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G・ブアジンスキ『クラクフからローマへ』あらすじと感想~教皇ヨハネ・パウロ2世のおすすめ伝記

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G・ブアジンスキ『クラクフからローマへ』概要と感想~教皇ヨハネ・パウロ2世のおすすめ伝記!

今回ご紹介するのは1980年に中央出版社より発行されたイェジ・ブアジンスキ著、巽豊彦訳の『クラクフからローマへ』です。

早速この本について見ていきましょう。

共産圏から教皇が出た―この予想外の画期的な出来事に解答を与えるべく、世界をめぐって公文書をあさり、さまざまな国の数知れぬ人たちにインタビューしてまとめあげた現教皇の姿。まさに足で書いた伝記であり、客観的な実像である。

たぐい稀な牧者としてのヨハネ・パウロニ世が、倫理的混乱と政治的緊張にあえぐ現代世界に対し、「人権と平和」を叫びつづける姿が浮き彫りにされる。

著者はポーランド出身で、外交官の経歴があり、一九五〇年以来三十年間、BBC(英国放送協会)のニュースキャスターとして、国際政治、特に東欧を担当しているベテランである。

教皇就任後一年余、昨年末のトルコ訪問までを収めている。

中央出版社、イェジ・ブアジンスキ、巽豊彦訳『クラクフからローマへ』より
ビル・クリントンアメリカ合衆国大統領と(1993年Wikipediaより

この本はヨハネ・パウロ2世が教皇となった一年余の1980年に書かれました。

ヨハネ・パウロ2世(1920-2005)は1978年から2005年間でローマ教皇として在位していました。

この作品はそんなヨハネ・パウロ2世がポーランドで生まれ、そこからローマ教皇となるまでの人生をまとめた伝記です。

ヨハネ・パウロ2世とはどんな人物なのか、どんな経歴の持ち主なのか、そのことを端的にまとめるのは非常に難しいです。あまりにスケールが大きすぎて私がここでそれをまとめるのはあまりに畏れ多いです。

ですのでここではヨハネ・パウロ2世の軌跡を追ったDVD『ローマ法王 ヨハネ・パウロ二世 平和の架け橋』より引用したいと思います。

近年、世界中の人々に最も敬愛された人物の一人であるヨハネ・パウロ2世(カロル・ヨゼフ・ボイティワ)は、その指導力と社会の不正や抑圧に対する独自の改革運動によって、多くの人々の心を捉え魅了した。初のポーランド人法王であるヨハネ・パウロ2世は真の国際人であり、多様な言語を駆使し、暗殺者の凶弾で命を落としかけた後も屈することなく、キリスト教の精神を広めるために世界中を訪問した。

DVD『ローマ法王 ヨハネ・パウロ二世 平和の架け橋』より

ヨハネ・パウロ2世はポーランドで生まれ育ち、第二次大戦ではナチスによる占領、戦後はソ連による抑圧に苦しみながらもポーランド国民と寄り添いながらキリスト教信仰を守り続けた人物です。

ブアジンスキの伝記ではこうしたヨハネ・パウロ2世が歩んだ苦しい道を知ることになります。そして彼が若いときからいかに卓越していた人物だったかがわかります。

彼がローマ教皇となったのはある意味必然であったと言えるほど彼の力は抜きん出ていました。

ポーランドは1978年当時、共産圏の国でした。当然宗教は弾圧された存在です。その国からローマ教皇が出るというのはありえない出来事だったのです。しかしヨハネ・パウロ2世はそれを成し遂げました。伝記ではそのことについて次のように書かれていました。

カロル・ヴォイティワ枢機卿は、かつてはポーランド諸王の都であった古都クラクフの彼の大司教区からローマに旅し、彼より先に聖ぺトロがしたようにローマに留まることになってしまった。

ローマ・カトリック教会の第二百六十四代教皇となった彼は、世界の果てから果てに及ぶ七億を超えるカトリック信者たちの精神上の父である。彼は共産主義が支配している国から出てきた精神的指導者だ。ある大司教の言葉を借りれば、「前線の兵士が司令官になった」のである。

彼はアフリカ、ラテン・アメリカ、中国を含めたアジア、要するに全世界のための教皇になったのだ。彼はスラブ民族の国から出た最初の教皇であり、一五ニニ年以来四百五十五年を隔てて久しぶりに選出された非イタリア人の教皇である。この非イタリア人としての彼の先任者はユトレヒト出身のハドリアヌス六世で、特徴に乏しい彼の短い在位は、教皇史のなかでただ、そのおかげで教皇座がイタリア人に独占されるきっかけを作ったということで知られているだけである。こういうわけでヨハネ・パウロ二世は最初の国際的なローマ司教であり、教皇なのだ。

中央出版社、イェジ・ブアジンスキ、巽豊彦訳『クラクフからローマへ』P11

ここにありますように非イタリア人が教皇になるのは実に455年ぶりのことだったのです。しかもそれが共産圏の国出身というのですからこれがどれほどすごいことだったのかがわかります。

彼の伝記を読んでいるとヨハネ・パウロ2世は若い頃から猛烈に勉強し、無類の読書家であったことがわかります。彼は詩人でもあり、哲学にも通じていました。彼の偉大な所はその幅広い視野にあります。彼はカトリックの司祭でありながら、それを弾圧するマルクス主義の理論にも詳しく、彼の前では共産主義者もたじたじとしてしまうほどだったそうです。

ヨハネ・パウロ2世は独善的に思想を押し付けたりしません。ナチスやソ連の弾圧に苦しんだ体験が彼のそうした傾向を強めたのかもしれません。彼のそうした懐の広い大きな心に私は何度も胸打たれました。私はこの伝記を読んで何度も泣きそうになりました。伝記を読んで泣きそうになることはほとんどない私ですが、この本では何度もそういう箇所がありました。私はすでに何度もこの本を読み返しています。きっとこれからもこの本は私の大切な一冊となることでしょう。

それほど私にとってヨハネ・パウロ2世の存在は大きな存在です。なぜ生前彼のことを知らなかったのか。彼が亡くなった当時私は15歳の年ですから仕方がなかったのかもしれませんが、やはり悔やまれます。ですが、ドストエフスキーを学び、ソ連や冷戦を学んでいる今だからこそ心に刺さったというのもあるのかもしれません。これも何かの巡り合わせなのかもしれません。

最後にこの伝記について改めて見ていきます。この伝記がどのような立場で書かれているかを知るのは重要な問題です。もしヨハネ・パウロ2世を盲信し、崇拝する形で書かれたものだとしたらその伝記の信憑性は疑わざるをえなくなってしまいます。では、訳者あとがきを見ていきます。大事な部分ですので少し長くなりますがしっかりと追っていきます。

著者 ブアジンスキはポーランド生まれで、外交官だったようだが、一九五〇年以来BBC(英国放送協会)で働いている。当然のことながら、ポーランドその他東ヨーロッパ共産主義諸国に関する執筆や放送に活躍しているが、そのほか、国際政治のトピックについて在英の各国特派員と語り合う討論会を主宰しているという。(中略)

実にこの著者は、四百五十年の伝統を破った非イタリア人の教皇、一八四六年に就任したピオ九世以来の若い教皇というこの画期的な選出、この「クラクフから来た男」の肖像を浮き彫りにするにあたって、よき歴史家、よき伝記作者、よきジャーナリストの鉄則どおり、足で書く労をいとわなかったのだ。彼がこのために試みたインタビューは数知れないといえそうである。

そのインタビューの相手は、ヴォイティワ幼少時以来の友人知己をはじめとして、大学教授時代の同僚や学生、また高位聖職者から一般の民衆に及び、さらに共産政権側の大臣や官吏、その他、著者自身にいわせれば、「悪党、正直者、任務を裏切る諜報部員、外交官、経営者、編集者、同業のジャーナリスト」などを含んでいたという。すべての人が真実をそのまま語ってくれるとは限らない。しかし、彼はいう、自分は「ニュースキャスターとしての長年の仕事で、インタビューについてはずいぶん経験を積んでいるといえる。したがって、言葉の裏にひそむ真実を見抜き、事実とうわさを見わける力はあると思っている」と。

現教皇については、すでにM・マリンスキ著、小林珍雄訳『ヨハネ・パウロⅡ世』が去る二月エンデルレ書店から刊行されている。重ねて同種のものを提供することについて躊躇がないわけではないが、故小林教授(四月九日急逝され、これが最後の訳業になった。合掌)の訳書は、副題に「友人の語れるカロル・ヴォイティワ伝」とあるとおり、著者マリンスキはヴォイティワと神学生時代からの友人で、同じ聖職者として、ヴォイティワの人生行路をごく近くから共にした人である。そのため彼の伝記は各章ごとに「思い出」が付されるという形で書かれた、きわめて親密なものになっている。その点ブアジンスキによる本書は視点がまったく違う。これは、公文書を引っくりかえし、インタビューを重ねたあげくに、一つの肖像をまとめあげようとした努力の結晶なのだ。つまり、ニュースキャスターの経験と役柄の路線上に生まれたものなのである。

著者は、その意味で、本書の記述が客観性を失うことをもっとも恐れている。聞き書きの集成として、ヴォイティワの姿があまりにも美化されすぎているのではないかということである。

「本書の執筆中私は、当然のことながら、ヴォイティワの今日までの生涯の大半にわたり、彼と親しんでいたさまざまな国籍の数多くの人たちに接触した」と彼は書いている、「そして彼らに共通していた一つのことは、カロル・ヴォイティワについての非難、疑惑、悪意、不信の言葉はただ一語もまったく聞かせてもらえないということだった」と。ポーランドで耳にした最悪の批評が、共産党の最高幹部の一人が、どうもヴォイティワは敬意を表したがらないといった言葉だったというのだから、どうにも致し方ない。著者はこの事情を、新教皇誕生の多幸症的歓喜の余波がまだ世界じゅうに残っていたためだろうといっているが、要するに著者としては、本書の記述には精一杯の客観性を保とうとしたのだといいたいのであろう。

中央出版社、イェジ・ブアジンスキ、巽豊彦訳『クラクフからローマへ』P357-359

ここにありますように、この伝記は出来る限りの客観性を持って書かれたものだということができそうです。もちろん、この1冊だけでヨハネ・パウロ2世の全てがわかるというわけではありませんが、ある程度信頼してもよい伝記なのではないかと思います。

この伝記に書かれるヨハネ・パウロ2世の姿は驚くべきものばかりです。傑出した知識人であり、圧倒的な知性を彼が持っていたことがわかります。そして何より、祈りに生きた彼の謙虚さ。誰に対しても相手を尊重する姿勢。こうした人柄が彼の最大の特徴であったのではないかと感じました。

先程紹介しました彼のDVD『ローマ法王 ヨハネ・パウロ二世 平和の架け橋』も非常におすすめです。こちらは彼がローマ教皇になってからの軌跡が収められています。彼がいかにカリスマ溢れる存在だったかが一発でわかります。鳥肌が立ちっぱなしでした。これほど圧倒的な人物がこの世にいたのかと衝撃を受けました。そして私はこのDVDを見て、やはり泣きそうになりました。いや、泣いていました。心揺さぶられる映像です。映像越しでもこうだったのですから、実際に彼と対面した人の感激はきっと私には想像できないほどだったのではないかと思います。

それほど圧倒される存在でした。ぜひ伝記と合わせてこのDVDもおすすめしたいと思います。

そして以下にYouTubeでヨハネ・パウロ2世についての映像がありましたのでこちらを紹介します。

とてもうまくまとめられていて彼の人生やローマ教皇としての姿をわかりやすく解説してくれています。こちらもぜひ見て頂けたらなと思います。

冷戦を学ぶ上で知ることになったヨハネ・パウロ2世でしたが私の中でとてつもないインパクトを受けることになりました。V・セベスチェンの『東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊』を読み、初めてヨハネ・パウロ2世の偉大さを知った時の衝撃を忘れられません。

冷戦のあの凄まじい弾圧の中、彼はローマ教皇として実際に世界を動かしたのです。冷戦を学んで一番衝撃を受けたのはまさにこの点にあります。そしてそれを平和的に成し遂げた彼の偉業に私は心打たれたのでした。同じ宗教者として(そう言うのもあまりに畏れ多いですが)、ヨハネ・パウロ2世を私は深く尊敬します。ヨハネ・パウロ2世との出会いは私に大きな衝撃をもたらしたのでした。

そんなヨハネ・パウロ2世の軌跡を知るのにこの伝記は非常におすすめです。ぜひ手に取って頂きたい作品です。

以上、「G・ブアジンスキ『クラクフからローマへ』教皇ヨハネ・パウロ2世のおすすめ伝記」でした。

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クラクフからローマへ―教皇ヨハネ・パウロ二世 (1980年)

クラクフからローマへ―教皇ヨハネ・パウロ二世 (1980年)

※2023年7月24日追記 ヨハネ・パウロ2世のお墓参り

サンピエトロ大聖堂内のヨハネ・パウロ2世のお墓

私は2022年にバチカンを訪れ、念願のヨハネ・パウロ2世のお墓参りをすることができました。

その時の体験を以下の記事「(37)サン・ピエトロ大聖堂の『カテドラ・ペトリ』~ベルニーニ芸術の総決算!空間そのものも作品に取り込む驚異の傑作!」内でお話ししていますのでぜひご参照ください。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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