南インドのマドゥライ、ミナクシ寺院でディズニーの宗教性を確信した日
【インド・スリランカ仏跡紀行】(66)
南インドのマドゥライ、ミナクシ寺院でディズニーの宗教性を確信した日
タンジャーブルでスリランカに侵攻したチョーラ朝の強大さを実感した私は次の目的地マドゥライへと向かった。
この街の空港からデリーへと向かい私は仏跡巡りを始めるのだが、その前に南インドを代表するヒンドゥー教寺院のひとつであるミナクシ・アンマン寺院へと私は立ち寄ることにしたのである。
ミナクシ寺院付近までやってきた。インドらしい雑多な雰囲気が漂う。写真正面奥に見えているのが門塔である。青系を中心とした色鮮やかな装飾がびっしりと施されている。
天高く伸びていくこの構造はまさに南インドらしいヒンドゥー教建築である。
この寺院は入場に関して手荷物規制が非常に厳しく、カメラやスマホなども全て預けなければならない。そのため残念ながらここから先の写真はない。
この写真にあるようにミナクシ寺院は実に巨大な寺院である。敷地内をぐるっと回るだけでもかなりの時間を要する。
そして私はこの寺院のご本尊にお参りするため、列に並ぶことになった。本来はヒンドゥー教徒以外はそこには立ち入れないのだが、ガイドさんと一緒なので特別にそこまで行けることになったのである。
しかしこの待機列がものすごかった。列は寺院本堂から外に伸び、さらには本堂に沿って屋外のはるか彼方まで続いていたのである。
この待機列、まるでディズニーのアトラクションではないかと不謹慎にも思ってしまったのだが、この後それがあながち間違っていなかったことを私は知ることになる。
外だけで30分近く待っただろうか、ようやく本堂内に入れたものの、この先もものすごい行列だった。
フェンスで区切られた通路でここからも待ち続けた。しかもよく見てみると、私達の列とは別に寄付者などのためのファストレーンも用意されていて、まさにディズニー的な雰囲気だったのである
さらに堂内深くに入っていくと巨大な彫刻がおどろおどろしく施された柱が並ぶ薄暗いエリアに続いていく。まるでインディ・ジョーンズのようだ。並びながら感心したのだが、ここは待機している間にも本尊に会うまでの期待が高まるような作りになっている。タンジャーブルでも感じたことだが、待って待って、会うのが大変だからこそありがたみが増すというのはたしかにあるのである。
結果的に私はご本尊の祀られた部屋に到達するまで全部で90分ほど待っていたことになる。ガイドさんもこんなに並ぶとは想定していなかったそうだ。最近はインド人の巡礼熱が高まっているらしく、その影響かもしれない。そして本尊付近では例のごとくインド人たちの熱狂がそこにあった。長く待った分溜め込まれたエネルギーが爆発するような、そんな光景だった。
それにしてもやはりインドのヒンドゥー教寺院はエンタメ性が強い。このことは8月のインドでも感じたことだった。私はその時の体験を「(5)ハリドワールのマンサ・デーヴィー寺院に神々のテーマパークを感じる~ヒンドゥー教の世界観への没入体験」の記事で次のように述べた。
いよいよ寺院中心部までやって来た。順路はすべて一方通行。この順路に沿って神々の祭壇が組まれている。そしてそのひとつひとつにバラモン(宗教者)がいてお供物やお布施を受け取り、その代わりに我々は額に印を付けてもらったり、祈ってもらえるという仕組みだ。
日本のお寺のように広い本堂があってその奥にご本尊がいるという構造ではない。まさに順路を歩きながら次から次に神様の祭壇を練り歩き、その度に神様にお願いをしていくというスタイルだ。
日本でも知られるように、インドは多神教世界だ。それこそ無数に神様がいる。そしてそれぞれの神様には金運、商売、学問、病気快癒、安産、恋愛などなど様々な得意分野がある。
そんな多種多様な得意分野を持った神様がこのマンサ・デーヴィー寺院で祀られていて、順路に沿って歩けばそれこそあらゆるジャンルの願い事をお祈りすることができるのである。歩きながら、「なるほど、これはうまくできた仕組みだ」と感心してしまった。
もちろん、この寺院はマンサ・デーヴィー寺院という名前の通り、「マンサ・デーヴィー」という何でも願いを叶えてくれる女神様が主神である。巡礼者の多くがその女神様目当てでやって来るのはもちろんのことである。
だが、それに付随して様々な神様の祭壇が道に沿って順繰り祀られているというのも大きな魅力のひとつなのだろう。なぜなら、祈る対象や祈る回数が多ければ多いほど何か願いが叶いそうな気がしてありがたい気持ちになるというのは、古今東西問わず人間の本性だからだ。こればっかりは理屈ではない。これは日本にいる私達にとっても頷ける感覚ではないかと思う。
こうして拝観ルートに沿って祭壇を巡り、その度にお供物とお布施を渡し、バラモンから印と祈りを受け取る。そして順路に沿ってそれを何度も繰り返していく。寺院という閉鎖空間の中で煙と熱気でむんむんの中を、これまた熱気溢れる巡礼者が押し合いへし合いで我先にとバラモンからの祝福を受けようとするその光景はまさに異空間。日常を離れた聖なる空間であることをまざまざと感じさせる。ここは特別なのだ。そう感じさせるに余りある空間だった。
しかし同時に私は思う。ここはまさに「神々のテーマパーク」のようだとも。
つまり、ここはヒンドゥー教というひとつのテーマの下、様々な神々が一堂に会し、それぞれの祭式に沿った祭壇が組まれるヒンドゥー教空間なのだ。そしてその特殊世界の中で巡礼者が定式化されたお祈りを捧げていくのである。まさにヒンドゥー教の世界観に没入するという体験をこの寺院は提供しているのである。
外界の日常世界から遮断された空間、長い待機列、順路沿いの祭壇をひとつひとつ巡っていくシステム、これらは私達が行くテーマパークとも共通するものがあるだろう。また、バラモンからの印や呪文はまさに体験型のアトラクションとも言えるかもしれない。
信仰の聖地を「テーマパーク」、「アトラクション」という言葉で例えていくのは不適切と思われるかもしれない。しかし、宗教は宗教だけにあらず。堅苦しく禁欲的なものだけが宗教なのではないのである。多くの人を惹きつける様々な要素があってこその宗教なのだ。どんな宗教にもこうしたエンタメ的な側面が必ず存在する。それは昨晩見たプージャでもまさにそうであった。
現にそうしたものが存在する以上、それを無視することはできない。こうした側面が宗教にもあることを知ることは私達にとっても有益なことだと私は思う。科学的合理的思考を重んじる現代ならばなおさらだ。何事も分析せずにはいられない現代人にとって、宗教が人々にとってどんな役割を果たしているかを知ることは決して無駄にはならないはずだ。単なる迷信とか昔ながらの古臭いものという観点から宗教を切って捨てるのは人間の歴史や文化そのものを見捨てることに他ならないと私は思うのである。
現にここを訪れているインド人は皆楽しそうなのである。ここが彼らにとって非常に魅力的な場所であるのは明らかだ。こうした彼らのあっけらかんとした楽しそうな顔がとても印象に残っている。
「(5)ハリドワールのマンサ・デーヴィー寺院に神々のテーマパークを感じる~ヒンドゥー教の世界観への没入体験」より
このハリドワールの体験は私にとって大きな驚きだったが、この当時はまだディズニーについての本を読んでいなかった。そのためこれはあくまで私の予感でしかなかったのである。
しかし第二次インド・スリランカ遠征から帰国後、私はディズニーに関する本を読み漁った。
そしていよいよこのミナクシ寺院で私は確信した。
「ヒンドゥー教がディズニー的なのではなく、ディズニーが宗教的なのである!」と。
つまり、ヒンドゥー教がディズニー的なのではない。そもそもディズニーが宗教から様々なものを拝借しているのである。
私はエンタメ性という言葉を先程使ったが、何もこの「エンタメ性」は現代娯楽の専売特許ではない。むしろ伝統的な宗教の中にこそそれは存在していたのではないか。
例えば、祭りはどうだろう。古今東西、どの世界においても祭りは何らかの形で宗教と関わっている。しかし人々はその宗教性そのものよりも祭りの楽しみを享受していたのではないか。
あるいは音楽や舞踊、芸能もどうだろう。宗教儀式に音楽や踊りは欠かせない。神話や聖人達の物語を演ずる宗教劇も様々な宗教で行われてきたではないか。それを人々は楽しんでいたのである。
さらにいえば、ビジネス、金融面でも宗教は大きな役目を果たしてきた。世界に広がる宗教は世界各地にその拠点を持ち、人々が集まる場所として機能していた。インドやスリランカにおいても商人の拠点には大きな寺院があり、そこに多種多様な人が集まっていたのも事実なのである。このことについては「⒂なぜ仏教がインドで急速に広まったのか~バラモン教から距離を置く大国の誕生と新興商人の勃興」の記事でも少しだけお話しした。
また、宗教教団が金融業を行っていたことも多くの研究から明らかになっている。これは仏教教団も例外ではない。実際にはその地その地の経済活動と連動していたのである。「宗教=清貧」というイメージがあるかもしれないが、それは宗教のひとつの側面でしかない。「宗教=清貧」とだけ捉えてしまうことは実はその時点ですでに何らかの宗教や思想の影響を受けている証拠なのだ。(『中村元選集第18巻 原始仏教の社会思想』やグレゴリー・ショペン著『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』などを参考)
さらに言えば、富める者に多くの寄進を呼びかけ、何らかの形で人々に再分配するという機能も宗教教団にはあったのである。人間による呼びかけなら何も気にしなくとも、神の呼びかけならば従わざるをえないということも多かったのではないか。
しかしどうだろう、現代に至ってはこれまで語って来たものの全てがビジネスの世界に奪い取られてしまっている。
祭りももはや宗教の専売特許ではない。フェスやイベントはほぼ毎日どこかでいとも簡単に開かれている。
音楽や、ダンス、演劇もどうだろうか。ビジネスにおけるこれらの成熟ぶりはもはや言うまでもないだろう。もちろん、伝統芸能としての価値やその高度な技能は認められるかもしれない。だが、今の時代多くの人が大金を払って観に行くのは好きなアーティストや芸能人なのではないだろうか。
さらに言えば、現代のように多種多様な娯楽もなく、ネットも交通手段もない過去においては町や村のお寺が芸能や娯楽の現場だったのだ。そうした役割も当然お寺は失ってしまったのである。
商業、金融面も資本主義世界の巨大コングロマリットにはどう考えても勝ち目はない。
こう考えてみると、ディズニーという存在が実に恐ろしく感じられてくる。圧倒的な資本力や世界最先端の技術、イマジネーションを駆使しディズニーは世界を席巻してきた。そしてその原動力こそ「宗教的な要素」だったのではないか。ディズニーは既存宗教が保持してきた「人を魅了し動員する手法」を実に巧みに利用している。何度も言うように、ヒンドゥー教がディズニー的なのではなく、ディズニーが宗教的なのである。
そうしたディズニーの宗教性や芸術性について知るには能登路雅子著『ディズニーランドという聖地』やクリストファー・フィンチ『ディズニーの芸術』は最高の解説書だ。これらを読めばきっと皆さんも度肝を抜かれることだろう。
そして改めて考えてみるに、そうしたエンタメ性を奪われた宗教界において私達僧侶にはどのような意味があるのだろうか。
インドではヒンドゥー教そのものが強力なエンタメ性を持ち、ディズニーよりもはるかに強い力を持っているのはたしかだ。ガイドさんによれば、インドではディズニーは都会の子供用のものという認識だそうで、ヒンドゥー教の立場を脅かすようなものではないと話していた。
だが、翻って日本の仏教はどうだろうか。たしかに巡礼やお参り、パワースポットなど、人を惹きつける魅力があるのも事実だろう。しかしそれは限られた寺院レベルである。個々の寺院はどうしたらよいのか、それをひとりひとりの僧侶が考えていくしかない。自分達の存在意義は何なのか。ディズニーなどの圧倒的なエンタメ性を前にして、私達に何ができるのだろうか。私達僧侶が闘うべきはこの強大なビジネス社会そのものなのである。
私自身、前回のスリランカとこのインド仏跡紀行で多くのことを考えさせられた。私個人としては、エンタメ性を今さら求めずとも、僧侶として自らのなすべき職務や儀礼をしっかりやっていくことが要だと考えている。「何を当たり前な」と思われるかもしれないが、その当たり前にこそ私は鍵があると考えている。他に強みを取られたとしても、自分達の強みを生かしていけばよいのである。お寺にはお寺の魅力が必ずある。それは私達僧侶自身が一番感じているはずではないか。
「エンタメ性」といっても、それはあくまで宗教という大きな枠組みの中の一要素にすぎない。これが全てではないのである。日本人の仏教受容においても、エンタメ性以外のものがあるのは間違いない。インドだってもちろんそうだ。私はそれを大切にしたいのである。この記事では詳しくお話しできないが、私自身、そのことについてこのインドの旅で強く感じたのである。
ただ、最後に付け加えておきたい。私はここまでエンタメ性についてお話ししてきたが、宗教とエンタメを並べることに対し不謹慎だという意見もあると思う。その意見ももっともだ。宗教がその人の人生の根幹を担う大切なものであることは間違いない。だから私は「宗教はエンタメに過ぎない」などというつもりは全くない。あくまで、そういう要素もあるという一つの視点からの解釈なのである。
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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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いよいよ始まった。私の最後の旅だ。
私はこれからおよそ1か月をかけてインドやネパールの仏跡を巡る旅に出る。
昨年8月に初めて訪れたインド・・・。その時は仏教ではなくヒンドゥー教の聖地であるハリドワールを訪れた。
ここで見た光景は忘れられない。聖なるガンジスで繰り広げられる聖俗の混沌。インド人の姿。
「神聖なガンジスの聖地で沐浴する人々」
こう言うのは簡単だ。
しかしそのガンジスの中でいかに多様な世界が繰り広げられていることか!
やはりここにはブッダが入り込む隙間はない。ここにいる人達に「沐浴は意味がない。慎み深く生き、善いことをして悪いことをするな、輪廻から解脱せよ」と言っても通じるはずがない。ここの人達は皆ガンジスの浄化を信じ、現世と来世の幸福を祈っている。そしてハリドワールが生み出すヒンドゥー教的な祝祭空間を心の底から楽しんでいる。インド人にはインド人のメンタリティーや文化があり、信仰があるのだ。
このようなインドの国民性、宗教性の中でブッダはそれらを否定した。やはりブッダはとんでもないアウトサイダーなのだ。彼の教えがインド中に広まったというのはどういうことなのかもっと突き詰めなければならない。
私はこのことに着目して8月の帰国から仏教の再復習を始めた。そしてスリランカの旅を通してもこのことに対して大きな視点を得ることになった。特に「(49)なぜスリランカで大乗仏教は滅びてしまったのか~密教の中心地でもあったスリランカ仏教界に何があったのか」の記事でお話ししたように、仏教における国家との関係性は見逃すことができないことを知った。
また、インドにおいても仏教教団の流れを知るためには当時の時代背景を知らなければならない。この観点から仏教の開祖ブッダの生涯を綴ったのが【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】である。
詳しくはこちら
仏教入門・現地写真から見るブッダの生涯 | 【日々是読書】僧侶上田隆弘の仏教ブログ私は2024年2月から3月にかけてインドのブッダゆかりの地を巡りました。その体験を基にこの連載記事【仏教講座・現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】は書かれ…
この連載記事はこの2月の仏跡紀行の帰国直後から執筆したものだ。この連載では仏教を知らない方にも読んで頂けるよう気を配った。インドにおいてなぜ仏教が広まったのかがこの連載を読めば伝わると思う。やはり時代背景は重要だ。「宗教は宗教だけにあらず」なのである。
そして、この私の最後の旅は単なる仏教の旅ではない。
この旅は三島由紀夫から始まったのである。
スリランカからの帰国便で私は言葉にできぬほどのショックを受けた。『彼は早稲田で死んだ』は私の何かを根本的に変えてしまった。
しかしこれが現実なのだ。私はもっとこの世を知らねばならぬ。
はじめは学生紛争とは何かということだけだった。
しかし、『彼は早稲田で死んだ』を読んだ私はもう後戻りできないところまで来てしまった。もはや私は掴まれてしまった。私は三島由紀夫を知らねばならないのである。
あの全共闘と討論した三島由紀夫とは何者だったのか。あれほどのカリスマを発する三島とは何者なのか。日本において三島由紀夫はどんな意味を持っていたのか。私はそれを尋ねずにはいられなかった。
スリランカから帰国してからの2か月、私は猛烈な勢いで本を読んだ。しかも三島だけでなくディズニーのことも学ぶことになった。いわば、仏教という本筋を外れたことに2か月の間没頭していたのだ。
だが、これは決して無駄なことではない。むしろ三島の文学によって私は言葉の力を知った。三島は自らの思うところを迷いなく表明する。その自信に私は惹かれずにはいられなかった。そしてその美しく力強い文体は確実に私の力となった。
三島は私の心を捉えた。
それはなぜか。三島は「生と死」について語るからである。
しかも三島は量的な「生」を否定し、徹底的にその質を問う。一瞬に生を凝縮し、その一瞬をもって生の価値とする。無為に長く生きたところで何になろうか。命を燃やせ。
若さは美だ。限りなく尊い。
老いは醜く、病は絶望だ。
三島は老いを極度に恐れた。三島は全てを自分の力で制御し、律し、打ち克とうとした。
そうした究極的にストイックな人間にとって、老いや病は絶望でしかなかっただろう。
こういうわけで三島は生と死の問題を私達に突き付ける。
そしてこの生と死の問題は三島をインドや輪廻転生、仏教の唯識思想へと結びつけた。三島と私はもはや同じ問題を共有している。そして私はこれからインドへ向かうのだ。三島と共に。
今回、『豊饒の海』4冊を私は旅のお供に持参している。もちろん旅に出る前にこの四部作は一読しているが、この作品はあまりに巨大であまりに見事なため再読が必要と私は判断した。
これほどの長編をこの短期間で再読しようと思うのは私としても珍しいことだ。しかもそれをインド滞在中にやろうというのである。そうだ。この本は私にとって『ドン・キホーテ』と同じ位置に来たのである。
これから私はインドの仏跡を巡る。だが、例によって私は数々の寄り道をすることになる。その最初の目的地からして仏教遺跡ではない。
私が一番最初に向かったのはタンジャーブルという南インドの都市だ。ここはスリランカの目と鼻の先にある街で、ここにかつてスリランカに侵攻したチョーラ朝の王都があったのである。そう。私のスリランカの旅は実はまだ終わっていなかったのだ。その積み残しを片付けてからインド仏跡巡りを始めようという狙いである。
では、次の記事より私の最後の旅、インド仏跡紀行を始めていこう。
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