2019年

キューバキューバ編

キューバ人の陽気さに付いていけず寝込む。私は陽気で愉快な人間にはなれそうもないことを確信した日。キューバ編⑪

「キューバ人は陽気な人々で音楽と踊りが大好き」

そんなイメージが皆さんにもおありだと思います。私もそんなイメージを持っていたのですがそれを身をもって体感することになりました。まさしくカルチャーショック。私はそのあまりの陽気さに衝撃を受けダウンしてしまいました。

その決め手となったのが急遽決まったサルサの個人レッスン。陽気なことが苦手な私の一念発起の挑戦でしたがまさかこれがあんなことになろうとは・・・

キューバキューバ編

ブエナビスタ・ソシアル・クラブのライブ体験とガイドさんに聞くキューバ人の陽気さ キューバ編⑩

キューバといえば陽気なラテンの人々。

これまでお話ししてきましたようにキューバ革命の指導者カストロも底抜けの楽観主義者だったそうです。

キューバ人はとにかく陽気で、歌い、踊り、生きることを楽しむ。様々な本でキューバ人の気質はそのように述べられていました。

しかし、私は正直心の中でこう思いました。

「本当にそうなのだろうか?さすがにみんながみんなそうではあるまいさ。それは外国人が作った誇張されたイメージなのでは?」

と、いうわけでハバナ散策の際に同行して下さった現地ガイドのダニエルさんに思い切ってそのことを質問してみたのでした。

キューバキューバ編

陽気な音楽が流れるキューバの首都ハバナと旧き良き時代 キューバ編⑨

滞在することにしたのはハバナの中でもオールドハバナと呼ばれる旧市街。

ここは世界遺産にも登録された街で、今でも旧き良きキューバの雰囲気を感じることができます。

この日は現地ガイドさんと共にゆっくりとハバナ旧市街を散策します。

キューバと言えば音楽。

街中いたるところでミュージシャンが演奏しています。

ぶらぶら街歩きをしているとキューバらしいサウンドがどこからともなく聞こえてきます。

ここはキューバなんだと感じさせてくれる瞬間でした。

キューバキューバ編

サンタクララ市街地と装甲列車襲撃記念碑~チェ・ゲバラゆかりの地、サンタクララ⑵ キューバ編⑧

チェ・ゲバラの霊廟でお参りをした後、次に私が向かったのはサンタクララ中心部。

サンタクララ市街地に到着すると、年季が入ったカラフルな建物にキューバらしさを感じます。

街の中をぶらぶらしながら近くにある装甲列車襲撃記念碑に歩いて向かいます。キューバ革命においてここサンタクララでの勝利が革命軍の勝利を決定的なものにしました。そのきっかけとなった戦闘がまさにここで行われたということで私はここにやって来たのでした。

キューバキューバ編

サンタクララのチェ・ゲバラの霊廟とドン・キホーテの意外な関係 キューバ編⑦

サンタクララはチェ・ゲバラと切っても切れない関係のある街。

キューバの歴史を学ぶ中で知ることになったチェ・ゲバラの存在。

理想を追い求めた革命の戦士。 世界で最も尊敬される革命家。

どうして彼はこんなにも世界中の人を惹き付けるのでしょうか。

彼のことを調べているうちに、私はあることを知ることになりました。

チェ・ゲバラの愛読書が『ドン・キホーテ』であり、彼はドン・キホーテの生き様に大きな影響を受けていたという事実だったのです。

この記事ではそんなゲバラと『ドン・キホーテ』の関係とゲバラのお墓参りをした私の体験をお話ししていきます。

キューバキューバ編

社会主義と資本主義、そして宗教のつながり~ぼくがキューバを選んだ理由 キューバ編⑥

ここまで4本の記事にわたってキューバの歴史をお話ししてきましたが、みなさんの中には次のような疑問をお持ちになった方もおられるかもしれません。

「なぜいきなりキューバの歴史をここまで話し出したのだろう。いや、そもそもなぜキューバ?キューバと宗教って何か関係はあるの?」と。

たしかにキューバは宗教の聖地ではありません。

ですが、私にとっては宗教を学ぶ上で非常に重要な国がキューバだったのです。

今回の記事ではその「なぜ私が宗教の聖地でもないキューバを選んだのか」ということについてお話ししていきます。

キューバ編

カストロの改革とソ連崩壊後のキューバ~キューバの歴史を解説⑷ キューバ編⑤

前回の記事「革命政権とミサイル危機~キューバの歴史を解説⑶ キューバ編④」でお話ししましたが、1962年、キューバ・ミサイル危機で世界は破滅までぎりぎりのところでなんとか踏みとどまることができました。

アメリカはキューバへの軍事侵攻計画を取り止め、ソ連はミサイル基地を撤去するという合意の下それは速やかに実行されました。

世界中の人々は安堵のため息をついたところでしたが、キューバからすれば煮えきらないものが胸の内に残ることとなりました。この記事ではそんなキューバのその後の展開についてお話ししていきます。

キューバキューバ編

革命政権とミサイル危機~キューバの歴史を解説⑶ キューバ編④

この記事ではキューバ革命直後からのキューバ史をざっくりとお話ししていきます。

当然ですが、革命は政権を打倒して終わりではありません。奪取した政権をこれから維持し運用していかなければなりません。指導者カストロはいきなり難しい立場に立たされることになりました。

その結果があのキューバ危機です。この記事ではそのキューバ危機までの流れを見ていきます。

キューバキューバ編

アメリカ植民地時代とキューバ革命~キューバの歴史を解説⑵ キューバ編③

前の記事「キューバの成立とスペイン統治時代~キューバの歴史をざっくり解説⑴ キューバ編②」では1902年にキューバがスペインから独立したものの、アメリカの半植民地と化してしまったところまでお話ししました。

今回の記事ではそこからキューバがアメリカと戦い、真の独立を果たすまでの歴史をお話ししていきます。

キューバ編

キューバの成立とスペイン統治時代~キューバの歴史をざっくり解説⑴ キューバ編②

みなさんはキューバといえばどんなイメージを抱くでしょうか。

おそらく、社会主義だったりキューバ危機だったりカストロの独裁だったりと、どちらかというと恐い国というイメージが浮かんでくるのではないでしょうか。

私もこの国のことを学ぶまではそのようなイメージを抱いていました。しかし、キューバ=危険な国というイメージは正確には正しくありません。キューバが危険な独裁国家であるというのは単なるイメージに過ぎないのです。

その実像は私たちが持つイメージとはかなり異なります。

今回の記事ではざっくりとではあるがキューバの歴史をもとにその実像に迫っていきます。