アントニー・ワイルド『コーヒーの真実』あらすじと感想~コーヒーの歴史と現在も続く不平等な貿易システムに警鐘を鳴らす一冊!
アントニー・ワイルド『コーヒーの真実』概要と感想~コーヒーの歴史と現在も続く不平等な貿易システムに警鐘を鳴らす一冊!
今回ご紹介するのは2011年に白揚社より発行されたアントニー・ワイルド著、三角和代訳の『コーヒーの真実』です。
早速この本について見ていきましょう。
現在、コーヒー産業で生活を支える人の数は世界で1億2500万人に昇ると言われます。そもそもエチオピア原産とされるこの小さな豆が、民主主義や秘密結社を生み出し、植民地帝国主義の原動力となり、大航海時代から、グローバリゼーションの現代にいたるまで、世界の歴史を動かしてきました。また、コーヒーの歴史は世界的な覇権争いの歴史でもあります。今、この世界で何が起きているのか、あなたが飲む一杯のコーヒーの背後に見え隠れする人類の過去・現在・未来を読む一冊です。
白揚社商品紹介ページより
前回の記事ではコーヒーの歴史と近代西洋社会に特化した臼井隆一郎著『コーヒーが廻り世界史が廻る』を紹介しましたが、今回ご紹介する『コーヒーの真実』はそこからさらに現代におけるコーヒーの状況について学べる作品となっています。
本書について訳者あとがきでは次のように述べられています。
本書はアントニー・ワイルド著『Coffee-A Dark History』(二〇〇四年)の全訳だ。コーヒーの買い付けと植民地問題に造詣の深い著者が、コーヒーの歴史と現在のコーヒー貿易が抱える問題を綴ったノンフィクションである。その主眼は不公平な貿易にある。植民地問題から尾を引く南北格差と、「コーヒー危機」と呼ばれる価格破壊を起こした現在のコーヒー・システムの是正を、著者は熱く訴えている。
だが本書の魅力はそれだけではなく、扱った分野の幅広さにも驚かされる内容となっている。歴史、政治、地埋、経済、文化、科学、さらには人類学や錬金術の話題も飛びだし、さまざまな要素が盛り込まれている。コーヒーが歴史の表舞台に登場したのは、十六世紀だと言われている。だが著者は、人類誕生の時代からコーヒーと関連のある話題をピックアップし、このコーヒー物語は壮大なスケールで展開していく。コーヒーは旅をする発祥の地とされるエチオピアから、かつてコーヒーの輸出港として繁栄したイエメンのモカ港へ。コーヒー文化が花開いたオスマン帝国。ヨーロッパ。ウィーンの攻防の影にコーヒーがあり、コーヒー・ハウスがロンドンの街では政治や学術文化の舞台となった。ナポレオンはコーヒーの木を植え、ランボーはコーヒー貿易に従事した。アジアへ、そして新大陸へと伝播し、プランテーションで栽培されるようになったコーヒーは、その商品価値が高まるにつれて、軋轢を生むようになっていく。中国の遠征隊が顔を出し、ボストン茶会事件も絡んでくる。中南米やべトナムの暴力の足跡。たんなるコーヒー史に留まらず、周辺の事柄を広く巻きこみ、コーヒーを切り口にした歴史読み物としても興味深いものとなっている。
著者アントニー・ワイルドは、イギリスのスぺシャルティー・コーヒー焙煎会社で一三年間にわたり買い付けを担当した経験のある人物だ。現在はコンサルタントやジャーナリストとして活躍している。専門は植民地主義とその歴史。本書の他にはハーパー・コリンズ社から The East India Company (二〇〇〇)と Remains of the Raj(二〇〇一)を上梓している。ときに厳しい論調で暗くほろ苦い歴史を語っているが、コーヒー取引の現場にいたからこそ敢えて主張する著者の心には、このような想いがあるのだ。
「かつてのコーヒー産業は、誇りをもって携わることのできた業界だった。いまではほかの分野の企業家と同じく、コーヒー・マンは自分が実際は盗品を受けとっているのであり、第三世界の人々を奴隷にしているのだと気づく場面が多くなっている。誠実な者であればあるほど、頭をかきむしり、いったいどうしてこんなことになってしまったのか、考えずにはいられない。ほとんどの人が、彼らの良心の自由を奪われてしまっている。」(本文より)
白揚社、アントニー・ワイルド、三角和代訳『コーヒーの真実』P319-321
ここで語られている通り、この本ではコーヒーの壮大な歴史を学ぶことができます。本書冒頭に出てくるイスラム教の神秘主義スーフィズムにおけるコーヒーと中国の大船団の関係に私はいきなり度肝を抜かれました。そしてそこからコーヒーがいかに世界に展開したかが鮮やかに語られます。
また、私はフランス革命やナポレオンにも強い関心があり、当ブログでも『ナポレオン言行録』や『ナポレオン時代』など彼に関する著作をご紹介してきましたが、そこともコーヒーが繋がるということで非常に興味深い読書になりました。
そして本書終盤で語られる現在のコーヒービジネスの問題点がこれまた強烈で、その一例としてベトナムのコーヒー栽培の現状が語られます。
一九八〇年代のべトナムは、世界のコーヒー生産国中、第四十二位だった。上質のロブスタ種が大量に育つ元フランス植民地のプランテーションだった土地を、新しい政府が国有化したが、六万七〇〇〇袋しか輸出しておらず、世界のコーヒー貿易のレーダーにはほとんど認められなかった。
二〇〇一年のべトナムは、一五〇〇万袋ほどを生産し、世界のコーヒー生産国として第二位の地位にある。この膨大な生産量の増加は、コーヒー価格の世界的な崩壊を引き起こしたとして非難された。いかなる誤算もないと猛烈に否定しているが、べトナムのコーヒー栽培量を大幅に引きあげるために融資したことで、世界銀行は痛烈に批判されている。また、コーヒーの実がダイオキシンに汚染されている可能性について、確証はないが根強い噂が残っている。べトナム戦争中にアメリカ軍によって国中に散布された枯れ葉剤による負の遺産だ。べトナムはコーヒーの暗黒の歴史から、復讐というしっぺ返しを受けた国だ。
白揚社、アントニー・ワイルド、三角和代訳『コーヒーの真実』P295
ここから本書ではベトナムのコーヒービジネスの実態が語られていくのですがこれがあまりにショッキングで私は頭を抱えてしまうほどでした。
ここではそのすべてはご紹介できませんが印象に残っている箇所を引用していきます。
べトナムにおけるコーヒー生産の大規模な拡大の責任は、その大部分が世界銀行にあるが、世界銀行はいかなる関与も必死に否定して、自分たちには非がないと身の証を立てるための、激しい論調のプレスリリースを発表している。
枯れ葉剤の場合と同様に、役所の秘密主義のべールを引き裂くことは難しく、世界銀行だけでなくべトナム政府自身も、実質的にコーヒー価格の崩壊を引き起こした責任を、進んで背負いこもうとはしていない。コーヒーの木を植えるための金を、(世界銀行の認識があろうとなかろうと、政府が)借り入れしている多くの小規模農家に、もし物質的な向上が見られたら、いくらかでもなぐさめとなったことだろう。だが、コーヒー栽培の「成功」の結果として、その農民たちは現在、生産コストのおよそ六〇パーセントでコーヒーを販売することを強いられており、コーヒー栽培からの見込み歳入を、無謀なほど楽天的に予想した計算に基づいたローンの返済のため、身動きがとれない状況となっている。
ベトナムのコーヒー生産は、すでに最盛期を過ぎ、急速に陰り始めている。約束された富は架空のものであったと、誰もが気づいている。高地の脆弱な環境、悪影響を受けている野生動物、家を失った先住民、そして収入もなく多額の借金を抱えて身動きのとれなくなった低地からの移民と、コストは一段とかさみ、計算不可能なほどになっている。自ら進んで責めを負おうとする者がいないことも、驚くにはあたらない。
ベトナムは、コーヒーを将来有望な産物とする善意の開発計画の白眉であり、この計画の目的は、アメリカとの長い戦争が引き起こした混沌と破壊から、この国を脱却させることだった。主要な資産である低い労働コストは、この戦争から直接受け継いだものだった。
安い労働力という保証を配備し、それを経済予測に含めることで、政府は、この国が世界的な貿易コミュニティに入りこむ現実的なルートを予見した世界銀行のような機関から、開発費を引きだすことができた。これは現代における植民地主義だ。第一世界の消費者の利益のために、裕福な貸し手の資本を展開することで、安い労働力を搾取しているのだ。
言うまでもないが、世界銀行はその五一パーセントの株を保有する、アメリカ財務省によって管理されている。IMFやWTOとともに、世界銀行は選挙のないワシントン・コンセンサスの三頭政治の一角をなし、その決定事項は何百万人もの生活に影響を及ぼす。この三つの機関すべてには、イデオロギー的な動機づけがあり、自由市場の資本主義というアメリカのモデルにのぼせあがり、資本主義がもたらすとされる利益に夢中になった。べトナムとそのコーヒーに関する件で、世界銀行は責任ある行動をとらず、口にされることのないみじめさを、世界中の何百万人という人々にもたらしたが、世界銀行によって描かれた道をこの一〇年ほどたどっていた人々にとっては、これは何ら意外なことではなかった。
一九九九年に、元チーフ・エコノミストのジョゼフ・スティグリッツは、世界銀行はアプローチを緩めるべきだと勇敢にも提言したことで追放されてしまった。このことは、世界銀行については、その最悪の敵がロにすることでさえも、すべて真実らしいという思いを新たにさせてくれる。
貸し付けを求める国に対する、ワンサイズでどの国にも合う経済処方箋。見返りとして西洋企業の利益となる公共の資産を格安で手に入れるために、政府の大臣たちに渡す賄賂。信用が揺らいだ際には地元の銀行に取り付け騒ぎを引き起こすことになる、外国の投資家への金融市場の開放。押さえつけるのに強力な手段が必要となる社会不安の予測。西洋の銀行からの貸し付けが焦げ付きそうな地元銀行の救済。第一世界では農業に対する助成金を出し続けているというのに、繰りかえされる自由貿易というマントラ・・・このリストはさらに続いている。
歯に衣を着せないIMFの批判者であったスティグリッツは、ある国の経済問題に対するIMFのアプローチを、高高度からの爆撃になぞらえた。「贅沢なホテルに滞在していたら、他人には冷酷な政策を押しつけることができるものだ。もしも、自分が破壊しようとしている生活を送る人々が自分の知人であったならば、考えなおすだろうに」。爆撃のたとえは、世界経済や世界政治の権力の実行者たちが、自分たちの行動の結果からますます隔たっているということを、巧みに表現したものだ。
故意に市民を殺害すること—いかなる文脈においても戦争犯罪だ—は、政治権力の珍奇な言い逃れによって、軍事上の標的を空襲した結果起きた、不幸な偶然ではあるが完全に合法的な、巻き添えとみなされてしまう。同様に、世界経済の運営においても、イデオロギーを追究する金融機関による、国家全体の生活と生命の大量破壊は、通常は恐怖ではなく、わずかに見当違いではあるが、基本的には健全な方針が善意によって適用された結果と見なされる。
白揚社、アントニー・ワイルド、三角和代訳『コーヒーの真実』P304-306
まさかこの本でスティグリッツの名と対面するとは思ってもいませんでした。
スティグリッツは新自由主義を強く批判したノーベル賞経済学者です。私が彼に関心を持ったのは宇沢弘文という日本を代表する経済学者の存在がきっかけでした。
この話をしてしまうと長くなってしまうのでこれ以上はお話しできませんが、新自由主義の問題を鋭く批判したスティグリッツ、宇沢弘文という二人の経済学者の提言に私は大きな影響を受けました。
そんなスティグリッツがこの本に出てきたこと、そしてコーヒー業界とベトナムがここで繋がってくることに私はどきっとしたのでありました。
そして上の引用箇所で語られていたように、ベトナムは近年急激にコーヒーの生産量を増し、世界のコーヒー市場の価格を破壊しました。しかもベトナムのコーヒーの質は悪く、コーヒー業界において問題になっているとのこと。
コーヒーといえば中南米やアフリカというイメージがありましたがベトナムがまさかここまでの状況になっているというのは驚きでした。
私はコーヒーが好きです。毎日飲んでいます。スタバにもよく出かけます。
ですが私のコーヒー消費もこの業界の闇に加担していると思うと「あぁ・・・」と暗澹たる気持ちになります。
ですが、コーヒーそのものはやめられません。私にできることといえばせめてフェアトレードのものを買うことと思うのですがそのフェアトレードすら実は万能ではないことがこの本では明らかになります。
コーヒーの明るい面も当然あるのですがこういう闇を知ることも大事なことであるのは重々承知。ですがやはり辛いものがある・・・
何も知らずに無邪気に美味い美味いと飲むことの何たる気楽さか。
そのほうが心理的負担は明らかに少ないです。
ですが全ての人がそうなってしまったらどうなってしまうのか。いや、現に世界は新自由主義でどうなってしまったか。
厳しいかもしれませんが、コーヒー好きだからこそ勇気を持ってこの本は読んでほしい一冊だと思います。
以上、「アントニー・ワイルド『コーヒーの真実』~コーヒーの歴史と現在も続く不平等な貿易システムに警鐘を鳴らす一冊!」でした。
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