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まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある―お釈迦様のことばに聴く

まだ悪の報いは熟しない
目次

まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある―お釈迦様のことばに聴く

一一九 まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。

一二〇 まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福に遇う。

一二一 「その報いはわたしには来ないだろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。

一二一 「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、善を軽んじるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされる。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳にみたされる。

岩波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P27

今回の箇所は以前紹介した「悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える」ということばに応答する箇所になります。

お釈迦様は「悪いことをしたらあの世でもこの世でも苦しむことになる」と述べます。

ですが私たちはそのことばにそう簡単に納得するわけにはいきません。

「悪い奴らはずいぶんと楽していい思いをしているじゃないか。それにそもそも死後の世界があるなんてわからない。彼らは悪いことをしたとしても、何の苦しみも感じていないではないか」

たしかにこれはもっともです。

悪いことをしたとしても彼らが罰を受けているようには見えない。逮捕されたりしたのならば罰を受けているというのはわかりますが、「悪」というのは何も法的に合法かどうかというだけではありません。

人を利用したり、だましたり、いじめたり、搾取したりなどなど、様々な悪があります。

そういうことをすればするほど富は蓄えられる。そうした側面も実際にはあるわけです。

ではそういう人達は罰を受け苦しむことになるのか。いや、そうは見えない。ずいぶんと楽しそうに生きているではないかと私たちは疑問に思うわけです。

そこでお釈迦様はこう述べられるのです。

一一九 まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。

一二〇 まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福に遇う。

岩波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P27

なるほど、悪の報いが起きるには時間がかかることもあると言うのです。悪いことをしたらすぐに天罰が下るとかそういう話ではないのです。

一二一 「その報いはわたしには来ないだろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。

岩波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P27

「水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。」

一滴一滴「ぽたっ・・・ぽたっ・・・」と滴り落ちる水。

そしてそれが瓶に少しずつ少しずつ溜まっていく。そしてそれがいつ満たされ、こぼれてしまうかは誰にもわからない。

視覚にも聴覚にも訴えかけるお釈迦様のたとえ話がまたしても絶妙です。

善悪の報いというのはこうして積み重ねられていくのですね。

いつどこでどのように報いを受けるかは誰にもわからない。しかし自分の為したことは水が一滴一滴滴り落ちるように必ず溜められていく。

だからこそ悪事をせず、善いことをせよとお釈迦様は述べられるのですね。

「悪人が幸せそうに見える問題」はなかなか根深い問題で、これについてもっと考えていけばかなり長い記事になってしまいます。

ここではそれについてはお話ししませんがいつか機会があれば改めて考えてみたいなと思います。

以上、「まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある―お釈迦様のことばに聴く」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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