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トビー・グリーン『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』概要と感想~全体主義の萌芽?なぜ人間は残酷な粛清ができるのか。
今回ご紹介するのは2010年に中央公論新社より出版されたトビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』です。
私がこの本を読もうと思ったのはソ連、特にスターリンの粛清の歴史を学んだのがきっかけでした。
これらの記事の中でもお話したのですが、スターリン時代は少しでもスターリン体制から逸脱したり、その疑いありとされただけで問答無用で逮捕され、拷問の末自白を強要されます。実際に有罪か無罪かは関係ありません。
こういったソ連の歴史を読んでいると、私は思わずかつての中世異端審問を連想してしまいました。
異端審問も拷問の末自白を強要され、何の罪もない人が大量に殺害、追放された歴史があります。
そしてこの異端審問というものはドストエフスキーにもつながってきます。
ドストエフスキーと異端審問といえば、まさしく『カラマーゾフの兄弟』の最大の見どころ「大審問官の章」の重大な舞台設定です。異端審問と大審問官についてはこの記事でお話ししていますのでぜひ見て頂きたいです。
というわけで、ソ連、異端審問、ドストエフスキーの3つが一本の線でつながりました。こうなると私はもっともっと異端審問について知りたいと思うようになりました。
そこで手に取ったのがこのトビー・グリーン著『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』という本だったのです。
では、この本について見ていきましょう。訳者あとがきにこの本についてとてもわかりやすい解説がありましたのでそちらを引用していきます。
「異端審問」。この言葉を聞いて、どんなことを連想するだろうか。
身の毛もよだつ恐ろしい拷問(拷問を描いた図は、虚実取り混ぜて、とにかく多い)。
ウンべルト・エーコの小説を原作にした映画『薔薇の名前』に登場する異端審問官べルナール・ギー(ちなみにギーは、一四世紀に異端審問の手続きを標準化した実在の人物だ)。
地動説をめぐるガリレオ・ガリレイ裁判(結審は一六三三)。
一五世紀に異端として火刑に処されたボヘミアの聖職者ヤン・フス(その火刑図は、世界史の教科書でよく見かける)。
一三世紀のフランス南部で異端のカタリ派を標的としたアルビジョワ十字軍。
ほかにも、小説や映画などフイクションで描かれた姿を通して異端審問を知ったという方も多いだろう。
※一部改行しました
中央公論新社、トビー・グリーン、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』P501
くしくも、この中で述べられているボヘミアの聖職者ヤン・フスの火刑は2019年に私がチェコを訪れた大きな理由の一つです。ヤン・フスは異端審問の犠牲者として非常に有名な存在です。
ヤン・フス(1369頃-1415)Wikipediaより
では、そもそも異端審問とは何なのでしょうか。訳者は次のように述べます。
そもそも異端審問とは、キリスト教のカトリック教会において、正統な教義から外れた異端を裁く制度である。ただし、一口に異端審問と言っても、その実態によって大きく三つに分けることができる。
一つ目は、一二世紀末に始まり、一二三〇年代に制度が整えられた中世の異端審問で、これは教皇庁の任命した異端審問官が審問を行なう(べルナール・ギーや、カタリ派弾圧などが、ここに入る)。
二つ目はローマの異端審問で、これは異端者ではなく異端思想の取締りを目的として一五四二年に設けられた(この代表がガリレイ裁判だ)。
そして三つ目が、スぺインおよびポルトガルの異端審問である。
スぺインおよびポルトガルの異端審問は、ほかの二つと明らかに異なる特徴がある。詳しくは本文に譲るが、イベリア両国では、異端審問は教権ではなく王権に属し、国家統一と王権強化という政治的意図が背景にあり、そして何より、近代的な迫害・差別制度の先駆け的な存在だった。その点に注目して、スぺインとポルトガルの異端審問とは何だったのかを、膨大な資料に基づいて考察したのが本書である。
※一部改行しました
中央公論新社、トビー・グリーン、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』P501-502
この本で見ていくのはまさしくスペイン・ポルトガルで行われた異端審問です。解説にもありますように、この異端審問で特徴的なのは、宗教的なものが背景というより、政治的なものの影響が極めて強く出ているという点です。
この点こそ後のスターリンの大粛清とつながる決定的に重要なポイントです。
そして訳者は次のように続けます。ここは非常に重要な問題提起です。
歴史学者として著者が本書で問うているのは、「イベリア両国の異端審問とは何か?」ということだ。つまり、スぺインおよびポルトガルの異端審問は「どのような人間心理に基づいて行なわれたのか?」「両国の近現代史でどのように位置づけられ、どのような影響を与えたのか?」そして「全体主義の萌芽として、現代社会を含む人類の歴史全体の中でどのように位置づけられるのか?」が、本書を貫く三つの大きな問いである。そして、この三つの問いの奥にある「人間とは何か?」という根源的な問題意識である。
異端審問に、拷問や火刑といった猟奇的な側面があることは確かだし、スぺインとポルトガルの異端審問が両国特有の制度だったことも否定しない。しかし同時に、異端審問は、ある政治的目的を達成するため、「異なる者」を社会への脅威と見なして排除する制度的暴力であった。
そうした視点に立つとき、この制度は宗教という枠組みに限定されるものでもなければ、スぺインとポルトガルという特定の国に限定される現象でも、現代とは無縁の時代錯誤的な現象でもないことが明らかとなる。
異端審問と本質的に同様の事例は、姿かたちこそ違え、他国の近現代史にも見られる。また異端審問を支えたメンタリティーは、もしかすると現代に生きる私たちの心の奥底にも、しかと存在しているのかもしれない。イべリア両国の異端審問は、決して遠い昔に起きた遠い国の出来事ではないのだ。
「歴史は現在と未来を映す鏡」とは、よく言われることだ。著者も「プロローグ」の最後で、異端審問史研究の権威へンリー・チャールズ・リーの言葉を引いて、「過去を探る研究が『それによって私たちが現在への危機意識を深め、未来への期待を大きくするものとなる』こと」を望むと記している。
もちろん、過去の歴史を安易に現代と比較するのは慎むべきではあるが、本書が読者の皆様にとって、イべリア両国の異端審問の歴史を知るのみならず、「人間とは何か」「現代とは何か」という問題を考える一助となることを願う。
※一部改行しました
中央公論新社、トビー・グリーン、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』P502-503
異端審問の歴史を学ぶことは「人間とは何か」「現代とは何か」という問題を考えることになる。
これは非常に重要な視点だと思います。
この本はとても興味深く、勉強になる一冊です。この記事だけで終わらせてしまうのは実にもったいない!
と、いうわけで次の記事よりこれまでやってきたレーニンやスターリン、ホロコーストなどと同様、この本をじっくりブログで紹介していきたいなと思います。
ここで皆さんにご注意願いたいのは、私はキリスト教の悪い点を殊更に強調するためにこの本を紹介するわけではないということです。あくまで「人間の歴史」として、「人間とは何か」という問いを考えるためにこの本をじっくりと読んでいきたいと思っています。
では、次の記事より、この本を読んでいきます。
以上、「トビー・グリーン『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』ソ連や全体主義との恐るべき共通点」でした。
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