高橋保行『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』あらすじと感想~ソ連時代のキリスト教はどのような状態だったのか
高橋保行『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』概要と感想~ソ連時代にキリスト教はどのような状態だったのかを知るのにおすすめ!
今回ご紹介するのは1996年に教文館より発行された高橋保行著『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』です。
早速この本について見ていきましょう。
鉄のカーテンの陰で、様々な方策を用いて抹殺し根絶しようとした国家と、ついに死ぬことのなかったロシア教会。日本正教会司祭が新資料に基づき、ロシア教会の苦難の歴史の実態を明らかにする。
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この本は宗教を禁じたソ連時代にロシア正教の教会はどのような状況に陥っていたのかということを見ていく作品です。
ソ連とキリスト教についてはこれまでもドストエフスキーとの関連から当ブログでもいくつかの本を紹介してきましたが、今作『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』はまさにこの問題について正面から論じた作品になります。
著者の高橋保行氏は1948年に東京で生まれ、1972年にニューヨーク聖ウラジミル神科大学院を卒業、1974年に日本ハリストス正教会の司祭に叙任され、ロシア正教に関する多数の著作を執筆しています。
高橋保行氏の作品もこれまでも当ブログでもご紹介してきました。
高橋神父の作品は初学者でもロシア正教の奥深さをわかりやすく解説してくれる名著揃いです。
そして今作もソ連時代におけるロシア正教について非常にわかりやすく解説してくれる素晴らしい作品となっています。
紹介したい箇所が山ほどあるのですが、その中でも「はじめに」で説かれる文章がソ連とキリスト教、ドストエフスキーについて非常に興味深い指摘となっています。かなり長くなってしまいますがぜひご紹介したい文章となっていますのでじっくり読んでいきます。
ロシアと宗教というと、すぐに「宗教は民衆のアヘンである」という共産主義者レーニンの宗教不信の言葉を思い出す。
レーニンはマルクスの言葉を引用したのだが、互いのあいだには宗教にたいする嫌悪の度合いがある。マルクスは「宗教は虐げられたものの嘆き、心のない世界の心、生命力なき倦怠の精神であり、民衆のアヘンである」といっている。レーニンは「宗教は民衆のアヘンで、まともな生活を否定して、人間の姿をくずす霊的な酒のようなものである」といっている。しかも神を信じることは、いかなる罪や汚れた行為、そして暴力行為に劣って卑しい行為としている。さらにいかなる宗教も有産階級が労働者階級を惑わし搾取する手段として使われているともいう。
宗教にたいして嫌悪感を抱けば「宗教は民衆のアヘンである」という句に共鳴しやすい。レーニンを信奉していなくても自分を知識人と考えている人のなかには、レーニンの言葉を固く信じて疑わない人もいるはずだ。豊富な知識をもとに、思慮分別をもってあらゆるものにたいして偏見を取り除こうと努力する現代人であるが、こと宗教にかんしては知らずのうちに偏見をもって接している。「宗教はアヘンである」という句に、「さわらぬ神にたたりなし」という諺を加えて、最後に「宗教はみな同じ」というところに行き着く。
宗教離れした現代人が、宗教という言葉を耳にしただけで、なにか異様なものと思って拒絶したり、逆に奇異であるから受け入れるというのは、宗教にたいして無知であるからといわねばなるまい。こうした偏見をひとつとして改めようとしないから、現代人の宗教感覚はいつまでたっても「苦しいときの神だのみ」、そして「御利益宗教」の域を脱することはない。ソヴィエト政権は、宗教にたいしてのこうした偏見と誤解を国単位で普及しようとした。
しかもソヴィエト政権の宗教にたいしての偏見は、さらに一歩進んでいる。ソヴィエト人にとって、いかなる信仰も矯正されるべき偏見と考えて、「宗教への偏見」を改めるといって徹して無神論を国民に教えこもうとした。
「宗教への偏見」というと、宗教にたいしての偏見、あるいは誤解というように思えるが、共産主義者にとっては、信仰すること自体が偏見である。信仰をあきらめさせることによって、初めてその偏見が矯正できると考えた。
共産主義は、唯物論をとなえる徹底した物質主義である。したがって物質的な存在以外のものはありえないから、宗教などは想像にすぎず、神などいかなる神でもありえない、神をあるということが偏見であるというのだ。したがって、偏見を取り除けば、神などいないことがわかり、無神論社会ができるというわけだ。世界各国のなかで、同時代に国をあげて異常なほどに、宗教にたいして関心をしめした国は、ソヴィエトと共産圏の国々を除いて他にない。無神論社会を築くために、宗教にたいして関心をもったとは皮肉ではないか。
教文館、高橋保行『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』P5-7
レーニンとマルクス、「宗教はアヘン」という言葉についてのこの解説は非常に貴重なものがあると思います。
そしてここから日本におけるソ連とキリスト教受容、またドストエフスキーについても語られます。ここがまた重要な箇所になります。
こうした無神論国家の宗教にたいする偏見は、知らずのうちに日本におけるロシアの文化や芸術、あるいは文学を理解するうえで障害になってきた。もともと欧米にたいする一般の関心度に比べると、ロシアについての関心度は二の次で、ロシアの文化や芸術、あるいは文学に関心ある人以外には、日本の国益に影響を及ぼすような政治的発言がされない限りロシアに目を向ける人は少ない。欧米の芸術や文化、あるいは文学などに関心のある人ならば、たとえキリスト教を信じなくても、すこしはキリスト教について知っていなければならないと思う。
ところがロシアの芸術や文化、あるいは文学などに関心のある人たちのなかで、同じようにロシアにおけるキリスト教について調べてみようという人は少ない。真剣にその影響力について考えてみようという人がいても、キリスト教というと西欧のものという考えから抜けきれないから、正面きってとらえることができない。
ロシアのキリスト教であるギリシャ正教についてあまりよく知らないこと、さらに無神論国家が説いていた考え方に影響を与えられたというふたつのことから生じる誤解があった。
ロシアのキリスト教の影響力はない。キリスト教は神話である。ロシアのキリスト教はロシアの異教と結びついている。さらにロシアのキリスト教は帝政ロシアの御用宗教であった。だからそれに反発した分離派が正しいキリスト教である。これらの決まり文句によってロシアの信仰が片づけられてきたのも、ロシアが無神論国家であったからだ。
ヨーロッパのキリスト教だけがキリスト教だけであると思っているから、ロシアのキリスト教はキリスト教であるというよりもロシア人の宗教性、もしくは宗教心の産物と誤解しがちでもある。話しに面白味を加えるために、ロシアのキリスト教よりも、それ以前にあった異教やセクトのほうが、よりその宗教心を表現しているなどと発展させる。すると、正教はロシアにとっては、異教やセクトと並ぶ信仰のひとつであるというわけだ。ここで再び歴史的現実が無視される観念的なロシアのこころのとらえかたが行われる。
共産主義政権下でロシア文学を研究した者たちのなかにも同じように、無神論に呪縛された者は少なくない。無神論国家のなかにおいて文学の研究をするときにも、正教に関することは言及されずにいるか、どうしても正教のことを話題にしなければならないときには異教の影響をあげて、習合的なものであったという。
無神論者たちは、キリストと聖書をギリシャの神々と神話と同じで、現実になかったものとしている。欧米で、よほど教養がないかぎり、キリストや弟子たちが、架空の存在であるなどという人はいない。まったく歴史的に疑いの余地のないキリストと弟子たちの存在とその行状を、共産主義下のロシアでは、無神論を信奉するがゆえに、まったく架空の神話的存在としていた。自分たちの思想や主義主張のために、歴史的事実をなかったこととして扱っていたのである。キリスト教に縁のないものは、無神論者たちの言うことを鵜呑みにしてしまう。するとドスエフスキイが真剣にキリスト教と取り組んでいるのを神話を相手としていると誤解してしまう。現実主義者であったドストエフスキイが、神話を相手に論を展開するだろうかも疑わない。
教文館、高橋保行『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』P7-10
ドストエフスキーは無神論者で皇帝暗殺を肯定する革命家だったという説もこうしたソ連的なイデオロギーの産物だったことが上の解説でうかがえます。
このことについては以前当ブログで紹介した「『ロシア正教古儀式派の歴史と文化』~ドストエフスキーは無神論者で革命家?ドストエフスキーへの誤解について考える」の記事でもお話ししていますのでぜひそちらもご参照頂けたらと思います。
そして『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』本編ではまず、ロシア正教がどのような宗教でどのような歴史を辿ってきたかということが解説されます。私達はキリスト教というとカトリックやプロテスタントをイメージしてしまいがちですが、それらとは異なるロシア正教の特徴をまずは学ぶことになります。
そしてその上でソ連時代の壮絶な教会弾圧の流れを見ていくことになります。目を反らしたくなるような凄まじい弾圧です。そのような中で教会はどのような対応を取ったのか、そして信仰を守るために人々はどのように過ごしてきたのかということを知ることになります。
ソ連時代のことは現代を生きる私たちにはなかなかイメージしにくいかもしれません。同時代を生きていた人にとっても情報が制限されていたため限られた範囲でしかその実態を知ることができませんでした。
そんな中ソ連政権下でタブー視されていた宗教については特に秘密にされていた事柄だと思います。
ソ連が崩壊した今だからこそ知ることができるソ連とロシア正教の関わり。
そのことを学べるこの本は非常に貴重な一冊です。
ドストエフスキーを知る上でもこの本は非常に大きな意味がある作品だと思います。
ぜひぜひおすすめしたい作品です。
以上、「高橋保行『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』~ソ連時代のキリスト教はどのような状態だったのか」でした。
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