悪意ある人はなぜ悪口や詭弁、誹謗中傷を利用するのか~その仕組みと対処法とは!チェコの天才作家チャペックによる護心術
この記事では悪意ある人間がいかにして悪口や誹謗中傷を利用して敵をやっつけようとするのかを見ていきます。
最近、誹謗中傷の問題がどんどん大きくなってきています。
悪口や誹謗中傷から自分の身を守るためにもとてもおすすめな内容です
この記事では悪意ある人間がいかにして悪口や誹謗中傷を利用して敵をやっつけようとするのかを見ていきます。
最近、誹謗中傷の問題がどんどん大きくなってきています。
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中世スペインの異端審問は過去の遺物ではなく、現代につながる人間の本質的な問題であることをこの本で学びました。
これまで学んできたレーニン、スターリンのソ連や独ソ戦と非常に強いつながりを感じました。
そしてこの本の面白い所は所々で著者の思いが吐露されていて、単なるデータの羅列には終わらない点にあります。読み応え抜群です。読んでいて本当に面白い本でした。 この本はとてもおすすめです。ぜひ皆さんも読んでみてはいかがでしょうか。
レーニンに引き続きスターリンも学んできましたが、この二人の圧倒的なスケールには驚かされるばかりでした。
中学、高校と世界史は一応習います。ですが実際にはロシア帝国時代やソ連時代のことはほとんどわからないに等しい状況です。私もここで学ぶまでほとんど何も知りませんでした。
スターリンがこれほどまでの規模で粛清をしていたということすら知りませんでした。
そして、レーニン・スターリンというカリスマ2人によってソ連が形作られ、その後の世界を形成していった流れをここで知ることができました。
歴史を学ぶことは単に過去の出来事を眺めることではありません。そこで学んだことをものさしに今を見ることに意味があります。
スターリンを学ぶことも非常に興味深い読書となりました。
16回にわたって『レーニン 権力と愛』を読んできました。
私自身、この本を読んでぎょっとすることばかりで、思わず声を出してしまうくらい夢中になって一気に読んでしまいました。こんなに刺激的な本はなかなかありません。
そして何より、レーニンは名前は知ってはいても日本においてはかなりマイナーな存在です。私もソ連史を学ぶまでほとんど彼のことを知りませんでした。
しかしこの本を読んで、レーニンを学ぶことは現代を学ぶことに直結することを痛感しました。
レーニンの政治手法は現代にも通じます。この本ではそんなレーニンの恐るべき政治的手腕を見てきました。彼のような政治家による恐怖政治から身を守るためにも、私たちも学んでいかなければなりません。
学べば学ぶほど、ものごとはそう単純ではないことに気づく。
「異端審問官を、賄賂と権力に弱いと言って責め、拷問官を、サディストだと言って責め、植民地拡大のため戦争に賛成する者を、戦争をしたと言って責めることができた。」と著者も述べています。 残虐行為をした人間を「悪人だ」と断罪し、その悪の責任を彼に押し付けるのは簡単です。しかし、その悪が彼固有のものではなく、人間そのものが背負っているものだとしたらどうでしょうか。彼を責めることは自分を含めた人間そのものを責めることにもなるのです。
異端審問のシステムは中世スペインだけではありません。現代に生きる私たちの世界にも連綿と続いています。そうした人間そのものについて考えることが必要なのではないでしょうか。
今回ご紹介する『ドン・キホーテ』の焚書詮議の物語は私の大好きなエピソードです。何回読んでもくすっと笑ってしまいます。セルバンデスのユーモアがこれでもかと詰まったシーンです。
『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読んだことで、そんな私の大好きなシーンが異端審問とつながり、新しい視点を得ることができました。セルバンデスの驚くべき手腕にただただ感嘆するのみです。
とても興味深い読書体験でした。
モンテーニュは啓蒙思想で有名なフランス人ではありますがその血筋のルーツはスペインのコンベルソであったと言われています。驚くべきことに、異端審問が横行していたスペインの歴史がモンテーニュの思想に大きな影響を与えていたのでありました。
敵対的な思想を持つ者を抹殺しようとした異端審問でしたが結局こうしたもっと強大な存在を生み出すことになってしまったのです。教会への不信や懐疑論、無神論の流れは教会の権威を徐々に蝕んでいきます。
近代的なヨーロッパの哲学者がいかに生まれてきたということに異端審問が大きな影響を与えていたというのは非常に興味深いものでした。
異端審問による弾圧と追放は単に政治的な問題だけではなく、経済面にもとてつもないダメージを与えたのでした。この引用箇所はこの本の中でも特に印象に残ったもののひとつです。
他者を排除することは結果的に自分たちの首を絞めることになるということをここで思い知らされます。感情に任せて悪者をやっつけたつもりになっても、実際は何一つ問題の解決にはなっていないのです。
これは現代でも同じです。誰かを悪者に仕立て上げ、責任は彼らにあると攻撃し排除する。本当に見るべきものは何かを議論せず、何の対策も打てないまま時だけが過ぎていく・・・
その結果見るも無残な損失が残され、国は衰退していく・・・スペインの異端審問はまったく他人事ではありません。これは今まさに私たちが直面している問題でもあるのです。
ここからいよいよこの本の核心に入っていきます。
皆さんもお気づきのように、まさしくこれはソ連時代ともリンクしていきます。
スパイがどこにいるかわからないという社会。権力の維持のために秘密警察を利用し、体制を守ろうとするのは中世スペインですでに大々的に行われていたのでありました。
権力を持った人間がそれを悪用する恐ろしさがこの記事では感じられると思います。
「権力こそ正義であり、権力さえあればどんな不正も許される」
このことはまさしくソ連時代のレーニン、スターリンも掲げていたお題目でした。
スペインの食文化を代表するタパスには実は裏の意味がありました。
スペインではキリスト教徒、改宗ユダヤ教徒・イスラム教徒は共存し、もはや同化していましたので単に見た目だけでは誰が何を信じているのかはわかりませんでした。ですのでこうした食べ物を通して信仰の如何を確かめようとしていたのです。
例えばですが、ある家で会食をしようとなったときに、客たちはそれぞれ料理を持ち寄ることになります。そしてその時に豚肉のソーセージをわざと持ち寄るのです。それで家の主人や他の客人がそれを食べようとしなければ隠れユダヤ教徒やイスラム教徒であることがばれてしまうのです。