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ホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)を訪れる②~不思議なご縁との出会い イスラエル編⑮

ホロコースト記念館
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ホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)を訪れる②~不思議なご縁との出会い 僧侶上田隆弘の世界一周記―イスラエル編⑮

ナチスの台頭とホロコーストへの道筋の展示を終え、ぼくは先のブースへと進んでいく。

すると、ふと耳に馴染みのある音の連なりが聞こえてくるのを感じた。

そう、日本語だ。

まさかこんなところで日本語を聞けるとは。

思わずぼくはその声のする方へと引き寄せられていく。

あぁ、やはり日本語だ。間違いない。

日本語のガイドさんがここの説明をしているのであった。

何のグループなのかはわからないが20人ほどの人たちがガイドさんの説明に耳を傾けている。

これはなんたる嬉しい偶然かと、ぼくはちゃっかりそのグループの後ろにくっついて行くことにした。

うん。やはり解説があると全然違う。

見ているものから物語が浮かび上がってくるようだ。

とはいえやはり勝手に付いていくのも申し訳ない気分になってきた。

そこでそのグループの方に思い切って話しかけてみることにしたのである。

ーすみません、みなさんはどのようなグループなのですか?

「あ、日本人の方なんですね!私たちはクリスチャンのグループです。」

ーそうだったんですね。すみません勝手にくっついてきてしまって。あの、もしよろしければご一緒させていただいてもよろしいですか?

「あぁどうぞどうぞ!せっかくですから前の方に行ってガイドさんの近くに行ってください。ここじゃ聞こえにくいでしょ?」

あぁ、なんと優しい方たちなのだろう。

ぼくはありがたくご一緒させてもらうのであった。

聞くと、この方たちは日本各地の宗派を超えた様々な教会から有志で集まり、皆でイスラエルの聖地を巡る旅に来ていたそうだ。

ぼくがお坊さんであることや一人でここに来ていることを告げると、みなさん驚かれていたが、とても温かく迎え入れて下さった。

そしてなんと、このヤド・ヴァシェムの後もバスに乗せてもらい、イスラエル博物館までご一緒させてもらえることになったのだ。

不思議な状況。

なぜか今、ぼくは観光バスで日本人のグループと一緒に旅をしている。

こんな異国の地で、こんなに親切にして頂けることがあるとは全く想像もしていなかった。

それも、「同じ日本人である」ということがきっかけで。

・・・ぼくはここではっとした。

ーそうか・・ユダヤ人もこうして助け合って生きてきたのか・・・

ユダヤ人は以前の記事で述べたように、エルサレム陥落とマサダの敗戦で世界中に離散することを余儀なくされた。

全く見知らぬ地に新たに住む彼らには、どれだけの苦難が待ち構えていただろう。

世界中、ユダヤ人が住んでいた都市には、必ずユダヤ人街というものが存在する。

そこでユダヤ人は独自のコミュニティーを作り上げ、互いに助け合って暮らしていた。

そこでは生活の様々な面での協力や、子供たちへの教育もなされていた。

かつての社会ではほとんどの人間が教育の機会もなく、文字を読めないのが当たり前であった。

しかしユダヤ人のコミュニティではお互いにヘブライ語を中心とした読み書きを教え合い、子供たちにも教育の場を提供していたのであった。

このような土壌があったからこそ、ユダヤ人の高度な知性が後の時代に花開くことになったのだろう。

そして、ぼくが今日、異国の地で親切にしてもらったのと同じように、世界中でユダヤ人は協力し合っていた。

ぼくはこの親切が本当にありがたかったし嬉しかった。

そしてヤド・ヴァシェムや博物館での解説によって、実際に多くの恩恵を受けることができた。

これは一人で回っていては到底得ることができなかった恩恵だ。

きっとユダヤ人も同じように、この恩恵の輪を広げていったのだろう。

だからこそ苦難の歴史にあってここまで生き抜くことが出来たのではないだろうか。

博物館での見学も終わり、エルサレムの新市街までバスで皆さんとご一緒させてもらう。

バスを降りるとお別れだ。

お世話になった皆さんとがっちりと握手を交わし、ありがとうございましたと心からのお礼を告げ、お別れした。

本当に清々しいお別れだった。

まさかエルサレムでこのようなご縁があるとは思っていなかった。

不思議なこともあるものだ。

改めてここで出会った皆様に感謝申し上げたいと思います。

本当にありがとうございました。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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