(1)ローマの玄関ポポロ門とポポロ広場~一瞬で旅行者を引き込む目の一撃!劇場都市ローマの真骨頂とは!
【ローマ旅行記】(1)ローマの入り口ポポロ門とポポロ広場~一瞬で旅行者を引き込む目の一撃!劇場都市ローマの真骨頂とは!
記念すべきローマ紹介の第一弾はローマの玄関口ポポロ門とポポロ広場だ。私がここをまず紹介したのには訳がある。ローマについてお話ししていくならばまずここから始めねばならないのだ。
では、その理由を含めて石鍋真澄著『サン・ピエトロが立つかぎり』の解説を聞いていこう。
一九世紀までは、ヨーロッパ各国から陸路ローマにやってきた旅行者は、トスカナを経てカッシア街道を通ってきた者も、最後はフラミーニア街道を通ってローマの北の城門、ポポロ門からローマ市中に入るのが普通であった。モンテーニュもゲーテもスタンダールも、ポポロ門をくぐって、初めてローマを目にしたのである。
これに対して、われわれは列車でテルミニ駅に着くか、あるいはフィウミチーノ空港に着いてから、リムジンでテルミニ駅に行き、そこからローマ滞在を始めるのが普通である。テルミニ駅のあたりには、統一以前にはヴィッラ・モンタルトという一六世紀の末にできた広大なヴィッラ(別荘)があった。
しかし、近代の都市整備ですっかり都市化されたうえ、大都市のターミナル駅の常として、いろいろな人びとが出入りするため、あまり感心した地域ではなくなってしまった。このテルミニ駅からナツィオナーレ通りにかけては、大きなホテル、とりわけ日本人の団体を受け入れるホテルが多い。したがって、このあたりの環境が、多くの日本人旅行者にローマの印象を悪くさせ、そしておそらく盗難の被害をも増やしているのではないかと思う。
ともあれ、長い日にちをかけてようやくローマにたどり着いたかつての旅行者と、安易な手段によって旅するわれわれとでは、ローマに着いたという感激がまったく異なるのはいたし方あるまい。おまけに、現代の都市は市街がだらしなく続いており、いつその都市に入ったのかさえはっきりしない。城門をくぐる、というかつての崇高な儀式は永遠に失われたのである。
とはいえ、イタリアの中世都市を訪れると、この城門をくぐるという、スリリングな感覚を今でも味わうことができる。たとえば、サン・ジミニャーノやアッシシがそうだ。まったく、城門をくぐって見知らぬ都市に入るときの、一種晴れやかな感じには、名状しがたいものがある。
中世の小都市でさえかくのごとくだ。いわんや憧れのローマの城門をくぐって、初めて市中に入ったときの感じは一体どんなだっただろうと思う。
実際、ポポロ門をくぐった旅行者の眼前には、すばらしいスペクタクル、ポポロ広場のまるで舞台のような眺めが広がっていた。一八世紀の末から一九世紀にかけて版を重ねたヴァージのガイドブックは、誇らしげにこう記している。
ポポロ門が与えるような、高貴で壮麗な入城を供する都市は他にない。広大な広場、その中央の大きなエジプトのオべリスク、双子の美しい聖堂、そして三本の広々とした、長い道路のパースペクティヴが形成する眺めはすばらしく、それを一目見た、まさに最初の瞬間に、ローマの壮麗さの正確な概念を得るに充分なほどである。
このヴァージの記述がガイドブックの宣伝文句でないことは、たとえば「この都市の最初の眺めほど、ローマの偉大さの完璧な概念を与えるものはないしと記した、一八世紀の著名な著述家シャルル・ド・ブロッスのような、多くの旅行者の証言によって確認できる。そしてなによりも、実際にポポロ広場に立って、われわれ自身の目でこのすばらしい眺めを見るならば、だれしもが納得するのではなかろうか。
ともあれ、かつての旅行者にとってローマという都市がいかなるものであったかを理解するには、まず、このポポロ広場が彼らに与えた「目の一撃」の強烈な効果を思い描いてみる必要がある、と私は思う。だから、このありし日のローマ入城の疑似体験、もっとも簡便には地下鉄A線のフラミーニア駅で降りて、ポポロ門から市中に入る、という実験はやってみる価値がある。
もしも読者がフラミーニア街道をもっと手前から歩いてくるとすれば、進むにつれてポポロ門からオべリスクと双子の聖堂がのぞき、そして門をくぐると突如広場が開け、巨大なオべリスクの向こうに、ちょっと風変わりなドームをいただく双子の聖堂と、それらをはさむ三本のまっすぐな道路がつくる見事なパースペクティヴが見渡せるはずだ。まさに舞台の背景のような眺めといえるだろう。オペラの序曲が終わって幕が開いた瞬間の舞台のように、そこにはこれから始まる壮大なドラマの予感のようなものがある。
そして実は、このポポロ広場の景観は、ローマの「壮麗さ」ばかりでなく、ローマという都市の性格そのものをも理解させてくれているのである。このことを分かってもらうには、以上の装飾がどんなふうに行われたかという歴史的経緯について少し話をしなければなるまい。
吉川弘文館、石鍋真澄『サンピエトロが立つかぎり 私のローマ案内』P16-19
※一部改行した
私は冒頭で「モンテーニュもゲーテもスタンダールも、ポポロ門をくぐって、初めてローマを目にしたのである」という言葉を目にした時点で撃ち抜かれている。ゲーテの『イタリア紀行』が好きな私にとって、文学と絡めて解説されるともうイチコロだ。
また、「ポポロ広場が彼らに与えた「目の一撃」の強烈な効果」についての言葉も印象的だったと思う。これを読めばローマに行ってぜひ確かめてみたくなる。
そしてこのポポロ広場の解説の最後に著者は次のように述べる。
古代には「皇帝の都市」であり、後には「教皇の都市」であった口ーマは、宿命的に虚構性と「ショー的」性格をもつ都市であった。長い旅路の末、ようやくローマに着いてポポロ広場に立った旅行者は、ローマの「壮麗さ」とともに、このことをも納得させられたのである。だからもしも、このポポロ広場の眺めをわざとらしく、不真面目だと思う人がいたら、その人はローマとは肌の合わない人である。けれども逆に、このシェノグラフィックな景観にぞくぞくするような興奮を覚える人がいたら、その人こそローマに魅了される「才能」をもって生まれた人なのである。
吉川弘文館、石鍋真澄『サンピエトロが立つかぎり 私のローマ案内』P24
さあ、私はこのポポロ門を目の前にして何を感じるのだろうか。私もローマに魅了される「才能」があるのだろうか。これは確かめずにはいられない!という訳で私はローマに来てまずポポロ門へ向かったのであった。
こちらはローマ・テルミニ駅。私が着いたのは昼過ぎだったがその時は余裕もなく写真どころではなかった。こちらは後日撮った夜の写真だ。
私がこの駅に着いたのは、先ほども述べたように昼過ぎだ。だがその明るい時間ですらこの駅の周辺はかなり恐怖を感じた。これまで様々な国の様々な駅を訪れたが飛び抜けて治安が悪いように感じた。駅構内は近年リニューアルしたおかげで治安も幾分よくなったそうだが、外はやはり油断できない。明らかにガラの悪そうな若者がずらっとたむろしている。キャリーケースを転がしながらここを歩くのは「標的」にされそうでびくびくしてしまった。
この写真を撮れたのもローマ滞在に慣れて手ぶらでささっとここを通ったからこそだ。
私はかつてボスニアで強盗にあったことがある。その時の教訓でリュックやバックはなるべく持たずに手ぶらで動くようにしている。海外ではまず「標的にされないこと」が第一である。日本人はただでさえ目立つ。そして標的にされやすい。どうやって逃げるかよりもそもそも狙われないことだ。(この件については「上田隆弘、サラエボで強盗に遭う ボスニア編⑨」の記事参照)
ローマ滞在の最後までここは一瞬たりとも油断ができなかった。現地ガイドの方ですら「ここはあまりよくないですね」と言うほどの場所。恐がり過ぎる必要もないが、日本の感覚でいては本当に危険なのでそこはお伝えしておきたい。
ただ、私がもう一度ローマに行くとしたらまたこのエリアに泊まるだろう。やはり便利な場所ではあるのだ。地下鉄駅もバス乗り場も充実しているのでどこに行くのも便利。テルミニ駅にすぐ近くのホテルに泊まれば問題なく滞在は可能だ。飲食店も多い。海外が初めての方には厳しいかもしれないが、慣れている方には選択肢としては十分ありだと思う。
さて、私もテルミニ駅から地下鉄を使ってポポロ門までやって来た。
ゲーテやスタンダールもここを通ったのだ。私が好きなドストエフスキーもメンデルゾーンもここを通っただろう。この門を通ると石鍋氏の言うようなローマの「目の一撃」があるのだ。
おぉ・・・!これが偉大な芸術家たちが目にした「ローマの一撃」か!
これは後日晴れた日に撮った写真だが、たしかにいきなり目の前にこの光景が現れたらショックを受けずにはいられないだろう。「私はローマに来たのだ!」と高揚せずにはいられない。
広場近くのピンチョの丘からはポポロ広場やローマの街並みを見渡すことができる。正面の大きなドーム屋根はサン・ピエトロ大聖堂だ。
ポポロ広場からメインの大通りであるコルソ通りを歩くとゲーテ博物館がある。
ゲーテの『イタリア紀行』は言わずもがなの名作だ。私も大好きだ。「旅もの」の最高傑作であることは間違いない。ゲーテ以降の芸術家、作家、知識人は必ずと言っていいほどその影響を受けている。私の好きなメンデルスゾーンはその最たる一人だ。
そのゲーテが滞在した部屋が今博物館になっている。右の写真はゲーテが外を眺めていたという有名な窓を再現している。
ポポロ門とその広場でローマの「目の一撃」を受けた私は、そのままの勢いでゲーテに思いを馳せた。私にとってローマはベルニーニの街であり、あのゲーテが褒め称えた街でもある。何事も「始め」が肝心。これからのローマ滞在にとって大いに弾みとなった初日であった。
続く
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