目次
トビー・グリーン『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読む⑶
今回も引き続き、中央公論新社より2010年に出版されたトビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読んでいきます。
私がこの本を読もうと思ったのはソ連、特にスターリンの粛清の歴史を学んだのがきっかけでした。
スターリン時代はちょっとでもスターリン体制から逸脱したり、その疑いありとされただけで問答無用で逮捕され、拷問の末自白を強要されます。実際に有罪か無罪かは関係ありません。
こうしたソ連の歴史を読んでいると、私は思わずかつての中世異端審問を連想してしまいました。
異端審問も拷問の末自白を強要され、何の罪もない人が大量に殺害、追放された歴史があります。
そしてこの異端審問というものはドストエフスキーにもつながってきます。
ドストエフスキーと異端審問といえば、まさしく『カラマーゾフの兄弟』の最大の見どころ「大審問官の章」の重大な舞台設定です。
この本はとても興味深く、勉強になる一冊ですのでじっくりと読んでいきたいと思います
では早速始めていきましょう。
プラド美術館所蔵、ベルゲーテ「異端審問」ー異端審問官の無関心さ。犠牲者を人とすら見なさない心理
マドリードの観光名所プラド美術館には、さまざまな絵画が収蔵されている。一階にはヒエロニムス・ボスとピーテル・ブリューゲル(父)の部屋があり、二人の不気味な作品群が、人間に潜む暗黒面の一端を比喩的に描いている。
この部屋の近くに、ぺドロ・デ・べルゲーテの作品のみを展示したギャラリーがある。べルゲーテは、カトリック両王時代のスぺインで最も重用された画家だろう。このギャラリーに、一四九五年頃に完成した絵画「異端審問」がある(口絵三ぺージ参照)。
べルゲーテの「異端審問」では、一三世紀に聖ドミニクスが異端であるアルビ派を罰するためアウトダフェ(※異端判決宣告式 ブログ筆者注)を取り仕切っている様子が描かれている。アルビ派は、フランス南部で中世異端審問に狙われた最初の犠牲者だ。
この絵で聖ドミニクスは慈悲深く描かれているが、それよりも目を引くのは、周りにいる高位高官たちが平穏と正義の雰囲気に包まれていることだ。司教も貴族も修道士も、ひな壇の下に小さく描かれた人々が火刑へ向かう様子を、ほとんど見ていない。修道土の一人は何と眠っていて、食事で一杯やりすぎたのか、顔が赤くなっている。その一方で、二人のアルビ派がすでに炎に舐められており、次に火刑になる者が続々と連行されてきている。
私は、異端審問の古文書を調べていた頃、気分転換に何度かプラド美術館を訪れたが、そのたびに、この絵画の前に足を運んだ。処刑囚の運命に対する高位高官の冷静さ、否、無関心さは、実に衝撃的だ。
いけにえに選ばれた集団は、必ず社会から人間と見なされなくなる。たとえて言えば、アブラハムが独り子イサクの命を神に捧げようとしたとき、代わりに神から与えられた雄羊のような存在となるのだ。いけにえが受ける苦痛は、考えに入れなくてよいとされる。べルゲーテが見事に描き出しているのは、当時の人々の多くがコンべルソの末路に対して抱いた気持ちなのではないだろうか。(中略)
この作品は今も私たちに、迫害の本質と、その迫害を引き起こす力について訴えかけている。しかも、そうした力は、どれほど経済的に豊かで秩序が安定していようとも、今も社会の底流に脈々と流れ続けているのである。
※一部改行しました
中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P74-76
ぜひ上の絵をじっくりと見て頂きたいと思います。引用でも解説されているように、下部の犠牲者たちの姿と上部の聖職者の差が特に印象的です。
また、犠牲者たちを人間と見なさないというのも私たちは聞き覚えがありますよね。
独ソ戦においてなぜ信じられないほどの犠牲者が出たのかというのは、敵は絶滅されるべき存在だという思想からでした。彼らも互いに敵を同じ人間だとは見なしていなかったのです。
引用の最後で「この作品は今も私たちに、迫害の本質と、その迫害を引き起こす力について訴えかけている。しかも、そうした力は、どれほど経済的に豊かで秩序が安定していようとも、今も社会の底流に脈々と流れ続けているのである。」と述べられているのが非常に印象的でした。まさにその通りであることを独ソ戦は証明しています。また、こうしたことは現代を生きる私たちの中にも巣食っている問題であることを忘れてはなりません。
ちなみにこの箇所で語られたベルゲーテの「異端審問」があるプラド美術館に私も2019年に足を運びました。
そこでヒエロニムス・ボスの『快楽の園』やベラスケスの傑作『ラス・メニーナス』などの名画を堪能しました。1日中いてもすべてを観ることができないくらい巨大な美術館でそのスケールに圧倒されたのを覚えています。
異端審問官と執行人の良心の曇りを払ってから行われる拷問
マドリードでスプレーマの秘書官を務めていたパブロ・ガルシアは、一五九一年、異端審問官が拷問を行なう際の手順について詳しい指示書を書いている。それによると、囚人にはまず警告を与え、「お前には真実をすべて話していない疑いがあるので、清廉潔白な学識ある方々に本件の証拠を見せたところ、拷問にかけるべきだとの忠告を受けた」と告げなくてはならない。拷問によって自白が得られると考えられていたのである。
さらにガルシアの指示によると、拷問を始める前に異端審問官は次の祈禱文を唱えなくてはならなかった。
キリストの御名においてお祈りします。
本件の証拠と理非曲直を考慮した結果、私たちは囚人を疑うに足る根拠を見つけ、ゆえに拷問による尋問に付すとの宣告を出すべきとの判断に達しました。この尋問で私たちは囚人に、私たちが適切と思う時間を費やして、告発されている事柄について真実を述べるよう命じます。さらに加えて私たちは、もし囚人が拷問中に死んだり、重傷を負ったり、大量に出血したり、あるいは手足を切断したりすることになったとしても、それは彼らが真実を告げるのを拒んだためなのだから、その過失と責任は囚人にあって私たちにはないことを宣言します。
こうして良心の曇りを払ってから、異端審問官は囚人を拷問室に連れていくよう命じる。拷問室で囚人に責め道具を使うのは拷問官で、身元を隠すため目だけが開いたマスクをかぶっている。照明は通常ランタンのみで、異端審問官たちは椅子に座って尋問に備える。ここで再び囚人に真実を告白するよう迫り、たとえ拷問に移るのが通常「必要」だとしても、自分たちもこのような責め苦は見たくないのだと告げなくてはならないと、ガルシアは記している。
中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P111-112
「私は不本意だがこれからお前を拷問にかける。お前が悪いことをしたから悪いのだぞ?神はそれを知っておられる。神は絶対に正しい。その神より委託を受けている私たちも正しい。お前は拷問によって苦しむかもしれんがそれは自業自得だ。だがそれによりお前は罪を償うことができるのだ。むしろ我々に感謝してもらいたい。」
異端審問官であれどさすがに自分の手を汚すのは精神的にダメージがあります。そこで自分たちの心が痛まないようにこうして神という絶対的な権威を利用していたのでした。これはスターリンやヒトラーによる虐殺の時にも見られたものです。絶対的な権威による免罪があるからこそ、淡々と暴力を振るうことができたのでした。
ソ連もそうでしたが、ナチスもわざわざ知識人部隊を動員してナチスのイデオロギーを築き上げていきました。絶対の権威があればそれを根拠に何をしても許される。ひとりひとりの血まみれの手の責任を権威が肩代わりしてくれる。そうして兵士の精神的負担を取り除こうとしたのでした。
敵を打ち負かし、理想の実現を図るため拷問は行われる
実際、異端審問での拷問は、メキシコでは以前から日常茶飯事になっていた。モガドウロ出身のアルヴァロ・デ・レアン(前章で取り上げたポルトガルのコンべルソ)の姪フランシスカ・デ・カルバハルは、一五八九年に拷問室へ行くよう命じられると、こう叫んだ。
「命なんていらない!すぐに絞首刑にして。でも、服を剥ぎ取って裸にするのはやめて。そんな辱めはイヤ」。そう口走るほど恐怖にうろたえていたが、すぐに正気を取り戻し、こう付け加えた。
「私は貞淑な女で未亡人です。この世で、しかも、これほど神聖さに満ちあふれた場所で、こんな仕打ちを受けるのには耐えられません!」。異端審問官たちは、当然ながらその言い分を無視して服を剥ぎ取ったので、フランシスカは両手で胸を隠そうとした。
「何一つまともじゃない!何もかもが邪悪だわ!」と泣き叫び、「この恐怖のおかげで、私の罪はきっと軽くなる」と言った。
異端審問官たちは、こうした懇願に心を動かされないよう訓練を受けており、とうてい、ボカネグラの言うような平和を愛する人物などではなかった。彼らは、敵と見なす者を打ち負かして自分たちの理想実現を図るために囚人を拷問したのであり、そこに人間らしさは一かけらもない。拷問を実施したのは幻想にすぎない「望みどおりの結果」を手に入れるためであり、これが社会を映す鏡となって、社会を蝕む病がどれほど進行しているかを明らかにしていた。
中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P113-114
この引用の最後の部分はなかなかに衝撃的ですよね。
なぜ彼らは拷問をするのか。
それは理想の実現のためだったのです。
人間は理想のためなら何だってやってしまう存在なのだということがここで述べられています。
これはここまでソ連史を学んできた中で何度も出てきた概念でした。
レーニンもスターリンも「偉大なる目的のためにはあらゆる手段は正当化される」と喧伝し、人々はそれを信じ、実行していました。
時代や地域を問わず、人間にはこうした闇があることを感じさせられました。
続く
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