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(34)エンゲルスの理想が「労働者にはもっと貧しく、どん底にいてほしかった」という現実

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エンゲルスの理想が「労働者にはもっと貧しく、どん底にいてほしかった」という現実「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(34)

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年表で見るマルクスとエンゲルスの生涯~二人の波乱万丈の人生と共同事業とは これより後、マルクスとエンゲルスについての伝記をベースに彼らの人生を見ていくことになりますが、この記事ではその生涯をまずは年表でざっくりと見ていきたいと思います。 マルクスとエンゲルスは分けて語られることも多いですが、彼らの伝記を読んで感じたのは、二人の人生がいかに重なり合っているかということでした。 ですので、二人の辿った生涯を別々のものとして見るのではなく、この記事では一つの年表で記していきたいと思います。

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

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この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。

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では、早速始めていきましょう。

40年代のパリ

フランスの首都は、バルザックのラスティニャックが描写したのと同じくらい誘惑的で危険な場所だった。そして、産業化するマンチェスターのように、そこはますます分断された都市と見なされるようになった。歴史的にはパリはつねづね異なった社会階級が地理的に密接して暮らしていることを誇っていた。

あるアメリカの訪問者によれば、「厩舎の向かい側に宮殿があり、大聖堂が鶏の囲いの隣に」あった。だが、この時代には金持ちは貧乏人から離れ始め、あとには危険な最下層民が住む地区が残された。

なかでも悪名高かったのは、恐ろしく人口過密になっていたシテ島―「薄暗い、曲がりくねった細い路地が迷路になり、裁判所からノートルダムまで延びている」―で、ここはウジェーヌ・シューが書いてヒットしたお粗末な金儲け作品『パリの秘密』(一八四二年)の冒頭場面となった。

パリの西側の飛び地は富と特権に包まれていたが、中心部と東側の薄汚れた界隈には、この都市のますます反抗的になる「危険な階級」が住んでいた。

この時代の小説家たちは自国の首都を、朽ちはててゆくおぞましい意地悪老婆として喜んで描いた。革命の勇敢な行為も、病気や売春、犯罪、ブルジョワ商人文化の軽薄な下品さによって徐々に汚されていった。

政治経済学者ヴィクトール・コンシデランは一八四八年のパリをこう描写した。「壮大な腐敗の製造場所で、そこでは貧困、疫病……その他の病気が一斉に活動し、日の光もめったに射し込まない。[そこは]汚い穴蔵で、植物もしおれて枯れ、子供は七人中四人が幼児期に死亡する」
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P182-183

エンゲルスは産業革命の中心マンチェスターで悲惨な労働環境や環境破壊を見てきたわけですが、1840年代のパリもすでに似たような状況になっていました。

上の引用の最初に出て来たバルザックのラスティニャックというのは『ゴリオ爺さん』の主人公の青年です。バルザックはこの青年を通してパリの現実を描きました。

そしてこの引用の最後にも出てきますように、幼児死亡率の高さはヨーロッパのどの大都市でも問題になっており、孤児の数も凄まじいものとなっていました。

ユゴーの『レ・ミゼラブル』も家族を餓死から救うためにパンひとつを盗んだことからその悲劇が始まります。

ユゴーは政治家でもありましたのでこうした貧困問題にも心を痛めていました。

こうしたフランスの状況については以下の記事もご参照ください。

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パリのドイツ人労働者コミュニティーの存在

このルンぺンプロレタリアートよりもいくらかマシな生活をどうにか送っていたのが、亡命者社会の熟練工たちだった。エンゲルスが関心を向けていたのは彼らだった。

産業革命がフランスに到達したのは遅かったが、一八四〇年代には景気がようやく上向き始めていた。防衛部門の拡大と鉄道建設の増大、それに綿や絹産業、鉱業の発達があいまって、産業生産と輸出が急増した状態が持続するようになった。

しかし、パリ市内では、工場の生産ラインにたいし、職人による工房システムが抵抗しつづけた。小さな工房にいる熟練職人がファッション中心の市場で販売をするという形態が、パリの雇用パターンの大半を占めていた。

一八四八年に、パリには三五万人の労働者がいて、そのうち三分の一は繊維業界で働き、残りの大半は建設業と家具産業、宝飾、治金業、および家事使用人に分類された。

労働人口の多くはドイツ人で構成されており、エンゲルスは彼らを「そこらじゅうにいる」と表現した。一八四〇年代末には、その数は六万人にものぼり、その勢力は相当なものであったため、パリのいくつかの地区では、ほとんどフランス語を耳にすることがないほどだった。

彼らの支持政党をめぐる争いは激しかった。前述したように、フランスは長年、社会主義思想の中心地であり、フーリエとサン=シモンの初期の時代のあと、一八四〇年代には急進的な政治が「社会問題」を背景に再浮上してきた。

貧困、失業、都市部の棲み分けなどが、産業化につづいた。プルードンのあとには、ルイ・ブラン、エティエンヌ・カべ、ピエール・ルルーおよびジョルジュ・サンドが加わり、オーエン流の協同から血気盛んな共産主義まで、いずれも新しい社会の展望を示していた。

こうした理論に最も熱心に耳を傾けるのは、搾取され貧困に苦しむドイツ人社会の人びとだった。そのあまりの多さに、一八四三年にプロイセン政府は国外に居住するドイツ人のかぶれた思想が、実際どれほど広まり、危険であるのか、調査に乗りだした。その結果の一つとして、マルクスは一八四五年にフランスから国外追放された。「パリからドイツの哲学者たちを追放しなければならない!」というのが、首都にはびこる反体制的パンフレット制作活動にたいし、国王ルイ・フィリップが見せた無理からぬ反応だった。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P183-184

フランスにここまで大きなドイツ人労働者のコミュニティーがあったのは驚きですよね。

そしてその中で政治活動が熱烈に行われていたというのも重要です。様々な思想が渦巻く中、いかにして自分たちのグループに労働者を引き込むかという熾烈な争いが繰り広げられていたのでした。

そうした中にエンゲルスは単身飛び込んでいくのでした。

エンゲルスの巧みで容赦ない政治工作

エンゲルスはこの競争の激しい政治市場に、みずからの自信(と父親が渋々と復活させた小遣い)のみを支えに入った。彼はパリの労働者階級からグリューンとヴァイトリングの逸脱した社会主義の系統を排除すべく、果敢に仕事に取リかかり始めた。

彼の標的はサンタントワーヌの製造業地区に住む、いわゆる、シュトラウビンガー、つまり真正社会主義に傾倒したドイツの職人および熟練職人だった。シュトラウビンガーの毎週の集会でエンゲルスが試みた方法は、ほかの政党組織に潜入工作をするうえでの模範的戦術になった。脅し、分割と統治、糾弾とイデオロギー面でのいじめを、残虐なまでに立てつづけに繰り返すのである。

「少々の忍耐と若干の威嚇という手段で、僕は大多数を引き連れ、勝ち誇って集会をあとにした」と、彼はマルクスに自慢し、「そのあまりに威圧的な行動のために、アイザーマン老人[指物師で正義者同盟のメンバー]はもう顔を見せなくなった」と語った。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P184-185

まずはじめに、著者がちくりと指摘した父からのお小遣いの存在には注目です。彼はここでもブルジョワを攻撃しながら自分もブルジョワであることを利用しています。

そして彼の政治工作は非常に効果的ではありましたが、好ましいものとは言えません。

「脅し、分割と統治、糾弾とイデオロギー面でのいじめを、残虐なまでに立てつづけに繰り返す」

言葉では労働者のため、自由のため、平等な世界のためと美しい理想を語りながら、結局はこうしたどす黒い政治工作で人を支配下に組み込こうとする。これはまさしくドストエフスキーの『悪霊』で語られた革命家たちの内ゲバの様相を連想させます。

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エンゲルスの理想が「労働者にはもっと貧しく、どん底であってほしかった」という現実

一つエンゲルスが心配していた点は、シュトラウビンガーのあいだでイデオロギーが初歩的なレべルでしか理解されておらず、「あの連中はおそろしく無知」であることだった。

問題は、彼らが比較的裕福であるため、階級意識の発達が阻害されていたことだ。「彼らのあいだには競争がなく、賃金はつねに同じ劣悪なレベルに留まっていた。親方との軋轢にしても、賃金の問題に目を向けるどころか、職人のプライド、、、、、、、などを問題にしている」。

エンゲルスの理想としては、彼らがもっとずっと貧しく、どん底の状態にいてもらいたかったのだ。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P185

ここはマルクスとエンゲルスの思想において決定的に重要な指摘がなされている箇所だと私は思います。

マルクス・エンゲルス関連の様々な本を読んできて、私が薄々感じていた違和感をはっきりと言葉にしてくれたのがこの箇所です。

そうです。マルクスとエンゲルスには人々の生活が悪くなればなるほど喜ぶ節があるのです。

言い換えれば、「ほら見たことか。我々の言った通りだ。だから我々が正しいんだ」と言いたいがために、人々の不幸を願っているように見えるのです。

彼らの生活の実態、そして経てきた人生の流れを見ていると、本当に彼らが労働者のために動いているようには思えないのです。

では、彼らは何のために動いているのか。

そのことについてはそう遠くはない箇所でまた改めてお話ししていきたいと思います。(※2022年6月10日のこちらの記事「革命に必要なのはこれ以上何ひとつ失うものを持たない追いつめられた階級だ」~マルクスのプロレタリアートは革命理論のために生み出された存在だった「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(37)をご参照ください。)

次の記事ではそうしたことの裏付けのひとつであるエンゲルスの私生活、特に女性関係についてお話ししていきます。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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