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(29)山の中のグヴェレティの滝とロシア国境近くのダリアリ渓谷へ~トルストイの鳥瞰図について考える

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【ジョージア旅行記】(29)山の中のグヴェレティの滝とロシア国境近くのダリアリ渓谷へ~トルストイの鳥瞰図について考える

朝目を覚ましておもむろに外を眺めてみると、朝陽がカズベキ山を照らしていた。下界の夜の世界とのコントラストに感動してしまった。

この日はまず軍用道路をさらに北上し、山中にあるグヴェレティの滝を目指す。

その道中はまさにカフカース。かつては馬車一台通ることも困難な危険な道だったそう。そんな時代にトルストイやプーシキン、レールモントフら偉大な文学者たちはここを歩いていたのである。

さて、滝付近の山に間もなく到着。例のごとく山道は舗装されていないためここも激しく揺れた。

車から降りてここからはガイドと共に登山の開始である。

歩き始めてすぐに不安になる。

本当にこんな気楽に歩き始めて大丈夫な場所なのだろうかと。見てほしい、この目の前の山を。これから一体私はどこに向かおうというのか。

振り返ればすでにTHE 山である。とんでもないところに来てしまった。

どうやらこの正面の奥の方に滝があるらしい。道自体は今のところ危険を感じることはない。愉快な軽登山くらいの気分だ。このままそれが続くことを祈る。

おぉ、山らしくなってきた。そして川が流れている。きっと例の滝から流れているものだろう。

この辺から川沿いということもあってごろごろした大きな石の上を歩き始めることになる。油断するとケガをしかねない。

なかなかに流れが激しい。だが、ガイドによればこれでも水は少ないそう。春の雪解け時期はもっとすごいことになっているそうだ。

川から少し離れて木々の間を抜けると、視線の先に滝が現れた。崖の上から細い流れがすっと流れ落ちている。これは美しい。ぜひもっと近くで拝みたいものだ。

だが、滝への道はここからが本番だった。もはや完全に岩登りである。これはきつい。もはやお気楽なハイキングの気分はどこへやら。アルメニアで倒れた私にとってこれはかなりの関門である。

ゆっくりと用心しながら少しずつ登っていく。あと少しだ。

休み休み振り返ると文句なしの絶景である。カフカースはどこに行っても絶景だ。

いよいよ到着。こちらが名高いグヴェレティの滝である。

苦労して登ってきた分、感動もひとしおだ。

崖の上からいきなり水が噴き出してきたかのようだ。ところどころ岩壁にぶつかり微妙に角度を変えて落ちてくる水の流れが何とも美しい。まるで糸が絡み合い、編み込まれているかのようだ。

私たちはこの滝の前でしばらく時を過ごした。

霧状になった水を顔に受けながらぼーっとこの滝を眺めるのは何とも心地がよかった。

そして水が落ちていく様を上から下まで追い続ける。これがまた楽しいことこの上ない。水の動きに目が釘付けだった。

そしてふと視線を上げて崖の上を見てみた時、私はそこに山の民がいるように感じてしまった。崖の上から私たちを見下ろすかのような男たち。そんなイメージがふと私の中に浮かんできたのだ。

このカフカースの山の中を歩いて、私はその雄大さに打たれた。そしてここにかつて住んでいた山の民たちへの敬意が自然に浮かんできた。こんな過酷な環境で生きていた人がいたのだと。

トルストイはまさにこうした山の民に敬意を持っていた。そしてロシアの方こそ彼らを意味もなく攻撃していると考えた。これはやはりものすごいことだと思う。普通のロシア人はそんなこと考えもしなかった。ここにトルストイの偉大さがあるのではないか。そんなことをこの滝を見ながら考えていたのである。

帰り道も絶景を楽しみながらの下山である。岩山を下りるときはかなり緊張感があったが無事帰還することができた。

さて、次に向かったのがダリアリ渓谷という場所。こちらはまさにロシア国境の目と鼻の先にある地点。

私はカフカースに9月12日までいたのだがその数日後、ロシア国内で徴兵が始まり、このロシア・ジョージア国境がロシア脱出者の殺到でとてつもない事態になったことはニュースでも目にされた方がおられるのではないだろうか。まさにその国境がここなのである。

この山の先が国境エリア。この近辺の山にはロシアの兵士がいるため近づくのは非常に危険なそう。2008年のロシア・ジョージア戦争以来両国間の緊張は続いたままだそうだ。

この国境近くのダリアリ渓谷に立つのがこちらのダリアリ修道院。比較的最近作られた教会だそう。こうした面からもジョージア人が今もなお信仰を重んじていることがうかがえる。これほど大きな施設を作るのは様々な面で大きな苦労があったことだろう。

この修道院のそばに川が流れていたのだがこれがまた素晴らしかった。

敷き詰められたかのような大きな岩の間を川が流れてくる。

川の流れ、水の音、山の景色。最高の組み合わせだ。

そして近くの木にケルベロスのようなリスを発見しほっこりする。

私はこの雄大な山々をただ茫然と見渡すことしかできなかった。ごつごつした岩肌、崖のようにそびえ立つその力強い姿・・・

そしてふと、私の目に黒い点が二つ飛び込んできた。

すぐにハッとして目を凝らしてみると、それは二羽の鷲だったのである。

私は慌ててカメラを構えた。そしてなんとかその鷲を写真に収めることができた。それが上の写真だ。写真左側に小さく映っているのが見えるだろうか。

私はこの鷲を見た時、トルストイの鳥瞰図の意味がわかった。

街の中を飛んでいるカラスとは違う。雄大な山々を自由に飛ぶ鷲の視点。

これなんだ。

それにしてもすごい。こっちの山にいたかと思えばあっという間に向こうの山へ。

山と山の間は深い深い谷になっていて、少し飛び立てば一気にはるか上空となる。

とてつもないスケール。これなんだ。トルストイは。

トルストイは『戦争と平和』でとてつもないスケールの物語を描き出した。そして作中、彼の筆は全世界を映し出す鳥瞰図的な視点が何度も出てくる。

『戦争と平和』だけではない。トルストイはその作家人生でどれほど大きなスケールで世界を描き出したことか。

ドストエフスキーが小さな暗い部屋で何人かが集まりやんややんやと奇怪な言葉のやりとりを繰り返す物語を書くとすれば、トルストイはロシアやカフカースの広大な世界や華やかな貴族の大広間のイメージだ。

ドストエフスキーが人間の内面の奥深く奥深くの深淵に潜っていく感じだとすれば、トルストイは空高く、はるか彼方まで広がっていくような空間の広がりを感じる。

深く深く潜っていくドストエフスキーと高く広く世界を掴もうとするトルストイ。

それをこの二羽の鷲から私は改めて感じることとなった。

トルストイはカフカースを舞う鷲だったのだ。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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