⒄ブッダの強力なライバル「六師外道」とは~バラモン教を否定し新たな思想を提唱したインドの自由思想家たちの存在
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ブッダの強力なライバル「六師外道」とは~バラモン教を否定し新たな思想を提唱したインドの自由思想家たちの存在
前回の記事「⒃沙門(シラマナ)とは~ブッダの仲間、ライバルたる自由思想家達の存在と当時のインドの独特な宗教事情について」ではブッダの生きた時代の独特な宗教事情と新興思想家「沙門」の存在をお話ししました。
そして今回の記事ではそんなブッダの強力なライバルとなった6人の思想家「六師外道」についてお話ししていきます。「外道」と言いますと日本ではあまりいいイメージを持たれないかもしれませんが、ここではシンプルに「仏教の外の教え」という意味で用いられています。
六師外道は当時のバラモン教的世界観を否定した新興思想家「沙門」の中でも特に有力だった思想家を指します。この「沙門」と当時の時代背景については前回の記事でお話ししましたので割愛しますが、この六師外道の思想を知ることはブッダの思想を知る上でも非常に重要です。彼らと比べてみることでブッダの独自性が見えてきます。
ここから6人の名前とその思想内容を極簡潔に紹介しますが、この連載記事の目的はブッダの生涯をざっくりと見ていくという仏教入門にあります。ですのでここに挙げる思想家の名前やその思想内容を無理して暗記する必要はありません。あくまで「こういう人達がブッダと同時代にいたのだ」ということを感じて頂ければ十分です。ぜひ気楽にお付き合いください。
では、早速始めていきましょう。
これから紹介していく六師外道の6人については中村元著『インド思想史』を参考にしていきます。
①プーラナの道徳否定論
まず最初のひとりはプーラナという人物になります。
彼の思想は道徳否定論と呼ばれています。これは文字通り善悪の否定を骨子とした理論になります。
前回の記事でもお話ししましたが六師外道の思想は伝統的なバラモン教の否定を前提としています。そしてここでプーラナが道徳を否定したのも理由があります。
伝統的なバラモン教では一般の人々はバラモンに祈りを捧げてもらい、神々の助けを得て良き来世に赴くという世界観を持っていました。そしてバラモン教の定める祭式や善悪の掟を守ることこそ善い生き方であり、良き来世に繋がると考えていました。
しかしプーラナはそれを否定します。
「そもそもこの世には善も悪もない。ものを盗もうが人を殺そうがその報いなど存在しない。儀式をしたり施しをしてもその善の報いもない。ただその行為があるのみだ。人間のその後に影響を与える善悪の法則などこの世に存在しない。だから善も悪もなく、その報いもない」
何とも身も蓋もない思想ですが、極論までせんじ詰めればたしかにその言わんとすることはわかります。バラモン教的な輪廻転生の法則は迷信であり、どんな行為をしようがそれが来世に繋がるという根拠はないと、恐ろしく現代的な主張を彼はしています。
これぞ六師外道です。いかがでしょうか。これが今から約2500年前にすでにして語られていたのです。やはりインド人は凄まじい。驚くほどラジカルで過激な思想ですが、どこか頷けてしまう説得力があります。ある意味危険思想この上なしですが、こうした思想が王の庇護の下大っぴらに語られていたというのはやはり驚きです。
②パクダの七要素説
一人目のプーラナから道徳否定論という過激な説が唱えられましたが次のパグダも強烈です。
パグダは人間の各個体は「地・水・火・風・苦・楽・生命(霊魂)」の7つの要素から成り、これらは不変で石柱のように安定していると述べます。これだけではさっぱりわかりませんがこの思想の喩えが凄まじい。
「全ては不変であるが故に、たとえ剣で頭を切り落としても生命が終わることはない。ただそれは剣が七つの要素の隙間を通り抜けたに過ぎないのである」
「?」となってしまいますが、かなり大まかに言いますと、たとえ人を斬ったとしても、それは一人の人間を斬ったのではなく、刃がただそれぞれの要素の隙間を通り抜けただけにすぎないということになります。つまり、この説の行き着くところは、「人間というものはその人固有の存在があるのではなく、ただ単に様々な要素の集合体にすぎないのだから人を殺してもそれは罪悪にならない。」ということになります。
かなりややこしい思想ですが、行き着くところは道徳の否定ということになると言えるでしょう。
③ゴーサーラの宿命論(決定論)
二人続けて道徳を真っ向から否定するという過激な思想が続きましたが、こちらのゴーサーラは宿命論を説きました。これはシンプル。つまり、全ての物事はすでに決定されているという説です。
個人の意思に基づく行為はありえない。全ては輪廻転生の無限の時間の中で蓄積され、それが自分の行動を決定づけている。そして定められた期間の間、輪廻転生を繰り返すという説になります。
これも上の二人とは異なる形でバラモン教に反抗しています。バラモンによる祭式や道徳によって善い報いを受けようという教えとは明らかに異なります。
④アジタの唯物論
アジタは唯物論者として知られています。その説によればこの世は「地・水・火・風」の四元素で構成されていて、人間もそうした四元素の結合によって構成されているとします。ここまでは先ほどのパクダとも似ています。
ただ、ここからが彼の真骨頂です。
アジタは、「人間という存在は死んでしまえばその身体を構成していた物質は散失し、ただ無となるのみだ」と説きます。
そうです。アジタは現代にも通ずる唯物論を説いた思想家でした。
死んだら無。来世などありえない。だからバラモン教の説く輪廻転生も祭式も道徳も無意味である。この世こそ全てなのである。
2500年前の段階でここまで言ってのけるというのはやはり驚きです。やはり六師外道はそれぞれが並々ならぬカリスマ揃い。こういう思想家たちとブッダは切磋琢磨し戦わなければならなかったのでした。
ちなみにですが、あのローマ帝国にもこうしたとことん合理的な思考を持った哲学者がいました。それがルクレーティウス(BC94頃〜55)という人物です。彼はあのカエサルと同時代人で、ここからローマ帝国の黄金期が始まろうかという時代でした。その彼も旧来の神々の世界を否定し、驚くほど合理的な説を唱えました。「2000年以上も前にすでにこんなことをいう人がいたのか!」と私も彼の思想に仰天したのですが、ここで紹介している六師外道はそれよりも400年近く前の話です。恐るべし、インドです・・・!
⑤サンジャヤの懐疑論
5人目の六師外道サンジャヤの説も独特です。
彼はあらゆる問いかけに対して答えるとも答えないとも言えないような掴みどころのない受け答えをすることで知られていました。たとえば次のようなものです。
「来世はあるだろうか?」
「もし私が「来世はあるだろう」と考えるならあなたにそう答えるだろうが、私はそう思わない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではないとも考えない云々・・・」
こういうわけで結局判断をせず確定的な答えをしないというのがサンジャヤのスタイルでした。このあり方は「鰻のようにぬらぬらして捉え難い議論」と呼ばれ、ある種不可知論のようなものでありました。「善悪の報いはあるか」「来世はあるか」などの形而上学的な問題に対する判断中止を彼は唱えたのです。
バラモン教の説く輪廻転生や道徳律という形而上学的問題に対して、判断中止という新たなアプローチをした点でサンジャヤは画期的ということができるでしょう。
ちなみにこのサンジャヤの弟子が後の仏教教団の核となるサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)になります。この2人は元々サンジャヤの弟子でしたが、ブッダの教えと出会い改宗します。この2人の優秀さは群を抜いており、後に袂を分かつとはいえそれほどの人物を弟子としていた以上、やはりサンジャヤという人物も圧倒的なカリスマを持っていたと言うことができるでしょう。
⑥ジャイナ教の開祖ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)
六師外道の最後のひとり、ニガンタ・ナータプッタはなんと、ジャイナ教の開祖になります。開祖となってからはマハーヴィーラと呼ばれるようになり、こちらの名の方が有名です。
ジャイナ教は日本ではあまり知られていませんが、インドで今なお大きな勢力を持つ宗教となっています。仏教が後に衰退しイスラームの侵攻によって滅亡してしまったのに対し、こうして今も生き残り続けているのは注目に値します。
そして肝心のニガンタ・ナータプッタの思想ですが、簡潔にいうと不殺生や禁欲、厳しい苦行によって自己の汚れを取り除き、輪廻転生から解放されるという教えになります。
ジャイナ教は仏教と姉妹宗教と言われるほど共通点の多い宗教ですが、この厳しい苦行の存在が大きな違いとなっています。
また、ジャイナ教はインドの大商人の信者が多いのも特徴です。と言いますのもジャイナ教の不殺生の徹底は私達の想像をはるかに超えています。鍬を入れて農地を耕すと虫を殺してしまうという理由で農家もできません。となると自ずと商売の道を選ぶ人が多くなります。また禁欲的で道徳的な振る舞いを重んじることから商売にも正直で誠実なため、社会的な信用を得ることになりました。仏教とはまた違う理由で大商人からの支持を得たというのも興味深い事実となっています。
ジャイナ教についてより詳しく知りたい方は渡辺研二著『ジャイナ教 非所有・非暴力・非殺生―その教義と実生活』という本がおすすめです。
まとめ
ここまで六師外道それぞれの思想を見てきましたがいかがだったでしょうか。
「外道」というと仏教の敵のようなイメージを持ってしまいがちですが、こうして見てみると全く違った姿に見えてきたのではないでしょうか。ブッダ在世時のインドはこれほど強烈な個性を持った思想家たちが、それこそうようよしていた時代だったのです。
そしてブッダはこうした六師外道の思想を乗り越える思想を悟りました。つまりブッダは、プーラナの無道徳論でもなく、パクダの七要素説でもなく、ゴーサーラの決定論でもなく、アジタの唯物論でもなく、サンジャヤの懐疑論でもなく、ニガンタ・ナータプッタのジャイナ教でもない思想を唱えたということになります。
そしてもちろん、従来のバラモン教とも異なる教えを説いていたことになります。
ブッダもひとりで仏教の教えを導き出したのでありません。こうした様々な思想家との戦いを経て自らの思想を磨き上げ、体系化していきました。
こうした数多くのライバルたちとの切磋琢磨の関係は古今東西ジャンルを問わず存在しています。むしろ歴史のひとつの型であると言うことができるでしょう。
イエス・キリストもユダヤ教の文脈の中から生まれてきています。
また、今ではイギリスの演劇と言えばシェイクスピアがすぐに浮かんできますが、当時は彼もライバルたちと厳しい競争を繰り広げていました。
私の大好きなオランダの画家フェルメールも世界規模の貿易関係から大きな影響を受け、さらに彼の住んだデルフトには優れた画家が多数存在していました。
ロシアの文豪ドストエフスキーもバルザックやプーシキンに憧れ、同時代にはトルストイやツルゲーネフというとてつもないライバルたちがいました。
ドイツのユダヤ人天才音楽家メンデルスゾーンも幼い頃からゲーテやグリム兄弟など各界一流の人物達と交流し、優秀な人々と切磋琢磨しながら音楽の道を進んでいます。
あのマルクスもそうです。彼の『共産党宣言』や『資本論』もまさしく狂気のごとく行った文献研究と同時代の革命家や思想家との戦いの賜物です。(※トリストラム・ハント『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』参照)
天才もひとりでは生まれてきません。その天才が生まれる時代背景と仲間やライバルの存在が不可欠です。思想は戦いの場で勝負を決し、互いに磨き上げられ、最終的に生き残ったものが「天才の思想」として後世に残ります。だからこそ私たちは時代背景を学び、ライバルたちのことも学ばなければならないのです。
これは今皆さんと一緒に学んでいる仏教に限らず、あらゆるものにおいてもそうです。「天才」から学ぶべきことは多々ありますが、それをその人だけの問題として捉えてしまうと「あの人は天才だから凡人とは違う」で終わってしまいがちです。ですが時代背景やライバルの存在を知ることで私達の人生にも役立つことが必ず見えてきます。これが偉人の人生を学ぶ最大の面白さであり有用性だと私は考えています。
さて、またまた話は少し逸れてしまいましたが、ブッダのライバルたちの存在がこの記事を通して見えてきたのではないでしょうか。なかなかアクの強い強烈な面々ですが、当時の時代風潮が垣間見えたのではないかと思います。
次の記事ではこれまで見てきた時代背景やライバルたちの存在をふまえて、ブッダのどこが革新的だったのかをざっくりと考えていきたいと思います。
次の記事はこちら
※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
前の記事はこちら
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