(39)息子善鸞の義絶事件と親鸞の絶望~親鸞最晩年の悲劇とは

【入門 現地写真で見る親鸞聖人の生涯】(39)息子善鸞の義絶事件と親鸞の絶望~親鸞最晩年の悲劇とは
京から関東に送り込まれた善鸞。
善鸞ならば関東の混乱も収めてくれるだろうと期待していた親鸞でしたが、しばらくして信じられない手紙を受け取ることになります。
それは関東の弟子達からの手紙でした。
「善鸞殿は何のために来られたのですか?あの方は私たちのことを非難するばかりで、関東は余計混乱しています。どうにかしてください。」
善鸞が弟子達を非難?一体どういうことだ?
親鸞は困惑しました。善鸞が関東に向かってからすでに数年が経っていました。善鸞からは関東からの懇志金や手紙も届いていましたし、親鸞はある程度善鸞が関東でうまく立ち回っていると思っていたのです。
しかし、どうでしょう。この手紙はいったい何なのだ?・・・いや、善鸞に限ってそんなことは・・・。
親鸞は疑問に思いつつも、善鸞や弟子達とその後もやりとりを続けていました。これはきっと何かの間違いに過ぎまい。すぐに誤解も解けるであろう・・・。
ですが、現実は無情でした。
やはり善鸞は関東で混乱を招いていたのです。
善鸞は造悪無碍の徒を抑えようとするあまり、親鸞の教えを歪めてまで弟子たちを統制しようとしていたのです。しかも「私は父親鸞から秘密の教えを授かった。実は関東の門弟にはその教えは伝えられていない。だから彼らではなく私につくべきなのだ」とまで言って布教をしていたのです。
さらに善鸞の暴走はこれにとどまらず、関東教団の主導権を奪うために幕府や六波羅探題に訴訟まで起こしてしまいます。幕府や朝廷から弾圧されないために善鸞は送り込まれたわけですが、その善鸞が幕府や朝廷と結んで弟子達を訴えてしまったのです。これでは本末転倒です。
親鸞がこうした状況を知ったのはかなり後のことでした。弟子と善鸞、双方から手紙が寄せられますが両者の言い分があまりにかけ離れていたため親鸞にはどちらを信じてよいかわからなかったのです。
しかし、次第に善鸞の行いに疑問を持ち始め、それを本人に問いただすようになります。窮地に追い込まれた善鸞は釈明するも、ついに親鸞はすべてを悟ります。この時の親鸞の悲痛は耐えがたいものがあったことでしょう。
信頼していた息子に裏切られた・・・。
念仏の教えに生きていても、家族一人にすら伝わっていなかった・・・。
信頼していた関東の弟子達も、結局善鸞に惑わされるほどの信心でしかなかった・・・。
どれほどの無力感、絶望だったことでしょう。これまでやってきたことは一体何だったのか・・・。
親鸞は断腸の思いで善鸞を義絶します。
こうして善鸞は父親鸞から親子の縁を切られ、この事件は終結します。これが親鸞最晩年に起こった悲劇、善鸞事件になります。
さて、この善鸞事件、皆さんはどう感じられたでしょうか。
親子の縁を切るのはさすがに厳しすぎではないか?
いやいや、親鸞が命を懸けて守って来た念仏信仰を歪めたのだからやむをえないだろう。
人それぞれ様々な思いが浮かんでくると思いますが、この善鸞事件は親鸞・善鸞双方にとって悲劇的な結末となってしまったことは間違いありません。
後世を生きる私たちから見れば、なんとか防ぐことはできなかったのかと思わずにいられないような事件でもあります。そして従来、この善鸞は偉大なる父親親鸞を裏切った大悪人のように語られてきましたが、近年その見方が変わりつつあります。
次の記事ではそんな善鸞の新たな見方についてお話ししていきたいと思います。善鸞は本当に悪人だったのか、今一度振り返ってみることにしましょう。
続く
この記事で特に参考にした書籍はこちら
平雅行『改訂 歴史のなかに見る親鸞』
今井雅晴『親鸞聖人の一生』
主要参考文献一覧はこちら

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