(19)ベルニーニ『ダヴィデ』~ベルニーニの驚異の集中力とミケランジェロの『ダヴィデ』との比較
【ローマ旅行記】(19)ベルニーニ『ダヴィデ』~ベルニーニの驚異の集中力とミケランジェロの『ダヴィデ』との比較
前回、前々回とボルゲーゼ美術館所蔵のベルニーニの至宝『プロセルピナの略奪』、『アポロとダフネ』を紹介した。
今回の記事ではその3つ目の至宝と言える『ダヴィデ』を紹介していく。
『ダヴィデ』制作とベルニーニの驚異の集中力
《アポロとダフネ》の制作を一時中断して、べルニーニが一六二三年の八月から、《ダヴィデ》を一気に仕上げたことはすでに述べた。「この作品(《ダヴィデ》)において、彼は彼自身をもはるかに凌駕し、わずか七ヵ月の間にこれを完成した。というのは、このように若いうちから、彼が後によく語ったように、彼は大理石をむさぼり、決して無駄なのみを使わなかったからである」とバルディヌッチは記している。このバルディヌッチの言葉は少しも誇張とは響くまい。なぜなら、べルニーニの仕事の量、その早さ、そして作品に見られる集中感は、彼が強靭な意志と体力の持主であり、そしていかに並外れた集中力に恵まれていたかを痛感させるからだ。
バルディヌッチが他の箇所で伝えるところによれば、建築の仕事がない限り、彼は七時間も続けて大理石彫刻にとり組んだ。これには若い助手もついてゆけず、ある者が仕事を止めさせようとしたことがあった。するとべルニーニは、「このままにしておいてくれ。私は虜になっているのだから」と答えたという。
彼はいつも、あたかも恍惚伏態にあるかのように仕事をした。その集中力はあまりに強かったので、足場の上では助手が付き添って、落ちないように見張っていなければならなかった。また、しばしば枢機卿や諸君主が彼の仕事場を見にやってきたが、その仕事ぶりに息をのみ、しばらく見物してから、挨拶もせずに立ち去ることが多かったという。それにしても、この規模の作品の制作に七ヵ月というのは驚くべき早さである。しかし、それを事実だと信じさせる、若々しいヴァイタリティがこの作品には感じられる。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P32-33
※一部改行した
「天才とは圧倒的な集中力の持ち主である」というのはよく言われることだ。
だがこのベルニーニの集中力はそれでもなお異質というか、突出しているように思われる。「神のごときミケランジェロ」という言葉があるがベルニーニもやはりその域に到達していた人物なのではないかと思わずにはいられない。やはりこの男は何かが違うのである。
ダヴィデ像のモチーフと、ドナテッロ、ミケランジェロの『ダヴィデ』との比較
いうまでもなく、ダヴィデは旧約伝の英雄である。彼がぺリシテ人を破るくだりは『サムエル記』(第一、一七)にある。
そのペリシテ人は、立ち上がり、ダヴィデを迎え撃とうと近づいて来た。ダヴィデもすばやく戦場を走って行き、ペリシテ人に立ち向った。ダヴィデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。
こうしてダヴィデは、石投げと一つの石で、このペリシテ人に勝った。ダヴィデの手には、一振りの剣もなかったが、ペリシテ人を打ち殺してしまった。ダヴィデは走って行って、このぺリシテ人の上にまたがり、彼の剣を奪って、さやから抜き、とどめを刺して首をはねた。ペリシテ人たちは、彼らの勇士が死んだのを見て逃げた。
ダヴィデ像は多くの彫刻家によって繰り返し作られてきたが、なかでも思い浮かぶのは、何といってもドナテㇽ口とミケランジェロの《ダヴィデ》である。このうちドナテㇽロの《ダヴィデ》は、剣を奪ってゴリアテの首をはねた勝利のダヴィデを、美少年として表わしたものである。これに対してミケランジェロは、ドナテㇽロに見るようなダヴィデの一般的タイプを全く顧みず、戦いに臨む直前のダヴィデを、精神的緊張を全身にみなぎらせた青年として作り上げた。
どちらもすばらしい作品だが、ミケランジェロの《ダヴィデ》は構想のユニークさにおいて際立っている。だかべルニーニの《ダヴィデ》も、これに劣らず独創的だ。彼は単なるダヴィデの像ではなく、ダヴィデとゴリアテの物語そのものを造形化しようとしたのだ。この物語のクライマックスが、ダヴィデが石を放ってゴリアテを倒す場面にあることは、誰の目にも明らかである。したがって、ダヴィデが渾身のカを込めて石を投げる瞬間を、べルニーニは捉えたのである。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P33-34
※一部改行した
ミケランジェロ以前はドナテッロのようにゴリアテを倒した後の姿を彫るのが一般的だったというのには驚いた。私達はダヴィデ像というとどうしてもミケランジェロを思い浮かべてしまう。だがこのミケランジェロの『ダヴィデ』そのものが圧倒的に革新的なものだったのである。
そしてベルニーニはそこからさらに革新的なものを生み出したのだった。
ミケランジェロとベルニーニの『ダヴィデ』の比較
このべルニーニの《ダヴィデ》とミケランジェロのそれとの比較は、いろいろな示唆を与えてくれる。まず気づくのは、ミケランジェロの構想が非常に観念的なのに比して、べルニーニは平易な図解を目指しているという点である。トルナイによればミケランジェロは共和国のために戦う市民の二つの美徳、すなわち「剛毅」「忿怒」の化身として、へラクレスになぞらえて《ダヴィデ》を制作した。つまり彼の時代には、この作品は政治的意義を有していたのである。
だが今日、何も知らずにこの彫刻を見て、それがダヴィデの像だと分かる人が幾人いるだろうか。この作品があまりに有名なために、我々はそれがダヴィデであることに疑問を抱かないだけではなかろうか。というのは、この作品はミケランジェロがダヴィデとはこのようなものだと考えたダヴィデ以外の何者でもないからだ。ミケランジェロは物語の中核には全く触れず、物語をうかがわせる事物を石の入った袋だけに限定し、それさえ正面からは見えなくしているのである。
一方べルニーニは、ダヴィデの一大ドラマを万人に分かるように視覚化しようとした。彼の主眼は物語の決定的瞬間におけるダヴィデを表わすことにあったが、聖書の記事に従ってダヴィデを説明することも忘れてはいない。ダヴィデは石を人れた「羊飼が使う袋、投石袋」を肩にかけ、足もとには、サウルが着せてくれたが彼が嫌って脱ぎ捨てた鎧兜が置かれている。さらにその下からは、鷲をかたどった竪琴が顔をのぞかせているのてある(鷲はシピオーネ・ボルゲーゼの紋章である。このことからドノーフリオは、ダヴィデはシピオーネの政敵ルドヴィーコ・ルドヴィーシを倒そうとしているのだ、と解釈した)。
こうした事実は、ルネッサンスとバロックにおける美術と美術家のあり方の違いを考えさせる。ルネッサンスにおいては、新プラトン主義の風潮の中で、美術はそれ自身存在意義をもつと考えられ、ある程度自己完結的に存在しえた。
一方バロック期になると、美術は何らかの社会的役割を果すよう要求されるようになる。つまり美術はあらゆる種類の宣伝に用いられ、そのためレトリックを駆使して、できるだけ多くの人々の心を動かすようエ夫されるようになるのである。
それと同時に、新プラトン主義的な天才の概念やその神秘に対する称賛は失われて、美術家は再び地上に帰る。この三つの時代の美術と美術家のあり方は、ミケランジェロとべルニーニに象徴的な姿で現われているといえよう。
こうした時代の違いは、同時に造形にも現われている。《ダヴィデ》においてミケランジェロは不朽の造形、モニュメンタルな肉体を追求したが、べルニーニはあくまで瞬間の動きと緊張を捉えようとしている。崖から落してもびくともしない彫刻が望ましい、という有名な言葉からも分かるように、ミケランジェロは堅牢な人物像を至上とした。また彼が「削りとる」彫刻を重んじて、「付け加える」塑像をひどく軽蔑したことはよく知られている。
これに対してべルニーニは、《ダヴィデ》において、《プロセルピナの略奪》や《アポロとダフネ》ほどではないにしても、ミケランジェロがさげすんだブロンズ彫刻の表現力を大理石で達成しようとしたように思われる。
このように、二人の巨匠は大理石彫刻を天職と考えた点では共通しているが、その大理石から創り出そうとした造形は全く異なるものだったのである。しかしその造形を生み出すに当って、二人とも古代彫刻の研究から出発していることも忘れるわけにはゆかない。ミケランジェロの《ダヴィデ》が際立って「古典的」であることはしばしば指摘される通りだが、一方べルニーニの方も、ルーブル美術館にある《ボルゲーゼ・ガリタトール》などから霊感をえていると考えられる。どちらの場合も、その造形の基本は古代彫刻の研究にあるのである。ここにも、先に触れたイタリア美術史の根本問題が姿を現わしている。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P34-36
※一部改行した
たしかに、ミケランジェロの『ダヴィデ』は何も知らずに見たらダヴィデだとはわからないだろう。
それに対してベルニーニの『ダヴィデ』は視覚的にこれがダヴィデだと一発でわかる。この違いは大きい。
石鍋真澄の「一方バロック期になると、美術は何らかの社会的役割を果すよう要求されるようになる。つまり美術はあらゆる種類の宣伝に用いられ、そのためレトリックを駆使して、できるだけ多くの人々の心を動かすようエ夫されるようになるのである。」という解説はローマの芸術を考える上であまりに重要な指摘だ。
現在私たちが目にする美の殿堂ローマはこうした思想の下で芸術が花開いたのであった。
物語的空間に引き込むベルニーニの魔術
ベルニーニの《ダヴィデ》について、どうしても触れておかなければならないことが二つ残っている。一つは、この作品も他のボルゲーゼの彫刻と同様に壁につけて置かれていた、つまり基本的視点がはっきり設定されていたということである。
そしてもう一つは、その基本的視点に立つ観者を、彫刻の生み出す空間に誘い込もうとべルニーニが意図していることである。ミケランジェロの《ダヴィデ》にも、ダヴィデが鋭く見つめる彼方にゴリアテがいる、と感じさせる一種の心理的働きかけがあるといえる。だが彫刻自体の強い完結性のために、それはあまり重要には感じらない。
これに対してべルニーニの《ダヴィデ》では、見る者に物語を感じさせる現実的な配慮がなされている。つまり、このダヴィデは明らかにゴリアテに向って石を投げようとしているのであり、それを見る我々は背後にその相手の存在を想定せざるをえないのだ。こうして我々は知らず知らず物語の空間に引き込まれてゆくわけであるが、このように見る者をいわば物語の証人として、彫刻の生み出す空間に誘い込もうとする意図は、これまで述べた作品にもみられた。けれどもこの《ダヴィデ》では、それが一層具体的な形で構想されているのである。こうした見る者と作品、現実の空間とフィクションの空間との間にある心理的障壁を取り除こうとする発想は、べルニーニの造形世界を特徴づける重要な要素である。べルニーニの、そしてバロックの美術を鑑賞する者は、しばしば現実の空間と美術の空間の境を見失う。それはミケランジェロ、ルネッサンスの世界では決して体験できない、バロックの魔術の世界である。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P36-37
※一部改行した
私もボルゲーゼ美術館でベルニーニの魔術に引き込まれた一人だ。ここで石鍋真澄が述べるように、ダヴィデの視線の先には明らかにゴリアテがいる。そして今にも石を投げんとしているのが伝わってくる。その瞬間を私達は目撃しているのである。ベルニーニの彫刻は私たちの現実世界を吹き飛ばしてファンタジー、物語空間に強制的に引き込んでしまう。この物語性、メッセージ性がベルニーニの真骨頂だ。20代前半にして彼はその域に到達していたのである。恐るべき早熟の天才と言えよう。石鍋真澄はこうした若きベルニーニについて以下のように述べている。
以上、シピオーネ・ボルゲーゼの注文で制作された作品をやや詳しく見てきたが、これらの作品によって、べルニーニが彫刻史に新しいページを開いたことは理解されたであろう。一作ごとにほとばしり出る二十代前半のべルニーニの創造力は、少年時代の作品とともに、美術史上でも稀な天才の顕現だといえよう。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P37-38
「一作ごとにほとばしり出る二十代前半のべルニーニの創造力は、少年時代の作品とともに、美術史上でも稀な天才の顕現だといえよう。」
若きベルニーニの天才ぶりを感じるにはボルゲーゼ美術館は最高の場所だ。4本の記事にわたってこの美術館のベルニーニ作品を観てきたが、私にとってもボルゲーゼ美術館での体験は強いインパクトを受けたものとなった。
ぜひ皆さんもローマ滞在の折にはこの美術館を訪れてはいかがだろうか。ベルニーニの天才ぶりに度肝を抜かれるのは間違いないだろう。
続く
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