杉本良男『仏教モダニズムの遺産』あらすじと感想~スリランカ内戦はなぜ起こったのか。仏教ナショナリズムと宗教と暴力のつながり
杉本良男『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』概要と感想~スリランカ内戦はなぜ起こったのか。仏教ナショナリズムと宗教と暴力のつながり
今回ご紹介するのは2021年に風響社より発行された杉本良男著『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』です。
早速この本について見ていきましょう。
宗教の持つ本源的な暴力性を問う
Amazon商品紹介ページより
タミル分離独立をめぐる内戦、ムスリムとの対立、そして2019年の同時多発テロ は、仏教聖地スリランカを根底から揺るがせた。本書は、植民地支配下に独自の改革仏教を創始したダルマパーラの思想を根源から問い直し、そこに潜む暴力性について人類学的、系譜学的に明らかにした労作である。
前回の記事で紹介した澁谷利雄著『スリランカ現代誌』では1983年から2009年にかけて続いたスリランカ内戦について見ていくことになりました。
そして本書『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』ではこの内戦が起きるまでの背景を詳しく知ることになります。
この内戦の大きなきっかけとなったのはスリランカ人口の大半を占めるシンハラ仏教徒と少数派のヒンドゥー・タミル人の対立です。ですがこの対立もはじめからあったわけではありません。この対立が激化したのはスリランカ仏教とナショナリズムが結びつくというこの国独特の宗教・民族観があったからこそでした。
このシンハラ仏教徒のナショナリズムに巨大な影響を与えたのが本書の副題ともなっているダルマパーラという人物の存在でした。
スリランカの研究者オベーセーカラはダルマパーラの生み出したスリランカ仏教を「プロテスタント仏教(改革仏教)」と呼びました。スリランカの仏教といえば最も古い仏教を今でもそのまま継承しているというイメージがあるかもしれませんが、実はそうではなく19世紀から活発化した運動のひとつだったのでありました。その流れで仏教とシンハラ人のナショナリズムが結びつき、内戦へと向かっていったという歴史をこの本では詳しく見ていくことになります。特にこのダルマパーラについては伝記のようにその生涯をじっくり見ていくことになります。その生涯を見ていきながらスリランカ仏教の独特な歴史を知ることができます。
本書冒頭で著者はこの本について次のように述べています。少し長くなりますがスリランカの仏教とナショナリズムについての大枠を考える上でも重要な箇所ですのでじっくり読んでいきます。
スリランカ(セイロン、ランカー島)は、インド洋に浮かぶ「東洋の真珠」、あるいは紅茶の島、宝石の島として、さらには原始仏教の伝統を残す世界に冠たる仏教国として、いずれも非常に美しいイメージで語られてきた。仏教関係者は研究者も含め、釈尊仏陀の金口の説法を根本の教えととらえ、原点に近いこの島の「純粋仏教」、「原始仏教」を恭しく奉じてきた。スリランカの仏教は厳格な出家主義を基本とする上座部分別説部(Vibhajjavada)の伝統に連なる「上座仏教」(Theravada Buddhism)であり、その意味で世界的な仏教の中心だと考えられてきた。
しかしながら、一九七二年にそれまでの「セイロン」(Ceylon)から「輝ける島」という意味の「スリランカ」(Sri Lanka)へと国名を変えてからは、皮肉なことに一貫してテロや流血のイメージが強く、むしろ悪名のほうが高かったようにみえる。プラディープ・ジャガナーダンがいみじくも言うように、スリランカ研究者は暴力の問題を主題として選ぶわけではなく、今日のスリランカについて語ることがそのまま暴力について語ることになってしまうのだ[Jeganathan 1998b: 90]
一九八三年七月の「闇黒の七月」(Black July)から四半世紀にわたってスリランカを根底から揺るがせた民族宗教紛争は、ニ〇〇九年五月一七日にタミル人反政府組織タミル・イーラム解放の虎、通称LTTE(Liberation Tiger of Tamil Eelamタミル・タイガース)が敗北宣言を出し、同一九日には長年にわたり指導者として君臨してきたV・プラバーカラン(Velupillai Prabakaran, 1954-2009)議長の遺体が確認されて、タミル分離独立派の敗北によって一応の収束をみた。二〇一二年一一月の国連発表によると、この二六年の間に一〇万人以上が亡くなり、とりわけ終結前の五ケ月の間に四万人以上が殺害されたという。ときのスリランカ政府はこの報告に大いに不快感を示したが、国民がこの間に蒙ったさまざまな影響は計り知れない。
風響社、杉本良男『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』P1-2
スリランカ研究者が等しく認めるように、アナガーリカ・ダルマパーラは疑いもなく一九世紀からニ〇世紀にかけて最大の仏教改革家であるとともに[Brekke 2002:63;Bond 1988:53;ゴンブリッチ・オぺーセーカラ ニ〇〇二]、シンハラ仏教ナショナリズムの生みの親(founding father)でもある[Venugopal 2018: 45]。その最終的な目的はみずからの新たな宗教観を政治的に応用するために、強力な政治的宗教的集団を構築することにあった。ダルマパーラにはこうしたスリランカの仏教ナショナリストとしての側面とともに、インドのブッダガヤーを仏教聖地として奪還する闘いがあり、一九一五年にスリランカを追放されてからの後半生はむしろそちらの活動に主力が注がれた。さらに史上初の仏教宣教師を自負して、西欧を含む世界に仏教の徳を説くという重要なミッションも遂行していった[Brekke2002: 86; Seneviratne 1999; Amunugama 1985: 720]。
風響社、杉本良男『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』P6-7
冒頭に述べた、世界の仏教の総本山としての「セイロン」と、テロと暴力にまみれた「スリランカ」とは、アナガーリカ・ダルマパーラの近代的な改革仏教を介して、深いところでつながっている。本書では、ダルマパーラの仏教モダニズム、仏教ナショナリズム、仏教ミッションについてその由来をたずねたのち、セイロン内外における展開の経緯を追い、さらには暴力性に満ちた現在のスリランカへの影響までを、系譜学的に明らかにしたいと考えている。このことは、小さな島国とはいえスリランカがかかえる問題について検討することが、とりもなおさず、ひろく宗教と暴力の問題を検討するための重要な試金石だと考えているからである。
風響社、杉本良男『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』P9
これらの引用の最期で語られた「小さな島国とはいえスリランカがかかえる問題について検討することが、とりもなおさず、ひろく宗教と暴力の問題を検討するための重要な試金石だと考えているからである。」という言葉は私にとっても非常に大きな問題です。
私はこれまでも宗教と暴力について様々な視点から学んできました。前回の記事「澁谷利雄『スリランカ現代誌』~スリランカの民族紛争と宗教の関係がわかりやすくまとめられたおすすめ作品」でもお話ししましたように、私は2019年にボスニアを訪れ民族紛争について学んできました。
また、帰国後も「親鸞とドストエフスキー」をテーマに学ぶ中で戦争や全体主義、マルクス主義と絡めながら宗教の持つ暴力性や危険性を考えてきました。
特に『ドン・キホーテ』の流れで読んだトビー・グリーン著『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』はまさに宗教とナショナリズムについて大きな示唆を与えてくれた作品でもあります。この時代にはまだ明確なナショナリズムはありませんが、自分たちの宗教集団と他者を区別し、それを政治利用するあり方はまさに共通するものがあると思います。
私はこれまで主に西洋の宗教や暴力の歴史を学んできました。そこで感じたのは、やはり戦争遂行のためのイデオロギーとして一神教の宗教は利用されやすいのではないかということでした。そしてそれに対して仏教はそもそもの教義として絶対的な神、つまり正義を立てず、さらには非暴力を訴えますので戦争のイデオロギーにはなかなかなりにくいのではないかと私は考えていました。もちろん、日本の歴史においても武将が仏教を深く信仰していたとか、寺の焼き討ちがあったとか、第二次大戦で戦争に加担したなどの事実はあります。ですが争いの第一義のイデオロギーとして仏教が出てくるかというとそうではないのではないかというのが私の感じるところでした。
しかしここスリランカではそうではなかったのです。仏教がシンハラ人のアイデンティティーと結びつき聖戦の概念まで生まれていきます。本書ではそうした仏教とナショナリズムの結びつきの過程をじっくりと見ていくことになります。これは非常に興味深いです。「まさか」と思うことがここスリランカでは起こっていたのです。
仏教国スリランカにおける仏教とは一体何なのか。
私達が想像する仏教の世界とは全く異なる世界がここにあります。
宗教とは何かを考える上でも本書は非常に興味深い内容が満載の素晴らしい作品です。
ぜひぜひおすすめしたい一冊です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「杉本良男『仏教モダニズムの遺産』~スリランカ内戦はなぜ起こったのか。仏教ナショナリズムと宗教と暴力のつながり」でした。
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仏教モダニズムの遺産:アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム
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