MENU

(10)ロシア十月革命とレーニンの権力掌握の流れをざっくりと解説

目次

ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑽

引き続きヴィクター・セベスチェン著『レーニン 権力と愛』の中から印象に残った箇所を紹介していきます。

ロシア十月革命とレーニンの権力掌握

1917年2月に起きたロシア二月革命によってロマノフ王朝が倒れたことで、国政は臨時政府によって行われていました。レーニン率いるボリシェヴィキ党はその中の野党の一つに過ぎず、未だ力を持ってはいませんでした。

しかし臨時政府の運営はなかなかうまくいかず、国民の不満は溜まっていきます。そしてそうこうする内に前回の記事でもお話ししましたように、レーニンはドイツからの圧倒的な資金を元手に新聞網を掌握し国民の支持を得ていきました。

そして同年10月、ついにレーニンは動きます。軍部も味方につけたボリシェヴィキはクーデターを決行。そしてその後憲法制定会議を経てついにレーニンは権力を掌握することになりました。

十月革命の冬宮への突撃 Wikipediaより

ロシア革命でややこしいのはこの二月革命と十月革命が全く違った性格の革命であることです。二月革命はロマノフ王朝に対する不満が爆発し、自然発生的に起こった革命であるのに対し、十月革命はレーニンの権力掌握のためのクーデターでありました。今回はこの辺りの流れをかなりざっくりとお話しましたが、この本を読んで頂ければもっと詳しく知ることができますのでぜひ読んで頂けたらなと思います。

レーニンの強迫観念

権力を非合法に獲得した一九一七年一〇月二五日以降、残りの生涯をとおしてレーニンの現実の唯一の関心事は、それを維持することであったーこれは、彼が後継者たちに引き継いだ強迫観念だった。その全存在期間を通じて、ソ連は自らを、その生死を問わず国家創設者と重ね合わせた。

レーニンが創設した体制は、おおむね彼の人格によって形成されていた。秘密主義的で疑い深く、非寛容で禁欲的、そして過激という人格である。レーニンの性格のなかで、より好ましい部分は、ほとんどソ連の公共的領域に痕跡をとどめることがなかった。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻p126

積年の念願でもあった権力掌握を達成したレーニンでしたが、今度は権力を維持することにその執念を燃やすことになります。それはもはや強迫観念の域に達し、それがソ連体制の性格にも大きく影響することになったのです。

レーニンにとって「権力」とは何だったのか

革命家としての生涯を通じて、レーニンはとりわけ一つの主題の研究に没頭していた。すなわち、権力の性質、権力をいかに手に入れ行使するか、権力がそれを所有する者としない者をどう変えるかである。

彼は、エゴイストがそうするように、権力それ自体を欲した。しかし、自分は人民の多数の生活を改善するためにそれを行使しようとしているのだ、と誠実に信じていたのである。

こうして彼は虚偽と欺瞞、そしてあとに続くテロルを正当化した。社会主義の夢を追求するためなら、あらゆることが許容できるのだ。アンジェリカ・バラバーノワは彼を尊敬、賞賛していたものの、だんだん彼を恐れ、嫌うようになったのだが、彼女によれば、レーニンの「悲劇は、ゲーテの句で表現するなら、善を望みながら……悪を生み出したことだ」〔『ファウスト』のメフィストフェレスの言葉「常に悪を望み、常に善をなす」〕
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻p126-127

レーニン自身は「自分は人民の多数の生活を改善するためにそれを行使しようとしているのだ」と誠実に信じていたと著者は述べます。「悲劇は、ゲーテの句で表現するなら、善を望みながら……悪を生み出したことだ」という言葉も意味深長です。

レーニンは権力の虚飾には興味がなく、それを享受することはなかった。彼の目標は自分の思想と人格を他者に押しつけること、人を自分の意志に従わせることだった。彼はけばけばしい見せびらかしを嫌い、ナージャ(※レーニンの妻。ブログ筆者注)と単調な中流市民スタイルで質素な生活を送った。

このような独裁的人物におけるこの質素ぶりは、レー二ンの「ナルシシズム」の一例だ、とゴーリキーは評したことがある。マルトフも同様に考えていた。もっとも、彼は同時に、「レーニンには虚栄心がない」としばしば言っていた―権力者にはあまり見られない逆説である。

レーニンが権力を欲したのは奢侈や金、あるいはセックスのためではない。知られているところでは、イネッサが結婚生活以外ではただ一人の恋愛の関心対象だった。彼は権力の快楽を味わったが、自分では暴力の快楽を味わうことをしなかった。サディストではない。

レーニンは、非常に多くの独裁者が好むように、軍服に類似したものを身に着けることがなかった。普段はくたびれたスーツとネクタイ姿だった。彼はボリシェヴィキがテロを用いることは分かっていたが、必要なこととして常に正当化し、それを容認した。だが、処刑に立ち会うことはなく、処刑の様子を聞くことにも興味がなかった。彼が生涯で死体を見たのは、わずかに三人だけだ。父親と妹オリガ、それに義母である。レーニンにとって、彼が流そうとする血は、おおむね理論上のことだったのだ。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻p127-128

レーニンは権力の虚飾には興味がなかった。これは私たちにとってはとても興味深い事実です。普通の俗物とは全く違った思考原理で彼は動いていたのです。

そして引用の最後の方に出てきましたが、彼自身が処刑に立ち会うことはなく、死体を見ることすらなかったというのは重大な事実であると思います。彼は拷問される人間の苦しみや、不条理に殺され、流される血を見ていないのです。彼の暴力はすべて理論の上で行われるものに過ぎないのです。

これはドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフの思想を連想させます。「圧倒的天才は何をしても許される」。理性を極限まで突き詰めたラスコーリニコフが行きついた思想との共通点を感じました。とはいえ、殺人を犯したラスコーリニコフが狂乱に陥るのに対し、レーニンは自ら手を汚すこともありませんでしたし、本当にラスコーリニコフと同じ原理でものを考えていたかはわかりません。ですが次に『罪と罰』を読むときはレーニンのことも念頭に置きながら読んでいきたいなと思いました。

ボリシェヴィキの存続を予想する者はいなかった

ボリシェヴィキが長く生き残るとは、ぺトログラードのだれも考えていなかった。ある自由主義派新聞のジャーナリストらによれば、それは「ジャーナリストとパンフレット執筆者の政府」であり、行政の回し方をまったく知らないというのだ。

クーデターの翌朝の別の新聞は、気の利いた見出しでボリシェヴィキを「一時間のカリフたち」と表現している。有力メンシェヴイキのツェレテリは、せいぜい三日間と烙印を押した。

ゴーリキーは前日、街頭に出て革命を沈んだ気分で眺めていたのだが、彼は、レーニンはせいぜいもって二週間だと言っている。もっとも、その見方を間もなく修正したのだが。

ウラジーミル・ナボコフは臨時政府が倒されて職を失ったものの、彼が仕えてきた閣僚たちのように逮捕されてはいなかった。彼は「ボリシェヴィキ政権の強さを一分たりとも信じるのを拒否し……早期の消滅を予期した」。

ジナイーダ・ギッピウスは「詐欺師集団によるこの政府は長くは存続できない」と言っている。

いくつかの外国大使館も本国政府に同じことを性急に報告している。英国大使の顧問は数日のうちに外務省に打電し、「ボリシェヴィキ政権がすでに破産しかかっていることは疑問の余地なし」と伝えている。

ボリシェヴィキのクーデターは起きないと国務省に報告してしまった米国大使は、今度は政権奪取を「けがらわしいこと」と呼び、ボリシェヴィキは問もなく追い払われるだろうとワシントンに請け合った。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻p128

クーデターによって成立したボリシェヴィキ政権が長く生き残ることを当時の誰も想像していなかったというのは、どこかナチスのヒトラー政権の成立を思わせますよね。

ドイツ国民もまさかヒトラーがあそこまでの権力を持つことになろうとは想像していなかったとされています。

「まさかこうなるとは」というのが歴史の怖い所です。そしてこれは形を変えて繰り返される危険性があります。私たちも他人事ではありません。

プーチン大統領も所属した、後のKGBー国家警察の要「チェカー」の創設

レーニンが書いた秘密布告によって、ソヴィエト警察国家の大黒柱である「チェカー」が創設される。その後の年月、何度も名称が変わっている。国家政治保安部ゲー・ペー・ウー合同国家政治保安部オー・ゲー・ベー・ウー内務人民委員部エヌ・カー・ヴェー・デー国家保安省エム・ゲー・ベー、そして最後はもっともよく知られた姿、国家保安委員会カー・ゲー・ベー(KGB)である。

名称がどうであれ、その任務は変わらなかった。すなわち、党と指導部を察知されたいかなる転覆の脅威からも守り、「革命的裁き」を執行することだ。

レーニンの言葉によれば、「党の剣と盾」であり、この二つのイメージがその徽章を形づくっていた。

一九九〇年代に解体されるまで、大方の工作員は自ら「チェキスト」と称していた。革命から一〇〇年後のロシア大統領で、ソ連崩壊まで長年KGB将校だったウラジーミル・プーチンは、自分はチェキストだと言うのが常だった。チェカーが共産主義世界に広く産み出した類似機関ー東ドイツのシュタージやルーマニアのセクリターテーで働いていた数千人の職員もそうである。

チェカーは反革命・投機・怠業と戦うための「非常委員会」(チレズヴィチャイチャ・コミッシャ)として、一九一七年一二月七日に創設された。公式には、「ワイン・ポグロム」ー逮捕されるか、あるいはぺトログラードを脱出した皇帝や富裕者のワインセラー荒らしーと戦うために、三日前に創設されたもう一つ別の委員会と協力して、活動することになっていた。「ワインセラー、蒸留酒貯蔵庫、倉庫、商店、個人の住宅に押し入ろうとする企ては、警告なく機関銃火で粉砕される」のだ。しかし、チェカーの権限は常に、拡大が目論まれていた。

レーニンの言葉によれば、チェカーの仕事は「ロシア全土にわたり反革命もしくは怠業に関連するあらゆる企てと行為を、それがだれによるものであれ、捜査し、一掃する」ことだった。

だが、その機能と権限は一九二〇年代半ばまで公表されず、当初から、事実上政治的説明責任を負うことなく、極秘の手続きに従って法の枠外で活動した。ソヴィエトは監督権限を持たず、何年にもわたり、人民委員会議もそうであった。チェカーはレーニンにだけ責任を負っていたのである。

間もなく、チェカーは諸々の国家「機関」のなかでもっとも恐れられる機関に、その長はロシアでもっとも憎悪される人物になった。レーニンは、チェカーは「忠実なプロレタリア的ジャコバン」を責任者にする必要があると語った。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻p154-155

レーニンは権力を掌握するとそれを守るためにすぐさま秘密警察を創設します。これはロシア皇帝直属だったオフラーナという秘密警察を見本に作った組織で、抵抗分子をいち早く発見し逮捕することを目的にしていました。しかし後にチェカーはオフラーナよりも比べ物にならないくらい残虐な方法を取るようになっていきます。

あわせて読みたい
メリグーノフ『ソヴィエト=ロシアにおける赤色テロル(1918~1923)』あらすじと感想~レーニン時代の... ソ連時代に一体何が起きていたのか、それを知るために私はこの本を読んだのですが、想像をはるかに超えた悲惨さでした。人間はここまで残酷に、暴力的になれるのかとおののくばかりでした。 私は2019年にアウシュヴィッツを訪れました。その時も人間の残虐さをまざまざと感じました。ですがそれに匹敵する規模の虐殺がレーニン・スターリン時代には行われていたということを改めて知ることになりました。

チェカーによる弾圧については以前の記事で紹介しましたのでこちらも参考にしていただければと思います。

そして有名なKGBもこのチェカーが基になってできた組織でした。あのプーチン大統領もかつてこの組織に属していて、自らをチェキストと名乗っていました。チェカーが行ってきたことを考えて見るとこれはとてつもなく恐ろしい宣言であると思えてしまいます・・・

続く

Amazon商品ページはこちら↓

レーニン 権力と愛(上)

レーニン 権力と愛(上)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
(11)「我々には全てが許されている」~目的のためにあらゆる手段が正当化されたソ連の暴力の世界 今回の箇所ではレーニンの革命観が端的に示されます。 レーニンが権力を握ったことで結局党幹部は腐敗し、平等を謳いながら餓死者が多数出るほど人々は飢え、格差と抑圧が強まったのも事実でした。そしてスターリン時代には抑圧のシステムがさらに強化されることになります。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
(9)第一次世界大戦とレーニン~ドイツの支援と新聞メディアの掌握 なんと、レーニンの政治活動の背後にはドイツ政府の秘密資金があったのでした。しかもその金額が桁外れです。そうした資金があったからこそロシアでのメディア掌握が可能になったのでした。

「レーニン伝を読む」記事一覧はこちらです。全部で16記事あります。

あわせて読みたい
ソ連の革命家レーニンの生涯と思想背景とは~「『レーニン 権力と愛』を読む」記事一覧 この本を読んで、レーニンを学ぶことは現代を学ぶことに直結することを痛感しました。 レーニンの政治手法は現代にも通じます。この本ではそんなレーニンの恐るべき政治的手腕を見てきました。彼のような政治家による恐怖政治から身を守るためにも、私たちも学んでいかなければなりません。

関連記事

あわせて読みたい
神野正史『世界史劇場 ロシア革命の激震』あらすじと感想~ロシア革命とは何かを知るのにおすすめの入門... 神野氏の本はいつもながら本当にわかりやすく、そして何よりも、面白いです。点と点がつながる感覚といいますか、歴史の流れが本当にわかりやすいです。 ロシア革命を学ぶことは後の社会主義国家のことや冷戦時の世界を知る上でも非常に重要なものになります。 著者の神野氏は社会主義に対してかなり辛口な表現をしていますが、なぜ神野氏がそう述べるのかというのもこの本ではとてもわかりやすく書かれています。 この本はロシア革命を学ぶ入門書として最適です。複雑な革命の経緯がとてもわかりやすく解説されます。
あわせて読みたい
V・セベスチェン『レーニン 権力と愛』あらすじと感想~ロシア革命とはどのような革命だったのかを知る... この本ではソ連によって神格化されたレーニン像とは違った姿のレーニンを知ることができます。 なぜロシアで革命は起こったのか、どうやってレーニンは権力を掌握していったのかということがとてもわかりやすく、刺激的に描かれています。筆者の語りがあまりに見事で小説のように読めてしまいます。 ロシア革命やレーニンを超えて、人類の歴史や人間そのものを知るのに最高の参考書です。
あわせて読みたい
(1)なぜ今レーニンを学ぶべきなのか~ソ連の巨大な歴史のうねりから私たちは何を学ぶのか ソ連の崩壊により資本主義が勝利し、資本主義こそが正解であるように思えましたが、その資本主義にもひずみが目立ち始めてきました。経済だけでなく政治的にも混乱し、この状況はかつてレーニンが革命を起こそうとしていた時代に通ずるものがあると著者は述べます。だからこそ今レーニンを学ぶ意義があるのです。 血塗られた歴史を繰り返さないためにも。
あわせて読みたい
(5)なぜ口の強い人には勝てないのか~毒舌と暴言を駆使するレーニン流弁論術の秘密とは レーニンは議論において異様な強さを見せました。その秘訣となったのが彼の毒舌や暴言でした。 権力を掌握するためには圧倒的に敵をやっつけなければならない。筋道通った理屈で話すことも彼にはできましたが、何より効果的だったのは毒舌と暴言で相手をたじたじにしてしまうことでした。 この記事ではそんなレーニンの圧倒的な弁舌についてお話ししていきます。
あわせて読みたい
(8)レーニンの黒い資金源~若きギャング、スターリンの暗躍 今回の記事で読んでいく箇所は私にとってもかなりの驚きでした。 こうまで堂々と強盗をしそれを資金源にする集団が政治集団として表舞台にいるという事実。 そしてこの時から影のギャングスターとして暗躍していた後のソ連の独裁者スターリンの存在。 資本家は労働者から収奪していたのだから、我々から収奪されるのは当然だという理屈をレーニンは主張します。まさに「目的は手段を正当化する」というレーニンの思想が表れています。
あわせて読みたい
モンテフィオーリ『スターリン 青春と革命の時代』あらすじと感想~スターリンの怪物ぶりがよくわかる驚... 前作の『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』も刺激的でかなり面白い書物でしたが、続編のこちらはさらに面白いです。独裁者スターリンのルーツを見ていくのは非常に興味深いものでした。 彼の生まれや、育った環境は現代日本に暮らす私たちには想像を絶するものでした。暴力やテロ、密告、秘密警察が跋扈する混沌とした世界で、自分の力を頼りに生き抜かねばならない。海千山千の強者たちが互いに覇を競い合っている世界で若きスターリンは生きていたのです。 この本を読めばスターリンの化け物ぶりがよくわかります。
あわせて読みたい
モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』あらすじと感想~ソ連の独裁者スターリンとは何者だ... この作品の特徴は何と言っても人間スターリンの実像にこれでもかと迫ろうとする姿勢にあります。スターリンだけでなく彼の家族、周囲の廷臣に至るまで細かく描写されます。 スターリンとは何者だったのか、彼は何を考え、何をしようとしていたのか。そして彼がどのような方法で独裁者へと上り詰めたのかということが語られます。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次