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(2)ナチスとソ連、隠蔽された犯行現場~歴史は様々な視点から見なければ把握できない

目次

ナチスとソ連、隠蔽された犯行現場~歴史は様々な視点から見なければ把握できない『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』を読む⑵

今回も引き続きティモシー・スナイダー著『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』を読んでいきます。

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この本を読めばスターリンとナチスの大量殺害がどのような世界情勢の中で行われたのかが明らかになります。

では早速始めていきましょう。

ナチスとソ連、隠蔽された犯行現場

流血地帯(ブラッドランド)

流血地帯は、ヨーロッパ・ユダヤ人の大半が暮らしていた土地であり、ヒトラーとスターリンの覇権主義政策が重複した領域であり、ドイツ国防軍と赤軍が戦った戦場であり、ソ連の秘密警察、NKVD〔内務人民委員部〕とナチス親衛隊が集中的に活動した地域でもあった。ほとんどの殺戮場がこの流血地帯に位置していた。

一九三〇年代から四〇年代初頭にかけての政治地理学でいえば、ポーランド、バルト三国、ソヴィエト・べラルーシ、ソヴィエト・ウクライナ、ソヴィエト・ロシアの西部国境地帯がここに入る。

スターリンの罪はしばしばロシアと結びつけられ、ヒトラーの罪はドイツと関連づけられるが、もっとも凄惨な殺戮が繰り広げられたのは、ソ連の場合は非ロシア民族の住む周縁部であり、ナチスの場合はほとんどが国外だった。

二十世紀最大の恐怖は、収容所にあったと考えられている。しかし国民社会主義とスターリニズムの犠牲となった人々の大半は、強制収容所では死亡していない。大量殺人がおこなわれた場所と方法について、こうした誤解があることは、この二十世紀最大の恐怖を正しく理解する妨げとなっている。
※一部改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』上巻P16

最も多くの犠牲者が出た流血地帯は上の地図を見てわかりますようにロシアとドイツの中間地帯になります。

そしてこの箇所の最後の部分が衝撃的ですよね。

「二十世紀最大の恐怖は、収容所にあったと考えられている。しかし国民社会主義とスターリニズムの犠牲となった人々の大半は、強制収容所では死亡していない。大量殺人がおこなわれた場所と方法について、こうした誤解があることは、この二十世紀最大の恐怖を正しく理解する妨げとなっている。」

この部分が本書を貫く最大の問題提起となっています。ホロコーストとは何だったのか、スターリンの粛清とは何だったのかということをこの本で見ていくことになります。

強制収容所=大量殺人ではない

ドイツには、一九四五年にアメリカ、イギリスが解放した強制収容所があった。ロシアのシべリアはもちろん、アレクサンドル・ソルジェニーツィンが西側に知らしめたグラーグと呼ばれる強制収容所が数多く存在した。

写真や記録が伝えるこれらの収容所のイメージは、ドイツやソ連の暴力の歴史をなんとなくうかがわせるだけにとどまっている。

ドイツの強制収容所では、およそ一〇〇万人が強制労働のために亡くなったが、ドイツのガス室や殺戮場や餓死発生区域では、一〇〇〇万人が命を落としたのである。

ソ連のグラーグでは一九三三年から四五年にかけて一〇〇万人以上が過労や病気のために寿命を縮められたが、これに対し、ソ連の殺戮場や餓死発生区域では、約六〇〇万人が死亡しており、しかもそのうち四〇〇万人が流血地帯で命を落としている。

グラーグに入った者の九割は生きてそこを出ていくことができた。ドイツの強制収容所に入れられた者も(ガス室や「死の穴」や戦争捕虜収容所へ送られた者とちがって)生還した。強制収容所に送り込まれた人々は、もちろん苛酷きわまる運命に見舞われたが、ガスや銃や餓死によって命を絶たれた数百万人の末路とは、明らかにちがっていたのだ。

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』上巻P17-18

私たちはナチスの強制収容所というと無意識にアウシュヴィッツのガス室を思い浮かべてしまいますが、厳密には強制収容所と絶滅施設や虐殺場は異なるのです。

また、この引用に出てきたソルジェニーツィンの著作『イワン・デニーソヴィチの一日』は当ブログでも以前紹介しましたのでこちらもご参照ください。

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アウシュヴィッツの二つの姿―強制収容所と殺害施設としてのアウシュヴィッツ

強制収容所と殺戮場とを完璧に区別することはむずかしい。どんな収容所でも、処刑があり、餓死があったからだ。けれども、収容所行きという判決と死刑判決、労働とガス殺、奴隷労働と銃殺とのあいだには、はっきりした相違がある。(中略)

アウシュヴィッツは、強制労働収容所であると同時に、殺害施設でもあった。

捕らえられて働かされた非ユダヤ人や、労働力として選ばれたユダヤ人と、ガス室行きと決められたユダヤ人の運命は、大きく異なっていた。つまり、アウシュヴィッツにはふたつの歴史があったのだ。そのふたつは相互に関連してはいたが、明らかに異なっていた。

強制労働収容所としてのアウシュヴィッツは、どちらかと言えば、ドイツの(あるいはソ連の)集中収容政策に耐えた多数の人々の経験を象徴する。

それに対し、殺害施設としてのアウシュヴィッツは、故意に命を絶たれた人々の運命の象徴である。アウシュヴィッツにやってきたユダヤ人のほとんどは、到着後すぐにガス室に送り込まれた。

彼らは強制収容所で時間を過ごしたことさえなかったのだ。流血地帯で殺された一四〇〇万人はほぼ全員がそうだった。
※一部改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』上巻P18
ビルケナウ収容所跡 Wikipediaより

ホロコーストというと強制収容所とガス室が一つのものとして想起されがちですが、強制労働をさせるための施設と直ちに殺害することを目的とした施設では本来まったく異なる意味があるのです。

アウシュヴィッツではそれらが同じ地域にあったためわかりにくくなってしまいますが、この区別は本書を読んでいく中で重要な区別となります。

流血地帯の殺害施設はソ連によって隠蔽されていた

ドイツとソ連の強制収容所は、東と西から流血地帯をはさみ、その灰色の色味で黒を薄めている。第二次世界大戦の終わりごろ、アメリカ軍とイギリス軍の部隊がドイツのベルゲン=ベルゼンやダッハウなどにあった強制収容所を解放したが、主要な殺害施設はどれひとつとして西側の連合国には解放されていない。ドイツがおもに殺害政策を実行した地域は、戦後ソ連に占領されてしまったからだ。

アウシュヴィッツ、トレブリンカ、ソビブル、ベウジェツ、へウムノ、マイダネクの収容所を解放したのは赤軍だった。アメリカ軍もイギリス軍も、流血地帯に到達しなかったので主要な殺戮場を目にしなかった。これは単に彼らがソ連の殺戮場を見ておらず、その結果スターリニズムの罪が放置されて、証拠書類による立証を冷戦終結後の記録文書公開まで待たなければならなかったというだけではない。彼らはドイツ人による大量殺人の現場も見ていなかったのだ。

つまり、ヒトラーの犯した罪を理解するのにも、同じくらい長い時間がかかったのである。西側諸国の人々は、ドイツの強制収容所を撮影した写真や映画を観て、大量殺人がどのようなものであったかを理解するしかなかった。どれも震撼とさせられる画像ではあったか、流血地帯の歴史をわずかに想像させるものでしかなかった。とうてい、すべてを伝えるものではなく、序章ですらなかったのである。

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』上巻P18-19

これも読んでいて衝撃的な箇所でした。アウシュヴィッツをはじめとした強制収容所、殺害施設はソ連によって解放されたことは知っていました。

しかし、それは本当に解放だったのか。たしかにナチスによる収容者はそこから解放されたかもしれません。ですがその存在はしばらくソ連にとっては都合が悪かったため情報開示がされませんでした。そのためアメリカやイギリスはその存在を目にすることはなかったというのはかなり驚きました。

私はこれまでナチスの敗北後、西欧諸国が現地に行ってホロコーストの実態を把握していったのかと思っていたのですがそれは違ったようです。

本書が伝えたいこと

ヨーロッパで起きた大量殺人は、たいていホロコーストと結びつけられ、ホロコーストは、迅速な死の大量生産と理解される。だがこのイメージはあまりに単純ですっきりしすぎている。ドイツとソ連の殺戮場で使われた殺害方法はむしろ原始的だった。

一九三三年から四五年までのあいだに流血地帯で殺された一四〇〇万人の民間人と戦争捕虜は、食糧を絶たれたために亡くなっている。つまりヨーロッパ人が二十世紀の半ばに、恐るべき人数の同胞を餓死させたというわけだ。

この殺害方法は、ホロコーストに次ぐ規模のふたつの大虐殺―スターリンが一九三〇年代に引き起こした飢饉とヒトラーが一九四〇年代はじめにソヴィエト人捕虜を餓死させたケース―でも選ばれた。

現実でも想像上でも、もっとも多く使われた方法だった。さらにナチス政権は、一九四一年から四二年にかけての冬にスラヴ人とユダヤ人数千万人を餓死させる計画を立てていた。

餓死の次に多かったのが銃殺、次にガス殺が続く。一九三七年から三八年にかけて断行されたスターリンの大テロルでは、七〇万人近いソヴィエト国民が銃殺された。ポーランドの独ソ分割統治の時代には、二〇万人前後のポーランド人が両国により銃殺された。ドイツが「報復」として死刑を宣告した三〇万人以上のべラルーシ人、ほぼ同数のポーランド人も、銃で殺されている。ホロコーストの犠牲となったユダヤ人の殺害手段は、銃殺とガス殺が半々であったと思われる。
※一部改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』上巻P19-20

私たちはホロコーストと聞くとガス室を思い浮かべます。

しかし彼らの大量殺戮は主に餓死と銃殺によって行われたのです。

大量殺人の真実に向けて

真実とは、権力が押しつけた決まりごとでしかないのか。事実を述べた歴史的価値のある証言は、政治の圧力に抵抗できるのか。

ナチス・ドイツとソ連は、歴史そのものを支配しようともくろんだ。ソ連はマルクス主義国家で、その指導者らは自分たちは歴史科学者だと宣言していた。国民社会主義ナチズムは、意志と民族の力で過去の重荷を洗い流せるという信念により、全面的な変容をめざす終末論的なビジョンである。

ナチス政権の一二年間と、ソヴィエト政権の七四年間は、確かに、世界を評価するわれわれの能力に重くのしかかっている。

多くの人々は、ナチス政権の犯した罪があまりに大きいので、歴史の流れから切り離して扱うべきだと考えている。この認識は、意志の力は事実にまさるというヒトラーの考え方に厄介なまでによく似ている。

また、スターリンは確かに恐ろしい罪を犯したが、近代国家を作りあげて守っていくためには必要だったと正当化する人もいる。この見方は、歴史にはただひとつの流れしかない、とするスターリンの考え方を連想させる。それは彼に理解できる流れであり、彼の政策をあとから正当化する流れだった。
※一部改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』上巻P25

ソ連とナチスは歴史を支配しようと目論み、歴史を支配することが国民を動かす原動力であると信じたのです。そして実際に彼らの目論見はある程度現実となりました。(結末は別として)

なぜ歴史を学ぶのか。なぜ誰かに語られた歴史を鵜呑みにしてはいけないのかということがここからも感じられます。

最も重要なポイント!歴史は様々な視点から見なければ把握できない

流血地帯の歴史は、ヨーロッパの過去を国別に分け、そうして分割した部分がたがいに触れ合わないようにすることで、しばしば知的に、そして勇気をもって保存されてきた。

しかし、迫害を受けたどの集団に焦点をあてても―いかにすぐれた記録がまとめられようともひとつだけを取りあげたのでは、一九三三年から四五年にかけてヨーロッパで起きたことを語り尽くすことはできない。

ウクライナの過去を完璧に知ったとしても、飢饉の原因はわからない。

ポーランドの歴史をたどってみても、なぜ大テロルのときにあれほど多くのポーランド人が殺されたのかを知る最良の手立てにはならない。

べラルーシの歴史に関する知識がいくら豊富でも、おびただしい数のベラルーシ人が殺された戦争捕虜収容所や対パルチザン作戦を理解することはできない。

ユダヤ人の歴史について書いてみても、ホロコーストに触れることはできるが説明はできない。

二つの集団の体験を突き合わせることではじめて、何が起きたのかが見えてくることもあるが、それもただ関連を理解する第一歩でしかない。

ナチスとソ連の政権についても、双方の指導者がこれらの地域をどのように支配しようとしたか、これらの集団や集団同士の関係をどのように見ていたかも視野に入れて理解しなければならない。

今日では、こうした二十世紀の大量殺人が二十一世紀にとって倫理上の大きな意味を持つという認識が広まっている。それなのに、意外にも流血地帯の歴史が書かれたことはない。

大量殺人は、ユダヤ人の歴史をヨーロッパ史から切り離し、東欧史と西欧史とを分断してしまった。それは民族間、国家間の知の断絶はもたらさなかったものの、国民社会主義とスターリニズムの終焉から何十年もたったいまもなお、そうした断絶を引き起こす要因となっている。

本書では、ナチス政権とソヴィエト政権とを結びつけ、ユダヤ史とヨーロッパ史を、そして民族、国家の歴史を綴じ合わせることを目的とする。

犠牲者について語ると同時に、犯罪者についても語る。イデオロギーと政策について述べ、政治体制と社会について論じる。

これは、たがいに遠く離れていた指導者の政策によって殺された人々の歴史である。犠牲者の故郷はべルリンとモスクワのあいだにあった。ヒトラーとスターリンの台頭後、そこは流血地帯となったのだ。
※一部改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』上巻P26-27

一つの国の歴史だけを見ても、そこで起きた出来事の全貌を知ることはできない。

これは非常に重要な指摘です。著者はこの時代に起こった個々の出来事を様々な角度から見ていきます。歴史的な出来事を点として見るのではなく、当時の複雑な世界情勢、つまり面として見ていきます。

ホロコーストを研究した著作は数多くあれど、ソ連との覇権争いの過程や国際情勢と絡めて多角的に論じた本はほとんどありません。

いくら一つのことに対してどれほど知識を持とうともそれだけでは歴史は理解することはできないのです。

これはスターリンやヒトラーの大量虐殺だけではなく、歴史、思想、文化、宗教、あらゆるものにおいてもそうだと思います。

著者のこの指摘は非常に重要なものであると私は思います。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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