悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える―お釈迦様のことばに聴く

仏教コラム

悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える―お釈迦様のことばに聴く

一五 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。

一六 善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。かれは自分の行為が浄らかなのを見て、喜び、楽しむ。

岩波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P1

今回のことばもものすごくシンプルですよね。

悪いことをしたら地獄に堕ちる。これは私たちもよく耳にします。

ですがお釈迦様は悪いことをしたら死後だけでなく、この世でも憂えることになると仰ります。「かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。」と述べられているのがポイントです。

何か天罰のような災いがかれに降りかかって苦しむということではなく、自分自身で罪の意識に苦しむことになると言っているのです。

もちろん、外部からの懲罰や災いもあるかもしれませんが、何よりも自分自身によってその報いを受けることになるであろうとお釈迦様は述べるのです。

そしてこれは逆も然り。

いいことをした人はこの世でもあの世でも、「かれは自分の行為が浄らかなのを見て、喜び、楽しむ」。

「幸せも苦しみも自分の心が感じるのである」、ここでもその原則が貫かれています。

さて、今回のことばを読んで次のように思われる方もおられるかもしれません。

「いやいや、悪い奴らはずいぶんと楽していい思いをしているじゃないか。それにそもそも死後の世界があるなんてわからない。彼らは悪いことをしたとしても、何の苦しみも感じていないではないか」

たしかにこれはもっともです。

悪いことをしたとしても彼らが罰を受けているようには見えない。逮捕されたりしたのならば罰を受けているというのはわかりますが、「悪」というのは何も法的に合法かどうかというだけではありません。

人を利用したり、だましたり、いじめたり、搾取したりなどなど、様々な悪があります。

そういうことをすればするほど富は蓄えられる。そうした側面も実際にはあるわけです。

ではそういう人達は罰を受け苦しむことになるのか。いや、そうは見えない。ずいぶんと楽しそうに生きているではないかと私たちは疑問に思うわけです。

ですがさすがはお釈迦様。

この『真理のことば』では後の部分でこの疑問に答える箇所が出て参ります。

ブログではもう少し先の紹介になりますが、改めてこの問題について考えていきたいと思います。

以上、「悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える―お釈迦様のことばに聴く」でした。

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