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(20)建築家ベルニーニのデビュー作サンタ・ビビアーナ教会へ!最強のパトロン、ウルバヌス八世の存在

目次

【ローマ旅行記】(20)建築家ベルニーニのデビュー作サンタ・ビビアーナ教会へ!最強のパトロン、ウルバヌス八世の存在

前回までの記事で若きベルニーニの天才ぶりをボルゲーゼ美術館の作品を通して見てきた。

ここからは青年ベルニーニの新たな活躍を見ていくことになる。その飛躍のきっかけとなったのが新たなるパトロン、教皇ウルバヌス八世の存在だ。

ベルニーニの最強のパトロン、ウルバヌス八世

ウルバヌス八世(在位1623-1644)Wikipediaより

幼少期からベルニーニのパトロンとなっていたのは枢機卿のシピオーネ・ボルゲーゼだった。彼の権力は絶大で、若きベルニーニの才能を独占し、その結果現在のボルゲーゼ美術館に若きベルニーニの傑作が所蔵されることとなったのである。

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このウルバヌス八世も教皇になる前からベルニーニを高く買っていたのだが権力者ボルゲーゼの手前、自分がパトロンになるということはできないでいた。しかし1623年に彼が教皇となるとその立場も自ずと変わってくる。これからは堂々とベルニーニのパトロンとなれるのだ!

というわけで若きベルニーニのパトロンに、ついに教皇というローマカトリックのトップがつくことになったのである。

では石鍋真澄の解説を聞いていこう。

ウルバヌス八世は教皇に選ばれると、その日のうちにべルニーニを呼び、「騎士カヴァリエーレよ、枢機卿マッフェオ・バルべリーニが教皇に選ばれたのは、おまえにとって大きな幸運だ。だがそれよりも大きな幸運は、騎士べルニーニが我々の治世に生きているということだ」と言ったと伝えられる。ずっと以前から彼は、べルニーニの才能と才知に惚れ込んでいたが、権勢をふるっていたシピオーネ・ボルゲーゼがその才能を独占していたので、小さな作品を依頼したり、時折アトリエを訪れて、詩を捧げたり鏡をもってやったりするだけで満足しなければならなかった。だが今や事態は一変した。ぺテロの後継者、そして一国の主となった彼は、ベルニーニの才能を意のままに用いることができるようになったのである。その時、ウルバヌス八世は「彼の治世のうちに、彼の尽力で、もう一人のミケランジェロを生みださせようという、称賛すべき野望を抱いた」(バルディヌッチ)のである。

実際ウルバヌス八世とべルニーニは、単なるパトロンと美術家という以上に親しく交わった。それはスペインのフェリぺ四世とべラスケスとの関係を思わせるところがある。枢機卿時代と変わらぬ好意を寄せるウルバヌス八世は、ベルニーニに自由に出入りすることを許したのみならず、しばしば彼と夕食を共にした。そうした時べルニーニは、教皇が横になるまで話相手をして、教皇が寝入ると窓を閉めて帰宅した、と伝記作者は伝えている。またある時には、一六人の枢機卿を従えて教皇自らがべルニーニのアトリエを訪れ、異例のこととして人々を驚かせた。べルニーニもこれには非常に感ずるところがあったとみえ、彼の家には後に彼がリヨンで市の要人から鍵を託された場面と、このウルバヌス八世訪問の場面を描いた壁画が残っている。またべルニーニが若気のあやまちで問題を起こした時にも、教皇は特赦を与えて無罪放免にしてやったばかりでなく、説得して彼を結婚させている。

このように教皇の寵愛をえたべルニーニは、ウルバヌス八世時代の重要な美術企画のほとんどすべてを任され、教皇庁の美術担当大臣の観を呈していた。ウルバヌス八世はいろいろな仕事を与えて、べルニーニの才能を独り占めしようとしたのである。こうした状況はウルパヌス八世時代の後も続き、次のイノケンティウス十世の最初の幾年かを除いて、べルニーニはローマの美術界において絶大な影響力を持ち続ける。「五〇年以上にわたって、ローマの美術家たちは、好むと好まざるとにかかわらず、彼の卓越性に敬意を表さざるをえなかった」(ウィットコウアー)のである。当然、彼の存在を快く思わない者も多かった。そうした者たちは、べルニーニの仲介なしには重要な仕事の注文がもらえない状況を繰り返し嘆き、機会を捉えてはいろいろな形で彼を攻撃したのである。

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P44-46

ウルバヌス八世という最強のパトロンを得たベルニーニの圧倒的な活躍ぶりがここからうかがわれる。

ベルニーニの活躍は彼自身の才能もさることながら、時代や人の縁によるものもあったのだ。世界の歴史を変えるほどの大人物にはやはりこうした「圧倒的な幸運」が味方している。その運を持っていること自体が天才中の天才のひとつの条件なのかもしれない。

彫刻家ベルニーニに建築を学ぶよう命じるウルバヌス八世

さて、ウルバヌス八世がべルニーニを「もう一人のミケランジェロ」に育てようとしたことは、即位すると間もなく彼に建築と絵画を学ぶように命じたことからも分かる。ベルニーニはさっそく古代建築の研究にとりかかると同時に、二年の間絵画に専心した、とドメニコは伝えている。バルディヌッチの言葉を信ずるならば、べルニーニの絵画作品は一五〇(ドメニコによれば二〇〇)点以上にのぼったが、今日確認できる作品は非常に少ない。しかもそれらは個人的な楽しみのために描かれたものであり、彼が公の注文に応じたことは一度もなかった。したがって、べルニーニの活動における絵画作品の重要性は比較的小さいといえる。これに対して建築の分野では、ボㇽロミーニと並ぶ非凡な建築家に成長し、サン・ピエトロ広場をはじめとする重要な作品を残すことになるのである。

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P46

「ウルバヌス八世がべルニーニを「もう一人のミケランジェロ」に育てようとしたことは、即位すると間もなく彼に建築と絵画を学ぶように命じたことからも分かる。ベルニーニはさっそく古代建築の研究にとりかかると同時に、二年の間絵画に専心した」

なんと、ベルニーニが建築家として活躍できたのにはパトロンウルバヌス八世のこうしたはたらきかけがあったからこそだったのである。もしウルバヌス八世がいなければベルニーニはサン・ピエトロ広場や数々の名建築を造ることもなかったかもしれない。そう考えるとウルバヌス八世の果たした役割の巨大さには驚くしかない。ベルニーニ級の才能の持ち主でも「人との縁」があったからこそ開花したものがあったのだ。

建築家ベルニーニのデビュー作サンタ・ビビアーナ教会

べルニーニが建築家として最初に手がけたのは、つつましい仕事であった。当時サンタ・ビビアーナ教会の修復が行われていたが、一六二四年三月二日の作業中に、主祭壇の下から二つの大きなガラスの壺に収められた聖女の遺体が発見された。これを機に教会は全面的に改築されることになり、ファサードと祭壇の建設がベルニーニに任されたのである。今日この小さな教会は、線路際のうらぶれた一画にとり残され、一部の専門家以外には訪れる人もほとんどない。しかしべルニーニの最初の建築作品であるファサードと最初の本格的宗教彫刻である《聖女ビビアーナ》、そしてピエトロ・ダ・コルトーナの最初の重要な壁画を擁す教会は、いわば盛期バロックが産声をあげた場所であり、バロック美術史上忘れることのできない遺品モニュメントである。

さて、このベルニーニの手に成るファサードは二層から成っており、三つのアーチを持つロッジャの上に宮殿パラッツォ風の上部がのる形になっている。こうした形式は、シピオーネ・ボルゲーゼが建築家のフランミニオ・ポンツィオに修復させた、サンセバスティアーノのファサード(一六一二年)などに前例がある。だが両者を比べると、サンタ・ビビアーナの方が宮殿パラッツォ風の性格が顕著で、教会のファサードとしては個性的なことが分かる。ベルニーニは教会の規模が小さいことと、特別の祭日に聖遺物を開帳する窓を設ける必要がある点を考慮して、通常のファサードの形をとらずに、一風変わった形式を用いたのであろう。そしてその際、上層に壁龕エディコラを配するという新しいアイディアを採用することによって、集中感をもたせながら全体をうまくまとめているのである。だがこのファサードを見てまず気づくのは、べルニーニという名前から予想されるのとは裏腹に、非常に簡素だということであろう。べルニーニの建築は、そのバロック的効果が頂点に達した時でさえ、この単純さ、簡素さを失うことはないのである。

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P46-47

サンタ・ビビアーナ教会はローマ・テルミニ駅のすぐ近くにある。

駅舎から出たら駅舎に沿って道を真っすぐ南方面に歩けば10分ほどで到着できる距離だ。

歩いていると本当にこんなところに教会があるのかと少し不安になるがそのまま真っすぐ歩いていこう。

サンタ・ビビアーナ教会に到着。油断すると通り過ぎてしまうくらい目立たない教会なので、写真左の塔のような建物を目印にするのをおすすめする。

こちらがベルニーニの設計したファサード。解説にもあったようにたしかにシンプル。バロックといえば豪華で装飾過多というイメージが湧いてしまいがちだが、この教会は驚くほど簡素だ。「べルニーニの建築は、そのバロック的効果が頂点に達した時でさえ、この単純さ、簡素さを失うことはないのである。」という石鍋真澄の解説は非常に重要なポイントだと思う。

ベルニーニ作『聖女ビビアーナ』~後のカトリック世界に大きな影響を与えた傑作

『聖女ビビアーナ』Wikipediaより

だが、このファサードよりもさらに重要なのは、主祭壇を飾る《聖女ビビアーナ》である。聖女ビビアーナは四世紀に、柱につながれ、鉛のつい笞で打たれて殉教したと伝えられる。そこで殉教を表わすシュロと柱がこの聖女の最も一般的な持物とされ、べルニーニもこの像を制作するのにこれらを添えて構想している。

この作品は一六二四年から六年にかけて制作されているので、《アポロとダフネ》に仕上げののみをふるっていた時期と重なると思われる。しかしここには、ボルゲーゼの作品のような躍動する動きや劇的な表現は見られない。聖女は右手を軽く上げ、顔を左にかしげて天を仰ぎ、何か言葉を発しているように見える。そして天に向う心を表わすかのように全体に軽い上昇感があり、聖女の顔も手も、そして体も、甘美で至福に充ちている。これはすなわち殉教の瞬間を捉えたものであろう。つまりベルニーニはこの作品で、ボルゲーゼの彫刻のように実際の行為として捉えるのではなく、心理的・神秘的ドラマとして殉教の瞬間を捉えようとしたのだ。

その結果、彼は一七世紀の宗教感情を代弁する聖女のイメージを創り出すことになったのである。なぜなら、官能性と神秘性とを合わせもつこの《聖女ビビアーナ》のイメージはまさしく反宗教改革で鼓吹された宗教的献身のイメージに他ならないからである。それゆえ、べルニーニが創造したこの聖女のイメージは、この後一〇〇年以上にわたってカトリック世界に流布することになった。たとえば、聖母像で知られるスペインのムリリョの聖母とこのべルニーニの作品を比較すると、それらが驚くほど類似しているのに気づかざるをえない。
※一部改行した

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P47-48

この解説はベルニーニを考える上で極めて重要だ。前回の記事までで紹介したボルゲーゼ美術館の作品と異なり、ベルニーニはここで「心理的・神秘的ドラマ」を描くようになったのだ。

ボルゲーゼ美術館は初期ベルニーニの傑作が所蔵されているがその中でも『アポロとダフネ』(写真左)と『ダヴィデ』(写真中央)は特に「実際の行為が捉えられた」像と言えよう。それに対し『聖女ビビアーナ』は明らかにその動きが抑えられている。

ムリーリョ『無原罪のお宿り』1678年頃、Wikipediaより

「べルニーニが創造したこの聖女のイメージは、この後一〇〇年以上にわたってカトリック世界に流布することになった。たとえば、聖母像で知られるスペインのムリリョの聖母とこのべルニーニの作品を比較すると、それらが驚くほど類似しているのに気づかざるをえない。」という言葉も実際に上のムリーリョの絵を見ればたしかに納得である。ベルニーニはこの時点で後のカトリック世界にとてつもない影響を及ぼすようになっていたのである。

では引き続きこの像について見ていこう。

一方、彫刻の手法の点からいえば、この《聖女ビビアーナ》は、切れ味のよい、優れたへレニズム彫刻を聖女の像に変身させたならばこんな風になるのだろう、という印象を与える。その点では、確かにボルゲーゼの作品の延長上にあり、ここでも古代彫刻の研究が基礎となっているのが分かる。しかし表現しようとする内容が変化するのに従って、その手法も次第に古代、そしてルネッサンスから遠ざかってゆくのである。たとえば、この作品で最も印象的なものの一つである衣襞ドラペリーを見ると、古代の作品を範としていることは歴然としていても、それは古代やルネッサンスの彫刻のように人体のヴォリュームや実在感を示すためのものではなく、聖女の神秘性や・至福、そして上昇感といったものを生むように意図されているのか分かるのである。べルニーニはこの作品で初めて着衣の人物像を制作したのだが、この後衣襞ドラペリーはその人物の内面を表わす重要な手段になってゆく。

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P49

「この作品で最も印象的なものの一つである衣襞ドラペリーを見ると、古代の作品を範としていることは歴然としていても、それは古代やルネッサンスの彫刻のように人体のヴォリュームや実在感を示すためのものではなく、聖女の神秘性や・至福、そして上昇感といったものを生むように意図されているのか分かるのである。」

これも重要な指摘だ。この後のベルニーニ作品の代名詞とも言える衣襞はここから生まれたのである。せっかくなのでヘレニズム彫刻と並べて見てみよう。右二つはルーブル美術館で撮影したものだ。

内面性・神秘性を描くための衣襞。写実性から大きく飛躍したその想像手法は明らかにヘレニズムとは異なる。ベルニーニは意図してこの衣襞を表現しているのだ。20代にして次々と革新的な彫刻手法を生み出していくベルニーニには驚くしかない。

ベルニーニのさらなる飛躍!総合的視覚芸術を生み出したベルニーニ

さらに、ベルニーニがこの作品で試みている重要なことがらが二つある。一つは、すでに《ネプテューンとトリトン》でも触れたことだが、彫刻とそれが置かれる場所とを一体のものと考える、つまり置かれる場所をも作品の一部とみなす、という発想である。彼はこの聖女の像をアーチの奥に設けた壁龕エディコラに入れているが、それら各部の大きさを充分考慮し、身廊部から見たときに全体のバランスがとれるよう細心の注意を払っている。またこの壁龕に暗い色彩を与えて像を浮き立たせると同時に、大アーチと壁龕のアーチとの繰り返しによって、全体の統一感と絵画的効果が強まるよう工夫している。一方、聖女は天を仰いで父なる神を呼ばわっているわけであるが、まさしくその父なる神をアーチの天井にフレスコで描かせ、殉教というこの神秘的ドラマの説明としているのである。こうした工夫によって、べルニーニは表現しようとする彫刻の内容を視覚的に一層明らかにし、同時に彫刻の置かれている空間全体を意義づけようとしているのである。

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P49-50

彫刻が置かれている空間そのものも作品の一部としてしまうベルニーニの芸術。

解説の「べルニーニは表現しようとする彫刻の内容を視覚的に一層明らかにし、同時に彫刻の置かれている空間全体を意義づけようとしているのである。」という言葉はベルニーニ芸術の真骨頂を実にうまく言い当てたものであると思う。

私はこの解説を読んでからこの旅に出たのであるが、おかげで私はベルニーニとは全く関係のないドイツのバーデン・バーデンという街でこれと同じ効果を持つ彫刻と出会うことになったのである。

この像はモスクワの彫刻家Leonid Baranovの作で2004年に建てられたものだ。

ドストエフスキーは1867年にこの街に滞在してギャンブルに狂い、悪夢のような日々を過ごした。この像はそんなドストエフスキーを表現している。視線の先はカジノのあるバーデン・バーデンの街だ。

彼のそばに立って同じ方向を眺める。なんと悲しい景色だろう。あまりにあんまりな場所に、あんまりな置かれ方をしているではないか。せめてカジノに背を向けていてくれと思った。しかしこうでなければならないのだ。これだからこそ意味があるのだ。恐ろしい彫刻である。

ドストエフスキーのドラマが、人間性がこれほど見事に表現された像があるだろうか。

この像はバーデン・バーデンそのものを舞台空間にしているのである。像本体を超えてこの街そのものも芸術として取り込んだのだ。こうしたことに気付けたのもベルニーニを学んだからこそである。この像について詳しく知りたい方はぜひ以下の「(13)ドイツ、バーデン・バーデンでドストエフスキーゆかりの地を巡る~カジノで有名な欧州屈指の保養地を歩く」の記事をご参照頂きたい。

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では引き続き解説を見ていこう。

べルニーニが試みている第二の点は、隠された光源からの採光である。アーチの天井を見ると、父なる神を描いたトンドの両脇に方形の額が切ってあるのに気づく。そのうち向って右側の額には天使たちが描かれているが、左側のそれは明り取りの窓になっている。つまりベルニー二は、この彫刻に左上からの光を当てようとしたのだ。いうまでもなく、光は彫刻にとって非常に重要な要素である。平面に色彩をもって描かれる絵画と違って、彫刻、とりわけ大理石彫刻は極言すれば光と陰、そのニュアンスにほかならないからだ。同じ彫刻でも光の具合によって、いかに異なった印象を与えるかは言うまでもあるまい。彫刻の効果を重んじたべルニーニが、彩光をも作品の一部と見なしたのはむしろ当然のことといえよう。この《聖女ビビアーナ》の場合は、祭壇の上部からも光が入るので、べルニー二の光の支配は不完全である。けれども、観る者がそれと気づかない光源を設けて彫刻の効果を高めようとする、べルニーニの最初の試みとして、この作品は画期的だというべきであろう。このように彫刻の置かれる場所や彩光をも彫刻作品の一部とみなすという総合的視覚芸術の発想は、べルニーニ芸術の本質をなすものであり、この後彼はこの立場からさまざまな可能性を追求することになる。

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P50

たしかに彫刻の上の方には採光用の窓があるのがわかる。電気がなかった時代において光源と言えば火と太陽の光しかない。そんな中ベルニーニは外の光を取り入れることによって彫刻にドラマチックな効果を与えることに成功する。現代では当たり前のスポットライトの効果をベルニーニはこの時すでに発見していたのである。ベルニーニの圧倒的な先見の明、想像力には頭が下がる。この採光による演出も後のベルニーニの代名詞となる。この後紹介する彫刻や建築にもこの手法は大きな意味を持つのでぜひ記憶にとどめていてほしい。

ベルニーニは建築家としての第一歩をこの教会からスタートさせた。だがその第一歩目からしてとてつもない偉業を成し遂げていたのである。天才ベルニーニの最初の教会建築を堪能できるこの教会はぜひおすすめしたい。若干地味で目立たない教会だが、だからこそ味があっていい。観光客もほとんど来ないのでじっくりとこのすばらしいベルニーニの世界を味わうことができる。ぜひローマ滞在の折にはここを訪れてみてはいかがだろうか。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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