ボスニア・モスタルの虐殺博物館を訪ねて~紛争の衝撃的な展示に言葉を失う ボスニア編⑰
ボスニア・モスタルの虐殺博物館を訪ねて~紛争の衝撃的な展示に言葉を失う 僧侶上田隆弘の世界一周記―ボスニア編⑰
5月4日夕方。
ぼくはモスタルの街を歩くことにした。
夕方になると日帰りツアーの観光客も帰りはじめ、モスタルの街は一気に人が減り始める。
橋を渡り旧市街を進み続ける。
昼間はここが人で埋め尽くされるほどだが、これくらいならスムーズに歩くことができる。
だが、未だに若い大柄な男とすれ違う時は恐怖で体に緊張が走る。
また襲われるのではないかとつい必要以上に警戒してしまう。
一度体に刻み付けられた恐怖は簡単には消え去ってくれないということを実感した。
そして同時にこうも思った。
だから相手を傷つけてはならないのだと。
傷つけられた側の痛みはずっと長い間その人を蝕み続ける。
傷そのものの痛みだけではなく、日常生活に及ぼす影響も甚大なのだ。日々の生活が壊れかねないのだ。
しかし傷付けた側にはそんなことは知る由もない。
「非暴力」は仏教でも大切にされていることであり、世界中の宗教が掲げている理念だ。(それが実行されているかは別として)
でも、そもそもなぜ暴力はいけないのか。
それを深く考えたことはあまりなかった気がする。
「だめなものはだめなのです。それは悪いことなのです。」
「神が決めたことだからだめなのです」
これでストップしていていいのだろうか。
そもそもなぜ暴力はだめなのか。誰がそれを決めたのか。
逆に、許される暴力はありえるのか。あるとしたらそれはどんな時だろうか。
暴力をどう捉えていけばいいのだろうか。
人間の本性だから仕方がないで済ませていいものなのだろうか。
・・・う~む、難しい。でも改めてしっかりと考える必要がありそうな気がした。
暴力に遭った今のぼくだからこそ、考えなければならない。
ここはボスニアだ。思えばぼくはそれを学ぶためにここに来たのではなかったか。
なぜ共存していた隣人同士で殺し合いが起こったのか。
宗教や民族対立はなぜ起こるのか。そしてそれは必然的なものなのか。
これはぼくのこれからのテーマになる問題だ。時間をかけてゆっくりと学んでいこう。
そうこうしている内にぼくは旧市街を抜け、新市街に入りだしていた。
少し寂れた街並み。空気が重い・・・
どんよりした曇り空と相まって、見える世界が全部灰色で塗りつぶされてしまったかのようだ。
ここらもスリが多いということで細心の注意を払う。
街歩きをしていて、ぼくは虐殺博物館なる建物を見つける。
外から覗いてみると、かなり本格的な博物館であることがわかった。
せっかくここで見つけたことだし、ぼくは中へ入ってみることにした。
中は紛争当時のものや資料が展示されていた。
正面の映像では当時の紛争の様子が流されていた。
紛争当時の生々しい様子や、写真ではわからない声や音を通して伝わってくる。
銃弾に貫かれ病院に搬送されてきた息子とその遺体に泣きつく母親のシーンが印象的だった。
一緒に見ていた欧米人観光客も映像から目を反らし、手を口に押し当てて涙を流していたのを覚えている。
スナイパーからの狙撃を避けるため、いたるところでこうしたバリケードが作られていた。
水を求めるだけで命がけだったというミルザさんの言葉を思い出した。
博物館奥の通路の入り口。ここには虐殺の指導者とされた戦犯が貼られている。
この先の階段を降りると、ここでは紹介できない写真が数多く展示されていた。
あまりにショッキングな写真。
虐殺の悲惨さ、残酷さをストレートに伝えてくる写真だった。
虐殺され、それを隠蔽するために埋められた遺体。
それらは紛争後、ミイラ化していたり腐敗した状態で見つかった。
それらをそのまま写真に収め、ここに展示している。それも、カラー写真で。
直視し続けるのは本当に難しいものだった。
日本では普通公開されない類のものだと思う。
かつて見た原爆ドームの蝋人形もぼくの中では強烈な印象を残しているがそれに近いものだと思う。
そしてこの博物館でもうひとつ印象的だったのがこのジオラマだ。
これは強制収容所の様子をジオラマ化したもの。
丸太を割る捕虜の後ろには銃を構えた兵士。
その奥に目を向けてみると、背中を向けて並んで立たされた4人の男。
彼らの視線の先には一足早く処刑された血まみれの捕虜たちの骸。
彼らの命運も間もなく尽きんとしていた。
そしてオレンジ色の屋根の建物の扉にはなぜか大量の血の跡。
ここに捕虜を立たせて処刑したのだろうか。
その目の前には4人の兵士にリンチされ殺された男の姿。
さらに言うと実はこのアングルからは見えない建物の裏側にも血の跡や暴力が描かれている。
このジオラマがいかに力を込めて作られたかを感じる。
人間の想像力は恐ろしい。
写真で見せられるよりも、こういった人形の姿で見せられた方がより実態を想像させられて強烈なインパクトを与えてくる。
リアルではないジオラマからリアルすぎる想像を与えられてしまう。
これは見ていて目を反らしたくなるほどの恐怖だった。
博物館の帰り道にモスクに立ち寄る。
このモスクから見るスタリモストが最も美しいとミルザさんに教えてもらった場所だ。
ネレトヴァ川の流れは独特だ。
川の表面に粘り気すら感じさせる重厚さ。
ぼくは川を眺めながらしばらくもの思いに耽った。
ついさっきまでいた博物館での体験は、ぼくの中に異様なものを残していった気がする。
掴みどころのない黒くて重い不気味な箱を急に手渡されたような気分だ。
中身が何かはわからない。でも確実に不吉なものであることを感じさせる。
そんな箱だ。
きっとあの写真とジオラマの影響だろう。
モスタルでの日々は、辛いながらも少しずつ心の落ち着きを取り戻すことができた時間だった。
そして最後に訪れた虐殺博物館はこれまで見てきたものに劣らず、強烈なものであった。
久々に街を歩いていきなりこれはかなり心に来るものがあったが、逆に自分も前に進まなきゃだめなのだという気持ちにさせてくれたような気がする。
自分はこうして元気に歩いていられる。
そのことのありがたさに感謝しなくてはならない。ぼくは幸せ者なのだ。幸運な人間なのだ。
ボスニアはこの旅で最も重要な場所になったと思う。
ここで学んだことをしっかりとこれからの糧にして進んで行こうと心に誓うのであった。
続く
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