オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』あらすじと感想~『一九八四年』と並ぶディストピア小説の傑作
オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』あらすじと感想~『一九八四年』と並ぶディストピア小説の傑作
今回ご紹介するのはオルダス・ハクスリーによって1932年に発表された『すばらしい新世界』です。
私が読んだのは早川書房版、大森望訳の『すばらしい新世界』です。
早速この本について見ていきましょう。
すべてを破壊した〝九年戦争〟の終結後、暴力を排除し、共生・個性・安定をスローガンとする清潔で文明的な世界が形成された。人間は受精卵の段階から選別され、5つの階級に分けられて徹底的に管理・区別されていた。あらゆる問題は消え、幸福が実現されたこの美しい世界で、孤独をかこっていた青年バーナードは、休暇で出かけた保護区で野人ジョンに出会う。すべてのディストピア小説の源流にして不朽の名作、新訳版!
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ディストピア小説といえばオーウェルの『一九八四年』が有名ですが、この作品はなんと、その17年も前に発表された作品です。1932年の段階でこの作品が書かれたことにまず驚きました。
そして『一九八四年』が徹底した管理社会の構築によって完成された暗い世界を描いているのに対し、ハクスリーの『すばらしい新世界』ではそんな暗さがありません。そこに生きる人たちはあくまで「幸福」であり、『一九八四年』のような徹底した監視すら必要ないのです。ここが大きな違いなのですが、不気味な「幸福さ」とその幸福がいかにして出来上がっているかに私たち読者は恐怖や違和感を覚えることになります。
この作品についてより考えていくために、巻末のあとがきを見ていきましょう。
そもそも、ディストピアというと、だいたい暗いイメージで、監視社会だったり管理社会だったりするもんですが、この小説に描かれる未来社会(西暦二五四〇年)は、『一九八四年』のそれと対照的に、たいへん明るい。フリーセックスと合法ドラッグ(ソーマと呼ばれる)が公的に推奨される一方、重くて面倒くさい人間関係は一切なし。
この時代、子どもは母親からではなく、人工授精によって瓶から生まれる(〝出瓶〟する)ので、親子関係なるものは社会に存在しない(〝母親〟や。〝父親〟は、人前でロにできないほど下品で猥褻な言葉と思われている)。結婚制度もないから夫婦関係もなく、当然のことながら家族という概念もない。特定の恋人と長くつきあうことは不適切な関係と見なされるから、みんな複数の異性とカジュアルに交際している。だれもがリア充な社会。
テレビや感覚映画を中心に娯楽産業はおおいに繁栄する一方、シリアスな文学や芸術は社会から排除され、哲学も宗教も存在しない。テクノロジーの進歩によって病気も老化も追放され、六十歳で安楽にぽっくり死ぬまで、セックスとスポーツを楽しみながら、健康でしあわせな毎日が送れる(万一、なにか不愉快な目に遭ったときは、ソーマのカを借りて桃源郷に遊び、ストレスを発散できる)。
この安定を維持するため、出生(出瓶)前から、各人の社会階層がアルファ、べータ、デルタ、イプシロンと厳密に定められ、さまざまな条件づけと睡眠学習がほどこされてるんですが、その結果、(主観的には)万人の幸福が実現している。
早川書房、オルダス・ハクスリー、大森望訳『すばらしい新世界』P363-364
この作品で特に印象に残るのがソーマという薬です。
これがあればストレスとはおさらば。嫌なことはさっぱり忘れることができます。しかも副作用もなし。
ですのでこの世界に生きる人達は皆ストレスとは無縁です。しかも余暇も充実し、病気も無縁。テクノロジーのおかげで60歳まで若者の体のままでいられ、性的な楽しみに耽り続けることを奨励されます。そして実際に皆それに満足し楽しんでいます。(60歳になれば皆ぽっくり死ぬようプログラミングされていますが誰もそれを恐れていません。死を恐れないようにもプログラミングされているのです)
これだけ聞けばたしかに「すばらしい新世界」、「ユートピア」です。
しかしこれがどのように成し遂げられているかとなると、これが頗る不気味なのです。
まず上の解説にもありますように、人間は瓶から生れます。いわゆる試験管ベビーです。最初から人工的に受精し、そこから培養することで人間を作り出します。そして細胞が分化し、赤ん坊になっていく過程から様々な処置を繰り返すことで生まれる前から階級ごとに特徴を持たせた身体を作り出していくのです。
例えば、一番上の階層の人間は身体的にも優れた形質を与え、下の階級には知的能力を制限し、身体的特徴も明らかに劣ったものを付与するようにデザインされます。
人間は生まれる前からすでに人生を決定されるのです。
そしてそこから「ネオ・パブロフ式条件反射」というものを駆使して、人間の無意識の部分に強烈な暗示をかけることで彼らが「何を好み、何を嫌うか」もあらかじめ設定していきます。
この作品を貫く思想の一つに「人間は条件付けによって動く」というものがあります。パブロフの犬の話は有名ですよね。条件付けさえしてしまえば実際に食べ物を見なくても唾が出てくる。
これを応用し、胎児から幼児の段階で徹底的にそれぞれの階級に適した思想を叩き込むのです。寝ているうちにひたすら「好ましい言葉、スローガン」をスピーカーで流し続けたり、本や花を見ると電気ショックが流れ、本や花を嫌うように仕向けたりなど、様々な手法で条件付けをしていきます。
こうした効果はテキメンで人々は自分たちが条件付けをされていることも知らずに、無邪気に反応し、世界を謳歌するのです。
ただ、そんな中にもまれに例外が現れます。それが主人公のバーナードでした。彼はそんな条件付けに反応しません。さらにソーマも使用したがりません。自分は自分なんだと、その実感を得るためにそれらを拒否するのです。
そんな彼を軸にこの世界の異様さを私たちは見ていくことになります。そして彼が休暇で訪れたこの世界と隔離された野人保護区で出会うことになる「野人」ジョン。野人保護区とは管理された「すばらしい新世界」と隔絶された野蛮な人たちが住む世界のこと(野蛮といっても新世界の人から見ての話です)。このジョンの存在がこの小説の核になっていきます。
そして『一九八四年』もそうなのですが、物語の最終盤で「すべてを知る人物」からなぜこの世界を作らなければならなかったのかという種明かしをされることになります。これがまた人間世界の本質を突く鋭いやりとりの応酬なんです。
「ディストピアもの」の素晴らしい点はやはりこうした未来の「ディストピア」を題材にして私たち人間の本質を突く問題を提起するところにあると私は思います。
また、この作品は伊藤計劃の『ハーモニー』に大きな影響を与えた作品でもあります。『ハーモニー』については以前当ブログでも紹介しました。
この作品と『すばらしい新世界』について訳者は次のように述べています。
少子化も高齢化も、戦争も暴力も、不況も金融危機も、自殺も食糧問題も教育問題もない社会。ちなみに、この理想的な世界をさらにソフト化したのが、冒頭に引用した伊藤計劃『ハーモニー』で描かれる、〝真綿で首を絞めるような、優しさに息詰まる世界〟。本書は、カート・ヴォネガット・ジュニア『プレイヤー・ピアノ』からアイラン・レヴィン『この完全なる時代』、バリントン・J・ベイリー『時間衝突』(のレトルト・シティ部分)、栗本薫『レダ』、貴志祐介『新世界より』、さらにはアニメの『PSYCHO-PASS サイコパス』まで無数のディストピアSFに直接の影響を与えているが、『ハーモニー』もその直系のひとつ。御冷ミアハが野人ジョンの後継者だと思うと感慨深い。
早川書房、オルダス・ハクスリー、大森望訳『すばらしい新世界』P364-365
私は伊藤計劃さんの小説が大好きで『ハーモニー』もその中のひとつです。『すばらしい新世界』は後のSF小説に多大な影響を与えました。
ディストピア小説の元祖であり、SFファンのみならず全ての人におすすめしたい1冊です。『一九八四年』は読んでいてかなり辛くなりますが、この作品はそこまでどぎついものはではありません。(とはいえかなり考えさせられますが・・・)
『一九八四年』に挫折した人でも読みやすい作品となっています。
幸せとは何か、ユートピアとは何か、もしソーマという苦しみを忘れられる魔法の薬があったらどうなるのだろうか、それをはたして自分は使うだろうか、仮に使ったとしてすべての苦しみを忘れて忘我恍惚状態になることが人生と言えるのだろうか、などなど思うことはそれこそ無数に出てきます。『一九八四年』もものすごく頭がフル回転になる作品ですがそれとはまた違ったフル回転をこの作品ではすることになります。
この記事ではそのひとつひとつをじっくり追っていくことはしませんでしたが、私の中で色んなものが渦巻く読書になりました。皆さんも読めばきっとそうなると思います。
非常におすすめな一冊です。SF、ディストピアものの王道中の王道です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』あらすじ解説と感想~『一九八四年』と並ぶディストピア小説の傑作」でした。
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