ニーチェ書簡におけるドストエフスキーへの言及について~ニーチェとドストエフスキーのつながりとは
ニーチェ書簡におけるドストエフスキーへの言及について
前回の記事で紹介した『ニーチェ書簡集』ではドストエフスキーについて書かれた箇所がいくつも出てきます。
今回はそんなドストエフスキーに対するニーチェの言及が書かれている箇所を紹介していきたいと思います。
「1887年2月23日、ニースにて」フランツ・オーヴァーベク宛ての書簡より
数週間まえ、僕はドストイェフスキーの名前すら知らなかった、僕は「ジャーナル」を読まない無教養の人間なのだ!偶然ある本屋で手にしたところ、ちょうどフランス語に翻訳されたばかりの『地下室の精神』が僕の目に入った。(二十一歳のときのショーぺンハウアーも、三十五歳のときのスタンダールも、まったく偶然のことであった!)血縁の本能(それともなんといったらいいのか?)がただちに語りかけたのだ、僕の喜びようといったらなかったよ。これとおなじ喜びを思いだそうとするなら、僕はスタンダールの『赤と黒』を知ったときまで溯らざるをえない。
ちくま学芸文庫版、塚越敏、中島義生訳『ニーチェ全集別巻2』所収『ニーチェ書簡集Ⅱ 詩集』P89
これがニーチェとドストエフスキーの出会いを伝える有名な書簡です。
ニーチェは偶然ドストエフスキーの『地下室の手記』と出会い、衝撃を受けたのでありました。
そしてニーチェがそれを「血縁の本能」と表現したのは非常に興味深いですよね。ニーチェはこの作品でドストエフスキーとの本能的な類似関係を直感したのでした。この近親関係については以前紹介した『ドストエフスキーとニーチェ その生の象徴するもの』という本に詳しく解説されているので興味のある方はぜひご覧ください。
「1887年3月7日、ニースにて」ペーターガスト宛ての書簡より
ドストイェフスキーは僕にとって、偶然に接触した点や、それが書店でたまたまぺージをめくった一冊の本にすぎないという点、名前だけしか知らなかったという点で、ちょうど以前のスタンダールのときとおなじようなことなのだ、―そして僕と似た人間に出会ったような気がして、急に読みたい衝動にかられた点でもね。
いまのところまだ彼の位置や評判や生涯などはそれほどよくは知らない。彼は一八八一年に死んでいる。由緒正しい家柄に生まれながら、若い頃は病気と貧困に苦しみ、二十七歳のときに死刑の判決を受けたのだ。刑場で特赦の報を受け、それから四年間、重犯罪人と一緒にシベリアの刑務所で、鎖につながれていた。この時期が重要だったのだね。彼は心理学上の直観力を発見した。そればかりか、その際に彼の心は和らぎ、深まったのだ。―この時代の回想の書『死の家』は、現存する「最も人間的な本」のひとつだ。僕が初めて知ったものは、ちょうど仏訳で出版された『地下室の精神』という本だ。これには三つの小説が入っていて、一つは知られざる音楽のようなもので、もう一つは心理の奇抜な思いつきなのだ。陰惨な恐ろしい作品で「汝自身を知れ」を嘲笑しているが、圧倒的な意力の軽妙な大胆さと歓喜で書きとめられている。それで僕はこれを読んですっかり喜びに酔ってしまった。そこで僕は推薦してもらいたいと手紙をだしておいたオーヴァーべクの推薦に従って『虐げられた人びと』(オーヴァーべクの知っていた唯一の本)を読んだ、―芸術家ドストイェフスキーに絶大な尊敬の念を懐いてね。またパリのごく若い世代の小説家たちが、彼の影響と彼への嫉妬ですっかり圧倒されている事情も、よくわかった(ポール・ブールジェなどがその例だ)。
ちくま学芸文庫版、塚越敏、中島義生訳『ニーチェ全集別巻2』所収『ニーチェ書簡集Ⅱ 詩集』P96
この書簡はニーチェのドストエフスキー理解を知る上で非常に重要なものです。
ニーチェはドストエフスキーの『死の家の記録』を「最も人間的な本」と絶賛します。そして彼のシベリア流刑体験を重んじます。
そして改めてこの書簡を読んでふと思ったのが、ニーチェがこの手紙の前半でドストエフスキーの評判を気にしているという点です。
ニーチェはこの手紙の冒頭でドストエフスキーに関して「僕と似た人間に出会ったような気がして」と述べています。
そしてわざわざニーチェは「いまのところまだ彼の位置や評判や生涯などはそれほどよくは知らない。」と、「評判」という言葉を強調しているのです。
ひょっとすると、「もしドストエフスキーと自分が似ているなら、自分もドストエフスキーと同じように世界中で人気になるのではないか」という思いをここで垣間見せているのではないかと思ってしまいました。あからさまには書いていませんが、「ドストエフスキーが人気なら、似ている自分だってそうなるはずだ」という思いがふと浮かんできたのかもしれません。そんなことを思いながら書簡を読むのも楽しかったです。
「1887年5月12日、クール(スイス)にて」マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク宛ての書簡より
チューリヒでは、パリから帰ってきたばかりの優秀なフォン・シルンホーファー嬢を訪ねました。彼女の将来、彼女の意図、彼女の希望についてははっきりわかりませんが、私と同様にドストイェフスキーに熱中しております。
ちくま学芸文庫版、塚越敏、中島義生訳『ニーチェ全集別巻2』所収『ニーチェ書簡集Ⅱ 詩集』P101
2月に初めて出会ったドストエフスキー。この手紙によれば5月になっても熱中して読んでいたことがうかがえます。
「1888年11月20日、トリーノにて」ゲオルグ・ブランデス宛ての書簡より
ドストイェフスキーにつきましての貴方のお言葉、私は無条件に信じております。一方、私は私の知っております最も価値ある心理学的材料としてドストイェフスキーを尊重しております。―たとえどんなに私の最下層の本能に逆らうものでありましょうと、私は奇妙にドストイェフスキーに感謝しているのです。そこには、愛しているともいえる―それも限りなく私を教化してくれたからですが―パスカルにたいする私の関係に近いものがあります。論理の通った唯一のキリスト教徒です。
ちくま学芸文庫版、塚越敏、中島義生訳『ニーチェ全集別巻2』所収『ニーチェ書簡集Ⅱ 詩集』P238
この手紙が書かれた1888年11月20日というのはそれこそニーチェ発狂の直前です。あとひと月ちょっとで彼は発狂してしまう、そんな時期に書かれた書簡です。この頃には最晩年の作品『偶像の黄昏』や『アンチクリスト』などでキリスト教を徹底的に批判していたニーチェでしたが、ドストエフスキーに関しては「論理の通った唯一のキリスト教徒」と高く評価している点が非常に際立ちます。そしてそんなドストエフスキーを愛しているとまで述べています。
ニーチェが考える真のキリスト者とはどういうものなのか、またキリスト教に対してどう感じていたかということも改めて考えさせられる書簡となっています。この辺りの件に関しても、上で紹介した『ドストエフスキーとニーチェ その生の象徴するもの』は非常に深いところまでわかりやすく解説してくれているので非常におすすめです。
おわりに
以上、『ニーチェ書簡集』よりドストエフスキーに関する手紙をご紹介しました。
ドストエフスキーについては書簡だけではなく、『アンチクリスト』などの作品や、ニーチェ全集に収録されている遺稿集などにも様々な言及が収められています。
ここではこれ以上は紹介できませんが、ドストエフスキーをニーチェとの関係から考えていくという試みをしていく中で非常に興味深い内容がそこにはありました。
『ニーチェ書簡集』はニーチェの素顔を知る上でも非常に興味深い作品ですが、ドストエフスキーとの関係を知る上でもとてもおすすめな一冊となっています。
ぜひこの本を手に取って頂ければなと思います。ニーチェの哲学書と違って非常に読みやすいです(笑)
とてもおすすめです。
以上、「ニーチェ書簡におけるドストエフスキーへの言及について~ニーチェとドストエフスキーのつながりとは」でした。
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