ニーチェの主著?『権力への意志』あらすじと感想~妹によって捏造された幻の遺稿集
ニーチェの主著?『権力への意志』概要と感想~妹によって捏造された幻の遺稿集
今回ご紹介するのはニーチェの死の翌年の1901年に彼の妹エリーザベトによって編纂され発表された『権力への意志』という作品です。
私が読んだのはちくま学芸文庫版、原祐訳『ニーチェ全集12・13 権力への意志』です。
早速この本について見ていきましょう。
韻文による壮大な哲学的主著『ツァラトゥストラ』を書き終えたニーチェが散文表現による体系的理論書として計画し、書き残した厖大な遺稿群の集成。
ニーチェの実妹エリーザべトがぺーター・ガストの協力を得て編纂したもの。本書は著作としては未完に終った思想的素材の塊りであるが、晩年のニーチェの思索生活の影が映しだされた精神のドラマの工房であり、彼の世界観形成の内的秘密に解明の光を投げかけてくれる思索の宝庫である。
ちくま学芸文庫版、原祐訳『ニーチェ全集12 権力への意志』裏表紙
さて、ちくま学芸文庫版では上のように解説されていますが、実は最近の研究によりこの作品は多くの問題が指摘されるようになってきました。
上の解説にありますようにこの作品はニーチェの妹エリーザベトが主導して発表された作品です。
エリーザベトに関しては以前「マッキンタイアー『エリーザベト・ニーチェ ニーチェをナチに売り渡した女』~ニーチェには恐るべき妹がいた!前代未聞の衝撃!」の記事でも紹介しました。
ニーチェ自身も規格外の存在でしたがその妹もとてつもない人物でした。彼女は夫とともに南米パラグアイの奥地に純粋アーリア人の村を作り、そこの支配者として君臨し、村人たちを騙し続けていました。しかもニーチェ発狂後は彼の著作や手紙を改竄し、自分の都合のいいように「偉大な哲学者ニーチェ」を作り上げ、最後にはナチスに加担することになります。
では、そんなエリーザベトが『権力への意志』を編纂した過程を見ていきましょう。
エリーザベトは、兄との関係のイメージを輝かしいものにするのに役立つとみれば、徹底して文書を偽造した。二ーチェがだれかほかの人に宛てた手紙でも、稀にみるような称賛の言葉を見つけると、手紙の冒頭の受取人の名前を自分の名前と差し替え、自分宛ての手紙だったように装ったことも一度ならずあった。
また、自分が受け取ったという手紙の《複製》を作り、もとの手紙はパラグアイにいるあいだに文箱のなかから盗まれてしまった、と言い張ったこともある。望み通りの印象をあたえてくれない手紙がどれほど破り捨てられたか、今となっては知る由もない。
フリッツ・ケーゲルが彼女のところを辞めるときには、ニーチェが自分について考えていたことを記した手紙のコピーを持ち出すことを恐れて、ケーゲルの相続人にたいして出版を差し止める法的措置をとった。
しかし、間違いなくエリーザべトの最大の過ちは『権力への意志』の出版だった。これはニーチェの最高傑作で、最後の昏倒の前に書かれた大いなる《すべての価値の価値転換》だとされているものだ。たしかにニーチェはそのような著作の構想をもっていたが、おそらく断念していた。出版する用意はなく、したがって出版を望んではいなかったのだ。それが完成しているのを見たら、きっと驚いただろう。単純な事実は、ニーチェは『権力への意志』という題名の本は書かなかったということだ。書いたのはエリーザべトである。
エリーザべトがぺーター・ガストの助力をえて一九〇一年に『権力への意志・習作と断片』という題で出版した本は、じつのところ、二ーチェ自身が破棄したり別のところで用いたりした哲学的がらくたを寄せ集めたものにほかならなかった。
後年には断片がさらに追加されて大部の本になり、予言者もしくは《価値制定者》としての二ーチェの名声を確立するために、表題もいっそうどぎつい『権力への意志―すべての価値の価値転換』に改められた。
エリーザべトは、本来ならば関連のない走り書きや手記や箴言を寄せ集め、そこにあるはずのない秩序をもたせて、これがニーチェの代表作だと言い張り、この本にまったく偽りの重要性をもたせた。
たとえば、『権力への意志』の第四部は「陶冶と訓育」と呼ばれているが、これは誤解を招く。たしかにニーチェは、数多い草稿の一つでこの題名を使いはしたが、それは放棄されたのだ。実際のところ、彼はここで陶冶についてほんのわずかしか述べておらず、しかもそのことごとくが、控え目にいっても曖昧であり、(フェルスターやエリーザべトや、のちのナチスが考えたような)生物学的陶冶についてはほとんど何も言っていない。
白水社、ベン・マッキンタイア―著、藤川芳郎訳『エリーザベト・ニーチェ ニーチェをナチに売り渡した女』P237-238
※一部改行しました
また、ニーチェ研究者の西尾幹二著『西尾幹二全集第五巻 光と断崖ー最晩年のニーチェ』でも『権力の意志』問題について次のように述べられています。少し長くなりますが重要な点ですので引用します。
最晩年のニーチェに絡まる最も大きな謎の一つに、彼が理論的哲学的主著―『権力への意志』という名であるにせよ、ないにせよ―を書く予定があったという、昔から信じられていた神話は結局はどうであったのかという問題がある。
さらに、これに関連して、生前に公刊されたかもしくは公刊を予定されていた著作群と、完全に未公刊の遺稿断片群のどちらに彼の本来の重要な思想が蔵せられているかという、今世紀初頭から繰り返し、幾度も取り上げられ、論争されて来た問題もある。
二十世紀の初頭に妹エリーザベトとぺーター・ガストらが未公刊の遺稿断片群を三度編集し直し、独自に完成した大著『権力への意志』が、杜撰な編集による、恣意的なでっち上げの著作であったということは、関係者の間ではかなり前から知られていた。
けれども、この編集物はよしんば捏造であったにしても、ニーチェが一八八五年頃から、「権力への意志」を原理とする理論的哲学的主著を何とか完成させようと苦心していて、自分の思想の最後の体系化ともいうべきこの著作の取り纏めにもう一歩の処で成功しなかった、という風に従来何となく漠然と、広く信じられて来たように思える。ハイデッガーのニーチェ論考などはみなこの仮定の上に成り立っている。(中略)
しかし白水社版全集が依拠したグロイター版全集における徹底したテキスト・クリティークは、じつはこの点で一大転機を促す新しい論証を提示して、人々を驚かせたのだった。この全集は遺稿断片群を細大洩らさず全部活字にしている。白水社版でいえば、全二十四巻のうちじつに十四巻分が未公刊の断片、ノート、雑稿の類である。
そして、編集方針は、いかなる編集者の手も加えられない、全テキストの完璧な時代順による配列である。これにより妹たちが編集した『権力への意志』が架空の捏造品であったことが論証されただけに留まらない。じつは、これだけ膨大量の遺稿断片が精密に、時代順に再現された結果、かつて神秘化されていた未公刊断片の持つ伝説的価値が上昇することにはならず、かえって下降するという面白い現象が発生したのだった。
すなわちニーチェに『権力への意志』という著作の構想がなかったわけではないにしても、多くの人々の想像とは異り、彼が理論的哲学的主著と取り組んで悪戦苦闘したという事実はどうもなかったようだ、という結論になったのである。勿論、同名の著作のための計画、草案、目次の編成などは何度も作られ、何度も破棄されているので、一見、悪戦苦闘の跡にも見えなくはないし、もう一歩で大著完成の日を迎えたのではないかとも思いたくなるが、グロイター版の編者はきっぱりとその事実のなかったことを実証してみせる。
言うまでもなく、何度も変更される短期的な著作計画は、記録として遺されている。しかしニーチェはどの場合にも計画を本格的に実行する気がなかった。計画のために書かれた文章のうち、よく纏った重要なものはそのつど公刊著作の中に取り入れられ、他はそのままに放置された。そしていつも公刊著作の方が重視され、『権力への意志』の構想は、公刊計画の方の犠牲になるのが常だった。
言いかえれば、全力を傾けたライフワークがあと一歩で未完に終った、という事実は何処にもなかったことになる。従って遺された断片、ノート、雑稿の類に何らかの主著の理念を持ち込んで秩序づけ、一定の体系的表現に纏め上げるこれまでの多くの研究家の遣り方には、どうあっても無理がある、という結論が提出されるに至った。これはハイデッガーなどのニーチェ解釈のいわば前提に疑問を突きつけているような、実証文献学者らしい新しい「事実」の発見に基く一大問題提起である。
国書刊行会、西尾幹二、『西尾幹二全集第五巻 光と断崖ー最晩年のニーチェ』P27-29
※一部改行しました
『権力への意志』という作品を「ニーチェの作品」として捉えていいものなのかということについては以上のような見解が提出されています。
ちくま学芸文庫版の巻末解説でもこの作品が問題のあるものであることは言及されてはいますが、以下のようにこの作品の意義について述べています。
私たちは、本訳書『権力への意志』に収められているアフォリズムの一つ一つを、それらはもともと遺稿断片にすぎなかったことを念頭にしつつ、客観的にニーチェ自身のものとして、ニーチェ研究に提供された資料という観点から利用すればよいのである。そのときには『権力への意志』は、いぜんとして私たちにとっては、その体系的配列によって理解をたすけられながら、その全貌をうかがわしめるニーチェ思想の宝庫と言うべきであろう。
ちくま学芸文庫版、原祐訳『ニーチェ全集12 権力への意志』P508
たしかにこれはなるほどと思いました。
ただ、実際この『権力への意志』を読むのは相当厳しかったです。まず、流れがないので読み進めるリズムがどうしても上がってこない。しかもやはり「作品にはならなかった」言葉の羅列なわけですからどうしても他の作品よりもぐっとくるものが少ない・・・
正直、かなり苦しい読書になりました。
しかし、この作品がどういう経緯で作られたのか、そしてそれが意味するのはどういうことなのかということを知った上でこれを読むことは文学や哲学、歴史を学ぶ上で大きな勉強になったと思います。この本の制作で起きたようなことはおそらくあらゆるジャンルで起こりうるものでしょう。そうしたことについても思いを馳せる読書になりました。(このことについては「ニーチェは発狂したから有名になったのか~妹による改竄とニーチェの偶像化」の記事で詳しくお話ししていますのでぜひこちらもご参照ください)
そうした意味でこの本を読めたことは大きかったなと思います。
以上、「ニーチェの主著?『権力への意志』妹によって捏造された幻の遺稿集」でした。
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