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(40)イギリスヴィクトリア朝の繁栄と労働者の生活水準の上昇~プロレタリアートのブルジョワ化が進むロンドン

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イギリスヴィクトリア朝の繁栄と労働者の生活水準の上昇~プロレタリアートのブルジョワ化「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(40)

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年表で見るマルクスとエンゲルスの生涯~二人の波乱万丈の人生と共同事業とは これより後、マルクスとエンゲルスについての伝記をベースに彼らの人生を見ていくことになりますが、この記事ではその生涯をまずは年表でざっくりと見ていきたいと思います。 マルクスとエンゲルスは分けて語られることも多いですが、彼らの伝記を読んで感じたのは、二人の人生がいかに重なり合っているかということでした。 ですので、二人の辿った生涯を別々のものとして見るのではなく、この記事では一つの年表で記していきたいと思います。

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

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トリストラム・ハント『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』あらすじと感想~マルクスを支えた天才... この伝記はマルクスやエンゲルスを過度に讃美したり、逆に攻撃するような立場を取りません。そのような過度なイデオロギー偏向とは距離を取り、あくまで史実をもとに書かれています。 そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。 マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。マルクスの伝記に加えてこの本を読むことをぜひおすすめしたいです。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

イギリスヴィクトリア朝の繁栄は労働者を中流階級に押し上げた

イギリスヴィクトリア朝はヴィクトリア女王在位期間の1837年から1901年の時代を指します。

エンゲルスが初めてイギリスへ渡った時はまさしくヴィクトリア朝の最初期で、彼が見た如く労働者の環境は悲惨なものでありました。

しかし1846年の穀物法の撤廃など、労働環境改善の兆しが見え始め、50年代の好景気も相まって、イギリスは一気に繁栄の時を迎えます。その栄光の象徴が世界初の万博、ロンドン万国博覧会でした。

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松村昌家『水晶宮物語 ロンドン万国博覧会1851』あらすじと感想~世界初の万国博覧会とドストエフスキ... ロンドン万博は世界で初めて開かれた万国博覧会で、1851年にその歴史は始まりました。 その頃ドストエフスキーはというと、シベリアのオムスク監獄で流刑生活を送っていました。 ドストエフスキーは1862年に初のヨーロッパ旅行に出かけています。そしてその時にロンドンを訪れており、第一回ロンドン万博後も残されていたこの水晶宮も見たと言われています。

最新技術の粋を集めた建築、水晶宮や、その経済的繁栄をまざまざと見せつける展示品。

そしてそれらの恩恵によって明らかに生活水準が上がった労働者たち。

エンゲルスが知っていた頃とは違うイギリスがすでに生まれていたのでした。

かつて歩いた道をたどるなかで、エンゲルスには『労働者の状態』がすでに時代遅れになっていることが感じられた。リトル・アイルランドの代わりに、いたるところで新しい重商主義の秩序の兆候が現われていた。贅沢な造りの礼拝堂、ルネサンス時代の宮殿をかたどった複数階の倉庫、それから何よりも象徴的なのは、自由貿易会館の基礎部分が、穀物法の勝利を記念するために、一八一九年のピータールーの虐殺(選挙法改正を求める集会が鎮圧された事件)の現場に無情にも建てられたことである。(中略)

急進的だったマンチェスターはすっかり中立的になったため、一八五一年十月には同市は女王を迎えるにもふさわしい場所となった。ヴィクトリア女王とアルバート公がヴィクトリア橋を渡ってイタリア風のアーチの下をくぐった華々しい市内パレードは、ブルジョワの誇りと地方都市の自尊心を示す壮麗な行列となり、最後はさまざまな名誉を市議会に与える儀式となって終わった。

マンチェスターの意義―商業、宗教的寛容、市民社会、政治による自治―が、これで王室によって認可されたのだ。『マンチェスター・ガーディアン』紙によれば、同市は「秩序正しく、地道で、平和的な中流階級の産業にもとづく共同体」としてのみずからの姿を示した。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P243

エンゲルスがいた頃(1843-44年)のマンチェスターはこの世の地獄のような場所でした。そんな悲惨な環境を告発したのが彼の著書『イギリスにおける労働者階級の状況』でした。

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この本はマルクスにも絶賛され『共産党宣言』や『資本論』にも大きな影響を与えました。

しかし、50年代にも入るとそのような描写はすっかり時代遅れなものになっていました。エンゲルスが不在だった数年間にイギリスは激変してしまったのです。

かつてはそんな地獄の中でチャーティスト運動という労働運動が盛んに行われていました。それはエンゲルスが政治運動について学んだ大きな時代のうねりでした。

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ですが、そんなかつての同志たちもすっかりブルジョワ化し、政治運動など忘れてしまったかのような変貌ぶりです。

では、なぜ彼らはかつて革命を起こしかねないほど熱狂的だったのか。それは彼らの環境が悲惨だったからです。かつては生きていくのもやっとだった。しかし今やなんとか落ち着いて生活ができるほど豊かになってきた。なぜわざわざそれを捨ててまで全てを破壊しなければならないのか、ということなのです。

このことはマルクス・エンゲルスの革命理論において最も頭の痛いことの一つでした。そのことに関しては以下の記事で詳しくお話ししています。

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そして、マンチェスターの繁栄ぶりについては次のように語られています。

ヴィクトリア朝中期の急成長を牽引し、プロレタリアートの野心をくじいたのは、勢いを取り戻した綿産業だった。アメリカ、オーストラリア、中国の新たな市場が生まれたために収益は増しており、一方、生産技術の改善によって生産性は向上しつづけた。

好景気はとりわけランカシャー州で顕著となり、同州ではニ〇〇〇カ所の工場が三〇万台の動力織機を昼夜を問わず動かすなかで、賃金率と雇用が増加していた。一八六〇年のその絶頂期には、綿産業はイギリスの輸出総額の四〇%ほども占めていた。

エルメン&エンゲルス商会は、ミシンが発明され、ちょうど彼らが扱うタイプの縫い糸の需要が高まったおかげで、その取引で大儲けをした。同社の社運は一八五一年に、ゴットフリート・エルメンが綿糸に艶をだす発明で特許権を取ったことでさらに上向いた。それによって彼らの製品は「ダイヤモンド糸」という独占的な旗印のもとで市場に売りだされた。注文が殺到したために、同社はサウスゲート七番地に(ゴールデン・ライオン・パブの中庭を見下ろす倉庫へ)事務所を移転し、ソルフォードのヴィクトリア工場に加えて、エックルズのリトル・ボルトンに新たにべンクリフ工場を購入した。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P245

綿産業の繁栄によりマンチェスターは大いに活気づきました。

エンゲルスの父の会社も上に述べられているようにその恩恵を被っていました。

エンゲルスはこの会社経営者の御曹司として、マンチェスターに戻ってきたのです。マンチェスターでも有数の大企業、しかも綿産業というマルクス・エンゲルスが最も憎んだグローバル企業です。

こうしてエンゲルスは自らもブルジョワの一人としてその仕事に就くのでありました。

次の記事ではそんな「労働者を搾取して得たお金をマルクスに送る」という矛盾に満ちた生活をしていたエンゲルスについてお話ししていきます。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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