中村哲『アフガニスタンの診療所から』あらすじと感想~今こそ読みたい名著!ソ連のアフガン侵攻とその後の悲惨な現実を学ぶために
中村哲『アフガニスタンの診療所から』あらすじと感想~今こそ読みたい名著!ソ連のアフガン侵攻とその後の悲惨な現実を学ぶために
今回紹介するのは1993年に筑摩書房より発行された中村哲著『アフガニスタンの診療所から』です。私が読んだのは2020年復刊版です。
早速この本について見ていきましょう。
【緊急復刊】追悼 中村哲さん
幾度も戦乱の地となり、貧困、内乱、難民、人口・環境問題、宗教対立等に悩むアフガニスタンとパキスタンで、ハンセン病治療に全力を尽くす中村医師。氏と支援団体による現地に根ざした実践から、真の国際協力のあり方が見えてくる。テロをなくすために。戦乱の地での医師の実践。
解説=阿部謹也 「アフガニスタンと日本」今、内外を見渡すと、信ずべき既成の「正義」や「進歩」に対する信頼が失われ、出口のない閉塞感や絶望に覆われているように思える。十年前、漠然と予感していた「世界的破局の始まり」が現実のものとして感ぜられ、一つの時代の終焉の時を、私たちは生きているように思えてならない。
強調したかったのは、人が人である限り、失ってはならぬものを守る限り、破局を恐れて「不安の運動」に惑わされる必要はないということである。人が守らねばならぬものは、そう多くはない。そして、人間の希望は観念の中で捏造できるものではない。本書が少しでもこの事実を伝えうるなら、幸いである。
(「文庫版あとがき」より)「本書によって私たちはアフガニスタンの状況だけでなく、私たち自身の姿を見ることが出来るだろう。」――阿部謹也 (「解説」より
Amazon商品紹介ページより
中村哲医師は2019年に現地で銃撃に遭い、亡くなられました。改めてこの本を読み、中村医師がいかに大きな存在だったかということに驚くしかありません。頭が上がりません。
私がこの本を読んだのは前回の記事で紹介したソ連のアフガン侵攻がきっかけでした。
ソ連の侵攻後アフガン情勢は悲惨を極めました。そしてソ連軍が撤退した後もその混乱は止むことなく、そこから911テロ、アメリカによる空爆へと繋がっていきます。
そんなソ連、アメリカの軍事侵攻、その後のアフガン情勢を考える上で中村医師の作品はこの上なく大きな示唆を与えてくれるのではないかと思い、この作品を手に取ったのでした。
中村医師については私がお話しするまでもなく、日本中の方が知られていると思います。
今回紹介している『アフガニスタンの診療所から』は1992年に書かれたものです。中村医師は1984年にパキスタンのペシャワールに赴任し、86年にアフガニスタン難民のための医療チームを結成し、その後アフガニスタンでの医療活動を開始します。
この本はそんな中村医師のアフガニスタンとの縁や、ソ連軍による侵攻で荒廃したアフガンの村の様子を知ることになります。
物に溢れ、平和な日本では想像もつかない現実がそこにあります。そして現地の人々の文化、精神性はどのようなものなのか、中村医師はストレートな言葉で私たちに語りかけてきます。
上の本紹介に、「本書によって私たちはアフガニスタンの状況だけでなく、私たち自身の姿を見ることが出来るだろう。」とありますように、アフガニスタンの現実を通して私たちのあり方を痛烈に問いかけるのがこの作品です。
紹介したい箇所が山ほどあるのですが、今回はその中でも特に印象に残った「あとがき」の言葉を紹介します。
私は一介の臨床医で、もの書きでも学者でもありません。ただ、生身の人間とのふれあいを日常とする医師という立場上、新聞などでは伝わらぬ底辺の人びとの実情の一端を紹介することができるだけです。時に「極論」ととられたりすることもありますが、これは私自身が現地に長くいすぎて、西欧化した日本の人びとと距離を生じているせいかもしれません。私の極論というよりも、現地庶民の一般的な見方・感じ方だと思ってもらったほうがよいかもしれません。
とくに国連の評価などは、日本と現地とでは一八〇度異なっています。ただ私が意図したのは、国連やODA(政府開発援助)をこきおろしたり、ジャーナリズムや流行の尻馬に乗って国際貢献を議論することではありません。この激動する時代のまっただ中で、日本列島のミニ世界だけで通用する安易な常識を転覆し、自分たちだけ納得する議論や考えに水を差し、広くアジア世界を視野に入れたものの見方を提供することです。
真剣に考えればぞっとするような問題でさえ、「ニ一世紀に向けて」だの、「グローバル」だの、「地球にやさしい」だのという流行語で、うわべをよそおって安心しているのが日本の現状だと思えてならないからです。
「アフガニスタン」は、このような日本の現状とまったく対照的な世界です。貧困、内乱、難民、近代化による伝統社会の破壊、人口・環境問題など、発展途上国の悩みのすべてが見られるだけではなく、数千年を凝縮したさまざまな世界がそのまま息づいています。近代化された日本でとうの昔に忘れ去られた人情、自然な相互扶助、古代から変わらぬ風土―歴史の荒波にもまれてきた人びとは、てこでも動かぬ保守性、人間相応の分とでもいうべきものを身につけています。
ここには、私たちが「進歩」の名の下に、無用な知識で自分を退化させてきた生を根底から問う何ものかがあり、むきだしの人間の生き死にがあります。こうした現地から見える日本はあまりに仮構にみちています。人の生死の意味をおきざりに、その正義の議論に熱中する社会は奇怪だとすらうつります。
こうして、私たちにとっての「国際協力」とは、決して一方的に何かをしてあげることではなく、人びとと「ともに生きる」ことであり、それをとおして人間と自らをも問うものでもあります。実際、現地の活動は、現地・日本を問わず、官民を問わず、大小無数の良心的協力に負っています。拙いこの小冊子が、「アフガニスタン」で象徴される第三世界の実情、動乱の中で現地の一般庶民がどう感じ、どう生きてきたか、そこから見える日本と「欧米国際社会」の光景、国際協力のひとつの現実を伝え、私たちの脚下をかえりみるよすがになれば幸いです。
筑摩書房、中村哲『アフガニスタンの診療所から』2020年復刊版、P209-211
「真剣に考えればぞっとするような問題でさえ、「ニ一世紀に向けて」だの、「グローバル」だの、「地球にやさしい」だのという流行語で、うわべをよそおって安心しているのが日本の現状だと思えてならないからです。」
「近代化された日本でとうの昔に忘れ去られた人情、自然な相互扶助、古代から変わらぬ風土」
「私たちが「進歩」の名の下に、無用な知識で自分を退化させてきた生を根底から問う何ものかがあり、むきだしの人間の生き死にがあります。こうした現地から見える日本はあまりに仮構にみちています。人の生死の意味をおきざりに、その正義の議論に熱中する社会は奇怪だとすらうつります。」
これらの言葉は1992年に中村医師によって書かれたものですが、この言葉はまさに今の私たちに突き刺さるものではないでしょうか。
コロナ禍に揺れているここ数年の日本のあり方に、中村医師は何と言うのでしょうか。私はそれを思わずにはいられません。
この本は今こそ読むべき名著中の名著です。
文庫本で200ページほどというコンパクトなサイズですので、気負わずに手に取ることができますので、ぜひぜひおすすめしたい作品です。
ソ連のアフガン侵攻、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに読んだこの作品でしたが、強烈な印象を残した読書になりました。
以上、「中村哲『アフガニスタンの診療所から』今こそ読みたい名著!ソ連のアフガン侵攻とその後の悲惨な現実を学ぶために」でした。
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