MENU

トルストイ『人はなんで生きるか』あらすじと感想~素朴な人間愛が込められたトルストイ民話の代表作

目次

トルストイ『人はなんで生きるか』あらすじと感想~素朴な人間愛が込められたトルストイ民話の代表作

今回ご紹介するのは1881年にトルストイによって書かれた『人はなんで生きるか』です。私が読んだのは岩波書店版、中村白葉訳の『トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇』です。

早速この作品について見ていきましょう。

トルストイはこの作に、一八八一年の一月から着手して、その脱稿に、幾多の中断を伴ってではあるが、ほとんど一年を費やしている。

これは、民話中では一番長いものの一つであり、また力作ではあるけれども、それにしろ、六、七十枚の短編にこんなに長い時日を費やしたことは、もともとトルストイは推敲に推敲をかさねる人であったとはいえ、この種の作品の第一作であるこの一編に、どれほど緊張した努力を傾注したかが推測されて、奥床しい。この作の制作にあたってトルストイが、例の「民衆自身の言葉で、民衆自身の表現で、単純に、簡素に、わかり易く」をモットーに努力したことは明らかで、あたかもそれを証明するかのように、この作の原稿として今日なお三十三とおりの草稿が保存されていることが伝えられている。

岩波書店、トルストイ、中村白葉訳『トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四編』P182-183

この作品は1870年代末より宗教的転機を迎えたトルストイが満を持して発表した民話作品になります。

トルストイがどのような宗教的転機を迎えたかについては当ブログでも「トルストイ『懺悔』あらすじと感想~トルストイがなぜ教会を批判し、独自の信仰を持つようになったのかを知るのに必読の書」「トルストイ『教義神学の批判』概要と感想~ロシア正教の教義を徹底的に批判したトルストイ」「トルストイ『要約福音書』概要と感想~福音書から奇跡を排したトルストイ流の聖書理解とは」の記事で紹介してきました。

あわせて読みたい
トルストイ『懺悔』あらすじと感想~トルストイがなぜ教会を批判し、独自の信仰を持つようになったのか... 『懺悔』は『アンナ・カレーニナ』を書き終えて宗教的著作をこれから発表しようとしていたトルストイが、自らの立場や思いを表明するために書いた作品になります。 「それを抜きにしていきなり、『教義神学研究』や『要約福音書』など、常識はずれの著作を発表しても、読者はトルストイが本当に発狂したと思って、読まなかっただろう。」 こう書かれてしまうほど根本的な思想転換がトルストイには起こっていました。一般の人にはまず受け入れられないであろう存在がここからのトルストイになります。
あわせて読みたい
トルストイ『教義神学の批判』あらすじと感想~ロシア正教の教義を徹底的に批判したトルストイ 前回の記事で紹介した『懺悔』ではトルストイが自身の信仰がどのような経緯でもたらされるようになったのかが語られましたが、この作品では実際にロシア正教の教義を徹底的に批判していくことになります。トルストイの信仰とロシア正教の教義はもはや到底相容れないものとなっていたのです。 この記事ではそんなトルストイの激烈な教会批判の例をいくつか紹介します。きっと読めば皆さんも驚くと思います。それほど強烈な批判でした。
あわせて読みたい
トルストイ『要約福音書』あらすじと感想~福音書から奇跡を排したトルストイ流の聖書理解とは この作品は聖書に書かれているイエスの生涯をトルストイ流に再構成したものになります。 この作品の特徴は何と言っても「キリストの言説と伝えられるものであっても、近代人にとって不合理と認められ、抵抗を感じさせるような奇蹟や神秘の部分は除去されて」いる点にあります。 この作品ではイエスが病人を治したり、水の上に浮かんだり、死者を蘇らせたりというエピソードがカットされています。キリスト教にとって最も重要な教義のひとつである「イエスの復活」ですらカットする徹底ぶりです。

この作品にはトルストイ流のキリスト教のエッセンスが込められています。

では、この作品のあらすじを見ていきましょう。

これは古くからある民衆的な天使伝説をもとにしたもので、内容はすべて超自然的な話だと言ってよい。

若い死の天使が人間を憐れんで神の命令に背き、魂を抜きとるのをやめたため、罰を受けて地上に落とされる。靴屋のセミョーンがこの天使をただの浮浪者だと思って、家に連れ帰り靴屋の手伝いをさせる。ミハイルという名のその男、実は天使は経験もないのに、靴作りに異常な才能を発揮し、セミョーンの商売は大繁盛する。ミハイルは長靴を注文に来た地主の背後に同僚の死の天使を見て、長靴の代わリに死んだ人に履かせる突っ掛け靴のようの履物をあらかじめ作っておく。すると、地主はその日に死んでしまうなど、次々に不思議なことをやってのける。そして、ついに神の赦しが与えられ、天使(ミカエル)はロケットが発射されるように、屋根を突き破って一瞬のうちに天に戻っていく。

これは狭い日常性や自然科学的事実を超えて、感情と、夢と、無限の想像力とともに生きている人々の心を知り、それに応えようとした人の作品である。トルストイのロシア正教批判は自然科学、実証主義、唯物論、合理主義の立場からなされたものではなく、信仰の根源と本質を問うものであり、理性にも感情にも背反しない真の信仰を求めるものだったのである。

第三文明社、藤沼貴『トルストイ』P413

この物語では、心優しきセミョーンがとても冷えた日に礼拝堂の傍で寒さに震える青年を助け、家に連れ帰るところから始まります。

セミョーンは元々、貧しいながらも冬に備えて外套を新調するためになけなしのお金を携えて村にやって来たのでありました。

そこで目にしたのが礼拝堂の傍で寒いのに服も着ないで身動きもせず座っている若い男だったのです。

セミョーンは追いはぎにあったのだろうかといぶかり、気味が悪くなったので最初はその男のそばを通り過ぎます。ですが、心優しきセミョーンは心に良心のうずきを感じ始めます。

「おまえはいったいどうしたというのだ、セミョーン?」と彼は自分に言うのだった。「ひとが災難にあって死にかけているのに、おまえはこわがって、見て見ぬふりをしようとしている。それともおまえは、それほどたいした金持ちにでもなったというのか?持ってるものをとられるのがそんなにこわいのか?おい、セミョーン、よくねえだぞ!」

セミョーンは踵をかえして、その男のほうへ戻って行った。

岩波書店、トルストイ、中村白葉訳『トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四編』P11

このエピソードで見事だなと思うのは、トルストイがセミョーンに若い男の前を素通りさせた点です。最初から男を助けるようではリアルさを失ってしまいます。

自分の保身のために疑い、不安を覚えてしまうのは当然のことです。ですがそこから少し通り過ぎた後に「本当にこれでよかったのか?」と良心のうずきを感じる。これも誰しもが感じたことがある感覚なのではないでしょうか。

こうした誰の心の内にもある感覚を呼び起こすことこそ、トルストイが願っていたことなのかもしれません。

トルストイはこの作品で「人はなんで生きるか」を探究していきます。

そしてその大きな柱となるのが「愛」です。

この作品は民話を題材にしていることもあり、非常に素朴です。ですがこれがとにかく味わい深い!

上の本紹介でも出てきましたが、この作品は「民衆自身の言葉で、民衆自身の表現で、単純に、簡素に、わかり易くをモットーに努力した」というトルストイの渾身の一作です。まさにその通りの作品となっています。

そして文庫本で50ページほどのコンパクトな作品ですので肩肘張らずに手に取ることができます。

トルストイというと難解で長大なイメージがありますが、この作品は決してそんなことはありません。

読むと温かな気持ちになれます。ぜひおすすめしたい作品です。

以上、「トルストイ『人はなんで生きるか』あらすじと感想~素朴な人間愛が込められたトルストイ民話の代表作」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

人はなんで生きるか 他四篇(民話集) (岩波文庫 赤 619-1)

人はなんで生きるか 他四篇(民話集) (岩波文庫 赤 619-1)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
トルストイ『わが信仰はいずれにありや』あらすじと感想~トルストイの真理探究とその結末にニーチェを... 私はトルストイのこの作品を読み始めてすぐ、うっすらとではありますがニーチェ的なものを感じました。 そしてそのうっすらとした予感は確信へと変わることなります。 トルストイはこの作品で教会を批判し、自身の信仰、思想を開陳していきます。 私はそれらトルストイの言葉に、自らの理性によって真理を掴み、それにより自己完成を目ざさんとするニーチェ的な感性を感じたのでありました。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
トルストイ『要約福音書』あらすじと感想~福音書から奇跡を排したトルストイ流の聖書理解とは この作品は聖書に書かれているイエスの生涯をトルストイ流に再構成したものになります。 この作品の特徴は何と言っても「キリストの言説と伝えられるものであっても、近代人にとって不合理と認められ、抵抗を感じさせるような奇蹟や神秘の部分は除去されて」いる点にあります。 この作品ではイエスが病人を治したり、水の上に浮かんだり、死者を蘇らせたりというエピソードがカットされています。キリスト教にとって最も重要な教義のひとつである「イエスの復活」ですらカットする徹底ぶりです。

関連記事

あわせて読みたい
トルストイおすすめ作品10選と解説書、作品一覧~ロシアの巨人の圧倒的なスケールを体感! 今回の記事ではこれまで当ブログで紹介してきた作品の中から特におすすめの作品を10作まずは紹介し、その後おすすめの解説書とその他作品の一覧を紹介していきたいと思います。
あわせて読みたい
トルストイ『復活』あらすじと感想~カチューシャ物語としても有名なトルストイ晩年の大作 この作品は富裕な貴族ネフリュードフ侯爵と、かつて彼が恋して捨てた小間使いの女性カチューシャをめぐる物語です。 この作品はロシアだけでなく世界中で大反響を巻き起こし、トルストイの名を不朽のものにしました。 『復活』はとにかく宗教的で道徳的です。そして社会改良のための批判を徹底的に繰り返します。 そうした高潔な宗教的な信念が劇的な物語と絡み合いながら語られるところに『復活』の偉大さがあるように感じました。
あわせて読みたい
トルストイ『戦争と平和』あらすじ解説と感想~ナポレオン戦争を舞台にしたトルストイの代表作 ドストエフスキーが人間の内面の奥深く奥深くの深淵に潜っていく感じだとすれば、トルストイは空高く、はるか彼方まで広がっていくような空間の広がりを感じます。 深く深く潜っていくドストエフスキーと高く広く世界を掴もうとするトルストイ。 二人の違いがものすごく感じられたのが『戦争と平和』という作品でした。 万人におすすめできる作品ではありませんが、凄まじい作品であることに間違いはありません。一度読んだら忘れられない圧倒的なスケールです。巨人トルストイを感じるならこの作品です。
あわせて読みたい
トルストイ『アンナ・カレーニナ』あらすじ解説と感想~トルストイ芸術の最高傑作にただただひれ伏すの... 『戦争と平和』に引き続き『アンナ・カレーニナ』を読んだ私ですが、圧倒的なスケールの『戦争と平和』に脳天直撃のガツンとした一撃を受け、今度は『アンナ・カレーニナ』の完璧すぎる芸術的描写に、私はもうひれ伏すしかありませんでした。ただただひれ伏すしかない。それだけです。もう完敗です。こんな完璧な作品を見せられて、自分の卑小さをまざまざと感じさせられました。何でこんなに完璧な文章を書けるのかと頭を抱えたくなります!それほど圧倒的な作品です。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次