マルクス・アウレーリウス『自省録』あらすじと感想~まるで仏教!古代ローマのストア派哲人皇帝による人生訓。名言の宝庫!
マルクス・アウレーリウス『自省録』概要と感想~古代ローマのストア派哲人皇帝による人生訓。名言の宝庫!
今回ご紹介するのは1956年に岩波書店より発行されたマルクス・アウレーリウス著、神谷美恵子訳の『自省録』です。私が読んだのは岩波文庫2020年第23刷版です。
早速この本について見ていきましょう。
生きているうちに善き人たれ―ローマの哲人皇帝マルクス・アウレーリウス(一二一‐一八〇)。重責の生のさなか、透徹した内省が紡ぎ出した言葉は、古来数知れぬ人々の心の糧となってきた。神谷美恵子の清冽な訳文に、新たな注を付す。
Amazon商品紹介ページより
マルクス・アウレーリウスは161年から180年にローマ皇帝に在位した人物です。彼はローマに全盛期をもたらした五賢帝の最後の一人として知られ、また、ストア派の哲学者としても名高い人物でありました。
ギボンの名著『ローマ帝国衰亡史』の訳者解説では彼について次のように説かれています。
マルクス帝は、義弟ルキウス・ウェルスとともに登位しました。共治皇帝制のはじまりです。しかし、即位から一年もたたないうちにパルティアが侵寇してきました。これにたいし、ウェルス帝が東方へ親征。一六五年には、大勝利をおさめました。
ところが、この戦役に参加した兵士たちが、得体の知れない疫病をもち帰ったのです。そのため、帝国全土でその疫病が猛威をふるい、一六八年にはローマ市ほか多くの都市で、多数の犠牲者が出ました。
こうしたローマ弱体化の兆しを読んでか、ゲルマン人がドナウを渡河。帝国内に侵入します。しかもイタリアまで及んだのです。約二百年あまりなかった事件です。第Ⅰ章でも描かれているように、マルクス帝らはこれにたいして敢然と立ち向い、そして勝利しました。しかし、ともにゲルマニアからの帰還の途中、ウェルス帝が病死したのでした。
その後は蛮族侵寇の頻度が多くなり、ローマは大いに悩まされるようになります。人々の間に、はじめ深刻な危機感が走ります。そうした状況のもと、マルクス帝の残りの治世は、かれらにたいする征戦に費やされました。
有名な『自省録』がつづられたのも、そうした戦陣においてでした。北方辺境の寒い夜、幕営でひとり沈思して、思いを吐露したそのノートは、かれの死後、衣服あるいは備品のなかから見つかったといわれます。それを読むと、遥かな時をこえて、帝の真摯、高潔な人柄とストア哲学の諦観をおびた考え方がひしひしと伝わってきます。読者諸賢におかれても、お読みになれば、当時の哲人の言葉にしばしば共感をおぼえ、静かな感動を禁じ得ないことでしょう。
PHP研究所、エドワード・ギボン、中倉玄喜訳『新訳 ローマ帝国衰亡史』P81-82
マルクス帝は前回の記事「エピクテトス『人生談義』~本当の自由とは。奴隷出身のストア派哲学者による驚異の人生論。清沢満之とのつながりも」でも紹介したストア派の哲学者エピクテトスの影響を強く受けています。
エピクテトスの著書『哲学談義』はかなり哲学的な内容も含んでおり、正直読むのにはかなり難儀します。
しかしマルクス帝の『自省録』はそのような哲学的議論は抑制され、とことん現実生活に即して説いていくので驚くほど読みやすい作品となっています。
このことについて巻末の解説では次のように説かれていました。
マルクスは幼少の頃から修辞学の訓練を充分受けていた。しかし哲学に志すようになってからは文学的虚栄心を斥け、できるだけ飾り気なくものを書こうと努めたらしい。
かつて青年の頃フロントーに宛てて書いた手紙の文体から見れば『自省録』の文章はきわめて簡素で時にはぶっきら棒でさえある。自分ひとりのために書いたせいでもあろうが、ひとり呑み込みで、全然他人に理解できぬような場合もある。
しかしこのごつごつした、無駄のない文章には一種の厳しい美しさがあり、カがある。そして想像力をあれほど排斥するストアの学徒でありながら、感情が白熱してくると、ところどころにすばらしい比喩がひらめいて思想を一つの結晶に凝結させるのである。
たとえば賢い人は怒濤の猛るさなかに泰然とやすらう岩頭のごとしとか(四・四九)、徳は消える瞬間まで燃えている灯であるとか(一二・一五)、死は熟したオリーヴの実が感謝しつつ枝から落ちて行くようなものだ(四・四八)等、いつまでも記憶に残る名句がある。
右にもいったように、『自省録』の思想内容には独創性がない。しかしその表現にはたしかにある。それは結局マルクスの魂の生地がストアの思想に与える輝きとニュアンスであり、そのニュアンスこそマルクスの魂の姿そのものなのであった。
岩波書店、マルクス・アウレーリウス、神谷美恵子訳『自省録』2020年第23刷版P321
※一部改行しました
続けてもうひとつ見ていきましょう。
ストア思想も、一度マルクスの魂に乗り移ると、なんという魅力と生命とを帯びることであろう。それは彼がこの思想を身をもって生きたからである。生かしたからである。
マルクスは書斎人になりたくてたまらなかった。純粋の哲学者として生きるのを諦めるのが彼にとっていかに苦痛であり、戦いであったかは『自省録』の随所にうかがわれる(八・一、その他)。
しかし彼の場合には、彼が皇帝としてなまなましい現実との対決に火花を散らす身であったからこそその思想の力と躍動が生まれたのかもしれない。
『自省録』は決してお上品な道徳訓で固められたものではなく、時には烈しい怒りや罵りの言葉も深い絶望や自己嫌悪の呻きもある。あくまで人間らしい心情と弱点をそなえた人間が、その感じ易さ、傷つき易さのゆえになお一層切実にたえず新たに「不動心」に救いを求めて前進して行く、その姿の赤裸々な、いきいきとした記録がこの『自省録』なのである。
岩波書店、マルクス・アウレーリウス、神谷美恵子訳『自省録』2020年第23刷版P317
※一部改行しました
「ストア思想も、一度マルクスの魂に乗り移ると、なんという魅力と生命とを帯びることであろう。それは彼がこの思想を身をもって生きたからである。生かしたからである。」
『自省録』のポイントはまさにここにあります。マルクス・アウレーリウスという一人の人間の血が、生命がそこに流れています。単なる抽象的哲学理論ではなく、それを現にどう生きるかという彼自身の闘いがそこに刻まれています。
これは読めばわかります。
その中でも私が最も感銘を受けた言葉を一つだけここで紹介したいと思います。
思い起せ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか、またいくたび神々から機会を与えて頂いておきながらこれを利用しなかったか。しかし今こそ自覚しなくてはならない、君がいかなる宇宙の一部分であるか、その宇宙のいかなる支配者の放射物であるかということを。そして君には一定の時の制限が加えられており、その時を用いて心に光明をとり入れないなら、時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会は二度と再び君のものとならないであろうことを。
岩波書店、マルクス・アウレーリウス、神谷美恵子訳『自省録』2020年第23刷版P26
宇宙規模で世界を捉え、それに対置して自らが「今、ここ」で何をしているのかを問いかけるこの圧倒的なスケール!
でかい!でかすぎる!!あまりに巨大な人間観に私は度肝を抜かれました。これが古代ローマの哲人皇帝です。
今から1900年以上も前に、これほどの偉人がいたのです。
そしてこの『自省録』を読めば気づくことになるのですが、この作品、実はものすごく原始仏教の思想に近いのです。
特に『ブッダのことば』や『ブッダの真理の言葉』はその文体や構造までそっくりです。
僧侶である私にとって古代ローマの哲人皇帝とブッダのつながりには非常に興味深いものがあります。
そんなストア哲学と仏教との繋がりを考えながら読むのはとても刺激的な体験になりました。
これはぜひおすすめしたい名著です。
以上、「マルクス・アウレーリウス『自省録』~古代ローマのストア派哲人皇帝による人生訓。名言の宝庫!」でした。
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