香西秀信『レトリックと詭弁』あらすじと感想~詭弁の仕組みとその対策法とは~優しい人、真面目な人ほど知ってほしい詭弁や圧力から心を守る術
香西秀信『レトリックと詭弁』概要と感想~優しい人、真面目な人ほど知ってほしい詭弁や圧力から心を守る術
今回ご紹介するのは筑摩書房より2010年に発行された香西秀信『レトリックと詭弁』です。
早速この本について見ていきましょう。
「沈黙を強いる問い」「論点のすり替え」「二者択一の力」…議論に仕掛けられた巧妙な罠。
Amazon商品紹介ページより
非がないにも関わらず術中に嵌って沈黙せざるを得なかった経験はないか。
護「心」術としての議論術を身につける!
古今東西の文学作品その他から、面白い議論術や詭弁・強弁を集めて分析。読み物としても楽しめる一冊。
口が強い人に言いくるめられて、辛い思いをした方はきっとたくさんおられるのではないかと思います。
そして悲しいかな、優しい人や真面目な人ほどそうした相手の言葉に反論できず、自分の中にその苦しみを溜め込んでしまう。さらに悪いことには「自分が悪いんだ」と自分を責めてしまう。そうして優しい人や真面目な人がどんどん病んでいってしまう。こうしたことが実際かなり多く起こっているのではないかと思います。
私も口の強い人の言葉にずっと苦しんできました。しかも、それが明らかに私をやり込めようとする思惑から出ているとわかった時もどうすることができず、ただただ自分を責めていました。厄介なことに、そういうことをしてくる人は自分より明らかに立場上強い位置にいることが多いのですよね・・・相手が簡単に反論できない状況を利用してやり込めようとしてくる。ただでさえ口で負けてしまうのにこれではどうしようもありません。
そんな世の中にあって、この本はそれこそそんな苦しみへの処方箋というべき素晴らしい1冊です。
著者はまえがきで次のように述べています。私たちを勇気づけてくれる非常に素晴らしいまえがきです。じっくりと読んでいきましょう。
議論というものを嫌っている人はたくさんいます。何が嫌いなのかといえば、自分が理屈で言い負かされ論破されるのが嫌いなのです。不快なのです。しかし逆に、自分が他人を理屈でやりこめることはじつに気持ちがいい。それは論理的な生き物である人間にとって、最も本質的な喜びを与えてくれます。(中略)
議論に勝つことが、このように人間の本質的な喜びをもたらすのであれば、自分がそうした快を貪るために、むやみやたらに他人に議論を吹きかけてくる嫌な人間が当然います。多分、皆さんの職場にもいることでしょう。こちらが相手に遠慮し、人間関係を友好に保つように苦心し、何とか場を白けさせないように気遣っているのに、無神経に、平気で人の眉間を割るような議論をしてくる。彼らは、それが気持ちがいいからそうするのです。おそらく、本書を手に取っているあなたは、あまり議論が得意ではなく、日頃こうした嫌な人間に言い負かされ、不快を感じ、情けない気持ちでいる人ではないでしょうか。
しかし、人間、我慢するだけが能ではない。口下手なことは何ら男らしいことではありません。現存する最古のレトリック教科書を書いたアリストテレス(前三八四ー三ニニ)はこう言っています。「同じ自分の身を守ることができないというのでも、身体を使ってそれができないのは恥ずべきことであるのに、言論を用いてできないのは恥ずべきでないとしたら、これはおかしなことである。なにしろ、言論を用いることこそ、身体を使用すること以上に人間に特有なことなのだから」
われわれは、言葉によって、自分の精神を、心を護らなくてはなりません。無神経な人間の言葉の暴力に対して、ハリネズミのように武装しましょう。うっかり触ったときには、針で刺す程度の痛みを与え、滅多なことは言わないように思い知らせてやるのです。覚えておいてください。われわれが議論に強くなろうとするのは、人間としての最低限のプライドを保つためです。本書は、そうした「心やさしき」人たちに、言葉で自分の心を守れるだけの議論術を身につけていただくために書かれた本です。
筑摩書房、香西秀信『レトリックと詭弁』P8-9
アリストテレスの言葉は印象的ですよね。
たしかに、人を拳で殴ってしまったらそれはすぐに捕まりますよね。なのに言葉の暴力は放置され、言葉の拳で人を殴り続けている人が平気な顔で世の中を闊歩している。よくよく考えてみればこれはおかしいですよね。しかし言葉の暴力がなかなか取り締まられない以上、自分の身は自分で守らなければなりません。
それは決して恥ずかしいことではありません。人間としての最低限のプライドを保つために議論の技術を知ることは大切なのです。逆に言えば、それを知らなければ相手にいいように丸め込まれ、私たちの人間性を無防備に踏みにじられることになってしまうのです。
この本では議論の場においてひとつひとつの実例を用いて相手の詭弁を見ていきます。そしてその詭弁に対して私たちはどう対抗すればいいのかということを学んでいきます。
目次を見て頂ければわかりますように、有名な文学作品を題材に具体的な詭弁を見ていきます。文学作品を題材にしているというと、「難しいのかな」と不安に思われる方もおられるかもしれませんが全くその心配はありません。作品自体も会話部分を抜き出しているだけですので、場面もとても具体的でわかりやすいです。さらに著者の解説も非常に丁寧でわかりやすいです。難しいどころか面白くてあっという間に読んでしまうと思います。
この本で詭弁とは何かということを知ることによって心が圧倒的に楽になります。「あ、あの時あの人が言ってきたのはこれだったのか、それなら自分は悪くないじゃん。むしろあの人の言ってたことは無茶苦茶だったのだな」とこれまで散々苦しんできたやりとりが嘘のように思えてきます。
そしてこれも大事な点なのですが、この本で学んだことを用いて何もその場でおおっぴらに反論する必要はないということです。立場上、その場で大っぴらに反論することは場の空気もありますし難しいことに変わりはありません。
しかし、「あ、この人今詭弁を使って私をやり込めようとしているな」というのがすぐわかるようになります。そうなればその人の言うことはたいして気にする必要がないということがわかってきます。そしてこの人は「そういう人」なんだなと防御線を張ることができます。これがあれば全くうろたえることもなく堂々としていることができます。いくら言葉で殴り付けられようが、ダメージをかなり軽減することができます。
そうなってくると散々打っても動じないこちらの様子に向こうは逆に驚くことになります。そうすれば自ずと攻撃は止みます。「こいつには効かない」とわからせることが大事なのです。こちらから打ち返さずとも撃退することは可能なのです。
これは私たちの心において大きな自信になります。心の余裕が一気に大きくなります。
これが著者の言う「人間としての最低限のプライド」なのだと思います。「最低限のプライド」のいかに大きなことか。私たちは自分でそれを守ることができるのです。それができたならばやられっぱなしの時と全く違った人生です。これはとてつもなく大きいことですよね。
また、これは一対一の対人関係だけではなく、社会との関わり方にも影響してきます。
前回の記事で紹介したジョージ・オーウェルの『動物農場』はまさにこうした詭弁による社会のディストピア化がテーマの作品でした。
前回の記事でもお話ししましたが、香西秀信著『レトリックと詭弁』はまさにこの『動物農場』を題材に詭弁の手口とそれによって社会がディストピアへと向かっていく過程を解説しています。今回もそれを見ていきましょう。
ジョーンズ氏の所有する荘園農場で、酷使されていた動物たちが、豚のスノーボールとナポレオンの指揮によって反乱を起こし、ジョーンズ氏を追放しました。彼らは荘園農場を動物農場と改め、その七戒を定め、「すべての動物は平等である」というスローガンのもと、自分たちの理想郷を作ろうとしました。
だが、その翌日から、早くも様子がおかしくなりました。雌牛から搾られたばかりの牛乳が、いつの間にかどこかに消えてしまったのです。これは、結局、豚たちがこっそりと自分たちのえさにしていたことがわかったのですが、彼らは牛乳のみならず、風で落ちたリンゴまでも独り占めしようとするに及んで、さすがに他の動物たちの間から不満の声が出始めました。そこでナポレオンは、ロの達者な豚のスクィーラーをスポークスマンとして派遣します。
「同士諸君よ!」と彼は叫んだ。「諸君は、まさか、われわれ豚が、がりがり根性で、特権風を吹かして、ミルクやリンゴをひとり占めにするのだ、などとはお考えにならないだろう?実をいえば、われわれのほとんどが、ミルクもリンゴも大嫌いなのだ。わたしも大嫌いだ。そんな大嫌いなものを、なぜ食べるのか、といえば、その目的はただひとつ、健康を保持するためなのだ。ミルクとリンゴは(同志諸君、科学がちゃんと証明しているのだが)、豚の福祉にぜったい欠くことのできない成分を含んでいるのだ。われわれ豚は、頭脳労働に従事している。この農場の運営と組織は、すべてわれわれの双肩にかかっている。われわれは、日夜、同志諸君の福祉に心をくだいている。したがって、われわれがあのミルクを飲み、あのリンゴを食べるのも、ひとえに同志諸君のためなのだ。もしわれわれ豚が、その義務を果たすことができなくなったとしたら、いったいどういう事態が起こるか、諸君はわかるか?ジョーンズがもどってくるのだ!そうだ、ジョーンズがもどってくるのだぞ!それでいいのか、同志諸君」スクィーラーは、右に左に跳ねまわり、しっぽを忙しくふり立てながら、ほとんど嘆願するような調子で絶叫した。「諸君の中で、ジョーンズに帰ってきてほしいなどと願っているものは、ひとりもいないだろう、ええ?」
この決め台詞は効きました。「動物たちにとって、ぜったいに確信できることがひとつあるとすれば、それはジョーンズに帰ってきてもらいたくない、ということだった。それをこんなふうにいわれてみると、彼らは、もう何もいえなかった」からです。
スクィーラーは、この論法の成功に味をしめました。その後、権力争いでナポレオンが革命の功労者スノーボールを追放し、動物たちが動揺したとき、彼は再度派遣されて同様の論法で恫喝しました。「同士諸君、規律だ、鉄の規律だ!これこそ、今日のわれわれの合言葉だ。もし一歩誤れば、われわれの敵は、たちまちわれわれを襲うだろう。いいか、諸君の中には、ジョーンズに帰ってきてほしいと願うものは、ひとりもいないだろう?どうだ?」―「今度もこの議論には、だれもぐうの音も出なかった」
筑摩書房、香西秀信『レトリックと詭弁』P86-88
『動物農場』の特徴が余すことなく解説された文章です。豚と動物たちの関係は最初から最後までこのようなものです。いかがでしょうか、段々恐ろしさを感じてきませんか?これはフィクションではなく実際にソ連であったことであり、さらに言えば今だって世界中どこにおいてもこれはありうるのです。いや、今私たちを取り巻いている環境もまさしくこれと同じなのかもしれません。
「同士諸君、規律だ、鉄の規律だ!これこそ、今日のわれわれの合言葉だ。もし一歩誤れば、われわれの敵は、たちまちわれわれを襲うだろう。いいか、諸君の中には、ジョーンズに帰ってきてほしいと願うものは、ひとりもいないだろう?どうだ?」
この言葉の中の「ジョーンズ」の箇所にいろんな言葉を当てはめてみて下さい。ぞっとする現実が見えてきませんか?
これはいつ、どこでも起こりうるから怖いのです。
引き続き解説を見ていきましょう。
あるいは、豚たちが七戒の四に違反して、べッドで寝ているのが露見したとき、彼は再びこれを繰り返しました。豚にとって、べッドで寝ることは健康上必要なのだ。われわれがへとへとに疲れてしまって、義務が果たせなくなってもよいとは誰も考えていまい。「諸君の中に、ジョーンズにもどってきてほしいと願っているようなひとは、ぜったいにいるはずはないんだからね?」―こう言われると、動物たちは、また何も言い返せませんでした。
スクィーラーがここで用いた論法のおかしさは明らかでしよう。彼は、「諸君は、ジョーンズに帰ってきてほしいと願っているのか?」と動物たちに問いかけました。無論、彼らの答えは「いいえ」に決まっています。だが、この意思表示が、そのまま、豚がミルクやリンゴを独り占めしたり、戒律に反してべッドで寝たりすることへの、あるいはナポレオンが独裁者になることへの承認となってしまうのです。
それというのも、スクィーラーが、豚がミルクやリンゴを独り占めしたり、べッドで寝たり、ナポレオンが独裁制を敷いたりするのを認めなければ、ジョーンズが再び帰ってくるという因果関係を前提として問いを出したためです。だから、頭の足りない動物たちは、つい煙に巻かれてこの前提を認めてしまったのですが、もし、ジョーンズが帰ってくることは望まないが、かといって豚たちの特権階級的振る舞いも認めない(すなわち、豚たちの一連の特権階級振りとジョーンズが帰ってくることとの因果関係に納得できない)者がいたとすれば、彼は先のスクィーラーの問いに、「はい」とも「いいえ」とも答えようがありません。ジョーンズが帰ってくることは望まないのだから、もちろん「はい」と答えるはずはない。しかし、もし「いいえ」と答えたら、それによって豚たちの行動を承認したことにされてしまうのです。
筑摩書房、香西秀信『レトリックと詭弁』P88-89
香西秀信の『レトリックと詭弁』は、タイトル通り「詭弁」とはいかなるものかを解説した本です。
その詭弁の代表的な例の一つとしてこの『動物農場』が紹介されていたのでした。この本ではこの後も具体例を用いて詭弁の手口とその対処法を学んでいきます。
『レトリックと詭弁』は生きにくいこの世の中において非常に力強い味方になってくれます。
真面目で優しい人ほど辛い目に遭う世の中なんてやはりおかしいと思います。
たしかに、人類の歴史上それは延々と繰り返されてきました。それが現実だと言われたらそれまでです。
ですが、著者が述べるように、私達にもできることはあります。自分たちの心を守るために実践できるものがあるのです。それを知れただけでも大きな力になります。私もこの本には救われました。
この本はぜひおすすめしたい作品です。自分の身を守るだけでなく、社会を守ることにもつながります。
ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「香西秀信『レトリックと詭弁』詭弁の仕組みとその対策法とは~優しい人、真面目な人ほど知ってほしい詭弁や圧力から心を守る術」でした。
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