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歴史家E・H・カーによるマルクス主義への見解~なぜマルクス主義は人を惹きつけるのか

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歴史家E・H・カーによるマルクス主義への見解~なぜマルクス主義は人を惹きつけるのか 

イギリスの著名な歴史家E・H・カーは1934年に発表した『カール・マルクス その生涯と思想の形成』において、マルクス主義への詳細な考察をしています。

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E・H・カー『カール・マルクス その生涯と思想の形成』あらすじと感想~「マルクス主義はなぜ人を惹きつ... この伝記の最大の魅力は何と言っても「マルクスがなぜこんなにも人々を惹きつけたのか」という分析です。 この分析を読むだけでもこの本の価値はものすごくあります。いや、むしろこの分析を読むためにこの本を手に取るべきとすら言えるかもしれません。それほど鋭い分析です。これはぜひおすすめしたいです!

この記事ではその全文を紹介することはできませんが、その一部を紹介していきます。

E・H・カーはこの伝記においてマルクスの『資本論』における問題点を指摘していきます。そして有名な「剰余価値説」や「労働価値」などの矛盾点を取り上げ、そうした問題点がありながらもなぜマルクスはここまで多くの人に信じられているかを分析していきます。

では、早速その箇所を見ていきましょう。

労働価値説はひとつの教理、要請である

それ(労働価値説 ※ブログ筆者注)は一種の信仰としては信じ得られても、論理によっては証明することも否認することもできない。それは道徳的な或いは哲学的な意味を持ち得るとしても、真偽は別として、経済学の領域では何らの妥当性も持たなくなってしまう。

しかし、そうだからと言って、労働価値説がマルクス主義の体系の中で極めて重要なものではないとか、マルクスは大思想家の地位を与えられ得ない、とか言うわけではない。

カトリック教会は、人間の経験によって論破されても信仰によっては信じられる若干の要請の上に、その体系をうち立てている。これらの要請の上に、テルトゥリアヌス(有り得べからざるが故に我れ信ず、、、、、、、、、、、、、、、と最初に言った人)から聖トマス・アクイナスに至る一連の大思想家は、完全に論理的な一貫性を持った体系を樹立した。

最初の一歩は、信仰が眼をそむけるような欠点に満ちているが、その他の段階は論理的に無瑕である。心理的には、このような信仰と論理との不調和な並列が、人類の大部分の要求によく適合することが、示されているのである。

讃嘆すべき実践的心理学者であったマルクスは、意識せずこれと同じ手を用いた。

彼の最初の段階―労働価値説―は、信者から一つの教理、一つの要請として受入れられることを必要とする。この第一段階が承認されれば、マルクスはそれから、卓抜な頭脳からひねり出される一連の議論を通じて、(カトリック教会を世界で最も有力な団体たらしめたのと同じような、信仰と論理の並列によって)数百万の弟子の忠誠をかち得た体系を導き出すのである。
※一部改行しました

未来社、E・H・カー、石上良平訳『カール・マルクス その生涯と思想の形成』P364-5

「マルクス思想が成立するにはその前提とする教義を受け入れなければならない。たとえその前提教義が論理的、科学的に誤りであってもそれを信じることでその教えは成立していく。それはあたかもカトリックの歴史のように」とカーはここで述べています。

マルクスの立場の本当の強みとは

マルクスが彼の結論(剰余価値説)を彼の前提(労働価値説)から正しく演繹したこと、そして彼がかかることを最初に行った経済学者であるということは、彼の独創的思想家としての功績になるかも知れない。しかし、もし彼の前提が間違いであったら、これは彼の結論を正しいものにすることには寄与しない。今や、労働価値説と同様、剰余価値説をも経済学骨董品博物館に移管すべき時である。

マルクスの立場の本当の強味は、別のところにあるのだ。マルクスも彼の弟子たちも、彼らが剰余価値説からその事実を演繹したから、労働者が搾取されていると信じていたのではない。彼らがそう信じたのには、別の理由があった。そして彼らが剰余価値説の中に見出したものは、要するに或る現存の信仰を支えるための経済学的議論であった。

議論が倒れても、信仰は依然として抱かれているものである。工場で実際に苦しい労働をしている人々には、でき上った生産物に対して、それを作るに用いる材料と道具を彼に提供するだけの人よりも、優先的な道徳的権利を持っている、という不合理ではあるが、決して非難することのできない感情をいだく人が沢山いる。労働者が彼の労働の生産物の〈公正な〉分前を手に入れることができない、と信ずることは完全に正当である。

マルクスは多数の雄弁で説得的な章を挙げて、十九世紀のイギリスではまさにその通りであったことを、証明しようとしている。そして今日でもこれと同じ意見は当然いだかれるべきである、―尤も、その意見に有利な証拠のカが当時は圧倒的であったのに比べれば、今はそれほどではないが。

しかし、かようなことは道徳的な判断であって、マルクスによって経済法則として提出された剰余価値説とは何の関係もない。
※一部改行しました

未来社、E・H・カー、石上良平訳『カール・マルクス その生涯と思想の形成』P 369-370

「議論が倒れても、信仰は依然として抱かれている」というのは非常に重要な指摘であると思います。

また、最後のマルクスの議論は純粋に理論的、経済的なものではなく、道徳的なものであるという点も見逃がせません。

カーによる「マルクス主義の核心」~なぜマルクス主義は人を惹きつけるのか

恐らく『資本論』は、それを読んだ人々の数の割には、今まで書かれたどの書物よりも大きな影響を、人間の歴史に対して与えた。その書名は、人口に膾炙した。それは何処の図書館にもある。真面目な学者や思想家でその頁をひもとかぬ者はない。だが、ごく僅かばかりの専門家と熱心家を除いては、それを読み通した者はない。

この著書のカは、その内容ではなく、それが存在しているということの中にあった。マルクスは天才的な直感で、労働者階級は十倍に増加し、機械によって動かされる新しい産業によって集合せられて組織ある大衆となり、次の世紀の歴史において必ず支配的な役割を果すことになる、と見てとった。

彼は『共産党宣言』の中で、プロレタリアートの叛乱と財産を没収されたブルジョアジーにたいする彼らの勝利との綱領を作製した。

次いで『資本論』では、この勝利が単に〈搾取者に対する搾取〉であること―即ち、数十年にわたって労働者を犠牲にしてブルジョア資本家によって行われて来た搾取に対する正当な返報であることを、彼は証明した。

普通の労働者は『資本論』を読まなかった、もし読んだとしても、自分の言い分の正しさを証明してくれるこみいった議論を理解し得なかったであろう。

だが、そんな議論がその本の中にあることを知った。それを読んだ労働者の指導者たちは、彼らにそういう証明が存在することを教えてやり、彼らはそんな有りがたい保証を疑う気持にはならなかった。

以後、労働者は、自分は自分自身のためではなくて正義のために戦っていると、感ずることができた。そしてもしも誰かから、どうしてそのことを知ったかと訊かれれば、労働者階級が決して読んだことのない、この「労働者階級の聖書」を指し示すことができた。それは、今一つのエンゲルスの言葉を借りれば、「シべリアからカリフォルニアに至るまでの数百万の労働者によって認められた、共通の政綱」であった。『資本論』はもはや一つの議論ではなくなった。それは護符であった。

おそらく後世の人々の判決は、マルクスが当時の資本家に〈収奪〉の罪を着せたことは正しかった、と言うであろう。

しかしそれは、経済学的な考慮ではなく道徳的考慮にもとづく問罪である。そしてマルクスがこの問罪を支持しようとして用いた経済学的議論は、場ちがいであり、また不条理であった。

『資本論』は、それが経済学の論文であるという表向きの性格に対して常に忠実でなく、また予言者的な義憤の調子が無味乾燥な経済学的議論の進行をさえぎるが故にこそ、偉大な著書なのである。

何人も、マルクスが労働価値説と剰余価値説の仮装の下に提出している経済学的誤謬の塊りの故に、『資本論』を読むのではない。

この著書の経済学的性格が最も忠実に維持されているのは、主としてこれらの理論の詳述にあてられている最初の数章であるから、『資本論』の読者たろうとする人は読破の仕事を初めの段階で中止してしまうことが非常に多い。かくも容易に読破を思い止らせられるのは、遺憾である。

『資本論』の中でその価値を持ちこたえている部分は、前世紀の中頃のイギリス労働者階級が、男も女も子供も、生活を支えるに足る賃銀よりも幾分少い賃銀を貰う返礼として、彼らの雇用者のために利潤を稼ぎ出していたところの、恐るべき生活条件の物凄い暴露である。

事実の積み重ねが議論に取って代り、道徳的憤激が経済学的分析を追出すところでは、必ずマルクスはプロレタリアートの予言者の如くすっくと起ち上る、そして『資本諭』は古典と看なされる権利を再び要求するのである。
※一部改行しました


未来社、E・H・カー、石上良平訳『カール・マルクス その生涯と思想の形成』P 379-381

この引用はこの本で最も重要な指摘がなされている箇所になります。

マルクス主義がなぜ世界中でこんなにも人を惹きつけたのかということを、ここまで明確に指摘したものはなかなかありません。

経済学や思想、イデオロギー面だけではなく、世界全体との関わりという視点からマルクス主義が広まった理由をここで考察しています。 歴史家たるE・H・カーならではの一歩引いた視点と言うことができるかもしれません。

この箇所はマルクスという現象を考える上で非常に重要な意味を持ちます。

「『資本論』はもはや一つの議論ではなくなった。それは護符であった。」

この一文が示唆するものの大きさは計り知れません。

カーの『カール・マルクス その生涯と思想の形成』 ではこうしたマルクス主義への考察をもっと詳しく見ていくことができます。ここで紹介したのはそのほんの一部です。興味のある方はぜひこの本を手に取って頂けたらなと思います。

次のページでは同じく歴史学の世界的権威トニー・ジャットによるマルクス論を見ていきます。こちらも宗教的現象としてのマルクスを考える上で非常に興味深い指摘がなされていますので、ぜひこちらもご覧ください。

以上、「歴史家E・H・カーによるマルクス主義への見解~なぜマルクス主義は人を惹きつけるのか マルクス主義は宗教的現象か⑴」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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