MENU

「犀の角のようにただ独り歩め」~お釈迦様のことばに聴く

犀の角
目次

「犀の角のようにただ独り歩め」~お釈迦様のことばに聴く

六八 最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力を具え、犀の角のようにただ独り歩め。

七一 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

中村元訳『ブッダのことば』「第一、蛇の章、三.犀の角 p21,22」

前回読んでいった詩句はお釈迦様の本領発揮とも言えます逆説的で私たちをぽかんとさせるような問いかけでございました。

やはりお釈迦様のことばは一筋縄ではいきません。

ですが今回はこのお経のハイライトのひとつとご対面することになります。

私と一緒に前回の詩句でモヤモヤしてしまった頭を一度リセットして参りましょう。

さて、上記の2つの詩句。これが有名な「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉の元になった詩句でございます。

この2つの詩句が収録されている「犀の角の節」には実に40もの詩句が収められていて、そのひとつひとつが「犀の角のようにただ独り歩め」という文言で締められています。

今回はその中でも特に印象に残った2つの詩句を抜粋しました。

「犀の角のようにただ独り歩め」

・・・いやはや、なんとわかりやすい譬えでしょうか。

何かを成し遂げようとしたならば、黙々と一人で没頭しなければならない時があります。

しかし一人で黙々と目的に向かって努力し続けるというのはなかなかできることではありません。

特に、日本のような集団の調和を重んじるような文化にあってはより困難なものであるでしょう。

面白いことにお釈迦様はこの詩句の少し前でこんなことも述べておられます。

「四〇 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め」

中村元訳『ブッダのことば』「第一、蛇の章、三.犀の角 p18」

もちろん、良い仲間と共に研鑽し合うことは大切だとお釈迦様は他の箇所でも述べています。

しかし、やらねばならぬ時には一人でやり通すのだという覚悟を持てとお釈迦様は述べるのです。

そして次の詩句。これは私の中でも特にお気に入りの譬えです。最初に紹介しましたがもう一度読んでみましょう。

七一 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

周囲の雑音に動じない堂々とした獅子。

犀の詩句の中に百獣の王ライオンが現れるというのが素晴らしいですね。アフリカのンゴロンゴロを思い出します。写真に収めることは出来ませんでしたがサイもここでは見ることが出来ました。

2019年3月 タンザニア ンゴロンゴロにて

ライオンやサイといえばアフリカというイメージがありますが、かつてはインドにもライオンやサイは生息していたそうです。(※残念ながらライオンは絶滅してしまいましたがサイは現在でも生息しているようです。)

だからこそインドに住むお釈迦様のことばにもサイやライオンが現れてくるのですね。

そして次の譬えの「網にとらえられない風」。

これが私の一番のお気に入りです。

風には形がありません。

どんな形の網を用意しても、どんなに目が細かい網を持ち出しても、向かってくる風はいとも簡単にすり抜けていってしまいます。

自分を捕えようとするものをするりと受け流し、悠々と先へ進んで行く様は何とも優雅で飄々とした強さを感じます。

獅子のような堂々たる強さと、自由自在に立ち振る舞う柔らかな風。

この2つが続けて語られるところにお釈迦様のお釈迦様たる所以があるように私は感じます。

そして最後に蓮の華。

蓮は泥の中から咲いてきます。泥は人間の煩悩や世の中の汚れを暗示します。

煩悩の中を生きる私たちの中からこそ美しい蓮の華が咲いてくるということをこの詩句では示唆しています。

獅子のような強さと風のようにしなやかな強さ。それらは蓮の華のように私たちの中から咲いてくるのですよとお釈迦様は仰られるのです。

あぁ、なんと巧みな譬えでございましょう!

お釈迦様が生きておられたのは今からおよそ2500年前と言われております。

2500年経ってもそのことばの輝きはまったく衰えることはありません。

だからこそ「犀の角のようにただ独り歩め」ということばは現代を生きる私たちにも強いインパクトを与えるのでしょう。

さて、本日はこのお経のハイライトである犀の角の詩句を読んで参りました。

お釈迦様が生きておられた時の説法に最も近いとされるこのお経ですが、その雰囲気が最も感じられるのがこの犀の角の詩句であるように私には思えます。

巧みな譬え話によって人々を教え導く、そんなお釈迦様のお姿が目に浮かぶようです。

では、本日はここまでとさせて頂きます。

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。

次の記事はこちら↓

あわせて読みたい
「生れによって賤しい人となるのではない。行為によって賤しい人ともなり、バラモンともなる」~お釈迦... 「生れによって賤しい人となるのではない。行為によって賤しい人ともなり、バラモンともなる」~お釈迦様のことばに聴く 一三六 生れによって賤しい人となるのではない...

関連記事

あわせて読みたい
戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である―お釈迦様のこ... 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である―お釈迦様のことばに聴く 一〇三 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つ...
あわせて読みたい
花の香りのように、人徳は自ずから人に伝わっていく―お釈迦様のことばに聴く 花の香りは風に逆らっては進んで行かない。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く―お釈迦様のことばに聴く 五三 花の香りは風に逆らっては進んで行か...
あわせて読みたい
中村元訳『ブッダのことば』を読む~お釈迦様のことばに聴く 最古のお経のひとつであるこの『ブッダのことば(『スッタニパータ』)』はお釈迦様が存命当時実際に説かれていた教えに最も近いとされています。 シンプルだけれども心に響く深い味わいがある、そんなお経がこの『ブッダのことば』です。 有名な「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉もこのお経で説かれています。私も大好きな経典です。
あわせて読みたい
中村元訳『ブッダの真理のことば』概要と感想~簡潔で心に響く原始仏教のエッセンスを知るならこの1冊! 『真理のことば』はひとつひとつの文が簡潔で、非常にわかりやすいです。哲学的なものというより生活実践としての言葉がそのほとんどを占めます。ですのでとてもわかりやすく、すっと心に染み入ってきます。 そうしたわかりやすさ、率直さ、簡潔さがあったからこそこのお経が世界中で親しまれることになったのです。 仏教入門としてこのお経は非常に優れています。お釈迦様が説かれていた教えに触れるにはこのお経が非常におすすめです。
あわせて読みたい
生きる意味とは?絶望の時代にどう生きる―ショーペンハウアーを読んで感じたこと ショーペンハウアーの本を読み、考え、記事にするのはなかなかに厳しい時間でした。普段の数倍疲労感がたまり、気持ちも落ち込みました。 しかしだからこそショーペンハウアーの悲観主義を乗り超えねばならぬとも感じました。ドストエフスキーやトルストイはその偉大なる先達なのだと改めて感じたのでありました。あの時代の文豪たちがなぜあそこまで本気で「生きること」について思索し続けていたのかが少しわかったような気がしました。 絶望の時代だったからこそ彼らは「生きること」に真剣になっていたのだと。そしてその葛藤を文学にぶつけていたのだと。
あわせて読みたい
ショーペンハウアー『幸福について』あらすじと感想~仏教に強い影響を受けたショーペンハウアー流人生論 「幸福は蜃気楼である。迷妄である」 『幸福について』というタイトルから「人生を幸福なものにするための方法」を教えてもらえるのかと思いきや、いきなり幸福など幻に過ぎぬとばっさり切ってしまうあたりショーペンハウアーらしさ全開です。 この本ではショーペンハウアーが「人々の信じる幸福の幻影」を木っ端みじんにし、どう生きればよいのか、真の幸福とは何かを語っていきます。
あわせて読みたい
僧侶が問うコロナ禍の日本~死と病が異常事態になった世界で 今本当に見るべきことは何か。問題の本質はどこなのか。私たちは目先の不安や憎悪に流されることなく、冷静にこの事態を見ていかなければなりません。 伊藤計劃さんの『ハーモニー』はそんな今の日本に警鐘を鳴らしてくれている作品だと私は思います。こういう時代だからこそ文学の力、言葉の力は私達に大きなものの見方を与えてくれるのではないかと私は信じています。
あわせて読みたい
「蛇が脱皮し旧い皮を捨て去るように」~お釈迦様のことばに聴く 一 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起ったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。-蛇が脱皮して旧い皮...
あわせて読みたい
「貪欲と嫌悪とは自身から生ずる」~お釈迦様のことばに聴く 「貪欲と嫌悪とは自身から生ずる」~お釈迦様のことばに聴く 二七一 貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛のよだつこととは、自身から生ずる。諸々の妄想...
犀の角

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次