ガンダーラと並ぶ仏像発祥の地マトゥラーへ~インドで唯一の阿弥陀仏像を求めて
【インド・スリランカ仏跡紀行】(101)
ガンダーラと並ぶ仏像発祥の地マトゥラーへ~インドで唯一の阿弥陀仏像を求めて
アムリトサルからデリーへ戻った翌日、私は車でマトゥラーという街を目指した。
マトゥラーはタージマハルで有名なアグラの手前に位置する街。
マトゥラーはガンダーラと同じく仏像発祥の有力地とされている街である。
ガンダーラの仏像といえばパキスタン・ラホール博物館で見た断食仏像などが有名である。(詳しくは「(96)ガンダーラの最高傑作「断食仏像」に会いにパキスタンのラホール博物館へ!あのブッダの目が忘れられない!」の記事参照)
これらガンダーラ仏像は紀元1世紀末から2世紀に作られ始めたとされているが、まさにその同時期にここマトゥラーでも仏像制作が開始されたとされている。
ガンダーラとマトゥラー、そのどちらが先かは未だ学術上の決着がついていない。日本では断食仏像やドラマの影響などでガンダーラの方が圧倒的に知名度が高いが、マトゥラーも仏教の歴史においては同じくらい重要な場所なのである。
マトゥラー市街地に到着。相変わらずのカオス。クラクションが鳴り響くこのインドの雑踏ともこれでお別れだ。名残惜し・・・くはない。「やっと解放される」と私はにっこりである。しかしいつの日かこれが懐かしく感じられる日が来るのだろう。実はこの記事を書いている今、すでにこのカオスが少し恋しくなっている自分がいる。
ちなみに、私達仏教徒にとってはマトゥラーは仏像制作始まりの地であるが、ヒンドゥー教徒にとってはここはヒンドゥー教七大聖地のひとつとして信仰される一大霊場なのである。
マトゥラーがヒンドゥー教の聖地となったその由来はヴィシュヌ神の化身であるクリシュナがここで誕生したという神話にある。
クリシュナはインドで最も人気のある神様の一人だ。
クリシュナはインドの大叙事詩『マハーバーラタ』でも大活躍する。特にその中の『バガヴァッド・ギーター』はインド思想の奥義として日本でも知られているが、そこでその教えを説くのが何を隠そう、このクリシュナなのである。
『バガヴァッド・ギーター』はこの作品の主人公の一人、アルジュナとその御者クリシュナ(実はヴィシュヌ神の化身)との対話によって成り立っている。
クリシュナはインド人のメンタリティーにとって非常に重要な存在として親しまれている。その聖地がここマトゥラーなのだ。
こちらがそのクリシュナ寺院。門の上に『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナ像が置かれている。これはまさに上の画像で見たシーンである。
本来この中はヒンドゥー教徒しか入れないのだが今回も私は特別に中に入ることができた。中はカメラもスマホも持ち込み禁止なのでここから先の写真はない。
中は多くのヒンドゥー教徒で賑わっていた。国境セレモニーの記事でもお話ししたが、モディ政権になってからヒンドゥー・ナショナリズムが急激に強まってきている。そしてそれはこの寺院も例外ではない。モディ政権はにヒンドゥー教を強力にバックアップし、イスラームとの対抗姿勢を打ち出している。実はこの寺院の内部にはムガル帝国時代に建てられたモスクがある。ムガル帝国はこのヒンドゥー教聖地に上書きする形でモスクを建てたのだが、それが現在ではヒンドゥー教徒達からの憎しみの対象となっているのである。
そしてそれを煽っているのがモディ政権であり、毎週そうした放送を公共テレビで大々的に流しているのだそうだ。
私はこの寺院に来てインドの危うさを感じずにはいられなかった。
さて、私の最後の目的地マトゥラー博物館へ到着だ。
入場するといきなりインド彫刻の傑作カニシカ王像が現れた。サールナート博物館のアショーカ王柱もそうだったがなぜインドは入り口すぐに目玉を持ってくるのだろうか。こちらの心の準備というものもあるのである。いきなりメインどころが現れたら驚いてしまうではないか。ピークを最初に持ってくるのがインド流展示術なのだろうか。
カニシカ王は2世紀頃にインド西北部からやって来たクシャーナ朝の統治者だ。全盛期のカニシカ王時代にはインダス川上流からガンジスの中流域の諸地方、サールナートやパータリプトラまで支配するという巨大国家だった。クシャーナ朝は国際色豊かな文化を持っていたことで有名で、その文化水準は非常に高かった。
この時代にはさらにローマ帝国との交易も盛んに行われ、今でもインドではこの時代のローマ帝国の金貨が発掘されるのだという。こうした国際色豊かなクシャーナ朝ではヘレニズム彫刻などの影響も受けることになった。そしてそれが花開いたのがガンダーラの仏像だと言われている。また、同じようにここマトゥラーもクシャーナ朝の統治下だったためここでも仏像制作が始められたのではないかとされているのである。
このカニシカ王像は仏像ではないものの、インド彫刻史上最高レベルの傑作であることは間違いない。
インド美術史の本では必ずと言っていいほど紹介されるものだ。
実際に私もこの彫刻を見て驚いた。写真で見るよりはるかに立体的、肉感的で、強力なエネルギーを感じたのである。特に腹部の丸みに私は目を引かれた。やはりこれだけの大帝国を築くには並大抵の胆力では務まらない。カニシカ王という巨大な人物だからこそのクシャーナ朝なのだということを感じさせる素晴らしい彫刻であった。
せっかくなので様々な角度からのカニシカ王を。
本などではなかなか見ることのできないアングルをお楽しみ頂ければと思う。
そしてこちらが紀元2世紀頃に作られた仏像である。
ガンダーラが写実的でシャープな印象を受けるのに対し、マトゥラーはよりインド的で肉感的なものを感じさせる。
他にもこの博物館には貴重な仏像がいくつも展示されている。仏像が作られ始めた当初の雰囲気を感じられる実に素晴らしい博物館だ。
そして前回の記事の最後にもお伝えしたように、私にとってこの博物館に展示されている阿弥陀仏の足の像が最大の目的であった。
「阿弥陀仏の足」のためにわざわざそんな所までと思うかもしれないが、実はこの像、とてつもない代物なのである。なんと、この足はインドで現存する最古かつ唯一の阿弥陀仏なのだ。私は旅の終わりにぜひ浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏にお目にかかりたいと思ったのである。
私がこの像の存在を知ったのは『中村元選集第23巻 仏教美術に生きる理想』で次のように語られているのを読んだからだった。
(密教以前の)阿弥陀仏像は、従前にはインドでは見つかっていなかった。
そこで阿弥陀仏の信仰がどこで起こったかということは、学界で種々論議されてきたが、最近マトゥラーで阿弥陀仏像が発見されたことは、種々の問題を提起する。
仏像のうちでは釈迦牟尼仏の像がもっとも多く見つかっているのは当然であるが、そのほかには観世音菩薩の像が最も多い。
ガンダーラの遺品のうちには、マイトレーヤ(弥勤)の像が相当に多い。特にガンダーラに見つかっているということは、西の方のイランの影響を受けたのではないか、という可能性が考えられる。
阿弥陀仏信仰の起源は謎であった。インドで数多くの仏像が発見されているのに、阿弥陀仏という刻銘のついたものはついぞ見出されなかったのである。たとえばタクシラの発掘では弥勤(Maitreya)は頻繁に発見されて出てきているが、阿弥陀(Amitābha)、観音(Avalokiteśvara)の像は出てきていない。それでも観音像はインドのあちこちで見つかっているが、阿弥陀仏像はどうも見つからない。だから学者はいろいろと想像を逞しうした。
一九七七年九月中旬に、マトゥラー博物館で「アミターバ」という刻銘のあるクシャーナ時代の阿弥陀仏像の台座(図35)を示されたときの、わたくしの衝撃は大きかった。写真も撮り、資料も求めてきたが、どうもはっきりしない点があり、一九七八年二月に水谷千尋氏がインドへ行かれるに際し、同氏に依嘱したところ、鮮明な写真および館長シャルマ(R. C. Sharma)博士の報告などを持参せられ、一段と事情が判明した。両氏の御尽力に感謝する次第である。
春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第23巻 仏教美術に生きる理想』P278-279
この後もこの仏像についての詳細な解説がなされるのであるが、ここでは割愛したい。興味のある方はぜひ本書を一読することをおすすめする。
では、いよいよその阿弥陀仏像を見ていくことにしよう。
阿弥陀仏像の展示はこの写真正面左側の柱のケースに収められている。知らなければ確実に通り過ぎてしまうほど目立たない。私も最初はその像に気づかずスルーしてしまった。
こちらがその展示である。
これが「阿弥陀仏の足」である。もし完璧な形で残っていたら立っている阿弥陀仏を見ることができただろう。
それにしても、なぜこれが阿弥陀仏像であるかがわかったのだろうか。
その鍵がこの台座部分の碑文だったのである。この碑文によってこの像が阿弥陀仏であることが判明したのだ。また、足の間にある蓮華の彫刻も阿弥陀仏を象徴するのだそうだ。
インドには大乗仏教の痕跡はわずかである。特に浄土教となると上の解説の通り、この像を除けば仏像すら見つかっていない。やはりそれだけインドでは浄土教というものが流行していなかったのである。日本では後に浄土教は大きな勢力となるが、それは中国を経由したからこそなのだ。中国文化においては上座部仏教よりも大乗仏教の方が好まれ、さらには哲学思想もインドにはない展開を見せ繁栄することになる。やはりその土地その土地に合う宗教というものがあるのだ。
上座部仏教と大乗仏教、どちらが正しくてどちらが優れているということはないのである。あるのはそれぞれの文脈の違いなのだ。互いに「我こそ正統である」といがみ合うなどナンセンスこの上ない。
もちろん、自身の教義や信仰についてそれぞれが切磋琢磨し深く理解することは重要だ。
そしてそのために他者と比較し、自分を見つめることが僧侶として大切な営みであろうと私は信じている。
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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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