ることができるからだ、と彼は言っていた。人がじっとしている時には、動いている時ほどその人らしくは見えない。動きの中には、他の人ではないその人の性格すべてがあり、それが肖像にその人らしさを与えるのだと主張して、彼はモデルをあるがままに表現した」。このような考え方を、べルニーニは実際の肖像制作に生かしていたのである。

たとえばパリでルイ十四世の肖像を手がけた時にも、王がテニスをしたり、会議や謁見に臨んだりしている姿を観察してデッサンしているし、また王がミサに出席しているところを見ようと、わざわざ出掛けたりしている。べルニーニがこうしたデッサンを描いたのは、モデルをよく観察してその特徴を捉え、そのイメージを脳裏に焼きつけるためであった。「それだから、私はデッサンを(作品の制作には)ほとんど利用しなかった。自分の作品をコピーするのではなく、オリジナルな作品を創造したかったからである。それらのデッサンは、ただ私を王のイメージで充たすために描かれたのだ」とべルニーニは説明している。この種のデッサンはもしも残っていたならば、べルニーニの制作過程を知る上で貴重な資料になったにちがいないが、残念ながら一点の例外を除いて、まったく我々の手には伝えられていない。

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P70-71

ベルニーニの驚異的な洞察力、表現力はこういう所から養われているのかと私は唸らずにはいられなかった。

人間はその何気ない動きにこそその性格や特徴が現れる。これは興味深い。

もし私がベルニーニの前に出たとしたら、彼は私のことをどう描くのだろうか。知りたくもなってしまうが恐ろしくもある。芸術とはこういう所から生まれてくるのだと改めて感心した箇所であった。

続く

主要参考図書はこちら↓

サン・ピエトロが立つかぎり: 私のローマ案内

サン・ピエトロが立つかぎり: 私のローマ案内

ベルニーニ: バロック美術の巨星 (歴史文化セレクション)

ベルニーニ: バロック美術の巨星 (歴史文化セレクション)

※【ローマ旅行記】の記事一覧はこちらのカテゴリーページ

特におすすめのスポットを以下の記事でまとめています。

あわせて読みたい
僧侶ならではのローマおすすめ観光スポット15選!王道からマニアックな教会まで美の極致を味わい尽くす! この記事では私も大好きなローマのおすすめ観光スポットをご紹介していきます。 サン・ピエトロ大聖堂やコロッセオなどの有名どころだけではなく、観光客があまり訪れないマニアックな教会もこの記事ではご紹介していきます。 ローマは実に素晴らしい街です。ですがあまりに見どころが多すぎるが故の罠もあります。ぜひ当ブログの記事が皆様のお役に立てれば何よりでございます。

※ローマやイタリアを知るためのおすすめ書籍はこちらのカテゴリーページへどうぞ
「ローマ帝国の興亡とバチカン、ローマカトリック」
「イタリアルネサンスと知の革命」

次の記事はこちら

あわせて読みたい
(24)ベルニーニのライモンディ礼拝堂~見事な光のスペクタル!劇作家・演出家としてのベルニーニ 電気がない時代においてベルニーニはいわば独自の方法で舞台空間を照らすスポットライトを生み出しました。 ベルニーニの演劇的手法、光のスペクタルの発想には脱帽です。これが1630年代の作品のだからなおさらです。 この教会で過ごした時間は私のローマ滞在の中でも特に印象に残っています。 ベルニーニの光のスペクタクルを感じるのにもこの教会は非常に素晴らしいスポットです。ぜひおすすめしたい教会です。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
(22)ベルニーニ『聖ロンギヌス』~サン・ピエトロ大聖堂の巨大彫刻。ベルニーニのイリュージョンが炸... サン・ピエトロ大聖堂にある『ロンギヌス』はバルダッキーノやその先に見えるカテドラ・ペトリのちょうど反対側の向きにあります。そのため多くの人がこの像を見逃して帰ってしまうかさっと流して終わってしまいます。ですがそれはあまりにもったいないです。ぜひこの像にも時間を割くことをおすすめします。 ベルニーニの魔術がこれでもかと炸裂した傑作です。細部にまで彼得意の超絶技巧が施された必見の彫刻です!

関連記事

あわせて読みたい
ローマおすすめ参考書一覧~歴史、文化、宗教、芸術!ローマがもっと面白くなる名著を一挙ご紹介! ローマはあまりに奥が深い。そして知れば知るほどはまってしまう底なし沼のような存在です。私もこのローマの浪漫にすっかりとりつかれてしまいました。
あわせて読みたい
フィレンツェを知るためのおすすめ参考書一覧~ダ・ヴィンチやマキャヴェリ、ダンテなど芸術や歴史、文... フェイレンツェといえばボッティチェリやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど言わずもがなの巨匠の作品が今なお世界中の人を魅了し続けている華の都です。 知れば知るほど面白いフィレンツェです!ぜひこの記事を役立てて頂ければ幸いです。
あわせて読みたい
石鍋真澄『教皇たちのローマ』あらすじと感想~15~17世紀のローマ美術とバチカンの時代背景がつながる... 私はこの本に衝撃を受けました。それは私の中にあった常識が覆されたかのような凄まじいショックでした。 この本ではそんな衝撃のローマ史が語られます
あわせて読みたい
(14)ローマバロック芸術の王ベルニーニとは!ローマの美の鍵はこの男にあり!この旅行記の主役をいよ... 芸術とはそもそも何なのか。なぜ私はこんなにもローマに惹き付けられるのか。その鍵がベルニーニにある。そしてそれを確かめんがために私はローマでベルニーニ詣でを決行したのでありました。 ベルニーニについて知ればもっともっとローマが楽しくなるのは間違いありません。現に私は今回のローマが楽しくて楽しくてなりませんでした。ローマはこんなにも奥深い所だったのかと驚嘆せずにはいられませんでした。
あわせて読みたい
ミケランジェロとベルニーニが設計したサン・ピエトロ大聖堂の美の秘密を解説 イタリア・バチカン編⑥ この記事ではサン・ピエトロ大聖堂の建築とミケランジェロ、ベルニーニという二人の天才についてお話ししていきます。 ミケランジェロが建築家としてサンピエトロ大聖堂を設計していたという驚きの事実や、それを引き継いだベルニーニがいかに人々を魅了する芸術を生み出していったかを紹介していきます。皆さんもきっと彼らの天才ぶりに驚くと思います。
あわせて読みたい
石鍋真澄『ベルニーニ バロック美術の巨星』あらすじと感想~ローマの天才のおすすめ伝記!これを読めば... 芸術とはそもそも何なのか。なぜ私たちはローマに惹き付けられるのか。 その鍵がベルニーニにある。 ベルニーニを知れば新たに見えてくるものがあるということを強烈に感じた1冊でした。 素晴らしい名著です!

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次