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(47)1852年『ルイ=ボナパルトのブリュメール十八日』を発表するマルクスとその反響

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1852年『ルイ=ボナパルトのブリュメール十八日』を発表するマルクスとその反響「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(47)

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年表で見るマルクスとエンゲルスの生涯~二人の波乱万丈の人生と共同事業とは これより後、マルクスとエンゲルスについての伝記をベースに彼らの人生を見ていくことになりますが、この記事ではその生涯をまずは年表でざっくりと見ていきたいと思います。 マルクスとエンゲルスは分けて語られることも多いですが、彼らの伝記を読んで感じたのは、二人の人生がいかに重なり合っているかということでした。 ですので、二人の辿った生涯を別々のものとして見るのではなく、この記事では一つの年表で記していきたいと思います。

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

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トリストラム・ハント『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』あらすじと感想~マルクスを支えた天才... この伝記はマルクスやエンゲルスを過度に讃美したり、逆に攻撃するような立場を取りません。そのような過度なイデオロギー偏向とは距離を取り、あくまで史実をもとに書かれています。 そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。 マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。マルクスの伝記に加えてこの本を読むことをぜひおすすめしたいです。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。

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では、早速始めていきましょう。

ナポレオン三世によるクーデター

今回の記事ではいつもの『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』ではなく、ジャック・アタリ著『世界精神マルクス』を参考にお話ししていきます。

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1848年、フランス二月革命が勃発し、共和制のフランスが始まりました。その煽りを受けてマルクスはイギリスに亡命することになったのですが、この革命のわずか数年後、ヨーロッパ中に激震が走る出来事が起こります。

その流れをここではまずざっくりとお話しします。

この二月革命期で特徴的だったのは1789年のフランス革命と同じく、王政を廃止し、議会による国の統治を目指す共和制を取ったところにありました。

つまり、フランスにまたもや国王の存在しない時期が到来することになったのでありました。

しかしフランス革命の時もそうでしたが、急に国王を廃して議会で国を動かそうとするとたいてい内紛が起き大混乱に陥ります。

この時も案の定、政府はそれぞれの勢力争いに紛糾し、議会は空転します。

そして公約を守るために打ち出す民衆救済の策はことごとくとんちんかんな愚策ばかり。

王政を倒す時に喧伝していた理想的な公約はことごとく破られ、早くも民衆は新しい政府にうんざりし始めるのでありました。

そしてその混乱に乗じてナポレオン三世が1851年にクーデターで政権を掌握。

ナポレオン三世(1808-1873)Wikipediaより

翌1852年には正式に皇帝となり、フランスはあのナポレオン・ボナパルト時代と同じ帝政へと舵を切ったのでありました。

では、ここからマルクスの伝記を見ていきましょう。

この箇所はマルクスが亡命先のイギリスからいつフランス、ドイツに帰れるのかとやきもきする場面から始まります。

大陸に戻るという最後の期待は、一八五一年パリで十二月一日から二日の夜にかけてルイ=ナポレオン・ボナパルトが謀議の火種であった国民議会を解散したときに消える。国民議会は、ルイ・ナポレオンが共和国の議長権を認める憲法修正案を拒否していたからだ。

十二月三日、バリケードがフランスの首都に作られた。アン県の議員がフォーブール・サン・タントワーヌで殺され、こう叫んだ。「二五フランのために死ぬのだ」と。この二五フランは議会の手当ての額であった。軍は抗議の群衆に発砲する。約二百人が大通りで死ぬ。暴動もニエーヴル県、エロー県、ヴァール県、下ライン県で勃発するが、周辺的なものにとどまり、農民はナポレオンの思い出にひたる。

カールはこの事件をしつこく追う。彼の書いたものの確信をそこに見る。労働者と農民とのしっかりとした連帯がなければ、すべての革命は失敗せざるをえない。前の革命同様今度も失敗する。

共和国の議員の多く(ヴィクトル・ユゴーもそのひとり)は逮捕され、追放される。そのほか二万七千人が逮捕されたが、四千人は流刑になった。ユゴーはフランスを去る。一八五一年十二月二十日、地方の人民がクーデターを承認し、ルイ=ボナパルトに新憲法を草案する権利を委任し、彼に十年の権力を委ねる。
※一部改行しました

藤原書店、ジャック・アタリ『世界精神マルクス』P199

フランスの大文豪ヴィクトル・ユゴーもこうした憂き目に遭っていたというのは驚きですよね。

実はこの時の無念をぶつけるかのように書かれた作品こそ、あの『レ・ミゼラブル』なのでした。ユゴーは亡命先のイギリスでこの作品を書き上げています。その時の顛末が詳しく書かれている伝記と参考書がありますので以下に紹介します。

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また、フランス二月革命やナポレオン三世については以下の記事で紹介していますのでこちらをご参照ください。

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『ルイ=ボナパルトのブリュメール十八日』の執筆

ヨゼフ・ヴァイデマイヤーはニューヨークに落ち着いたが、カールは彼から一八五二年、政治的雑誌に何か書いてくれるよう依頼される。

カールはやがて「革命」という題で一八五一年のクーデターの物語を書こうと考える。それはヴァイデマイヤーが以前ドイツで売ってくれた彼の新聞に一八四八年革命のことを書いていたからである。その原稿料はかなり安いものであった。カールはそれを受ける。一八五二年三月の初めまで毎週ニューヨークに論文を送る。ヴァイデマイヤーが掲載した七つの論文は一冊に集められ、『ルイ=ナポレオン・ボナパルトのブリュメール十八日』という題を付けられる。
※一部改行しました

藤原書店、ジャック・アタリ『世界精神マルクス』P200

生活をしていくために何としてもお金が欲しかったマルクスにとっては安い原稿料とはいえ、貴重なものでした。

そうした原稿依頼の下書かれたのが『ルイ=ボナパルトのブリュメール十八日』だったのでした。

この作品については改めて別の記事でお話ししていきます。

『ルイ=ボナパルトのブリュメール十八日』の反響

一八五二年五月二十日に『ブリュメール』の全論文がニューヨークの『レヴェルツィオーン』の第一号にドイツ語で掲載された。ヴァイデマイヤーはこの雑誌を、匿名のあるパトロンによって出版することができたのだ。当時その出版について述べる新聞はひとつもなかった。

コミューンの一年前の十七年後、マルクスはこの論文が評価されなかった理由を第二版の序文で語る。そこでこの同じ問題で彼より評価された書物を書いたヴィクトル・ユゴーとプルードンを批判する。

「当時ドイツに数百部が送られたが、書店に並ぶことはなかった。私は急進派であると知られており、私が販売を要請したあるドイツの本屋は、この提案に恐れをなし、『都合が悪い』と返答してきた。―ほぼ同じ頃、同じ問題を扱った作品のうちで言及に値するのは二つだけであろう。ヴィクトル・ユゴーの『小ナポレオン』と。プルードンの『クーデター』。

ヴィクトル・ユゴーはクーデターの責任者に対する厳しい、知的な罵言を行うだけで満足している。この事件は彼にとって青天の霹靂と思えたようだ。彼は一人の個人の力しかそこに見ていない。個人の力がなぜ弱まらず、増大したのかその理由を説明しない。プルードンはクーデターの歴史性をクーデターの英雄の擁護に変えてしまっている。逆に私は、フランスにおける階級闘争が、一人の平凡でグロテスクな男を英雄にすることを可能にした状況と環境がどうやって生まれたのかを示したのだ」。
※一部改行しました

藤原書店、ジャック・アタリ『世界精神マルクス』P202-203

驚くことに、この作品は今となっては非常に有名ですが、出版直後はほとんど反響がなかったようです。

マルクスは自分が「急進的」な存在と知られていて書店が恐れをなしたと述べていますが、やはりユゴーとプルードンの存在が当時はあまりに大きかったということではないでしょうか。当時の人々からすれば、マルクスはまだまだ無数にいる革命家の一人に過ぎなかったということなのかもしれません。

今から数十年前までバイブルのごとく読まれていた『共産党宣言』ですら、出版直後はほとんど反響がなかったくらいです。この作品があまり広まらなかったのは仕方ないことかもしれません。

ただ、そこから時を経てマルクスが亡くなった後から彼の作品が異様なほど評価されていったというのは注目に価します。生前評価されなかった作家が死後になって巨大な存在になって君臨する。その典型がマルクスと言えるかもしれません。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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