森和朗『乗っ取られた箱舟 アララト山をめぐるドラマ』あらすじと感想~ノアの箱舟は『ギルガメッシュ叙事詩』が起源!?アルメニア人虐殺についても学べる1冊
森和朗『乗っ取られた箱舟 アララト山をめぐるドラマ』概要と感想~ノアの箱舟は『ギルガメッシュ叙事詩』から生まれた!?アルメニア人虐殺についても学べる1冊
今回ご紹介するのは2019年に鳥影社より発行された森和朗著『乗っ取られた箱舟 アララト山をめぐるドラマ』です。
早速この本について見ていきましょう。
いま政治の主導権を握っているのはマスメディアであるが、大衆に迎合しようとしてそれが形式的な正義を強調すればするほど、大衆もまた正義の味方になったような気分で、善に陶酔しながら現実を見失って判断を狂わせていく。そうしたことが物神化が繁殖する絶好の土壌になるのである。現在のところ、日本人の混迷は精神の内部にとどまっているが、それが政治や経済や外交にまで波及していったら、その先に待ち構えているのは国家の破局ということになるのではないか。古代からアルメニアの聖なる山であったアララト山。トルコの領土にされてジェノサイドを嘆くこともできない、国家なき民族の悲劇を描く。
Amazon商品紹介ページより
この本は現在トルコ領になっているアルメニア人の聖地アララト山とアルメニアの悲劇について書かれた作品になります。
この目次にありますように第一部ではアララト山とキリスト教、そして第二部ではトルコによるアルメニア人虐殺の歴史について語られます。
アルメニアの歴史と文化について知りたいと思っていた私にとって、このことを一冊で学べる本書は非常にありがたいものがありました。
この記事ではその中でも特に印象に残った「ノアの箱舟と『ギルガメッシュ叙事詩』」についてご紹介したいと思います。
先ほども紹介したアララト山は旧約聖書で「ノアの箱舟」が漂着した場所として知られる聖地中の聖地です。
ですがその「ノアの箱舟」の物語が実は紀元前3000年から2600年頃に繁栄したメソポタミア文明のシュメール神話『ギルガメッシュ叙事詩』から着想を得ていたという驚きの事実がこの本では語られます。ではその箇所を見ていきましょう。少し長くなりますが重要な問題ですのでじっくりと読んでいきます。
ノアの箱舟の大洪水の話は、キリスト教徒以外にもよく知られているが、私たちはそれをただの神話のようなものだと思っているのではないか。
しかし、キリスト教徒、とりわけアメリカ人には、それを歴史的な事実だと受け取っている人が多いようだ。聖書は神から聴いた言葉をそのまま記したものであるから、そこに架空の話が紛れ込んでくるはずがない。いや、ノアの箱舟はまだスケールの小さな方で、無限の宇宙そのものが神の創造によるものだと信じている人が、アメリカ人の半分以上もいるということだ。二〇一五年に世界中から投票を募るコンピューターのサイトが、「世界の創造は神によるものか、それとも、ビッグバンによるものか」というアンケートをしたところ、神による創造を支持する割合が、アメリカ人では突出して高くて、五八パーセントにものぼったという。
このように神が世界を創造したと信じるなら、その神は世界を滅亡させることもできると考えるのは、自然であろう。神が送り込んだ大洪水で人間が絶滅したとしても、ノアとその一族だけは箱舟に逃げ込んで助かったという旧約聖書の記述を、それほど心理的な抵抗感もなく読むことができるだろう。
それでは、聖書のなかでノアの箱舟と大洪水がどのように記されているか、見てみることにしよう。
「創世記」の六章にはこう書かれている。―「主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。主は地の上に人を作ったのを悔やみ、心を痛め、『私が創造した人を地からぬぐい去ろう』と言われた。」
こう決意したものの、神にもいくらか気が咎めたのか、人間のなかでも例外的な善人であるノアだけにはそっと告げ口して、「自分は間もなく人類を滅ぼす大洪水を地球にもたらすが、お前は今すぐ箱舟を作って家族とともに乗り込め」という特別の忠告を与えた。ノアがそれを実行して、人間が滅亡した後も彼とその一族だけは生き残ったという話は、あまりにも有名であるから、くどくど書くまでもない。
ところが、神すらも予測することができなかった、青天の霹靂のようなことが起こった。神が禁じておいた知恵の木の実を人間がたらふく食べたために、知恵がつきすぎてしまって、十九世紀ともなれば、科学なるものが神を置き去りにして、どんどん独り歩きするようになってしまったのだ。
色々な科学が競い合うように発展していったが、そのなかにはのろまの部類に属する考古学も加わっていた。地中深く埋まった遺跡を発掘したり、そこから見つかった粘土板や羊皮紙に書かれた文字を解き明かす技術が、急速に発達していったのだ。
そして、ついに来るべき時が来たのである。
時は一八七二年、ロンドンの大英博物館に勤めていて、粘土板に刻まれた楔形文字がかなり読めるようになったジョージ・スミスは、古代アッシリアの首都ニネヴェの王宮書庫から出上した粘土板文書を調べていて、あっと驚くような発見をした。後になって『ギルガメッシュ叙事詩』と呼ばれるようになったものの一一番目の書版のなかに、聖書のノアの箱舟の記述に細部までよく似たことが書かれていたからである。
スミスが自分の発見を聖書考古学協会で発表すると、当然のごとくセンセーションを呼び起こした。これまで聖書は神の言葉を書きとめたものだ信じ込んでいた、欧米のキリスト教徒たちは、聖書のなかの最も有名な挿話の一つに種本があると指摘されて、開いたロがふさがらなくなっただろう。
鳥影社、森和朗『乗っ取られた箱舟 アララト山をめぐるドラマ』P17-19
「聖書もかつての宗教から様々なモチーフを借用して書かれていた」。これは宗教とはそもそも何なのかを考える上で非常に重要な指摘です。
この本ではここから詳しく聖書と『ギルガメッシュ叙事詩』について見ていくことになります。この記事では紹介できませんがものすごく興味深いことが語られていきます。この本を読んでいて『ギルガメッシュ叙事詩』やシュメール文化についてとても興味が湧いてきました。
この本の後半ではアルメニア虐殺に至るまでの歴史も知れますし、とにかく盛りだくさんの一冊です。わかりやすくてとても読みやすい本ですのでぜひぜひおすすめしたい作品です。
以上、「森和朗『乗っ取られた箱舟 アララト山をめぐるドラマ』ノアの箱舟は『ギルガメッシュ叙事詩』が起源!?アルメニア人虐殺についても学べる1冊」でした。
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