トルストイ『イワン・イリッチの死』あらすじと感想~死とは何か。なぜ私たちは生きるのだろうか。トルストイ渾身の中編小説
トルストイ『イワン・イリッチの死』あらすじと感想~死とは何か。なぜ私たちは生きるのだろうか。トルストイ渾身の中編小説
今回ご紹介するのは1886年にトルストイによって発表された『イワン・イリッチの死』です。私が読んだのは岩波書店、米川正夫訳の『イワン・イリッチの死』です。
早速この本について見ていきましょう。
『アンナ・カレーニナ』完成の後、人生の根本的問題に関する深刻な苦悶と、それに続く宗教的更生を体験したトルストイは、ほとんど十年間芸術創作の筆を絶っていたが、新しい信仰が彼の心中に固定して、内部的平安が保証されるにつれて、再び生来の偉大な芸術的欲望が目覚め、活動を求めはじめた。
かくして現われたのが『イワン・イリッチの死』である。久しいあいだ沈黙を続けた天才の芸術的復活に対する悦びと、作そのものの輝かしい出来栄えに対する讃辞は、当時の文壇社会に一つの大きなセンセーションをひき起こしたほどである。
『イワン・イリッチの死』(一八八四~六)はその標題の示すがごとく、人生永久の問題たる死を主題としたものである。死の問題はトルストイにとっていっさいの根本となるべき重大なものであって、これまで幾度となく多くの作品の中で取扱われて来たが、今度は彼は新しく確立した信仰の立場から見て、その真意義を啓示しようという意気で筆を執ったのである。
しかも、この作品の他と異なるところは、いかなる点から見てもヒロイックな分子のない、きわめて平々凡々たる俗人をとって、一篇の主人公とした事である。「豚に悲劇があり得るだろうか?」とかつてニーチェが皮肉な反問を発した事があるが、トルストイはこの作品によって、立派に肯定的解答を与えたわけである。
しかし、彼が特に平凡な一俗人を主人公に選んだ真意は、こういう芸術的価値転換のためばかりではなかった。つまり、トルストイが発見した宗教的真理は、決して彼自身のごとき少数の選ばれたる人のみの所得ではなく、あらゆる人の到達し得る必然の境地であるという事を、芸術の形をもって証明しようと試みたのにほかならない。
岩波書店、トルストイ、米川正夫訳『イワン・イリッチの死』P103-104
※一部改行しました
この作品は『アンナ・カレーニナ』完成後本格的に始まった、トルストイの宗教的転機の後に書かれた作品です。
上の解説にもありますように、トルストイが芸術作品を書くのはこれが久々のことで、文学界はそれこそ歓喜をもってこの作品を迎えたのでありました。
そしてこの作品ではトルストイにとっての根本問題のひとつ、「死の問題」について語られることになります。
では、この作品のあらすじを見ていきましょう。
イワン・イリイッチという名はロシアではごくありふれたもので、「佐藤健一」といった感じである。かれは高級官僚の次男で、自分も法務官僚、検事、裁判官として勤務し、上流階級に属していた。その一生は「もっとも単純な普通のものであり、そしてもっともおそろしいものだった」。
かれは勉強のよくできる子で、法学部を卒業し、法曹界で多少の浮き沈みはあったものの、まあ相当な出世をし、よいポストを得る。器量よしの良家のお嬢さんと結婚し、一男一女に恵まれて、家庭生活も幸せだった。しかし、新しい任地で、理想的と思えるようなすばらしいマンションに引っ越して、カーテンの取り付け方を職人に見せようとして、脚立にのぼり、足を踏みはずして床に倒れる。イワン・イリイッチはスポーツマンだったので、とくに怪我もせずにすんだが、腎臓などの内臓に影響があったらしく、次第に体調が悪くなり、死の床に伏してしまう。
妻も、娘も、息子も自分の生活に忙しくて、病気のイワン・イリイッチは厄介な重荷にすぎない。かれは幸福に思えた自分の四十五年の生涯が、無意味な幻影にすぎなかったことを思い知る。その悲しいイワン・イリイッチを救ってくれた人間は、夜も寝ずにかれの痛みを和らげるために尽くしてくれた、下男のゲラーシムただ一人だった。
イワン・イリイッチは苦しんだあげく、ついにうめきながら死んでいく。かれが人のためにした唯一のことは、自分が死んで他の者を重荷から解放するという、もっとも消極的な善だった。かれが死んだとき、同僚たちの話題はだれがその後任になるかということで、イワン・イリイッチという人間がいたことは忘れられていた。
第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P452-453
※一部改行しました
この作品は読んでいてとにかく苦しくなる作品です。心理描写の鬼、トルストイによるイワン・イリッチの苦しみの描写は恐るべきものがあります。
そしてトルストイらしい思索の渦。
幸せだと思っていた人生があっという間にがらがらと崩れていく悲惨な現実に「平凡な男」イワン・イリッチは何を思うのか。その葛藤や苦しみをトルストイ流の圧倒的な芸術描写で展開していきます。
そして、訳者の米川正夫氏が巻末の解説で、
軽浮な凡俗生活の醜い本質を剔抉するに用いた鋭い諷刺的手法、主人公が病中に経験した苦悶の真摯な心理的描写、しかも、これらすべてに身近な真実味を与える生き生きしたデテールの点綴、そして最後にトルストイの新しい芸術観がもたらした単純質実な風格―こういういっさいの要素が『イワン・イリッチの死』をして、数多い彼の作品のうちでも特に高い、ユニークな位置を占めさせたのである。
岩波書店、トルストイ、米川正夫訳『イワン・イリッチの死』P104
と、述べているように、この作品はトルストイ文学の中でも特に高い位置を占めていると評価されています。
そして、私はこの作品を読んでいて、「あること」を連想せずにはいられませんでした。
それがチェーホフの存在です。
チェーホフは1860年生まれのロシアの作家です。トルストイからはなんと32歳も年下です。
そんなチェーホフは若い頃トルストイに傾倒していた時期がありました。そのチェーホフが1889年に発表した作品が『退屈な話』という中編小説です。
この作品のタイトルは『退屈な話』ですが、読んでみると退屈どころではありません。とてつもない作品です。
地位や名誉を手に入れた老教授の悲しい老境が淡々と手記の形で綴られていきます。
どんなに光り輝く栄誉や名声、地位があろうと、死を目の前にすればそれらは虚しく散り去る。
今まで自分を支えてきたと思っていたものがすべて意味を失ってしまい、自分が死を待つ丸裸の人間のように思えるようになってくる。
それが自分だけのことならまだいい。しかし問題なのは周りのものすべてが俗悪に見えてくるということ。
愛していたはずの妻や娘ですらそう見えてしまう。かつてはあんなに愛していたはずなのに、今やこんなに惨めな女になってしまった。もはや見る影もない・・・(これは何も見た目の問題ということではありません。あくまで精神的なものです)
というのが大まかな流れなのですが、いかがでしょうか。トルストイの『イワン・イリッチの死』とものすごく似ていますよね。
チェーホフはトルストイと同じ題材でこの作品を書き、自らの思いをこの小説で吐露しました。
そしてこの作品を出版した後、彼は決死の覚悟でシベリアへと旅立ちます。彼自身、自分の人生を問い直すために命を懸けた旅に出たのでした。
この旅に出た後、それまでトルストイに傾倒していたチェーホフが、そこからまた違う道へと歩み出していくことになります。この辺りの事情に関してはここでは長くなってしまうのでお話しできませんが、もし興味のある方は以下の記事を参照していただければと思います。
チェーホフとトルストイを比較するという点でも『イワン・イリッチの死』という作品は非常に興味深いように私には思えました。
文庫本で100ページ少々という、トルストイ作品の中でも手に取りやすい分量となっていますのでぜひぜひおすすめしたい作品です。
以上、「トルストイ『イワン・イリッチの死』あらすじと感想~死とは何か。なぜ私たちは生きるのだろうか。トルストイ渾身の中編小説」でした。
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