悪意ある人はなぜ悪口や誹謗中傷を利用するのか~その仕組みと対処法とは

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悪意ある人間はいかにして悪口や誹謗中傷を利用するのか―悪口・誹謗中傷のメカニズム、対処法とは~チェコの天才チャペックによる護心術

前回の記事ではチェコの天才カレル・チャペック(1890-1938)の作品『カレル・チャペックの闘争』を紹介しました。

そしてその中に『ペン試合の十二型または文字による論争の手引き』という章があり、これがものすごく面白いコラムだったのです。

そこでは悪意ある人間がいかにして悪口や誹謗中傷を利用して敵をやっつけようとするのかが語られていました。

彼らの手口が非常にわかりやすく解説されていて、思わず「おぉ~なるほどぉ・・・!」とつぶやいてしまうほどでした。

最近、誹謗中傷の問題がどんどん大きくなってきています。

正当な批判と誹謗中傷との違いを考える上でもこのコラムは非常に重要なものとなっています。悪口や誹謗中傷から自分の身を守るためにもとてもおすすめな内容となっていますので、この記事ではその一部を紹介していきます。

はじめに

あらゆる戦いやスポーツにはルールがあり、そのルールの中で勝敗を決していくことになります。

逆に、そのルールから外れるようなことをしたらその時点で即、負けが決まるわけです。しかもルールを犯すというのは騎士道精神に反する非常に不名誉なこととして受け止められます。周囲からもこの人は卑怯な人だというレッテルが張られることになります。こうして正々堂々としたルール内での戦いの秩序が守られていくわけです。

ですがこれが論争、言葉の戦いになるとそうしたルールが一切ありません。

悪口や罵詈雑言、誹謗中傷、詭弁を駆使し、とにかく相手をやっつける。それぞれの言葉や理論が正しいかなんてのはそっちのけです。

とにかくどんな手を使ってでも相手をうんざりさせ、聴衆や読者を自分の見方につけるために相手をこき下ろす。つまり言った者勝ち状態です。根拠がなくとも、悪意があり口が強い者が勝ってしまうのです。

そういう無法地帯が論争の現場であり、日常だとチャペックは述べます。ジャーナリストとして活躍していたチャペックならではの視点ですよね。

そこで彼は「ならば論争の場にも他の戦いと同じように『型』、つまりルールを作ってしまおう」と述べるわけです。

つまりスポーツなどではこれをやれば即反則負けというのを、論争の場でも作ってしまおうということなのです。

この型を用いた人間はその時点で反則負け。自分の説に根拠がなく、悪意のあることを示す証になります。その型を使うということはすでに議論を放棄していることを暴露してしまうのです。これがわかればそれに対処する時の心構えもできてきます。自分の身を守るためにも非常に役に立つ「型」になります。ではこれから実際にチャペックの言葉を聞いていきましょう。

①「見下し」型または第一の型

「見下し」型または第一の型。論争者は知的にも道徳的にも相手より上位にあるものとして振る舞うべしという点にかかっています。

それとも同じことですが、相手はまともに取り合うにも値しない、愚か者、阿呆、売文家、空論家、ゼロ、空バケツ、エピゴーネン、ペテン師、無学、ボロ布、雑草、欠陥品、その他、あらゆる面で無価値であるということをあからさまにする必要があります。

この先験的前提はやがて論争者に、この「型」には不可欠な、例のとうとうとした、教訓的、自信に満ちた論調を付与することになります。

誰かと論争すること、誰かを裁定すること、誰かに異論を唱えること、そして同時に一定の威厳を保つこと。

社会思想社、カレル・チャペック、田才益夫編訳『カレル・チャペックの闘争』P30

相手をとにかく罵倒し、中傷する。相手を馬鹿にするような名称で呼び、レッテルやイメージを張り付け、自分の優位を示そうとする。こういう場面にお目にかかることは多いですよね。

強い言葉で威嚇しているその裏で、彼はすでに議論することを放棄しているのです。まともな議論をしては勝てないのでこうした言葉で相手をやっつけようとしているだけなのです。つまり、強い言葉を使って自分の弱さを隠しているとも言うことができるでしょう。

②「特殊用語型」または第二の型

第二型または「特殊用語」型。この型は、一定の特殊な論争用語を使用することにもとづいています。

もし、仮にあなたが、X氏がある点で間違っているように思われると書いたとしますと、X氏はあなたに「不当な言いがかりだ」と答えます。もし、あなたが、現今の状況は、残念ながら何かが間違っているという意見であるとしたら、あなたの論敵は、そのことを「嘆いている」とか「悲観している」とか書くでしょう。同様に、抗議すると言う代わりに「不平を述べる」、指摘するの代わりに「中傷する」、批判するの代わりに「悪し様に言う」等々です。

たとえあなたが、たまたま、ラマ(アンデス産の動物)のようにもの静かなおとなしい人物だったとしても、これらの用語によって、あなたは怒りっぽい、常軌を逸した、無責任な、何となくピント外れな人物として生き生きと描き出されます。これによって、同時に、あなたの高潔な論敵がどうしてこれほどまでの言葉の暴力をもってあなたを攻撃しなければならないかが説明できます。

なぜなら、単純に、彼はあなたの不当な言いがかりや中傷、悪し様な発言に対して防戦しなければならないからです。


社会思想社、カレル・チャペック、田才益夫編訳『カレル・チャペックの闘争』P 31

この型は「カウンター(迎撃)型」とも言えるかもしれませんね。これも案外よく目にします。こちらは正当な根拠を持って理性的に批判、あるいは議論しようとしているにもかかわらず向こうは「不当な言いがかりだ」「こうした低レベルな中傷をする人間達と同じ土俵に立つつもりなどない」などと言い返してくるパターンですね。

これは外部の人には一見わかりにくい構図です。こうした返しをしてくる人間が権威を持っている場合は特にそうですね。不正があったり、理論の明らかな間違いがあった時などに、こうして追求を逃れようとすることが起こりうると思われます。これは外部の人には事情がわかりにくい非常に厄介な手口になります。要注意です。

③「犬の頭(こきおろし)型」または第三の型

第三の型は「犬の頭(こきおろし)型と言われます。これは言い争いの相手について悪い印象を呼びおこすような言葉のみを用いる一定の能力によっています。

もし論争相手が思慮深い人なら「慎重居士」と言えるでしょうし、もし才気煥発なら「小賢しい」と言うことができます。もし、その相手に簡明かつ具体的な論証を好む傾向があるとしたら、「平俗な瑣末主義者」と称することができます。もし抽象論への傾向があるなら、「青白きインテリ」だと優越感をもって呼ぶことができる、等々。

早い話が、手練の論争家にとっては、論敵がいかに秀でた個性、確固たる信念、高邁なる精神の持ち主であったとしても、たちどころに、「無知蒙昧」「狭量偏見」「矮小愚劣」な人物に変貌せしめうるような、そんな悪口雑言には事欠かないものです。


社会思想社、カレル・チャペック、田才益夫編訳『カレル・チャペックの闘争』P 31-32

この箇所は非常に重要です。手練れの詭弁家、論争者になれば相手を貶める悪口には事欠かないということ、どんな人間であろうと相手を中傷する悪口は無限に湧いて出てくるということです。こういう相手とまともにやり合っても勝ち目はありません。相手はそういう人間なのだと、相手にしないことです。相手の悪意を指摘し、さっさと土俵から下りるしかありません。

④「欠如」型または第四の型

「欠如」型または第四型。もし仮に、あなたが学識豊かな思想家であるとしたら、第三型によって、「思索家」「教訓的空論家」「単なる理論家」またはそのほか、似たような言葉で、あなたを決めつけてやることもできますが、「欠如」型を用いて、つまり、惜しむらくは、あなたには「軽妙な機知」「直接、訴える感性」「直感的想像カ」が欠けていると言ってぎゃふんと言わせることもできます。

でも、たまたまあなたが直接的で、直感的であったとしたら、あなたには確固たる「原理」「深い信念」「倫理的責任感」さえもが不十分であることを暴露され、決めつけられることになるでしょう。あなたが、もし理知的な人であるとしたら、あなたは「役立たず」です。なぜなら「深い感情に欠けている」からです。あなたが感情的なら、ただの「ボロ布」です。なぜならあなたにはより高度な「理性的規範」に欠けているからです。

あなたが何であるか、また、何が備わっているかはどうでもいいのです。あなたが天から授かっていないものを捜すことが肝要であり、その授かっていないものの名においてあなたを「無知蒙昧」「役立たず」のカテゴリーに放り込めばいいのです。


社会思想社、カレル・チャペック、田才益夫編訳『カレル・チャペックの闘争』P 32-33

いかがでしょうか。第三、第四の型の恐ろしさを感じて頂けたでしょうか。悪口・誹謗中傷のプロにかかったらこんなことはお手の物なのです。こうやって相手を打ち負かし、周囲の人たち、あるいはもっと大きな世論を味方につけていくのです。しかもそれは野放しにされ無法地帯のまま。まじめで優しい人に勝ち目などあるはずもありません。だからこそ彼らの手法を知り、それを使った時点でこの人は悪意を持った反則者だということに気づく必要があるのです。

⑤「否定」型あるいは第五の型

第五型は「否定」型と言います。その要点は、あなたがそうであるもの、またはあなたに備わっているものを端的に否定することにあります。

たとえば、あなたが学識ある思想家であるなら、その事実から目をそむけて、「皮相な冗舌家」「空論家」「ディレッタント」ということができます。

あなたがこの十年間(仮に)悪魔のお婆さんかトーマス・アルヴァ・エディゾンを信じると頑として主張していたとしても、十一年目に悪魔のお婆さんの存在もエディソンも積極的に信じるにいたったことは一度もないと論争の場で宣言することもできます。

それというのも、学識のない読者はもともとあなたのことなど知りはしないし、学識ある読者はあなたに一杯くわされたことに意地悪な喜びを感じるでしょうからね。


社会思想社、カレル・チャペック、田才益夫編訳『カレル・チャペックの闘争』P 33

ここはちょっとややこしいですが最後の「それというのも、学識のない読者はもともとあなたのことなど知りはしないし、学識ある読者はあなたに一杯くわされたことに意地悪な喜びを感じるでしょうからね。」という箇所は非常に重要です。

外部の人からしたらやり玉に挙げられている人のことなどほとんど知りません。声高に誹謗中傷する人の声しか聞こえて来なければ、それにまんまと騙されてしまうのです。これも現実世界でよくある話ですよね。心が痛みます。

おわりに

ここまでチャペックの語る5つの型を紹介してきました。『ペン試合の十二型または文字による論争の手引き』では他にも7つの型が紹介されていますので、興味のある方はぜひそちらもご覧ください。

今回ご紹介した5つの型は非常に重要な意味を持っています。

これらのやり方で議論をしようとしている人間がいれば、直ちに警戒した方がよいです。その言葉の裏にどんな意図があるのかを見極めなければなりません。

そして一番大事なことは自分の身と心を守ることです。

まじめで優しい人であればあるほど、こうした攻撃的な言葉を受けると委縮し、自分を責めてしまう傾向があります。

ですがそんなことはする必要がないのです。なぜなら、彼らはそもそもルール違反で、卑怯なことを行っているからです

彼らは正々堂々とした議論では勝てないからこそそうした手法を使うのです。

自分の論に正当な根拠がないからこそ、まともに冷静にやりとりすれば自分の弱点や誤りが露呈されてしまうからこそ、彼らはそうした手法を使うのです。

つまり、これらの型を使った時点で、彼らは実は負けているも同然なのです

しかしチャペックが言うように、弁論においてはルールもなしの無法地帯と化している現状、それを取り締まることはなかなか難しい。

ボクシングの試合でいきなり武器を使って殴り掛かったら即反則負けです。あるいはサッカーの試合で相手に殴る蹴るの暴行を加えたら非難轟轟ですよね。

ですが言葉の戦いにはそれがない。

だからこそ私たちはルールを作ろうではないかとチャペックは言ってくれたわけです。

私たちはそのおかげで「相手の手法」や「意図」を知ることができました。

相手のやり口を指摘し、それとは全く取り合わない。こうすることで無益な戦いから身を引くことができます。

・・・ですがそれもなかなか難しい。

自分一人がそれに気づいても、周りの大多数がそれに気付いてくれなければ敵の思うつぼのままです。ここがもどかしいです。やはり、こうした状況を脱するには私達ひとりひとりが学び、これらの詭弁に惑わされないようになるしかないのかもしれません。そうした意味でもチャペックのようにわかりやすく「型」として紹介してくれるというのは非常に重要なことなのではないのかと思います。

ちなみにですがこうした悪口、誹謗中傷、詭弁の最強の使い手は誰だったかというと、1917年のロシア革命の立役者レーニンです。

彼は相手をやっつけるための弁論術では右に出る者はいないほどの使い手でした。

ソ連ではこの後もこうした弁論術の強者が権力を掌握していくという流れになっていきます。スターリンもその流れから生まれています。こうした弁論が幅をきかすような場所では一体どんなことが起こっていくのでしょうか。それは歴史が証明していますよね。当ブログではそのことについてもお話ししてきました。

私達もそうならないように、自分たちで自分たちの身を守っていかなければなりません。そのために様々なことを知り、学んでいくのです。悪意ある相手にやられっぱなしで終わるのは正当なことではありません。もちろん、暴力でやり返せというのではありません。知性で以て戦うのです。「私達はその手では簡単にやられる気はありませんよ」と毅然とした態度で臨まなければなりません。それならば私達にもできます。

悪意ある誹謗中傷が幅をきかすような世の中を変えるにはひとりひとりの知性が必要です。何も特別な知識とか高度な専門知識は必要ありません。必要なのはちょっとした知識と、勇気です。

こうした「型」を知り、それに毅然と立ち向かう勇気。「あなたの言っていることはおかしい。悪意がある。これは議論になっていない。あなたは負けているも同然だ」と気付けるか、それが重要です。

批判と誹謗中傷・詭弁は違います。

論拠に基づいた正当な批判なら大いに議論すべきです。議論そのものはとても大切です。異なった見解があるからこそ最終的によいものが出来上がったり、解決策、妥協点が見えてきます。

ですが悪意ある誹謗中傷、詭弁はそもそも議論を壊すものです。それに対してはその「型」を見破り、明確にNOを突き付ける。それだけで私達の身と心はそれまでとは比べ物にならないほど守られることになります。

チャペックの『ペン試合の十二型または文字による論争の手引き』はそうしたことを考えさせられる素晴らしいコラムでした。ぜひ皆さんもこのコラムが掲載されている『カレル・チャペックの闘争』という本を手に取って頂けたらなと思います。

また、チャペックの作品たちも非常に面白いのでぜひぜひおすすめです。あのカフカと並ぶチェコの天才として知られたのがチャペックです。そのすごさをぜひ味わって頂けたらなと思います。

以上、「悪意ある人はなぜ悪口や誹謗中傷を利用するのか~その仕組みと対処法とは」でした。

※2021年11月20日追記

この記事ではチャペックの言葉から誹謗中傷の手口について見ていきました。

そしてこの問題のまさしく実例とも言える出来事がチェコの音楽界でも起こっていました。

それが『モルダウ』で有名なスメタナだったのです。

スメタナは苦労人で、とても真面目な作曲家でした。長い苦労の末、彼はやっとのことでプラハの劇場主席指揮者の地位に立ちます。そしてすぐに大きな実績を上げ、楽団員からの信頼も勝ち得ました。

しかし、そんな幸せも長くは続きませんでした。それが以下の記事で語られる物語です。少し長くなりますが、悪意ある誹謗中傷によって偉大な才能を持つひとりの人間が壊されていく過程をじっくりと見ていきたいと思います。実例を見るとその手口の恐ろしさ、そして被害者の苦しみをより具体的にイメージすることができます。

ぜひ引き続きこちらの記事もご覧ください。

前の記事はこちら
『カレル・チャペックの闘争』ジャーナリスト・チャペックのファシズム・共産主義批判

ソ連、レーニン、スターリンについての記事はこちら
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