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ユゴー『私の見聞録』概要と感想~ユゴーの内面やレミゼの裏話を知れる1冊
今回ご紹介するのは潮出版社より1991年に出版されたヴィクトル・ユゴー著、稲垣直樹編訳『私の見聞録』です。
早速この本について見ていきましょう。
内容(「BOOK」データベースより)
膨大な未定稿から選んだ行動の記録。19世紀フランスの社会と波瀾万丈の人生のなかで、行動する人間・ユゴーがつづる、本にならなかったもう一つの『レ・ミゼラブル』。
内容(「MARC」データベースより)
フランス文学史上最大の詩人であり、民主主義政体のカリスマ的シンボルとしてのヴィクトル・ユゴー。フランス革命後の混乱を政治という現実の世界で生き抜いたもうひとつのユゴーの姿や「レ・ミゼラブル」の背景を、膨大な未定稿の中からあぶり出す。
Amazon商品紹介ページより
この本はユゴーが残した膨大な文書の中から彼の人物像に迫るものを選んだ作品です。
この本の特徴について編者はまえがきで次のように述べています。
ヴィクトル・ユゴーときいて、おそらく大部分の人が、
「ああ、あの『レ・ミゼラブル』の作者ですか」と答えることだろう。
日本では、『レ・ミゼラブル』はどんな文学全集にも収められ、少年少女文学全集のたぐいでは第一巻をかざることも少なくないくらい有名である。有名なのは一面ではとてもよいことだが、不都合な面もある。いちばん困ったことは、名前をよく知っていると、なにか、その作品とか、その作品の作者についてもよく知っているような、そんな錯覚にみんなが陥りやすくなることだ。かくして、日本では、「ユゴーは小説家」。それだけで片づけられてしまうことが多い。
ユゴーはなにも小説だけ書いていたわけではないし、『レ・ミゼラブル』もなにも心温まる人間愛の物語というだけではない。ユゴーという人間がどれほど多様性に富んだ八面六臂の活躍をしたか、『レ・ミゼラブル』がどれほど重層的な作品か。ひと言でいえば、どれほど人も作品も一筋縄ではいかないか。それをユゴーの生きた時代に身を置いて、読者に体験していただこうというのが本書のねらいである。言葉による体験と目による体験。ユゴーのつづった自身の人生と社会の実録を読むと同時に、それを映像化する十九世紀当時の版画をごらんいただく。版画はすべて一八八九年版『挿し絵入りユゴー全集』からとったものである。この全集はそれまでに刊行された挿し絵入りのユゴー作品からも挿し絵をとっているので、たとえば、『レ・ミゼラブル』についてはエミール・バヤール筆の箒を待ったコゼットの絵のように、すでにほかで紹介され、おなじみになったものも含まれている。(中略)
この本に集めたのは、こうしたユゴーの一八四〇年から一八五三年までの行動の記録である。ちょうどこの時期は『レ・ミゼラブル』の構想が練られ、ついで、その本文の多くが執筆された時期をカバーする。その後『レ・ミゼラブル』は一八六〇年から六二年にかけて大幅な加筆訂正がなされて、一八六二年に出版されたのであるが、この大幅な加筆訂正にも、本書に記録されたさまざまな体験が生きている。いわば、本書収載の実録は『レ・ミゼラブル』の背景となっているのであり、かりに『レ・ミゼラブル』が出版されなかったとしたら、生前ユゴーが出版しただろうと思われる社会とのダイレクトなかかわりの記述である。そういう意味で、本書の内容は、本にならなかった、もう一つの『レ・ミゼラブル』を成しているということもできるだろう。
潮出版社、ヴィクトル・ユゴー、稲垣直樹編訳『私の見聞録』P1-5
この本では1840年代から1850年代半ばの『レ・ミゼラブル』執筆に大きな影響を与えた時期のユゴーを知ることができます。
特にこの本にはレミゼの重要人物ファンテーヌのモデルになった女性が登場します。
ファンテーヌが無礼な男に雪を入れられ、それに反撃したが故に連行され牢獄行きを宣告されたシーンはレミゼを観た人には強烈なインパクトがあったと思います。そして作中でそんなファンテーヌを救ったのがジャン・バルジャンでした。
実はこの「捕らえられた娼婦と彼女を解放する紳士」という構図はユゴー自身が実際に体験した出来事がモデルになっているのです。
ユゴーはこれとまさに同じ場面をレミゼ執筆に先立つ1841年に体験していたのです。
この本では他にもレミゼにつながるユゴーの体験がいくつも出てきます。
レミゼが生まれてくる背景やユゴーが当時何に関心を持ち、どのような行動を取っていたかをこの本では知ることができます。これはとても興味深かったです。とてもおすすめな一冊です。
次の記事では実際にファンテーヌのモデルになった事件について書かれた箇所を見ていきます。
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